6.スイカ割り
「先輩のせいで身体ヌルヌルになったじゃないですか」
佐倉は俺の隣で身体を海水に浸している。
「半分はお前のせいだろうが」
俺は肩まで海に浸かったまま言い返す。
「もう。それ以上ケンカしないの。せっかく海に来たのだから仲良くしましょう?」
黒木さんは俺たちをなだめるように言った。佐倉の態度は相変わらずツンツンしているが、表情を見たところ先ほどよりは機嫌が直ってきたように感じる。多分オイルで遊んだのが楽しかったんだろう。佐倉がどれだけストイックだと言っても、やっぱり海に来たからには遊びたいに違いない。
「よし、身体を洗ったらスイカ割りしようぜ」
俺は一度手のひらを鳴らして言った。
「スイカ割り! ……っ何なのかしら?」
黒木さんは首を傾げてしまった。おいおいスイカ割りも知らないのかよ。どれだけ箱庭育ちなんだ。
「スイカ割りっていうのは目隠しして殴り合う格闘技のことですよ」
さらっと嘘つく佐倉。スイカどこ行ったんだ。
「そうなの!?」
そんなわけねえだろ。
「スイカ割りっていうのはプレイヤーが目隠しをして、周りの人の言葉を頼りに、離れたところに置いてあるスイカを割るっていうゲームですよ」
「そうなの!?」
何でさっきと同じリアクションなんだよ。ふと佐倉が不敵な笑みを浮かべている事に気付いた。
「ふふ、スイカ割りですか、楽しみですね」
何かすごく嫌な予感がした。
「で、誰からやる?」
スイカをセットした俺は二人の顔を見ながら聞いた。
「私は一番最後で良いです。せっかくだから黒木さんがトップバッターで良いんじゃないですか?」
何がせっかくなのかは分からないが、黒木さんは目を輝かせいている。きっと新鮮な体験にとてもワクワクしているのだろう。この人は今までやりたいことをずっと我慢する生活を送って来たんだなあ、とふと思った。
「そうね。じゃあやらせてもらおうかしら」
黒木さんは鼻をフンフン鳴らしてやる気満々だ。眼鏡を外してもらい、目隠しをして棒を握らせる。
「あわわわ。お外で眼が見えないとすごく不安になるわね……」
黒木さんは既にヨタヨタしている。いつもツカツカと姿勢よく歩いていた彼女のことを知っているので、そのギャップに笑ってしまいそうだ。
「では私が誘導しますね。私の指示する方向へ進んでください」
佐倉が黒木さんの肩にポンと手を置いて言った。
「え? いやいや俺も誘導するよ」
「先輩は絶対に卑猥なことしか考えてないので駄目です」
失礼な。俺は今のうちに黒木さんのはち切れそうな身体をじっくり見ようと思っただけだ。というか、やっぱり佐倉は何か企んでるんじゃ……。
「はい、黒木さんそのまま前に進んでくださーい」
佐倉の声を頼りによろよろと前に進む黒木さん。その姿はまるで歩くことを覚えたての赤ん坊のようである。
「こ、このまま進んで大丈夫? 前からライオンとか来ていない?!」
どこなんだよここは。どうやら視界を制限された黒木さんは軽くパニックに陥っているらしい。
「はい、そこで左に90度向きを変えてください」
佐倉の声に従い、左に向きを変える黒木さん。彼女が向いた方角にスイカはなく、キラキラ光る海が広がっていた。……おい、まさか。
「あー! 黒木さん大変です! 後ろから人食いスイカが追ってきてますよ!」
いやどんな状況だよ。
「やだっ! 嘘っ! 怖い!」
そしてなんで信じるんだよ! しかし視界の奪われている黒木さんはパニックに陥ってしまっていた。
「黒木さん! そのまま棒を捨てて真っ直ぐ走ってください!」
「分かったわ!」
今更佐倉の狙いに気付いた俺は静止させようとしたが、黒木さんはすでに走り出していた。人食いスイカが怖くて仕方なかったのだろう。砂浜を勢いよく下って行く黒木さん。波打ち際ですっころぶ黒木さん。勢いよく腹打ちして水しぶきを上げる黒木さん。を見てガッツポーズをする佐倉は言った。
