口が裂けても言わない? ほんとに? 4
「挟み撃ちにするぞ!」
なるほど!
口裂け女は僕らが左右に分かれたせいで足を止めた。けど、すぐに標的を志津香へと定めたみたいで、僕には背を向ける形となっている。
「やっぱ女子から狙ってくるか! お前、顔も悪いけど根性も腐ってやがるな!」
挟み撃ちを提案した奴に言われたくはないだろうね。まあ、あっちは凶器を持っているんだからお互い様か。
僕はそう決め込んで、口裂け女の背中を追い駆けた。背後から蹴り飛ばす? 誰かを蹴るなんて初めだけど……躊躇っている場合じゃない。
「あ、碧斗、ストップだ!」
そう思っていたところに志津香の声。慌てて急ブレーキを踏むと、口裂け女も立ち止まって振り向きざまに包丁を振り払った。
僕のかなり前を通り過ぎては行ったけど、志津香の声がなかったら斬られていたかも知れない。
「やっぱ、隙だらけだな!」
今度は志津香に背を向ける体勢となった口裂け女に、志津香は素早く距離を詰めて、右足で脇腹辺りを蹴り払う。それは相手が「く」の字に折れ曲がるほどの威力で、数メートル吹き飛ぶほどの衝撃だった。
「格闘技でもやってるの?」
「昔からこんな性格だったからな。中学時代は敵の方が多かったんだよ」
喧嘩殺法ってやつだろうか。ありがちな、想像しやすい理由だけど、彼女にとってはあまり嬉しくない理由みたいだ。顔がどことなく暗い気がした。
それはさて置き、蹴り飛ばされた口裂け女はゆっくりと、ぎこちない動きで立ち上がろうとしていた。その手にはまだ包丁が握られていて、窮地を脱した、とはまだまだ言えそうにない。
「てかさ、幽霊なのに蹴れたよな。擦り抜けるんじゃないのかよ?」
「僕らが勝手にそう思ってるだけで、実際はそう言うものなのかもね。ホラー映画でも幽霊なのに人間を物理的に殺すシーンとかあるし」
「あぁー、確かに……。てことは、逆にこっちも物理的にあいつを殺せるってわけじゃね?」
「既に死んでいるものをどう殺すのさ。祓う、ならまだわかるけど」
「じゃあ、それで」
それってどれ? と聞き返したかったけど、志津香は既に駆け出していた。駆け出して何をするんだ? と見守っていると……。
転がっていた空き缶を蹴り飛ばし、口裂け女が驚いている隙に今度は石を拾って投げ付け、怯んでいる隙に飛び蹴りを繰り出した。
血気盛んに立ち向かっているのは別にいいんだけど、やり方がせこいな……。喧嘩で培った経験みたいだけど、一体どんな喧嘩をしてきたんだ……?
「わ、私、きれ、綺麗?」
「それしか言えねえのかよ!? お前、ペッパー以下か!」
「ねえ、ねえ? 私、きれ、綺麗?」
「ちっ……!」
言葉だけじゃない。口裂け女の動きにも変化はないんだ。もう十分ほど経つけど、志津香には明らかな疲れが見えるのに対し、口裂け女は汗一つ流してはいないし、息も乱れていない。
そもそも幽霊だから、とも言えるのかも。幽霊故に体力って言う概念がないのかも知れない。
「や、ヤベっ……!」
足を取られて地面に膝を付いた志津香に、口裂け女はここぞとばかりに襲い掛かる。
あ、危ない!
志津香が派手に動いてくれたお蔭なのか、今度は僕が背後に回っても気付かれた気配はなかった。
「おりゃっ!」
もう相手が普通の人間じゃないってことは、十分に理解できた。だから、僕は拾った木の棒を躊躇うことなく、口裂け女の側頭部に振り抜くことができたんだ。
――ガコン!
鈍い音と感触が耳と手に伝わり、口裂け女はぐらりと横に揺らめいた。その隙に志津香は立ち上がり、僕の傍に回り込んでくる。
「マジで助かった。さんきゅ、碧斗」
「けど、どうやら力尽くで祓うって言うのも無理そうだね」
「こうなったら……!」
ゆらゆらと立ち上がる口裂け女に、志津香は少し腰を落として両手の拳を腰の辺りで構え、ぐっと握る。「うぉおおおおおー!」と地面を揺らすような低い雄叫び。
ま、まさか、スーパーなサイヤ人にでもなるの!? もう既に金髪なのに!?
