Episode,2
休日の土曜日、珍しくあたしは一人だった。いつもは誰かしらの誘いがあるんだけど、今日はみんなそう言う気分じゃないんだろう。
それはそれで構わない。あたしは自分から誰かを誘って遊ぶようなタイプじゃない。一人なら一人を楽しめるタイプの人間だ。
梅雨時のたまの晴れ間、あたしはチャリに乗って少し遠出した。向かったのは隣町のショッピングモールだ。金はあんまり持ってないし、何か買いたいものがあるわけでもないんだけど、もし安くていいのがあれば靴がほしいなって思ってる。理由は簡単だ。
口裂け女。
あれが幽霊か亡霊なのか、はたまた何かのモンスターだったのかはわからない。そのわからないものを、あたしは蹴りまくったんだ。今履いている、このスニーカーで。
何か異常があるわけじゃないんだけど、気分的に何か嫌だ。体液とか血液とかあるのか知らないけど、あいつの何かが付着していそうで嫌だった。
身近にも靴屋はあるんだけど、そこはカジュアルって言葉とは一兆光年も離れていそうなボロい店だ。だったら、せっかくだし暇潰しも兼ねて遠出するか、と思い至ったわけだ。
「いいよなぁ。うちの町にもこう言うのできないかね」
あたしはファッションとかブランドとかには疎いから、こんなものができたところで通いはしないだろう。けど、自分の住んでいる町にショッピングモールがあるって言う、一種のステータスみたいなものはほしい。
服屋だけで何店舗あるんだよ? 全部同じじゃね?
サチには「志津香も着飾れば綺麗になるよ」とか言われるけど、じゃあ今は綺麗じゃないのかよ、って思う。あの口裂け女じゃないけど、今の恰好――Tシャツにデニムだけでも別におかしくないだろ。
「あった、あった」
時期が時期だけに長靴押しだな。しかも、妙にお洒落だし。ほんとに長靴か?
スニーカーのコーナーに行くと、あたしでもわかるブランドの靴が壁に飾られているんだけど、やっぱりこう言うところの品物って高い。あたしにはただただ白いスニーカーにしか見えないのに、六千円とか八千円もする。
あんなの履いたら雨の日とか汚れそうで履けねえだろ。
特売のコーナーとかはないかな、と歩いていたら女の子らしいヒールが目に入った。特に興味はなかったんだけど、何となく手に取ってしまった。そんな時だ。
「影森さん?」
「あん?」
急に誰かに呼ばれて振り向くと、そこに和田がいた。直感的になぜかヤベぇって思ったんだけど、それは正しくて、あたしはピンクで可愛らしいヒールを持ったままだった。
「わ、和田! こ、これはその……――」
ヒールを棚に戻し、どぎまぎしていると和田の後ろに女性が歩み寄った。似ているわけじゃないけど、本能的にわかった。和田のお母さんだ。
「あなたの友達?」
「学校の友達。影森さん」
「そうなのね。可愛らしいお友達じゃない」
真面目な和田の母親相手にいつものキャラは不味いよな。見た目からして和田より真面目度高いし。ここは被っとかないとな、猫を。あたしだって少しくらいは世渡り上手なんだよ。
「ども、影森です。和田くんには勉強とかで世話になってて、マジで助かってます」
「この子、学校のことはあまり喋らないから、お友達がいるのか心配だったの。けど、影森さんみたいに明るい子が友達にいてくれて安心したわ。不愛想だけど仲良くしてあげてね」
「はい。じゃあ、あたしはこれで。和田くん、またね」
他人が見れば、これのどこが世渡り上手なんだって言われそうだけど、あたし的にはこれで及第点。間違ってもあいつを「和田くん」なんて呼ばないし。
けどまあ、和田の母親が人を見た目で判断するような人じゃなくて良かった。優等生キャラの和田の母親だから、あたしみたいな見た目の女は嫌がるんじゃないかって思った。けど、そこは逆だったらしい。
息子が真面目で堅苦しい高校生活を送っているより、あたしみたいな奴とツルんでる方が母親的には嬉しかったんだろう。
靴屋を出て少しすると、ポケットのスマホがぶるっと震え、画面を見てみれば和田からのメッセージがあった。
『何かごめん。ありがとう』
謝りたいのか感謝したいのか、どっちなんだ。まあ、わからないでもないけど。
『気にすんな。あと、あたしがあんなヒール見てたの誰にもバラすなよ』
と、あたしはそう返信しておいた。すぐに既読となって、可愛らしいクマが敬礼している「了解」のスタンプが送られてきた。和田のくせに可愛いな。
和田は元からあたしたちのグループにいたわけじゃない。勉強のできる真面目キャラは、見た目派手で騒がしいあたしらみたいなグループには不似合いだ。
けど、一年の終わりくらいにテツが和田をこっちに引き込んだんだ。その理由は教師の目がウザかったから。
例えばクラスの誰かが何かをなくすと、すぐにあたしらが盗んだんじゃないかと疑われる。まぐれなのにテストでいい点取ると、カンニングしたんじゃないかと疑われる。マジで何もしてないのに、何かとあたしらは教師の標的になっていた。
そこで和田と仲良くすることにしたんだ。和田は教師に信頼されている。和田は頭がいい。あたしらが無実の罪で疑われている時も、和田がちゃんと説明してくれて教師を納得させ、謝らせた。あたしやサチが髪を染めても口煩く言われないのは、和田が見張り役をやっているんだと、教師共が勝手に思っているからだ。
