8.怖い話
※少しホラーっぽい話になっています。
一時どうなることかと思ったが、旅館の食事が思いのほか美味しかったらしく、食べ終わるころには佐倉も黒木さんも笑顔になっていた。よかった、このまま良い形で今日を終わらせたいものだ。
「せっかく三人で旅館に泊まってるんだし、なんか盛り上がることしたいなあ。UNOとか」
部屋に帰ってきた俺は、座ってテレビを見ている二人に言った。二人とも浴衣を着ていて身体のラインがハッキリしており、ほんのりシャンプーの匂いがする。
「それなら私とスパーリングしますか?」
「旅館とスパーリングの因果関係を述べろ」
スパーは論外として、旅館で盛り上がることって何だろうなあ。あっ、あるじゃないか。一つだけ確実に盛り上がることが。
「そうだ、怖い話しようぜ!」
俺が勢いよく笑顔で提案したのに対し、二人の反応はすこぶる塩っぱかった。
「はあ。別にいいですけど、私はどんな話されても怖がらないですよ?」
「星くん、この宇宙に霊的なものは神様しかいないのよ。もし幽霊が居たとしたら、それはサタンの作り出した幻想に過ぎないわ」
そんな感じで子供をあやすような目で俺を見ている。俺は部屋にあった調光のテーブルランプに明かりをつけ、無言で電灯から垂れ下がったヒモを二度引いた。部屋の様子は一変する。一瞬で辺りを黒く染め上げる暗闇。頼りない灯りを投げかけているテーブルランプ。その灯りを壁に踊らせる三つの影。いい雰囲気になったじゃないか。
「ちょ、ちょっと星くん! どうして暗くするの! この絶妙な暗さはとても罪深いわよ!」
罪の裁量がよく分からないが、思ったよりも怖がっているようだ。逆に佐倉の方を見ると、体育座りをして退屈そうに頬づえを付いていた。余裕そうに振る舞っているが完全に白いパンツが見えていることは内緒にしておこう。
「それで、誰から話すんですか?」
パンツ丸見え佐倉さんが頬杖を付いたまま言った。
「俺から行こう」
そう言ったあと、俺はしばらく押し黙った。たっぷりと間を空けて、二人の目が俺の顔に注目して離れなく待ってから、ゆっくりと話し始めた。
「……あれは俺が小学生の頃の話だ。何年生の頃だったか、多分二年生の時だったと思う。俺は当時から空手をしていたんだが、その道場が少し山奥の寺の敷地にあってさ。当然、車じゃなきゃ通えないから近所で同じく空手をやっている友達と乗り合わせて、親に連れて行ってもらってたんだ。その日も学校終わりに稽古のある日でさ。いつものように友達と談笑しながら道場へ向かっていた。ちょうど山道に差し掛かったところだと思う。何となくフロントガラスの方を見たんだ。そしたらちょうど運転席の上あたりから何かが垂れてたんだよ。あれ? 何だろうと思ってよく見たらさ、手、なんだよね。青白い手。青白い手が振り子時計みたいにぶらんぶらんって揺れてるんだよ。俺もその時は不思議だと思った。だけど誰もそれに突っ込まない。誰もそれを見えている素ぶりさえ見せないんだ。で、『きっと誰かがいたずらしてるだけなんだ』って俺は思っちゃったんだよね。その時小学二年生で本当アホだったからさ。それから一瞬目を離して、また見たらその手は無くなってた。全然気にしてなかったんだけどさ、……その日、俺は道場の稽古で右手を骨折したんだ……」
気持ちよく話し終わったところで俺は気付いた。佐倉も黒木さんも、目を大きく見開き、まるで魂を抜かれたかのような顔をしていることに。まさか、怖すぎて放心状態になっているのか?
「えーっと、どうでした? 黒木さん」
恐る恐る聞いてみると、突然滝のように涙を流し始めて俺の右手を掴んだ。
「手! 手はもう大丈夫なの!?」
その鬼気迫る声にふざけている感じは一切無い。
「だ、大丈夫ですよ。だって小学二年生の時の話なんですから」
「良かった! ねえ星くん! 早く電灯を付けましょう? 早くしないと幽霊が寄ってきてしまうわ!」
あんたさっき、『幽霊は全てサタンの作り出したまやかし』とかなんとか言ってたじゃねえか。
「ふ、ふん! 黒木さんは情けないですね。私なんか先輩の話が怖くなさすぎて部屋を飛び出そうかと思いましたよ」
要するに飛び出したくなるほど怖かったのか。身体全体を小刻みに震わせている佐倉を見て、実家で飼っているチワワを思い出した。……、いいこと考えた。
「あれ? 佐倉、そりゃ何だ?」
俺はわざとらしく目をこすりながら佐倉の方を凝視する。
「ななななな! 何ですか先輩! 何なんですか! 恵方なんですか!」
お前は何を言ってるんだ。どうやら怖すぎて思考能力が低下しているらしい。俺は畳み掛けるように佐倉の肩の辺りを指差す。
「ああっ! お前の肩に青白い手が!!!」
その瞬間、けたたましい悲鳴が辺りを包んだ。
「いっ、いやああああああああああああああああああああ!!!!!! だずけて先ばああああああう!!!!」
まるで女の子みたいな叫び声を上げながら俺にしがみついて来る佐倉。胸なのか胸板なのか分からないが、心なしか柔らかいものが強引に押し当てられる。
「神様! 神様もしくは仏様もしくはメシア様ああああ! どうか私たち三人を悪霊からお救いください!! アーメン南無阿弥陀! フォウっ!!」
黒木さんに至ってはパニックに陥りすぎて仏様と訳のわからない神様にも助けを求めてしまっている。あれはキリスト教的にNGなのではないだろか?
なんて冷静に考えている場合じゃなかった。二人の声量がけたたまし過ぎて、完全に耳を塞いでも響いてくる騒音と化している。近所迷惑なんてものじゃない。
「ちょっ、二人とも静かにしてください! 周りのお客さんに迷惑でしょ!!」
と言ったところで今度は黒木さんが抱きついてきて、完全に口が動かせなくなる。やあらかい。やあらかい……けど、それどころじゃねえ! ……でもやあらかい……。
こうして黒木さんと佐倉の悲鳴は、旅館のおじいちゃんに本気で怒鳴られるまでしばらく続いていたのだった。
お読みいただきありがとうございました!
ちなみに星の体験談は私の体験を少し脚色したものです。