トイレのしずかちゃん 4
教室に戻った志津香は早速、借りたノートをせっせと写していた。それは授業中も。
英語の先生は志津香が真面目に机に向かっているもんだから、驚いた表情を浮かべたほどだ。けど、ノートに書き込んでいる内容は英語じゃなくて日本史。真面目なように見えて不真面目だ。
ノートを写し終えてからも志津香は教科書を開き、マーカーで線を引き、赤い下敷きを上から被せて読み漁っている。まるで受験生のような姿にも驚いたけど……。
一応、マーカーとか下敷きって持ってるんだ……。ヤンキーのくせに。
だけど、それだけ志津香も本気だってことだ。無理難題なのは誰にもわかっている。僕だって一教科だけでいいから百点なんて目標は掲げない。けど、彼女は諦めずに挑戦しているんだ。
それを応援したいと思う気持ちに、スクールカーストの順位は関係なかった。
「小テストからの出題は多分、この三枚のうちのどれかだ。全く同じ問題が出るから、これは答えを憶えるって言うより、この小テストの答案を一つの絵として憶えて。範囲は江戸から明治初期だけど、幕末を重点的に憶えること。あの先生、幕末好きだからね」
さすがに学校の自習室だと誰に見られるかわからないから、いつもの廃寺で教科書とノートを開き、更に日本史を煮詰めていった。
「けどさ、碧斗はあたしに付き合ってていいのかよ? お前も頭悪いんだろ?」
「志津香よりはマシだと思うけど……まあ、僕自身のテスト勉強にもなるし。僕だってたまにはいい点取ってみたいからね」
「まあ、あたしは百点取るから学年一位はあたしのもんだけどな」
「日本史だけは、でしょ」
それからも志津香のテスト勉強は続き、たまにこうやって廃寺で問題を出してやったりして、いよいよ日本史のテスト本番となった。
当然、志津香は緊張の面持ちだけど、僕も高校受験の時くらいには緊張していた。
何でかって言うと、念のための保険としてカンニングも作戦の一つに組み込んだんだ。
僕が全ての回答を終え、居眠りしたふりをして志津香に自分の答案用紙を見せる。けど、この作戦で肝心なのは僕自身が間違ってはいけない、と言うことだ。
僕の不正解の回答を見て、志津香が本当の答えを導き出すこともあるかもだけど、その可能性は限りなく低い。だから、僕も百点に近い点数を取らないといけないんだ。
そのために僕までこんなことする羽目になるとは……。
この学校は携帯の持ち込みを禁止していないけど、テスト中に限っては先生に預ける決まりになっている。だから、使える手段はアナログなもの、古くから使われた、昭和な手段。
まずは消しゴムに重要な年号や事件、人名などを書き込んでおく。机の端にも同じものを仕込んでいる。
机の中は空にしておく決まりなんだけど、これはいちいちチェックされるものじゃない。なので、そこにはメモ用紙を貼り付けておいた。
ここまでするには結構な覚悟がいった。見付かれば全てのテスト結果がゼロ点となるし、それが僕ならまだいいけど、志津香が見付かった場合は最悪だ。
それでも怪談を退けるためだ。そう自分に言い聞かし、僕はどうにかテストを乗り切った。
「ぬぁあああああー!」
教室の端から意味不明な雄叫びが聞こえた。誰のものなのかは見なくてもわかる。僕だって、あんな風に叫びたい気分だ。
「ど、どうしたの、志津香?」
「サチ、ヤベぇよ……。今のテスト、どうしてもわからないところに最近読んでた漫画のキャラ書いちゃった……」
「志津香、今回のテストは何か必死だったよね。何かあったの?」
「これ以上、赤点取ったら小遣い減らされるどころか没収だって……」
この言い訳は予め用意しておいたものだ。テストの点数に無関心なヤンキーが、いきなり真面目になったら周りも不審がる。もし何か言われればこう返せばいい、と言っておいたんだ。
「没収はヤバいね……。けど、漫画のキャラって歴史上の人物から取られてたりもするじゃん? 諦めるのは早いって」
「けどさ、将軍の名前に徳川琉絆空はないよな……」
「……うん、ない。何、そのキラキラネーム。書く前に気付けよ」
全く以ってその通り。あと、志津香が一体どんな漫画を読んでいるのかも、少し気になった。
どうしてそんな名前が思い浮かんだのか。ヤンキーの思考回路は不可解極まりないな。
当然の如く、志津香は百点を逃した。徳川琉絆空さえなければ! って、点数だったなら素直に落ち込めたのに、志津香の点数は五十二点。赤点は確かに回避したけど、死に物狂いで手にした点数にしては低すぎる。正直、呆れたよ。
「……せめて平均点以上は取ろうよ」
教室での様子から大体は想像していたけど、改めて廃寺でその点数を見せられて、僕は盛大に溜め息を吐いてやった。
ちなみに僕は八十八点。近年稀に見る高得点に、少しばかり心が躍る。志津香の手前、顔には出せないけど。
「あたしさ……高校生になれたのが不思議だよ……。うちの学校、マジでヤバいんじゃね……」
「だね。僕も志津香と同じ高校って言うのが恥ずかしすぎるよ」
「……テンション立て直したら、ぜってぇーぶっ殺すからな」
それにしたって、この点数はヤバいな……。英語、十点。現代文、十一点。古典、九点。オーラル、十八点。日本史以外、全部追試じゃないか……。
確かに日本史に絞って勉強していたから、その他が絶望的になるのはわかっていたことだけど。
ただこれは、そうしようと提案した僕の責任でもある。満遍なく勉強していれば、他の教科でももう少し善戦できたかも知れない。
怪談を撃退するって言う目的があったんだけど、志津香の学業での評価が下がってしまうのは、申し訳ない気分だ。
総合成績だけでも、志津香がいるグループの中では上の方でいてほしいな。トップは和田くんがいるから無理だろうけど、日本史でこれだけ稼いでるなら……――。
まさか。嘘だろ。あり得ない。
こんなところで、あのデジャブが蘇るとは思いもしなかった。スマホの電卓で志津香の点数を打ち込んでいって指が震えた。
それが正解なの? これでいいの?
