犬も歩けば人になる? 4
お互い自転車を路肩に停め、倒れた人面犬の許に歩み寄ると、人面犬はずっと荒い呼吸を繰り返していた。これが普通の人間ならば対処の仕方はわかるんだけど、体が犬の相手となるとどう接するのが正解なんだ?
「ぜぇーぜぇー……。せやな、お姉ちゃんの勝ちや。ワシ、もう走られへんもん」
額と頬に脂汗を滲ませて、どうにか喋るおっさん犬。
それにしても、何で関西弁? 僕の記憶では人面犬の話が、特に関西で流行ったって言う記録はなかったんだけどな……。
「あたしがそこら辺の普通の犬に吠えられるのも、お前のせいなんだよな?」
「そうかも知れんわ。えらいべっぴんさん見付けたから、見掛け次第ワシに教えろって周りの犬に言うといたから。いやぁー、また同じ場所で会えるとは思わんかったわ」
体は犬だけど、発言は完全におっさん。いや、おっさん以下かも知れない。
「それにしても、お姉ちゃんおっぱい大きいな。触らせてや」
「っざけんな、おっさん! ただのセクハラじゃねえか!」
「いやほら、ワシ、犬やん? 顔省いたら豆柴みたいなもんやん? せやから、ぎゅーってしてや。子犬を可愛がる感じで」
「てめぇ、この社会から、この世から抹消してやんよ!」
「やめて! ワシ、病気持ちやねん! 体弱いねん! マジで痛風ヤバいねんって!」
「ただの飲みすぎじゃねえか!」
口裂け女と違って嫌にリアルな、俗っぽい怪異だな。性質の違う噂話であるのは確かだ。でも、この人面犬は、存在自体は古いんだけど、言動は現代風だとも思える。
これが志津香の言った怪談の進化なのかはわからないけど、過去の遺物たちが現代に馴染もうとしている可能性は高まった、のかな。
「さっさとあたしの前から消えろ。さもないと保健所かサーカス団に送り付けんぞ、コラ」
「これ、マジなやつやな……。はい、すんませんでした。もう何もせえへんので見逃して下さい。せやけど、最後に! これが冥途の土産やと思って、おっぱ――」
「キモい死ね消えろクソ」
「……はい」
しゅんと顔を項垂れた後、人面犬の体は薄くなっていき、景色と同化するように消えていった。結局最後は力尽くだったようにも思えるけど、志津香が人面犬との競争に勝って、怪異が消えるきっかけを掴んだってことなんだろう。
「お、終わったのか? 終わったんだよな?」
「多分ね。人面犬の話は何事もなく終わるのが多いから。それに、犬に吠えられる理由は人面犬が志津香を探していただけだしね。問題ないでしょ」
「いやいや、あんなおっさんにストーキングされてみろ。堪ったもんじゃねえよ」
安心したのか、志津香はぐっと伸びをして自転車へと歩いていく。
その時、ふら付いたのか躓いたのか、志津香の体が崖の方へとよろめいた。崖側にはガードレールが設置されているんだけど、志津香がよろめいた方向はちょうどそれの途切れ目で、黒い地面が露わになっている。
「おおっと……」
「ちょっ、志津香……!」
道路の外がすぐに崖、とか言うわけじゃなく、少しだけ平坦な地面がそこにはあった。だから、ガードレールが途切れていたのかは知らないけど、志津香にも崖から転落しないために踏ん張る余裕がある……はずだった。
タイミングが悪かった。この雨で地面はぬかるみ、滑りやすくなっている。道路から食み出した志津香は崖の淵で踏ん張るけど、その足が滑り、体が宙に浮くくらい体勢を崩してしまう。
「や、ヤベっ……!」
考える前に僕は駆け出していて、気が付いた時には志津香の手を掴んでいた。
右手で彼女の手を握り、左手でガードレールの端を握る。そうやってようやく、志津香を繋ぎとめておくことができた。
「うおっ……さんきゅ、碧斗。けど、お前ヤバくないか? あたしを引き上げるほどの力ないだろ?」
「な、ない……」
「腕ぷるぷるしてんもんな。んあぁー……」
ちょ、ちょっと何してるんだよ……!