なんて思っていると、
「ポぉマぁードぉーーーーー!」
と、辺りに木霊するほどの大声で志津香は叫んだ。驚いた鳥たちが数羽、羽ばたいていったようだ。
そして、まさかの行動に、この時ばかりは口裂け女も思考が一時停止してしまったらしい。どこかぽかんとした表情で立ち尽くしていた。
「いや、声の大きさは関係ないから」
「そ、そうなのかよ!? 早く言えよ!」
「大きさよりも回数。ポマードって三回言えばいい、って言う噂が多いかな」
「だから早く言えって!」
その後、ポマード三連コンボも試してみたんだけど、口裂け女に変化はなかった。
やっぱり噂は噂なのかな……。それとも令和の口裂け女にもポマードは理解不能の遺物だった? 都合良くべっこう飴なんて持っていないし、知っている限りの手はこれで全部だ。
「私、綺麗?」
最初はどうとも思わなかったんだけど、こうも変化なく繰り返されると恐怖を感じずにはいられない。志津香の話では逃げても追い駆けて来なかったみたいだけど、完全に標的とされている今、逃走が有効とは言えないよね……。
「私、綺麗?」
「このっ……!」
そろそろ志津香にも焦りの色が――いや、あれは焦りよりも苛立ちの方が強いのかも知れない。隙を見て繰り出される志津香の拳や足の勢いが、徐々に増しているような気がする。
「ねえ、わた――」
「うっせえよ、タコっ!」
そして遂に、それが爆発したみたい。
「綺麗かどうか聞いてどうすんだよ! 自意識過剰か、クソが! てか、それで『綺麗だよ』とか言われて嬉しいのかよ! 違うだろが! 綺麗かどうか聞く時は、大抵が綺麗に着飾ってんだよ! 綺麗で当たり前だろ、バカ! じゃなくて聞かないで、自然と相手に『綺麗だね』って言わせんだよ! それがほんとの『綺麗』だ、クソブス!」
「私、綺麗……じゃない……?」
「ああ、今はなっ! けど……綺麗にはなれるさ。お前が綺麗でいられる場所を、綺麗になれる相手を探せばいいだけだ」
「そう……」
口裂け女がいきなり俯いたかと思うと、その体は少しずつ薄くなっているようだった。心霊写真で見るオーブのような、淡い光を纏った小さな球体が口裂け女の体から抜け出ていき、次第に景色と体が同化していく。
成仏とでも言えばいいのかな? 口裂け女は一分も経たずに消え去ってしまった。
これでようやく終わった。この怪談は最良の結末を迎えた。そのはずなんだけど、僕がまず思ったのは……。
何、この茶番劇!?
青春ドラマと言うか、女同士の友情と言うか、何か青臭いものを見せ付けられた気分だよ。
「口裂け女、お互い綺麗になって……また会おうぜ」
「何言ってんの? バカなの? バカになったの? 僕、もう帰るよ?」
「てめぇ、なっ! あたしのお蔭で助かったんだぞ! 感謝くらいしやがれ! てか、そもそも口裂け女に会わせてやったのも、あたしの力みたいなもんじゃねえか! お前の大好きな心霊体験をさせてやったんだぞ、コラっ!」
眉間に皺を寄せ、こっちを見上げながらガンを飛ばす志津香に、僕は溜め息をつきながらデジカメをそっと手に取る。今のその顔を撮られるのかと思ったらしい志津香は、はっと息を呑んで飛び退いていた。
「僕が好きなのは心霊写真であって心霊体験じゃない。カメラで撮れない幽霊なんて、僕にとっては何の価値もないんだ。けどまあ、体験できたってことは一歩前進だ。そこは素直に感謝しているよ」
「だ、だったら、別にいいんだけどよ……。ま、まあ、あたしも何回か碧斗には助けられてるし、お相子ってやつだな」
「だね。じゃあ、帰ろうか」
「おう。けど、お前離れて歩け。学校の奴に見られたら堪ったもんじゃねえからな」
こうして口裂け女の怪は幕を閉じた。後日、僕は一人で廃寺に行って、同じことをやってみたんだけど口裂け女に出会えることはなかった。完全に消え去った、成仏したってことなんだろう。
志津香の方にも特に異常はないようで、ここ数日いつもと変わらずクラスメートと過ごしている。だから、あの日から志津香と喋ってはいない。彼女の日常に僕が入る余地なんてないんだ。
それは別に悲しいことでもない。寧ろ、喜ばしいことだ。
彼女には何の異変も起きていない。少なくとも、スクールカースト底辺の陰キャに相談しないといけないような案件は起きていない、と言うことなんだから。
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