けど、今この数字が出て来たのは必然だと思った。
「志津香! トイレ、トイレ行こう!」
「あぁ? 何だよ、腹でも痛いのか? てかそれ、まあまあのセクハラだからな」
「百点だよ!」
「は、はぁ?」
「志津香は百点取ったんだよ!」
総合成績、志津香の点数の合計点。それは何と、ちょうど百点なんだ。
それに気付いた瞬間、僕は我を忘れて彼女の手を引いていた。向かう先は学校のトイレだ。
「ま、待てって! あたしの合計点数がちょうど百点ってのはわかったけど、それで花子を納得させられるのかよ!」
「さあね。ネットにあった怪談では確かに『百点の答案用紙』だったけど『一枚』とは書かれていなかった。合計点数でも当て嵌まる可能性はあるよ」
「い、いや、それって屁理屈じゃねえか……」
「怪談に理屈を求めるのは無駄だって、志津香はもう嫌と言うほど学んでしょ? だったら、そいつを追い払うこっちにも、理屈なんていらないよ」
何だろう? 気持ちが少し……いや、かなり昂っている。ただ、それは志津香も同じことみたいで、強く握り締めた手を、もっと強く握り返してきた。
「言ってくれるじゃねえか……! だったら、試してやんよ! 屁理屈な怪談に、あたしらの屁理屈が通用するのかどうか! どっちの屁理屈が強いか勝負だぜ!」
僕らは運動部も文化部もあまり来ない棟のトイレを選び、無人であることを確認してから、そこの女子トイレに足を踏み入れた。ここは学校の中でも比較的古いトイレで、芳香剤の香りが少しキツかった。
「おーい、花子」
「ふふっ」
志津香が呼び掛けると、待ってました、と言わんばかりに花子さんはすぐに奥の個室から顔を覗かせた。
もうお馴染みのフレーズ「遊びましょうよ」と駆けて来る姿は、怖いって言うよりは可愛く見えてしまう。それくらいの情が沸いた怪談ってことなんだろう。
けど、志津香の穏やかなスクールライフのためにも、そろそろご退場を願わないとね。
「花子、今日はお前に見せたいものがあるんだ」
「なーに?」
「ふっふっふ……これを見て、驚け!」
トランプみたいに扇状に広げたテストの答案を、志津香は花子さんの前に掲げた。確かに花子さんは驚いているみたいだけど、呆れているようにも見えるのは気のせいかな?
「お、お姉さん、凄いね、これ……」
「だろ? 合計したらちょうど――」
「私、テストでこんな酷い点、取ったことない……」
「……あん?」
思っていた反応とちょっと違う。志津香はそう感じたのだろうが、それは僕も同じだ。人を怖がらせるのが怪談のくせに、花子さんの方が何か恐ろしいものを見ているような表情じゃないか。
「お姉さん」
「お、おう。何だ?」
どこか改まった花子さんの声に、志津香は広げた答案を下ろし、背筋をピンと伸ばしていた。
「私と遊んでいる場合じゃないよ! 勉強して、勉強! そうじゃないと永遠に留年して、私みたいに永遠に学校から卒業できないよ! だから、頑張って! お姉さんならきっと卒業できるから! 私に優しくしてくれたお姉さんなら大丈夫だから!」
そう言い放った花子さんは最後に志津香の手に触れて、口裂け女や人面犬のように消えていった。
「なあ、碧斗。これで終わったのかな?」
「多分そうだと思うよ」
「……あたし、幽霊に叱られて応援されて慰められた、のか? それで消えてくれた、のか?」
「結果的にはそうなったね」
百点の答案は一枚とは限らない。複数でもいいじゃないか。
そんな屁理屈を試してみた結果。怪異は消えたけど、どこか心苦しい結末となってしまった。
「何か恥ずい! 碧斗、お前、責任取れ!」
「せ、責任って何だよ……。花子さんはいなくなったんだから、お礼してほしいくらいだよ」
「うっせえ! 花子からの解放祝いに駅前でピザ買って、あの寺で食おうぜ。飲み物はあたしが買ってやるから、碧斗はピザ買え」
「ピザ代の方が明らかに高いんだけど……」
それでも逆らえない。これがスクールカースト、ヒエラルキーの摂理ってやつか。
けど、僕にはもう一つ逆らえない理由があった。日本史以外の教科で赤点を取らせてしまった罪滅ぼしだ。
志津香にそんな理由を伝えるわけないけど、買ってやったピザにはそんな想いを籠めておいた。
それから数日、志津香から「花子」と言う言葉を聞くことはなかった。それどころか連絡もない。いつも通りの生活に戻れたみたいだ。
相も変わらず、窓際の席は騒がしい。他愛もない、意味のないことばかりで盛り上がっている。
うるさいのはうるさいんだけど、彼女がいつも通りに笑っていると、心のどこかでホッとしている僕がいるのだった。
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