「よし」
鬼だコイツ。どうやら最初っから黒木さんをハメることしか考えていなかったようである。
「きゃああああああ! 無数のスイカが! 無数のスイカと私の満員電車!」
黒木さんは波打ち際に打ち上げられた魚のようにバタつきながら、意味不明の言葉を口走っている。なんか楽しそうだな。
「だ、大丈夫ですか黒木さん!」
と駆け寄ろうとすると、佐倉が俺の腕をガッチリ掴んだ。佐倉は非常に満足そうな笑みを浮かべている。
「先輩、勝負しましょう。正拳でスイカをうまく割った方が勝ちです」
なるほど、棒を使わずに割るのか。拳でスイカ割りなんて空手家らしくて面白そうだ。なんて考えていた俺はホイホイ佐倉の提案に乗ってしまった。意気揚々と目隠しをした俺は改めて前を向いた。当然だが視界は真っ暗だ。確かに情報の90%を視覚に頼っている人間にとって、眼が見えなくなるというのは恐怖だ。視界を奪われてみて初めて、パニクっていた黒木さんの気持ちも少し分かった。
「先輩、このままだと面白くないので10回回ってからスタートにしましょう」
そう言って佐倉が俺の腰のあたりを掴んだ。当然見えていない俺は突然掴まれたように感じてビクッとする。というか何だよそれ! 後付けルールじゃねえか!
しかし問答無用に、佐倉は俺の腰を掴んだままグルグルと回し始めた。
「うわわわわわわ」
視界を奪われた状態で回された俺は最早自分がどこを向いているのかも分からないし、今何回転目なのかも分からなくなっていた。パッと佐倉の手が離れる。
「はい先輩、いってらっしゃい」
いや無理だろコレ。俺の平衡感覚は完全に狂い、今も身体全体が回っているし、千鳥足で立っているのがやっとだ。だがしかし先輩として負けるわけにはいかねえ! 俺はヨタヨタと歩き出した。
「先輩、そっちじゃないです。左に45度向きを変えてください」
さっきの鬼畜の所業を見ていると、本当にこいつを信用していいのかどうか迷うが、今はそれしか情報が無いので従うことにした。
「そのまま真っ直ぐですよー」
俺は両手を前に出して進み続ける。きっと周りから亡者かゾンビのようなポーズに見えている事だろう。
「先輩、次は下です」
「なんで地下があるんだよ!」
「その次は裏です」
「裏ってどっちだよ!!」
くそっ、佐倉に頼った俺がバカだった。ここからは当てずっぽうに進むしかない。俺は平衡感覚を失ったことによって激しく左にヨレていく身体を、どうにかただしながら進んだ。
「あっ! 先輩そっちじゃないです!」
お前の言う事なんか信用できるか! むしろこのまま進んだらスイカのある方に着くんじゃねえのか。
ふにゅっ。とした触覚が俺の両手のひらに広がった。おや? なんだコレは。握ってみるとスポンジのように縮み、パッと離せば一瞬で戻ってくる。んー。浮輪か? 何か分からずモニュモニュやっていると、何やら息遣いのようなものが聞こえてきた。
「何やってるんですか先輩!!!」
急に佐倉が怒鳴った。驚いてハチマキを外した俺はさらに驚いた。目の前に居たのは顔を真っ赤にして、眼に涙をためている黒木さんがいたからだ。そしてなんと致命的な事に、俺の手は黒木さんの二つのスイカを鷲掴みにしていたのだ。なるほど先ほどのマシュマロのように柔らかくて暖かい感触はこれだったわけか。なんて感心してる場合じゃねえ! ヤバい。この体勢は完全に痴漢の現行犯だ。
「ちっ、違うんです黒木さん!! 俺はスイカの方に向いて歩いてただけで、別にわざと黒木さんのスイカを揉みしだいたわけじゃないんです! 何か分からなくて感触を確かめようとしてただけで、というか黒木さんだって気付いてなくて……」
「なんて罪深いんでしょう!!!」
俺の言葉は黒木さんの叫びとビンタによって遮られたのだった。
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