七十三話 兄弟喧嘩
――感情の灯っていない瞳をした誰かが火矢の魔法を放ち、黒い翼に穴を開け、焼く。
想像を絶する痛みなのだろう。
火矢で貫かれた少年は口を限界まで開き言葉にならない何かを叫ぶ。
そして、穴の開いた箇所を手で押さえ、その後、何度も叩き他に燃え広がらないようしていた。
少年は無事な方の翼を身体の前に開き、風切羽根を侵入者達に向け放つ。
だが、侵入者達はそれを意にも返さない。
ある者は火の障壁で防ぎ、ある者は得物で捌き切り、ある者は身一つで全てをいなす。
まるで相手になっていない。
侵入者達がやり手だった……というのもあるが、防衛者側――被害者達――が弱い。
それもそのはずだろう。
まだ十五かそこらで、一般的な学生に過ぎない一介の少年が手練れの冒険者複数人相手に勝てる訳がない。
それも、家族を守りながら。
少年の後ろには、少年の妹が一人。
少年が相手をしている侵入者の中の一人の手元には、足を切られ逃げられなくしている弟が一人。
少年は敵うはずがない事なんて分かっていただろう。
自分が見せしめに殺される事も分かっていただろう。
だが、二人の姉と母が居ない今、この家で一番の年長者は自分。
自分がどうにかしないと、二人の兄妹がやられる。
その思いだけで、翼を焼ききられようが、手足を失おうが戦い続けた。
そしていよいよ、指を動かす事さえ出来なくなった。
顔だけは何故かそこまで手を出されなかったため、見る事と聞く事は出来る……そんな状態だった。
侵入者達は少年の状態に気付くと、少年を無視し、後ろにいた妹に手を出す。
わざわざ少年の視線内に入るよう、目の前に持って来て、身体中を順に切っていき、最後には心臓に刃物を突き立てた。
その後、侵入者達は弟の方に手を出す。
少年は何かをしようと必死に身体を悶えさせる。
だが、何かを行う手も足も無ければ、叫ぶ事の出来る喉も無い。
どうしようも無い中、ドアの開く音、誰かが叫ぶ音、侵入者の一人が慌てて声の聞こえる方向へ向かう事、再び誰かが叫ぶ音、そして血の付いたナイフを戻って来る様子が見えた。
その後、侵入者達は興が削がれたのか、別の用事でも思い出したのか、直ぐに弟を殺し、自分の顔面に向け火球を放った。
そこで、少年の記憶は途絶えようとする。
兄弟を守れなかった後悔、一方的に与えられた痛み、自分達を襲った侵入者達の表情が走馬灯のように流れる。
やっている事に対して、機械が命令を行うかのような無機質な表情だった。
――どうして母さんが……。
弟の足の健を切り、家に帰って来た姉を刺して戻って来た人物。
あの人物だけ正体を隠すように仮面を付けていたが、あれは……あの黒い翼はどう見ても母さんの翼だった。
黒い仮面の奥から涙が伝う。
どんな気持ちでこんなことをしているの?
