口が裂けても言わない? ほんとに? 2
「一九七〇年代に小学生たちなんかの間で流行った噂、怪談だよ」
「か、怪談?」
「長い髪にマスクをした女がこう尋ねてくるんだ。『私、綺麗?』ってね。それで『綺麗』って答えると『これでも?』と言ってマスクを外す。その口は耳の辺りまで口が裂けていて『綺麗じゃない』と答えると、持っている包丁や鋏なんかで殺される」
「何かの漫画かアニメの話か……?」
「結果的にはそうなったよ。でも、この怪談が流行ったのは事実。しかも、全国的にね」
僕が知る限りでは、最初に話題に上がったのは岐阜県。その後、福島や神奈川、埼玉、北海道なんかでも口裂け女に纏わる騒ぎが起こったらしい。
「当時の小学生は本気でこの噂を信じ、本気で怖がったんだ。学校に行きたくない、と不登校になる生徒が続出して、学校側も集団下校を促すほどだった。それほどまでの社会現象を巻き起こした怪談、都市伝説だよ」
「じゃあ、あたしが見たのは昔の幽霊か亡霊だったってことか?」
「口裂け女の話は全国で流行ったんだけど、地方によっていろんなパターンがあるんだ。多いのが交通事故で亡くなった女性だね。綺麗な人だったのに、事故によって顔を酷く傷付けて死んでしまった。その怨霊」
人気のない場所のせいもあるんだろう。影森さんが少し背中を震わせたような気がした。
「あとは整形手術が失敗した女性、とかだね。事故で顔が傷付いて、元の綺麗な顔には戻れなかった。単純に綺麗になろうとして手術を受けたのに、それがヤブ医者だったせいで元の顔より酷くなった。そんなパターンが多いね。
そしてこの場合、正体は幽霊とか亡霊なんかじゃなく、生きた人間だ」
整形手術が失敗したってだけで、その女の人は死んでいないんだ。口が裂けたその顔で、街を徘徊している、って言う怪談になる。
「昔、周りのみんなを怖がらせようと口裂け女の恰好をして、逮捕までされちゃった人がいたそうだよ」
「じゃあ、あたしが見たのは何だったんだよ!?」
「今のこの時代に口裂け女の恰好をして誰かを驚かせてやろう、なんて考える人はいないと思う。それと同じで、今の時代なら傷付いた顔も綺麗に治せるし、自分が思い描いた整形を受けられる技術もある。
だから、きみが見た何かが生きた人間とは思えない」
ごくり、と彼女の喉元が鳴った。
「こ、これってお祓いとかした方がいいやつか?」
「うーん……」
口裂け女の話には誰かに取り憑く、なんて話はない。出会ってしまったら、逃げるか殺されるかの二パターンで語られるのがほとんどだ。
追い駆け回される体験談も聞いたことはあるけど、それもその日、その時だけの体験だ。毎日のように、どこからともなく口裂け女が現れるって話は、僕は聞いたことがない。
「口裂け女の話は逃げるか、殺されるかの二択だ。呪われる、なんてパターンは聞いたことないよ。ただ、そんなに気になるなら――」
お祓いに行ったら?
そう言おうとした間際、彼女は視線を逸らし、血相を変えて階段を飛び降りた。僕も慌てて彼女の背中を追うと、下の階の廊下をきょろきょろと見渡しながら、大きく肩で息をする影森さんの姿があった。
「ど、どうかした?」
「いや、今……赤い服の女が見えた気がしたんだ……」
赤い服。赤いコート。
口裂け女の容姿について頻繁に語られるワードだ。
「ちっ……! 気のせいか……」
取り憑かれる可能性は少ない。僕はそう思った。けど、少ないだけなんだ。ゼロじゃない。
口裂け女の怪談パターンは二つ。逃げるか、殺されるか。彼女は現状、どちらも選んでいない状況にあるんじゃないだろうか。だとしたら、彼女の怪談はまだ終わっていないんじゃないだろうか。
「ねえ、影森さん」
「あぁん?」
「今日の放課後、暇?」
「な、何言ってんだよ、急に――」
「あの廃寺に行ってみない? 影森さんが遭遇した怪談はまだ続いているのかも知れない。だとしたら、ちゃんとオチを迎えないと。怪談にはちゃんと結末があるんだ。それを確かめに行かない?」
「へぇー……」
ポキポキ。
何でか知らないけど、影森さんは指の関節を鳴らしながら、不敵な笑みを浮かべている。
「お前、ヘタれかと思ってたけど案外度胸あるじゃんか。いいぜ、行ってやるよ。行って、その口裂け女って奴をぶっ倒してやる」
「……ん?」
