口が裂けても言わない? ほんとに? 3
初めての心霊写真が撮れる!
こんな時のために肌身離さずデジカメを持っていたんだ。
僕はすぐさま首に掛けたカメラを手に取り、お堂の前に立つ女にレンズを向ける。オートフォーカスだから、シャッターボタンを軽く押せば自動でピントを調節してくれる。
はずだった。
「えっ……!? 写らない……」
デジカメの画面にはお堂とその向こうに広がる藪しか映らなくて、あんなにも派手なコートを着ているのに、あの女の気配すらカメラでは捉えられていなかった。
一応、試しに一枚撮って確認してみたけど、やっぱりただの風景写真になっていた。
「幽霊だから写らねえのか?」
「それを言うと、心霊写真が全否定されちゃうんだけど……。もしかしたら、心霊写真を撮る側にも何か条件があって、それをクリアしていないと撮れない……のかも」
「まあ、そう落ち込むなって。これであの女が普通の人間じゃねえって証明できたんだ。写真には撮れなかったかも知れねえけど、こうやって生で会えたじゃねえか」
「それもな……。こんな昭和の遺物、誰かに話す気にもならないよ。恥ずかしくて」
「それ、また言うか? 碧斗にこの話をしたあたしが恥ずかしい奴、みたいじゃねえか」
「まあ、そうとも言え――」
「殺すぞっ」
「んあっ」
脇腹を突っつかれて、普段出ないような声が出ちゃったじゃないか……。恥ずかしい……。
それはさて置き、志津香が言うように目の前には怪異が存在している。カメラには映らないとは言え、二人が同時に見間違いをするわけも、同時に幻覚を見るわけもない。
確実にあの女はここに存在しているんだ。
「んで? こいつに出会った時の対処法ってあんのかよ?」
「いくつかあるけど、一番有名なのはポマードだね」
「……何だそれ? 魔法の呪文か?」
知らなくても仕方ないだろうね。僕も知らなかったんだから。
今や使っている人がいるのか、そもそも売っているのかもわからないもの。この口裂け女と同じ、昭和の遺物。
「男性用の整髪料だよ。ワックスみたいなものかな。僕も見たことないけど、独特の匂いがするらしい。口裂け女はその匂いが嫌いだって言われていたんだ。だから『ポマード』って言うと逃げていく、って言う噂が広まった」
「結構ヘタれなんだな、あの女」
「あと、べっこう飴が好物って言う話もある。それをあげると帰っていくとか、それを食べている隙に逃げるとか。そんな話も流行ったみたいだよ」
「いや、だいぶ隙だらけだな、あいつ。飴食ってる間に逃げられるって、どんだけ好きなんだよ、飴ちゃん」
「子供たちの間で流行った怪談だからね。リアリティーよりも話題性とか面白さが重視されたんだよ。噂が広まる中でつまらないものは消えて、面白いものだけが残っていった」
嘘だとわかっていても、聞いて面白いもの、怖いもの。それが怪談だ。一種の娯楽、創作物、エンターテインメントのようなもの。だから、ずっと語られるものもあれば、廃れていくものもある。
この口裂け女も、今は廃れた怪異だ。それがどうして今ここにいるのかはわからないけど「忘れられたくない」って言う想いで存在しているのなら、少し憐れに思えるのかも。
「ねえ、私、綺麗?」
噂通りの台詞を呟きながら、女が顔だけをこっちに向ける。その顔の半分は白いマスクに覆われていて、虚ろな目だけが僕たちを捉えていた。
「綺麗ですよ」
「そう。じゃあ……」
志津香が話した通りなら、噂通りなら女はマスクを外して更に尋ねてくる。耳の辺りまで裂けた口を晒し、そこで「綺麗じゃない」と答えると殺されてしまう。逆にそれでも「綺麗」と答えると、口裂け女は恥ずかしがり逃げていく、と言う噂が多い。
だから、
「これでも綺麗?」
と、女はマスクを外し、裂けた口を露わにしたら答えるべき回答は一つだけだ。
「ええ、綺れ――」
「碧斗、そう言うのは良くねえぞ」
「えっ! い、いや、あのぉ……?」
突然、隣に立つ志津香に腕を肘で突かれ、僕は少しばかり動転していた。どうやら叱られているらしいんだけど、その理由がわからない。
良くないって言うけど、何がどう良くないの? 噂通りなら「綺麗」って答えるのが正解だから。
「思ってもないこと口にすんな。特に女には、な。お前は憐れんで、可哀想だと思って言ってるつもりかも知れねえけど、そもそもそう思うこと自体、相手に失礼なんだよ。相手を見下して傷付けようとする言葉は悪口だ。けど、素直で正直な言葉はただの感想だ。お前が感じて想ったことを言ってやれ。そうすりゃ、碧斗も多少はモテるだろうよ」
……お前、何言ってんの? 見た目ヤンキーのくせに昭和の青春学園ドラマの教師みたいな台詞を吐くな。確かに暮れなずむ町ではあるけど、贈る言葉は無用なんだよ!