「別の靴屋でも行くか……」
和田がいなくなると、あたしらの風当たりはまた強くなる。たとえ和田がヒエラルキーの下の方にいた奴でも、自分たちの利益になるのなら引き込む。和田にしたって、あたしらとツルんでいるから、クラスの中でも順位は上の方。あいつもそれは満更でもないみたいだ。
一度上から見てしまった景色は、忘れようにも忘れられない。ヒエラルキーの上に上がれるのは僅かな人間で、そこに登るには運と才能と努力が必要だ。けど、転がり落ちる時はマジで一瞬なんだ。
「やっぱ、高ぇな……。今日は見るだけでいっか」
適当にモールを散策して、また和田に出くわさないか少しドキドキしていたけど会うことはなく、フードコートでうどんとミニ海鮮丼のセットを食ってから帰ることにした。
行きは上り坂が多くてしんどいんだけど、逆に帰りは下り坂になるから楽だ。新緑の峠坂を下っていくと、風が涼しくて気持ちいい。結果的にはただ昼飯を食いに行っただけの遠出だけど、家でぐだぐだ過ごしているよりかは全然いい。
「わんっ!」
傾斜が緩くなってきて、少しずつチャリのスピードが落ちてき始めた頃だった。後ろで犬の鳴く声が聞こえた。前に人も車もいないことを確認してから、さっと首を後ろに回す。
そこに見えたのは、小型犬か、中型犬よりも少し小さめの茶色い犬だった。それがどうやらあたしを、あたしのチャリを追っている。
「やだなー……。野犬か? だったら、面倒だな……」
飼い犬がじゃれて来るならまだいい。けど、野良犬は凶暴だし汚い。どんな病気を持っているかわからないから、引っ掻かれただけでも大惨事だ。ここは無難に逃げよう、とあたしはペダルを踏む足に力を入れた。
それでもまだ、後ろでは犬が吠える声が聞こえる。最初は可愛らしい鳴き声だと思っていたんだけど、今は「待て、この野郎!」と追い立ててくる輩の叫び声みたいに思えた。
道がだんだんと平坦になってきて、チャリのスピードも落ちてきた。ペダルを踏み込む足の負担も大きい。それなのに、野犬の鳴き声は徐々に近付いている気がする。
「ちっ……! やっぱ、撒けねえか……!」
こうなったら、追い付かれたら蹴り飛ばしてやろう。最終的にはそう言う考えになっていた。まだ野良犬と決まったわけじゃないし、どこかの飼い犬かも知れないけど、噛みに来るならこっちもそれなりの対応をしてやる。
視界の右下の方に茶色い物体が見えて、あたしは意を決してペダルから足を離す。前方の安全を確認して、狙いを見定めた正にその時だった。
「何だ、人間か」
あたしの耳にははっきりとそう聞こえたんだ。しかも、その犬の顔は人間の、中年のおっさんの顔だった。見間違いじゃない。その姿もはっきりとあたしは見た。
そして、体は犬なのにおっさんの顔をした謎の生き物はあたしにそれだけを吐き捨てて、あたしのチャリを追い抜いて行った。
「な、何だったんだ……?」
漕ぐことを忘れたあたしのチャリは次第に速度を落とし、遂には停まった。あたしはそのまま少しばかり立ち尽くした後、こう思ったんだ。
これ、ツネオ案件じゃね? と。
「だぁー! けど、あいつの携帯知らねえよ!」
スマホを取り出してから気付くほど、あたしは意外と焦っていた。何がどう不安なのかわからないけど、わからないこと自体が不安なんだと思う。あたしは今、何に巻き込まれようとしているのか。口裂け女の件もあるから、余計にそう思ってしまうんだろう。
月曜日になれば碧斗には会える。この話もできる。けど、今すぐに聞いてほしい。今すぐ話したい。あたしは一直線にそう考えていた。
「そうだ! 和田!」
さっき出会ったお蔭でもあるんだろう。あたしが思い至ったのは和田だった。あいつはスクールカーストの下にいた、真面目で優等生キャラ。クラス全員の連絡先を知っていたとしても不思議じゃない。
あたしから和田に連絡することなんてほとんどないけど、今は緊急事態だ。
〈影森さん? どうかした?〉
「わりぃ、急に。お前さ、ツネオの連絡先知らね?」
〈常田くんの? まあ、知ってるけど。教えようか?〉
「ああ、頼む。わりぃな」
〈別にいいよ。じゃあ、後で送っておく〉
これが和田のいいところ……――いや、和田もスクールカーストの生き方を知っているってことだろう。上位者に余計な詮索はしない。頼まれたことだけをただ行う。
あいつはあたしが碧斗の連絡先を知りたい理由を聞かなかった。聞けない間柄じゃないとあたし自身は思っているけど、和田にとってのあたしは「気分を害するわけにはいかない存在」ってことだ。和田なりのヒエラルキーの生き方、歩み方ってことだろう。
通話が終わってすぐ、和田からのメッセージが届いた。そこには碧斗の連絡先があって、あたしはすぐに電話を掛ける。
碧斗からしたら、知らない相手からの電話だ。取ってくれるかは怪しい。長引くコール音が不安を募らせていった。
〈……はい〉
出た!
「あたし! 志津香だ、碧斗!」
自分で自分の名前を叫ぶって何か恥ずいな、とか思いながらも、あたしは碧斗に不安をぶちまけた。
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