―――――
「……想像以上にやべえな」
映像が終わり暗転した画面を見つめるフィドロクア兄さんがボソッとそう漏らした。
青と白が基調にされた家具で構成された部屋に置かれたテレビが砂嵐を映す。
広い部屋には、水棲生物や水属性の魔物の模型があり、壁に掛けられたフレームには家族写真や釣り具を持ったフィドロクア兄さんの写真が所狭しに飾られていた。
ここは、フィドロクア兄さんの心の中の世界。
あれから……話し合いがまとまった後、別部屋にいたコラキさんの姉弟に誰が一番、事件の全てを見ていたかを聞いた。
すると、長男が自分だと手を挙げたため、許可を取った後にアズモと一緒にその子の身体にお邪魔し、事件に関する記憶を見て来た。
あまりの凄惨さと、無慈悲に行われる非人道的な行為に思わず吐きそうになった事を覚えている。
あまりの惨さに、アズモが「……私が描いた漫画のように一部ポップな内容に置き換えて兄上に見せるようにした方が良いか?」と珍しく気を遣っていた。
「これは手を加えずに、このまま方が良いだろう……置き換える事で何か大事な事が変わってしまうかもしれない」とアズモに言い、少年の身体を後にした。
フィドロクア兄さんに「魂の混在は良くない」と聞いたため、滞在時間が最小限の時間になるよう努めた。
だけど、少年の心の世界から出る前に、俺は少年を抱きしめた。
「――頑張ったな。後は俺達に任せてゆっくり休んでくれ」
そう言い残し、出て行った。
そしてその後、これから起こる事――俺とアズモが身体の中に入って来る事――を少しワクワクした様子で待っていたフィドロクア兄さんの身体の中にお邪魔し、そのまま心の世界まで入っていった。
アズモに、フィドロクア兄さんの精神を心の世界まで引っ張って来てもらい、先程少年の心の中で見て来た内容をそのままテレビに映してもらった。
高そうな水色の椅子に腰かけていたフィドロクア兄さんは、初めは椅子に深く座っていたが、映像が進むごとに前のめりになっていった。
膝を握った手に凄まじい程の力が籠っているように見えた。
子を持つ父として、俺達はまた別の視点で見ていたのかもしれない。
「冒険者連中の顔は覚えた……コラキちゃん達の前で俺の召喚獣の餌にする事は容易く行える……だが恐らく、それはもう出来ないだろうな――」
「――あいつらはもう殺されているかもしれない」
どうして、と聞く前にフィドロクア兄さんはそう言ってこちらを見ながらそう言った。
「さっさと出よう。ここで見た事を直ぐに兄貴達に伝えておきたい」
――悪いなあ。本当はここでしか出来ない……第三者が介入しようのないこの場所でコウジとアズモと少し話そうと思っていたが、それは後だ。
――お前等、あの場では話せないような事があっただろう? 俺にはコウジの演技がバレバレだったからな。
出る前に、そう言いながら不敵に笑うフィドロクア兄さんに少しの恐怖を覚えながら、現世に戻った。
―――――
スタルギ邸のテーブルを囲い、話し合いが再び行われる。
メンバーは先程と同じく、俺、フィドロクア兄さん、スタルギのおっさん、フィーリアさん、コラキさん。
それにプラスで、ラフティリの母が加わった。
雪のように白い髪、白い肌、白い睫毛をした綺麗の女の人だ。
白い睫毛が長いせいか、目が細いのかは分からないが、瞳が全く見えないのが気になる。
――気分が昂った時に開眼するタイプだ……!
アズモが心の中でうるさい。
ラフティリの母が加わる際に、楽しい話合いが行われると思ったのか、ラフティリの妹がニコニコしながらラフティリ母の膝上に座っていたが、ラフティリが強制的に別室に運んで行った。
その際に「姉ー! 放せー!」という声が聞こえて来たが、ラフティリは姉として上手くやれてるのだろうか。
まあ、それは別の話だから置いておくしかないのだが……。
「どうも、フィドロクアの嫁のミゾレと申します。よろしくお願いいたします」
そう言い、礼をしながら空いていた席――俺の左前で、俺の対面に座るフィドロクア兄さんの右前――に座った。
ちなみに、今居るテーブルは五人掛けのテーブルである。
ミゾレさんが加わった事で六人になったため、自動的にスタルギのおっさんが換気扇下の席に移動になった。
テーブルの広さ的に、六人でも余裕で座れそうなため、換気扇の下に置かれている椅子をこっちに持ってくれば良いのに……なんて俺は思ってしまうが、喫煙者的には喫煙者なり事情があるのだろう。
それでおまけに、ミゾレさんが近くに座った事で急激に体感温度が下がった事が原因か……。
