『老賢奇譚説』現代語訳
梁の武帝の時、広州の陳安という行商人が、友人の蘇甚に会うために、彼が住む南の寧州南広に向かった。寧州に向かう道には大きな奇岩の山が幾つもあり、険しい道のりであると同時に、陳安はそれを楽しみながら向かっていた。
陳安は向かう途中、突然の大雨に見舞われた。人里からは随分と離れているし、少し疲れていたので、丁度休憩がてら奇岩にある洞窟にでも入って、腰を掛け一休みしようと考えていた。次第に雨が強くなり、少し下の谷の川の水かさも轟々と音を立てて増し、霧が濃くなってきた。陳安はいよいよ洞窟を探すのに無我夢中となって、道からどんどん外れ、なんとか洞窟を探し当てる事が出来た。
洞窟に入った陳安は、丁度よく腰掛のような岩を少し奥で見つけ、そこに坐して身を落ち着かせた。すると、陳安はすぐに妙なことに気が付いた。最初こそ手付かずの洞窟だと思っていたが、入り口から入る僅かな光を頼りに目を凝らすと、壁面にはなんとも立派な人々の絵が描かれているのである。そして陳安は更に妙なことに気が付いた。陳安が腰を下ろしたのは、丁度良く腰掛の様な岩ではなく、よくよく見ればしっかりと椅子ではないか。
陳安は「ここの洞窟にはかつて人がいたのだ。」と納得しようとしたが、それにしては物が少なすぎるので、ますます怪訝な顔を浮かべずにはいられなかった。洞窟の更に奥を覗いて見ると、遥かな深淵の先にぼんやりと光が見えた。遂に好奇心に負け、陳安はその僅かな光を頼りに、悪い足場や水たまりを超えて進んでいった。
陳安は遂に光の出所に辿り着いた。なんとそこには、絶景かな、洞窟の底のはずが、見事な蒼穹がひろがっているではないか。そしてそこには、実に壮麗で、天を衝かんとせん程に高く、光り輝く宮城の如き幾つもの建物が廃墟になっていた。あるところは崩れ去り、またあるところは森の如く木々が梁を縫って生い茂っていたが、かつて栄華を誇っていたという気は至る所から醸し出していた。陳安は建物の優美さに感嘆し、幾つかある建物の内、最も高いであろうものに入った。その建物は、やはり森と化していた。
建物の最も高い所に着いた。それ以上は崩れており、本来屋根があったであろう頭上には、これ以上ないほど青々として雲一つない空が壮大に広がっていた。そこに残っている大きな壁には、何とも奇妙で言い得ぬ形をしたものの先に、こちらをじっと見るすこぶる巨大な顔の絵が描かれていた。陳安はそれを見て気味が悪いと思うと、今まで見て見ぬふりをしていた奇妙な点の数々がどっと押し寄せて来た。
よく考えたら、これら建物にはかつて人がいたとは思えないほどがらんどうで、生活感がまるでない。ここには森の様に建物に木が生えているのに、人はおろか、獣も、鳥も、魚も、果ては虫すらもいない。建物は廃墟で穴だらけなのに、一切風が吹いていない。明るいのに、太陽が見当たらない。なぜか日の光が遮られるはずの建物内が明るい。そもそもここは洞窟の底のはずだ。
これらの点が海嘯の如く押し寄せた陳安は、途端に雲一つないこれ以上ない頭上の青空や、眼前の巨大な顔の絵に、震えて立ち尽くすしかない程の極めて多大な恐怖を感じた。その顔と合ってしまった目から背けたくても背ける事が出来なかった。眼前に虎がいるわけでもなく、刃を向けられているわけでもないのに、どうしようもなく怖いのだ。陳安は恐怖の絶頂にいた。
その時、誰かが陳安の方を叩いた。陳安は気を失った。
気付けば、南広が眼前に見える道の側で倒れていた。そして蘇甚に会えた。しかし、蘇甚は彼の姿を見て驚いた。陳安の髪は全て白くなり、その顔が蘇甚の知るものより二十年は老けていたのだ。事情を聴いた蘇甚が早速、護衛数名と共に陳安の案内で例の洞窟に向かうと、そこにはただ岩壁しかなかった。
さて、隋の『異甌志』にあるこのような話を、李功簫という長老賢者が仰ることには「それは稠娎という妖である。黄帝の時から南の蛮に伝わるものであり、普段は存在しない不思議でおぞましい場所に人を誘いこみ、その生気を吸い取るという。」と。
また、王遜という別の長老賢者が仰ることには「それは天竺や吐蕃に伝わるという、地下深くに存在するという仏の世界である。思うに、陳安は僧ではなく、また徳がそれほど高くもなかったため、人とは違う感性を持つ天人・仏の世界が恐ろしく映ったのだろう。」と。