化学の力
「魔王国が砂漠に進軍していたのは伯爵様から聞いていた通りでした。
僕たちはそこから100キロ手前の砂漠地帯に彼等が進軍を開始する10日前に集団転移しました。
こちらからすると800キロ離れています。
ユピテル辺境公の城から120キロ先の砂漠の真ん中ですのでどちらからも僕たちが居ることは分からなかったでしょう」
「その後たったの10日であの大軍団を一人残らず死地に追いやったと」
宰相が信じられないとつぶやく。
遥はあごに手を当て首を傾ける。
「正しくは10日前に転移して来て戦闘準備に7日を掛けて戦闘自体は1日で終了しました。次に敵兵拘束、捕虜収容所に入居させるのに2日程掛かりました。
それから大型輸送ヘリで王都300キロ手前まで飛んでそこからトラックに乗り換えてここまで来ました。
いきなりヘリでここへきたらパニックになるだろうと伯爵様のアドバイスが有りましたのでそれに従ったんですが、流石にオフロードを300キロというのはきつかったです・・・」
「・・・そうか遥殿、よくわからんが我らのせいで苦労掛けてすまんのう」
すまなそうに宰相がポツリとこぼす。遥はついグチをこぼしてしまった事に気づき申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。
『ハル君、そう愚痴をこぼすでない。
皆精一杯努力しておるし物事は計画通りにいかぬのも含めて進めなければ結果は出ぬものだ、君の気持ちも我だけでなく皆も良く分かっておる。
元々が我等の無理な願いを君を始めここに集うものたちに押し付ける我の力不足。
皆が気持ち良く働けるよう我も努力を惜しむことのないようここに約束しようぞ。
え、注文とな。おお!話し込んで忘れておった。すまぬなお女中。
うむ、ハル君冷やし中華でよいか、そうそう暑い日本ではこれが一番である。
冷やし中華大盛5つに由美子君は餃子・・・ああ取引先との打合せ、いや待て強力口臭消臭剤が確か・・・おお!あったぞ、大丈夫だ安心せよ我が効果を保証しようぞ。
そう不安そうな顔をするでない、この前亀戸餃子を食したのち新宿のキャバク・・・と、とにかく効果は確認しておる。
よし、餃子も5人前でよいな。お女中すまんなそれで決まりだ、待たせてすまんな。
・・・話を戻すぞ。
言葉に出せば要らぬ考えを起こす者も出るかも知れぬ、皆のやる気を削ぐ事にもなるやも知れぬ。
お互い足りないものを補い合ってここまで来たのだ。
見ざる言わざる聞かざるの精神が肝要であると我は思っておる。
え、例えが違うとな。
まあ、気持ちが伝わればそれでよいであろう由美子君、細かい事は気にするな。
我が妻マリアンヌも細かかったが由美子君は更に細かい、もっと大らかに・・・細かくなったのはだれの性だって・・・ミランダも・・・。
お互い足りないものを補い合って・・・なあ、ハル君・・・』
陽気なマクシミリアン伯爵の姿が浮かぶ。
遥は気を取り直して話を再開した。
「まあそんなことより戦闘についてですがマクシミリアン伯爵様の指示通り誰も殺してませんし、そういう作戦でしたので無力化のみを狙った兵器を使用しました。我ながら人道的配慮が行き届いた作戦かと自負しております」
・・・死者が一人も居ないとはどういうことだろうか。いや怪我人が居ないとは言っていない。
しかし相手は強力な攻撃魔法で遠方より広範囲にダメージを与えた後に騎士団による各個撃破という鉄壁の布陣で常勝する無敵の軍団、片やこちらは魔法石に込められたら魔力の補助頼りの魔術師が敵の3分の1程の陣営、まともにぶつかれば必敗は確定的と予想されていたのだ。
「死人のいない戦争など聞いたことも見たこともない、貴様は我々をたばかっておるのではないだろうな」
国王軍を預かっていると自ら述べたカーク将軍が遥を見下ろし怒鳴りつけた。
今にも携えた剣を引き抜きそうだ。
遥はその迫力に少し驚いたが、伯爵様の言っていた通りの反応なので後ずさる事もなくニコリと笑顔を向ける。
「催眠魔法は皆さんご存知かと思います、どうですか将軍」
「ああ、状態異常を作り出す闇魔法の一つだ。だが2、3人を相手にするのが精々だ。まさか貴様は催眠魔法を相手全てにかけられると言うのではないのだろうな。
馬鹿馬鹿しい、この度の敵の軍隊は5万人規模と聞いておる。そんな人数を相手に催眠魔法を一斉にかけるなど不可能だ」
「もちろんです。僕の開発した催眠の為の魔法陣でさえ精々30人が限界でした、それもかなりな魔力を込めた魔石を使ってです」
「30人だと、オレはそれさえ信じられんがたとえそうであっても今回の戦場では何の役に立つというのだ」
「そうです、この程度の魔法では全くの微力。もちろん僕は一切魔法は使用していません」
「ではどうやって5万の兵士を眠らせたんだ」
「あまり手の内を明かしたくないのですが、信用も大事なのでお答えします。我々の科学技術で生み出された化学物質で非致死性の睡眠ガスを戦場一帯にばらまきました。
そのガスを吸い込むとあっという間に眠り6時間程は目を覚ます事はないという代物です」
遥は隣の護衛に視線を投げる。
護衛の一人が胸にぶら下げた手榴弾のようなものを遥に手渡す。
「これを敵陣に数千個バラまきました。コイツを敵陣に投げ込むと数秒後ここから勢いよく無色無臭の睡眠ガスが噴出します。
ガスを吸った兵士は直ぐに昏睡状態になり戦闘不能に陥ります。
流石にここで実演をするわけにもいきませんので、明日当該戦場に希望される全ての皆様をご案内させて頂こうと思っています。
僕の話がご納得頂けるようにその場で捕虜にしてある敵兵士を数十人使って実演して見せましょう」