何でそうなった? 逃げるか、殺されるかの二択って言ったよね? 何でぶっ倒すって言う新しい選択肢が生まれるわけ? ヤンキーの思考回路は意味不明だな。
問い質そうと思ったんだけど、時既に遅し。彼女は掌に拳を何度もぶつけながら、階段を上っていった。
放課後は別々に教室を出ることにして、落ち合ったのは昨日出会った藪の前。教室を先に出たのは僕だったけど、先に待っていたのは影森さんだった。
待たされたことに文句は何もなくて、それどころかその表情は血気盛ん。ヤンキーのルーティーンなのか、また指の関節をポキポキ鳴らしている。
「行こうぜ、碧斗」
「うん。……うん? 今、普通に呼んだ?」
「嫌なんだろ『ツネオ』って。あたしもネコ型的な意味で『しずかちゃん』って呼ばれるの嫌いなんだよ。だから、二人でいる時だけは普通に呼んでやるよ。学校では周りの奴らもいるからツネオ呼びだけどな。だから、お前も二人の時は気持ち悪い社交辞令みたいな呼び方やめろよ」
「……志津香、でいい?」
「おう、いいぜ」
これが彼女の――志津香の性格、本音と言うよりかは高まるテンションのせいで少しハイになっているんだろう。悪者を倒す、退治すると言う戦闘欲だけが前に出て、陰キャと結託している失態には気付いていないみたい。
志津香が先頭となって、藪の中を進んでいく。陽が傾き始めた頃だから、藪の中は光が疎らで薄暗い。恐怖心を煽るシチュエーションだけど、僕としては本当に口裂け女がいるんだろうか、って言う期待感で胸が少し踊っていた。
「いないね、口裂け女」
「何だよ、やっぱ疑ってるのかよ!?」
辺りを見渡してから、僕は首を左右に振る。そんな簡単に出会えるものだとは思ってない。僕が今までどれだけの心霊スポットを巡り、何の収穫もなく帰って来たか、教えてあげたいくらいだ。
「いやまあ、自分で言っておいて何だけど、信じられるわけねえよな、とも思うんだ。化け物みたいな幽霊か怨霊を見たなんてさ。お前もちょっとは思ってんじゃねえのか? あたしに騙されてるって」
「いや、全然。きみが僕を騙すメリットも理由もない」
「ま、まあ、そうだけど……」
「あと、騙すならもっとマシな嘘吐くよ。今時、口裂け女を見た、なんて小学生でも信じないような嘘を堂々と言えるわけないし」
最後の言葉が気に障ったのか、目のも留まらぬ速さで拳骨を食らった。これだから不良は手が早くて嫌なんだ。
「志津香は怖いとかないの? 女の子ってこう言うの苦手そうだけど?」
「全く怖くないってわけじゃねえけど……お化けってこっちを驚かせに来てるだろ? だから、てめぇ如きにビビるかよ、って思っちまうんだよな。負けず嫌いなんだわ、あたし。まあ、さすがに凶器持たれてたら逃げるけどな」
何と言うか、彼女らしい恐怖耐性だと思った。
「ここに来て、何か特別なこととかやった? 口裂け女はそうじゃないけど、都市伝説や怪談の中にはある条件を満たすとそれが出現する、って言うパターンもあるからね」
「いや、特に何かしたってことは……。単に、この寺を一周しながらスマホで写真撮ってたってだけだ」
「それ、再現してみてくれる?」
「お、おお、いいぜ」
志津香はお堂をぐるりと一周しつつ、時折スマホをお堂に向けた。僕もここに来た時は同じように写真を撮ったんだ。でも、何も起きなかったし、何も写ってはいなかった。
そもそも、ここに出ると噂されているのは子供の霊なんだ。口裂け女が出たなんて話はもちろん、女性の幽霊が出たって噂は、僕は聞いたことがない。
何かちょっと、悔しいな……。
志津香が謎の女性に出会う前、僕はここにいたんだ。もう少し帰るのを遅くすれば、僕がその口裂け女に出会えたのかも知れないのに。
「い、いた!」
俯き加減でお堂の角を曲がり、正面まで戻って来た時だった。
「あいつだ! あいつだ、碧斗!」
お堂の正面。階段の前にひっそりと立つ一人の女性。その恰好は志津香が言っていた通り、真っ赤なコートにボサボサの黒く長い髪が特徴的だった。
そして、何と言っても横顔からでもわかる白いもの。顔の半分ほどを覆うマスクだ。
出た……! 僕にも見える! だとしたら、これで……! これで初めて……!
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