って、言えるなら言いたい。
「僕は別にモテたいわけじゃないんだけど? て言うか、そもそも志津香って彼氏いたっけ?」
「いねえよ、いたことねえよ! 悪いかよ! てか、今それ関係ねえだろ!」
「だったら、僕がモテるかモテないかも今は関係ないと思うんだけど?」
「何だとコラ――」
今朝の教室での出来事と同じように、志津香はこちらに腕を伸ばし、胸倉を掴む。体が引き寄せられて、鬼の形相が目の前に迫る――その時だった。
更に体が持って行かれたかと思うと、僕は前のめりに倒れていて、志津香に抱き締められるような体勢で地面を転がっていた。
顔に何か温かくて柔らかいものが……。これはもしかして……。
い、いや、違う! これは事故だ! 不可抗力だ! って、僕は誰に言っているのやら……。
「あ、危ねえな、こいつ……!」
僕たちがさっきまで立っていた場所には赤いコートの女が立ち、包丁を握った左腕を真っ直ぐ突き出していた。あのまま突っ立っていれば、今頃はあの包丁で刺されていたんだろう。
志津香のお蔭で躱せたわけだけど、志津香のせいで口裂け女が攻撃態勢に入ったわけなんで、感謝していいのか責めていいのか複雑な気持ちだな。
「わ、わた、ワタシ、私、き、きれ、キレい……?」
それはまるで電波の悪いところで掛ける電話みたいな、誤作動を起こした音声案内みたいな声だった。
口裂け女は首をがくがくと傾け、こっちを見下ろす。その瞳は全体が白く濁っていて、正気の沙汰じゃないってことが一目瞭然だった。
これって、志津香が出くわしたこの怪談は「逃げる」選択肢じゃなく「殺される」選択肢へとルートを進めてしまったのかも……。
「正気を失っても、言うことはあれだけかよ。どんだけ自分の顔、気にしてんだ?」
「ああなる前は凄く美人だったんじゃない?」
立ち上がってすぐさま距離を取ると、口裂け女は握った包丁をこっちに向けて構える。裂けた口を塞げないのか塞がらないのか、涎を垂らす姿はまるで猛獣だな。
「美人な奴は整形なんてしねえだろ」
「幽霊とか亡霊の話のパターンだと、交通事故で顔を傷付けたとか、死体の顔がああなってたってパターンが多いよ」
「都合良くできてんのな、怪談って」
「そう言うものなんだよ」
そんな他愛のない話に業を煮やしたのか、口裂け女が僕らに向かって突進してきた。その瞬間、志津香に肩を押され、僕は彼女とは反対側によろめく。
な、何だよ、いきなり……!
不満気に顔を上げると、そこには勝気な笑みを浮かべる志津香がいた。
「挟み撃ちにするぞ!」
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