俺の幼馴染(♂)がかわいすぎる
夏休み明け、海外旅行からギリギリ始業式の前日に帰ってきた俺を待ち受けていた人間を見て、開いた口が塞がらなかった。
「いやあああああ!何それ!嘘でしょ、何それ!」
そんな女子みたいな悲鳴がリアルに出た。
俺には幼馴染がいる。その人は男であるが、まつ毛がそこらへんの女子より長く、二重で濡れたような目がそこらへんの女性より大きく、つまるところそこらへんの女と比べても垢抜けるような感じの美少女だった。間違えた、美少年だった。
その、幼馴染が、だ。
坊主頭になっていた。
綺麗なサラサラの黒髪だったはずなのに、一切なくなっていた。
可愛い顔に、さっぱりとした頭。
何というか、違和感がすごい。
「ちょっと!どういうことノエル君!何でそんなことになってんの!」
掴みかかる俺に、幼馴染こと早乙女聖夜はのうのうと答えた。
「暑かったから自分で刈った」
「馬鹿じゃないのお!?そんな小学生みたいな理由であんな綺麗な、あんな…!うわあああああ」
「春。俺の髪の毛好きだったの?」
「当たり前だよ!めっちゃサラッサラだったんだよ!すっごい手触り良かったのに、こんな、こんなあああああ」
「髪、伸ばした方がいい?」
「当然だよォ!!」
丸刈りになった頭を泣きながら俺に撫で回され、ノエル君は何か考えていたが、やがて言った。
「分かった。伸ばすよ、髪」
それが、中学二年生の夏のことである。
そして、現在。
高校一年生。
入学式当日。
俺の隣には、セーラー服を着た黒髪ポニーテールの美少女がいる。
「えーっと…ノエル君?」
「ああ?」
「何でセーラー?」
「制服の規定ないだろ。ほら、私服の奴もいるし。春だって髪染めて、ピアスまでしてるくせに」
「いやまあオシャレにいこうと思って…穴開けるの超怖かったけど…え?ノエル君にとってのオシャレって、女装なの?」
「違うけど」
「だよね!安心した!いきなり目覚めてたらどうしようかと思った!」
「でもこういう気分だったから。別にいいだろ」
「うん、うーん、でも、ノエル君…ここ、男子校だよ?」
そう。
俺達が入学する私立尾南始高校は、自由な校風で知られる進学校だ。
男子校の。
女子は一人も在籍していない。
そのため、どう見ても美少女にしか見えないノエル君は、ものすごく注目を集めている。
中には、「男子校じゃねえのここ!?えっ、場所間違えた!?」と青ざめてスマホで検索をかけている新入生までいる。
オリエンテーションの時は普通に中学校の制服で行ったのに、当日になって幼馴染がこんな姿になっていて、俺はとても驚いています。
まあノエル君は学ランを着ていても長髪と顔のせいで女の子に間違われたりもするけど。
「男子校だからこんな格好してるんだろ」
「えっ?ノエル君、もしかしてアイドル志望?」
男子校にいて女の子に飢えている男子に夢を見せてあげるために?オタサーの姫ならぬ男子校のアイドルになるのか?
でもそれって何か怖くない?生徒、勘違いしちゃわない?
まずい、このままだと飢えた野獣に襲われる。俺がどうにか守備しなければ…。
愕然とする俺をノエル君がぼーっと見つめてくる。
知らない人が見たら、あれ、何か天然っぽい人かな?となるくらいのぼんやり具合だ。
このふわふわした感じのせいで余計に目をつけられかねない。実際この春休みに遊びに行った時も、男物の服を着ていたのに柄の悪い人に絡まれた。もうコッテコテのヤーさんに。自由業ではなく、不良の方だけど。
ちなみにいうと、中学の時の俺も相当のワルだった。クラスの人達にも恐れられていたほどだ。
「春」
「あ、何?」
「俺、可愛くない?」
「え」
何聞いちゃってんのこの人。
なんて答えればいいか分からず固まっていると、ノエル君の眉が下がり始めた。
いつもは無表情に近いので、少しでも眉が下がると非常に悲愴感が漂い、こちらがとんでもなく悪いことをしている気分になる。
「そう…」
「待った!違うよ、可愛くないわけじゃなくて…!」
「可愛い?」
「うっ…」
一瞬の躊躇の後。
「か、可愛い」
「そう、良かった」
ふわりと、花でも咲いたかのような笑顔。これも普段とのギャップのせいで効果は抜群だ。
俺は一体何を言っているんだろうか…。
情けなくなってきた俺を置いて、ノエル君はずんずんと校舎に進んでいく。
「ああ、待ってノエル君!」と、俺は慌てて後を追った。
美少女を一人で行かせたらどうなるか分かったものではない。
俺が盾にならなければ騒ぎが起こる。ふっ、全く、困った幼馴染だ。
***
俺の幼馴染は馬鹿だった。