こっちは必死になって落ちないように手を掴んでいるってのに、崖の手前で斜めになったままの志津香は妙な声を出しながら、首を回してのんびりと崖の下を覗き込んでいた。
「これくらいの高さなら大丈夫そうだ。手ぇ放してジャンプするわ」
「け、けど、地面が濡れてるし……ま、また滑らないとも……」
「大丈夫だっての。てか、このまま一緒に落ちた方がヤベえし」
「そ、そうかも知れないけど――」
ここで手を放してしまうのは男としていいのかな……。
なんて考えていたせいか、それとも左手に集中していなかったせいか。僕は志津香に引っ張られるように崖の方へと吸い込まれていた。
ガードレールを掴んでいた手を滑らせてしまったんだ。
「う、うわぁあああああー!」
「なーにやってんだか……」
崖を滑り落ちる最中、志津香のそんな声が聞こえた。
そして、僕は肩から地面に落ち、そのままうつ伏せになるように倒れた。それなりの衝撃と痛みはあったけど、志津香が言っていたようにそれほどの高さではなかったんだろう。
どうにか生きてはいるみたい。
「ったく、大丈夫か? 立てるか?」
頭上からの声に顔を上げてみると、志津香が手を差し伸べていた。それを掴んで起き上がろうと思ったんだけど、伸ばした手が泥で汚れているのを見て、寸前で手を引く。
こんな泥だらけの手で握るのは悪いや。
「……大丈夫。一人で立てる」
立ち上がるとレインウェアも泥塗れになっていて、見事に転がり落ちたのが丸わかりだ。逆に志津香のジャージに汚れは一切なし。華麗に着地したんだろう。
「助けなくても志津香なら大丈夫そうだったね」
「まあ、結果的に、だけどな。碧斗が手ぇ掴んで、体を安定させてくれたから着地できたわけで、あのまま普通に滑ってたらどうなってたかはわからねえよ。だからまあ、ありがとな」
「少しでも役に立ったのなら僕としても嬉し……――」
レインウェアの泥を払っていて気が付いた。いつも僕は首からデジカメをぶら下げている。今日は雨だから、このウェアの下にカメラはある。
その状態のまま僕はうつ伏せに倒れたんだ。
僕は慌ててファスナーを下ろす。そしてカメラを、よーく見なくてもダメだったってことがよくわかった。
「か、カメラ壊れたのか……?」
液晶の画面にヒビが入り、レンズは割れていたから。
転がり落ちている時にどこかにぶつけていたんだろう。カメラ自体が好きなわけじゃないけど、数年使って愛着があったものが壊れてしまうのは少しだけ物悲しかった。
「わ、わりぃ……。あたしのせい、だよな……」
「うん? いや、別に自業自得だよ。筋力もないのに無理なことをしたせい。それに、カメラは壊れたけどデータは残ってる。とは言っても、何の変哲もない風景写真だけどね」
写真の画像自体はSDに記録されているし、その全てが心霊写真を撮ろうとして撮れなかったもの。言ってしまえば失敗作のようなものなので、失われようが別にどうでもいい。
「けど、また買うんだよな、デジカメ。結構高いんじゃ……?」
「中古ならそうでもないよ。僕はカメラが趣味ってわけじゃないからね。デジカメ自体の品質は結構どうでもいい。撮れればいい、って感じだから。志津香は気にしなくていいよ」
「うーん……いや、そうは言ってもよ……」
「そんなに気にするなら帰りにジュースでも奢ってよ。人面犬から助けたお礼も兼ねて」
「おしるこ一択な」
「余計に喉渇きそうなんだけど……」
志津香に手を引かれながら、僕は峠道へと戻ることができた。
普通は男が女の子の手を引くものなんだろうけど、今回のことで無理をする必要はないってことを学んだ。ここは素直に志津香の協力を得ることにしておこう。
帰り道の自販機でジュースを買ってもらい、そこから暫くして志津香とは別れた。お互い何事もなく家に帰れたみたいで、志津香からは『無事帰れたぜ』とメッセージがあった。
それからの学校生活もいつもと同じで、志津香の席はいつも通りの騒がしさだ。僕の方も、写真部の友人に新しいデジカメを買いたいから何かいい情報はないか、と普段通りのスクールライフを送っている。
「わんっ」
人面犬は大して恐ろしいものじゃなかった。見た目は確かに奇妙ではあったけど。
「わん!」
ただ一つだけ、後遺症のようなものがあった。
町を歩いていれば散歩中の犬に出くわすことはかなりある。どれもが小さくて可愛らしい犬なんだけど、どうしても一瞬だけ、その愛くるしい顔がアル中の中年男性に見えてしまうのだった。
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