挿話 その頃の日本では…。
神奈川県横須賀市には海上自衛隊の拠点として、自衛艦隊司令部等の各司令部が多く集まっているが、その中に潜水艦隊司令部も含まれる。小高く盛った丘の上にビルが立っており、SBF(潜水艦隊)司令部はそのビルにテナントよろしく入っている。SBF隷下で横須賀の潜水艦を統括する2SL(第2潜水隊群)もあるが、庁舎はSBFとは離れていて、米軍横須賀基地内にある。結構距離が離れているため色々面倒くさい。
ある日の午後、SBF司令部のオペレーションルームにアラートが鳴り響いた。情報収集という名目のもと、次の休みに家族サービスするためのネタを集めるためテレビで情報番組を見ていた当直幕僚が当直員に確認する。
「おい、どうした?何かあったのか?」
「定時連絡が無い潜水艦がいます。これは…【ひきしお】ですね。」
「【ひきしお】だと?派米訓練に行ってる艦だな。先週あたりに出航していた?」
「そうですね、ハワイのパールハーバー入港まではまだまだありますね。」
「定時連絡するの忘れてんのか?」
「さぁ…、それは分かりませんが、その可能性が高そうですね。」
確かに潜水艦は他の艦に比べて危険度が高いが、海上自衛隊の潜水艦は戦後から今まで沈没事故を起こしたことがない。安全に特に気を使っているのもあり定時連絡を忘れているという事は滅多にないが、かつて一度もなかったということもない。事故が発生したと考えるよりは、連絡を忘れている可能性が1番高い。
「まったく…。一応こちらからもメール送っとけ。」
「即時待機は発令しますか?」
潜水艦の場合、定時連絡が途絶えると救助活動に備えてDSRV(深海救難艇)を搭載した潜水艦救難艦が即時待機する事になっている。
「はぁ…、今日は日曜なんだから定時連絡忘れるとか止めて欲しいよ。警急呼集かけなきゃなんないんだから。」
「まぁ、平日なら良いって訳ではないですが、休日に警急呼集かけられた挙げ句、直ぐに解散とか乗員の不満がヤバそうですね。」
「憂鬱になる事言うなよ…。終わったら向こうの艦長に謝らないとな。幕僚長に報告してから取り敢えず救難艦の当直士官に連絡入れるわ。」
「了解です。」
自分が当直幕僚の時は、稀に、しかし他の当直幕僚と比べると圧倒的に多く問題が発生する。数ヶ月前は横須賀港内に燃料が漏れているとの連絡があった。まぁ、それは自衛隊の問題では無かったが…。
『やれやれ、ツイてないなぁ…。』
と思いながら、幕僚長の携帯電話にSBF司令部の当直専用電話から連絡を入れた。
『もしもし?どうした?』
「お休み中失礼致します、当直幕僚のロジサ(後方幕僚)です。派米訓練に向かっている【ひきしお】からの定時連絡がありませんので、こちらから確認のメールを送りました。念の為、救難艦に即時待機を発令します。」
『ご苦労さん、よろしく。』
「司令官には報告しますか?」
『……、取り敢えずまだいい。遭難の可能性が高まり次第、状況と併せて報告してくれ。』
「了解しました、失礼致します。」
次は救難艦か…。正直申し訳無く思うが、これも仕事だ、仕方ない。
『はい、【ちしろ】士官室、副直士官です。』
「潜艦隊司令部当直幕僚です。当直士官をお願いします。」
『はい、少々お待ち下さい。』
♪♪♪〜〜〜〜〜〜ガチャ
『お待たせしました、当直士官の船務長です。』
「潜艦隊当直幕僚です。実はハワイに向け行動中である【ひきしお】からの定時連絡が遅れていまして…。即時待機をお願いします。」
『そうですか…、因みに司令部から連絡は送られましたでしょうか?』
「はい、まだ返事は有りませんが…。」
『了解しました。警急呼集をかけます。』
「ありがとうございます、お願いします。」
「ハァ〜。」
「当直幕僚、どうでした?」
「【ちしろ】は警急呼集したくないんだろうなってのが伝わってきた。」
「それはそうでしょうね。平日ならともかく、日曜日ですからね。」
「それはそうと、【ひきしお】から連絡はあったか?」
「いいえ、まだです。」
「あんまり遅いと【ちしろ】が緊急出航してしまうぞ。」
「そうすると色々大変ですね。」
「ホントだよ…、緊急出航になったら、報告書は【ひきしお】の船務幹部に書かせてやろうか。」
「まぁ、取り敢えずは【ひきしお】からの連絡待ちですね。」
しかしその後1時間程経過したが、【ひきしお】からの連絡はなかった。
『まさか本当に事故ったのか?』
という考えも頭をよぎったが、口に出すと現実に成りそうで憚られる。
「………………。」
「………………。」
「まだ連絡は無いのか?」
「まだ有りません…。」
「幾ら何でも遅いな…。」
「何かあったんですかね…?」
「司令官と幕僚長に報告してくる。」
「失礼致します、当直幕僚です。」
『あれからどうなった?』
「【ひきしお】から連絡は有りません。【ちしろ】は出航準備完了とのことです。」
『わかった。【ちしろ】は出航させておいてくれ。俺もこれから登庁する。』
「了解しました。SF(自衛艦隊司令部)にも支援を要望しますか?」
『司令部から許可が出ればやってくれ。』
「了解しました、失礼致します。」
SF司令部に状況を報告し、支援の要望に関してお伺いをたてたところ、直ぐに許可が下りた。SFは海上自衛隊の全てのビークルの位置を把握しているため、最も近い位置にいる艦艇を派遣してくれるだろう。距離が離れているため、AF(航空集団)からも哨戒機を派出してくれるそうだ。
『通信機器の故障であってくれればいいが…。』
事前に報告を受けている行動計画だと、【ひきしお】の存在圏の水深は数千メートルある。沈没の場合、生存は絶望的だ。
連日連夜、空からはPー3C哨戒機、海上では潜水艦救難艦や複数の掃海艇が予測される存在圏を捜索した。しかし、懸命な捜索活動にもかかわらず、痕跡の1つも見つからないまま2ヶ月が経過し、捜索は打ち切られた。乗員に関しては任務中行方不明として、全員に対して死亡認定がなされた。
潜水艦【ひきしお】の事故は海上自衛隊始まって以来の数少ない大事故の1つとして記録された。しかし、通常なら多少でも痕跡が見つかるにもかかわらず全く何の痕跡も見つからなかった事から、ワイドショーで頻繁にとり上げられ、一部のオカルト好きからは『【ひきしお】神隠し事件』として認識されるようになった。