「ナ、ナーン!」
スズランがミゾレさんに威嚇しながら人間化を解き暴れ出したので、席替えをする事になった。
成長したラフティリも常に冷気を発していたような気がするが、ミゾレさんは比にならない程冷たい……というか寒い。
ミゾレさんの周りだけ、10℃くらい下がっているような気がする。
「すみません、俺の召喚獣に気を遣ってもらって……」
「あらまあ、良いですよ。コウジさんにはウチの夫と娘がお世話になっているので、ウチはちっとも気にしていないので」
ミゾレさんは「本当に気にしていないのでお気になさらず」と、大人の余裕がたっぷりありそうな喋り方をしながら俺にそう言った。
――あの娘らの母だぞ。内心ブチ切れているかもしれないから気を付けた方が良いと思う。少なくとも、ラフティーのキレっぽさをフィドロクア兄上譲りだとは思えん。
黙れ、ラフティリよりも圧倒的にキレっぽいアズモが言うな。
と、心の中で唱えながら再度「本当にすみません」とミゾレさんに謝っておいた。
「しかし、何故ウチを呼んだんですの? スィーちゃんをフィーちゃんに任せっぱなしにするのは心配なのですが……?」
「俺達の家を襲った例の奴等が関わっているかもしれねえなと思ったからな。戦力だよ、戦力」
「あらまあ……ウチは、太陽の光ですら天敵な、か弱い乙女だと言うのに……全くいけずなドラゴンさんですわあ」
およよ、と言いながら口元を袖で抑えるミゾレさんは恨めしそうな眼でフィドロクア兄さんを見上げる。
――「ドラゴンとかいう最強種が私を持ち上げましたか? そんなにハードルを上げるなんて喧嘩でも売っているのですか?」……私なりに要約してみた。たぶん、合っている。
いや、まだ本当に優しい人なだけっていう線も捨てきれないだろ。
決めつけるのは早い。
――いや、これはもう確定だと見て間違いないだろう。言葉に込められている圧がスタルギ兄上並で、別ベクトルの強さがあった。
……いや、そんな馬鹿な。
俺は全くそんな雰囲気は感じ取れなかったが……。
あとな、スズランの身体に居る間は脳内会話が出来ないはずなんだよ。
俺の思考を簡単に読まないでもらっていいか?
――これは独り言であって、コウジの反応を期待して話し掛けている訳ではない。繰り返すが、あくまでも独り言。勝手に脳内を読まれたつもりになるコウジがおかしいというか悪い。
……こいつ、ほんと…………。
フィドロクア兄さんとミゾレ姉さんが言い争いをしている間、俺とアズモも心の中で言い争いをする。
竜王家は好戦的な者が多い――それは舌戦にも適応されるようだ。
「はあ、ったく! イチャコラしている場合じゃねえんだって俺らは!」
「すみませんねえ、こんな風に平和な空間で喋れるのが久しぶりでついやってしまいましたわねえ」
やっと、二人の言い争いが終わったようだ。
スタルギのおっさんが五本目の煙草に火を点け、フィーリアさんの額に青筋が二本浮かび、コラキさんの緊張が解け始めるくらいには時間が掛かった。
――やーい、アホアホ、コウジのアホ。
なお、アズモはまだ元気にやっている。
これが年の功……なのか?
「現場で起こった映像を見た結果分かったんだ。この件には、例の組織、もしくは、天才蟻が関わっている。身体の乗っ取りが行われていたからだ。情勢的には、前者の確率の方が高いと思うが、一応、操るという面から天災蟻の可能性も見ている。……それでだ、ここからが本題だ」
フィドロクア兄さんは丁寧にスタルギのおっさんを含め、全員を見渡して一呼吸置く。
「身体を乗っ取られる戦闘に発展する可能性があるから、スタルギ兄貴、ミゾレ、コウジ、アズモにしかこの捜査が出来ないと思っている。俺も一応、召喚獣伝いで関わるつもりではあるが、メインはその四人だ」
その場に緊張が走る。
「身体を乗っ取られるだと……?」
まず言葉を発したのはフィーリアさん。
「ああ、間違いなくな。あの家族の惨殺事件の犯人らには母親の姿形をした者が混ざっていたからだ」
「お、お母さんが……!?」
冷静に答えるフィドロクア兄さんに、コラキさんが反応する。
態度を変えずに「ああ」と肯定を返したフィドロクア兄さんが、心の中で見た情報を的確に皆に伝える。
「そんな……! じゃあ、みんなは……! 母さんは……!」
全てを聞いたコラキさんが取り乱す。
例の組織――型無――は強い種族の身体を狙う。
だからそれは、コラキさん達、黒鳥獣人族も例外ではない。
だが、何故それならば、他の家族にはあんな事をしたんだろうか……?