チビのくせに「ノエル君、見てて、俺の勇姿!」と木の上に引っかかったものを取るため散々ジャンプして何回も転倒し、泥だらけになって「服がベタベタする」と泣き出したり、成長期で少し背が伸びたからって「どう?もうちょっとでノエル君越すんじゃない?悔しい?悔しい?」と自慢してきたり、「今の俺ならいけるはずだ!」と自分の部屋の電気を交換しようとしたら首を痛めて泣きながら電話してきたり。
天宮春は、とにかく放っておけない幼馴染だった。
そんな幼馴染も、中学校に上がると突っ張り始めた。
「俺、今日から不良になるから!」と宣言し、イヤーカフをつけて先生に没収され涙目になっていたり、授業開始前にお菓子を食べ過ぎて気持ち悪くなっていたりした。
対する俺は、特に変わることはなかった。
変わったのは、俺の周囲だった。
明らかに避けてくる一部の男子、明らかに敵意を剥き出しにする一部の女子、明らかにニヤついている一部の男子、明らかに何かの妄想をしている一部の女子。
小学校からの友達でも、離れていく奴もいれば、全く関わりのなかったのに馴れ馴れしくしてくる奴もいた。
困るのは、明らかにニヤついている男子だった。
体育の着替えの際わざとこっちによろけてきたり、プールの時間水中でぶつかってきたり。
キモいから殴ろうかな、と思った時には殴っているので、度々問題になった。
そんなことを繰り返していれば問題児として広まるのは当然で、俺のそばにはあまり人が近寄らなくなった。
気にせず、というか知らずに駆け寄ってくるのは春くらいのものだった。
春が俺のそばにいることでどれだけ陰口を叩かれているか知っていたが、俺は春を拒絶しなかった。
中一の冬、ある放課後。
絡んできたのは三年の先輩だった。おそらく推薦入試を合格した奴らで、受験も終わってたがが外れているのか、三人がかりで俺に要求をしてきた。聞くに耐えない要求だ。
これ以上人を殴ったら停学になるかもしれない、という警告は受けていたが、そんなものより、今この状況を切り抜ける方が大事だった。
俺が拳を握った時、春が飛び込んできた。
脱いだ学ランを振り回し、妙なダンスをしながら、
「ノエル君!いやー今日も過ごしやすい天気だね!ほら、ほらお花見でも行こうよほら!あっ先輩おはようございます!今日もお疲れ様でした、へへ!ほらノエル君早く!」
春に手を取られ、俺達は呆気にとられる先輩を置いて全速力で学校を逃げ出した。
小学生の時いつも遊んでいた公園にたどり着く頃には、俺も春も、体力を使い果たしていた。
息も絶え絶えの状態で、春は俺にタックルしてきた。
「良かった、ああ、もう、本当、良かったぁ、ノエル君が無事でよか、良かった!」
泣きながらすがり付かれ、俺は動けなくなった。
俺は、春が遠巻きにされていたのを知っている。俺のせいでどれだけ疎外されたか知っている。
それでも俺は、春に何もしなかった。春を助けるために、動こうとも、いや、考えもしていなかった。
なのに、春は、こうして俺を救ってくれた。
「…お前、すごいな」
「え?何が」
きょとんとする春に、何を言ったらいいか分からず、髪の毛をぐしゃぐしゃにしてやると、「ちょ、やめてよノエル君!何なの!?」と叫ぶ。
この時俺は、春のピンチをもう決して見逃さないと決めた。
中三になって、春が選んだのは私立尾南始高校だった。俺の偏差値ではちょっと無理かなと先生に言われるほどの場所だった。
それでも俺は、そこを選んだ。
馬鹿のくせに頭はいい春に情けなくも助けられ、俺は無事に合格した。
そして、その春休み。
春と一緒に歩いているところを、絡まれた。
いつかの先輩達だった。
仲間を増やして仕返しに来たのだ。
だが、俺はもうその時決めていた。
「キャアアアアア!!チカンよー!!」
叫んだ。思いっきり叫んだ。裏声で叫んだ。
辺りを歩いていた人がどよめき、正義感のある人が乱入してくる。
今の俺はボーイッシュな格好をしている女の子に見えなくもない。何たって髪長いからな。
先輩は痴漢の称号を胸に正義の人々に連行されていった。
春はぽかんとしていた。
「の、ノエル君…今ものすごく女の子っぽかったね…」
「可愛かっただろ?」
「そんなわけないよ!」という台詞が返ってくるものだとばかり思っていた。
春は頬を赤らめて戸惑っているように目を逸らした。
「う…うん…可愛かった」
「……おう」
入学式、俺は親戚から譲ってもらったセーラー服を着て、春との待ち合わせ場所に向かった。
別に女のフリをするのが好きになったわけではない。
春の反応が可愛くて面白かっただけだ。
「可愛い」って言われたのが嬉しかったわけではない。
断じて。