という疑問が出て来る。
が、今はそんな事を考えている場合ではない。
「――っ」
「――問題ない」
俺が何か答えるのを遮るようにフィドロクア兄さんが口を開く。
「問題ないって何が……!? わたしの家族が……!」
普段大人しいコラキさんが、フィドロクア兄さんの発言に怒り声を荒げる。
「俺達は竜だ。俺達の前では全てが無力で、全てが無駄で、全てが障害にならない。連中が誰を敵に回したのかを思い知らせる」
冷静な口調のまま、フィドロクア兄さんがそう言った。
「ああ、その愚弟の言う通りだ。この街で平和に暮らすために障害を排除する。ただ、それだけのこと。家族の事も、組織の事も正直どうでも良いが、俺はこの街で何か起こしたという事を許さない。俺の街でふざけたツケを支払わせる」
煙草を灰皿に擦り付けながらそう言うスタルギのおっさんが、立ち上がりこちらにやってくる。
「で、なんでお前はお嫁さんだけ行かせて行かないつもりなんだ?」
こちらにやって来たスタルギのおっさんが椅子の上で寛ぐ、フィドロクア兄さんの胸ぐらを掴み強引に立たせる。
背が縮んでいるフィドロクア兄さんは宙ぶらりんになっていた。
「そりゃ俺だって行きてえよ。だが、俺の身体が奪われたら元も子もないだろ。兄貴と違って機械化されている訳でもなく、ミゾレと違って身体を創造出来る訳でもねえし、コウジやアズモと違って耐性がある訳でもねえ。俺は足手まといになっちまうんだよ」
「組織か、天災か、人間か知らねえが、全力で避ければ良いだろ。大事に時に居ない存在は家族に言えると思っているのか?」
「言いたい事は分かるが……。俺は俺の実力を理解した上で――」
――ドガン!
フィドロクア兄さんが床に投げつけられた。
物凄い音と共に床に激突したフィドロクア兄さんは傷一つ負っていなさそうだが、床の方には大穴が空いた。
「事が起きる時に居ない奴は何をやっても駄目だ」
スタルギのおっさんがそう吐き捨てる。
「居ても無駄なら居ても良いかもしれない。だが、居たら邪魔なら居るべきではないだろうが。自分達が昔そうだったからって全てがそれに当てはまる訳ではねえ」
床から立ち上がったフィドロクア兄さんが、スタルギのおっさんに近づいて説得しようと試みる。
「昔の事を持ち出すな。殺すぞ」
「いいや、今回は兄貴が間違っている。俺は殺される筋合いはないから全力で抵抗させてもらうぞ。兄貴の大事にしている街をどうにかするレベルでな」
「自分の言っている意味を理解して言っているのか?」
「その言葉をそのまま返すぜ、俺は。丸く収めようとしているだけなんだよ、俺は」
「は、色々と正しく聞こえそうな理由を述べているが、お前もギニスと同じでダメダメなクソ親父って事かよ」
「一緒にするなよ……。大事な時に居ないと、大事な時に助ける場に居るでは変わって来る」
平行線だ。
お互いに違う考えを持っているせいで、白熱していき、殺伐とした空気が湧いて来る。
「――」
その時、俺の口――スズランの口――がパクパクと動いた。
アズモが何か言いたげな雰囲気を醸し出している。
「アズモ、言いたい事があるのなら喋っていいぞ」
フィーリアさんも、コラキさんも、皆が喋れない中で俺はボソッとアズモに伝わるよう言葉を発した。
「……魂を奪う剣の一つが手元にある。本当に足手まといになるかどうかは試してからで良い…………んじゃないかなって……私は……そう思う」
アズモがしどろもどろになりながら、口を借りてそう言った。
「ああそういや、アオイロから奪った短剣が一つあるんだった」
アズモの話を聞いた俺は思い出す。
「はあ?」
「なんで持ってんだお前?」
兄弟喧嘩に発展しそうになっていた二人がこちらを見て、呆れながらそう言った。




