4.佐倉麗華という女
着替えを終えた黒木さんと砂浜に戻りながら、俺は佐倉のことが心配になっていた。厳密にいうと一人だけ置いてきた罰として、佐倉に制裁をくわえられることを恐れていた。足早にパラソルを設置した場所に戻ると、なんと俺の予想よりマズイ事態が起きているではないか。
3人のガタイの良い男たちが桜を囲んでいたのだ。男たちのニヤニヤした表情からして、どうやらナンパに来たようだ。その男たちとは対照的に、佐倉は眉一つ動かさずに黙っている。俺はひり付く熱さの中で寒気を感じた。
「マズイ! 早く止めないと大変なことになるぞ!」
「そうね。早くしないと佐倉ちゃんが……!」
「いや男が佐倉に殺される!」
「え?」
その時、後ろに立っていた男が佐倉の肩に手を置いた。瞬間、何かによって男の顎が真横から打ち抜かれた。飛び散る歯と血。糸が切れたかのように崩れ落ちる男。動揺する残りの二人。そして血の滴る拳を握ったまま仁王立ちする佐倉。
……あれはバックブローだ。体を回転させながら、遠心力を乗せて拳を相手に当てる技で、慣れていないと軌道が読みづらい。……なんて解説してる場合じゃなかったぜ!
「おい佐倉! よせ!」
その時、佐倉の氷のように冷たい目が俺をガッチリ捕らえた。怖い。俺は佐倉から目を逸らすように、座り込んで倒れた男の気道を確保することにした。すると真上から佐倉の声が降ってくる。
「先輩どこに行ってたんですか? 今まで二人で何やってたんですか?」
いやいや怖い怖い怖い! なんで俺が浮気見つかった夫みたいな追及をされなければならないのか。
「全く。一人ぼっちで留守番するの、怖かったんですからね」
何それアメリカンジョーク?
幸いにも男はすぐに意識を取り戻したので、「念のため病院で見てもらった方が良い」と仲間に言って引き取ってもらった。
佐倉は体験入部当初からめちゃくちゃ強烈な奴だった。俺が空手部の主将を務めていた昨年の春、大学空手武道場の扉を叩いたショートカットの美少女は、開口一番こう言った。
「この空手部に私に勝てる人がいれば入部します」
威勢のいい女の子だなあと俺たちは笑っていたのだが、次々倒されていく男の部員たちを見て誰も笑わなくなった。もう一度言うが男の部員が次々にKOされてしまっていったのだ。あれは女じゃない。女の皮を被ったゴリラなのだと俺は思った。そんな佐倉に最後の最後で勝ってしまったため、佐倉に執着されるようになったのが俺である。
どうやらあいつは、俺が他の女になびくと自分の練習相手が居なくなるのではないかと恐れているようなのだ。
俺がため息をつきながら佐倉を見ると、彼女は何かに気付いたように目を細めて黒木さんを見ていた。いや完全に睨み付けているようにしか見えないけども。
「水着、変えたんですね。最初からそれを着てくれば良かったのに」
黒木さんが身に着けているのは相変わらず黒いビキニだが、その面積は随分広くなった。レースが付いていて可愛い感じになっているのではないだろうか。
「ああ、これは星君が貸してくれたのよ」
黒木さんはビキニに手を当てて、嬉しそうに笑っている。反対に佐倉は眉をひそめ、明らかにドン引きした顔で俺を見る。
「え? 星先輩ってブラジャーつけてる系の人なんですか?」
「なんでそうなるんだよ。失礼な奴だな」
「いやいや、だっておかしいでしょう。星先輩にはお姉さんも妹さんもいませんでしたよね? なのに、どうして女物の水着なんか持ってるんですか」
どうやらとんでもない誤解をされかけているようだ。ここはちゃんと説明して誤解を解かなければ。
「いいか佐倉、黒木さんは普段から露出の激しい服を着る癖があるんだ」
すると佐倉は目を見開いた。何と言うか間近でゴキブリを見た人の反応に近い気がする。
「そんな人と毎日教会で何してるんですか! 先輩、毎朝ランニングのあと教会に寄ってるって言ってましたよね!?」
駄目だ、余計に誤解されている。というか話がややこしくなっている。そもそも俺が早朝ランニングの後、黒木さんに誘われて教会に通っているのは事実だが、聖書の勉強をしているからだ。決して黒木さんの谷間を観察したり、寝たふりをして膝枕をしてもらうための口実ではない。
「いや今それは関係無いだろ! 今は俺がなんで女物の水着を持ってたかって話をしてるんだよ!」
「なんで持ってるんですか!!」
「買ったんだよ!」
「変態!!!!」
「変態じゃないもん! 新品だもん!」
「変態じゃないですかっ!!!」
どうして分かってくれないんだ佐倉。俺はただネット通販で俺好みのビキニを注文しただけなんだ。
「だから俺が着るためにビキニを買ったんじゃなくて、黒木さんに着せるために買ったんだよ!」
その瞬間ビーチは静寂に包まれ、周りの視線は全て俺に向けられ、俺は世界の中心にいるのではと錯覚した。
「えっ、どういうことですか?」
顔を引きつらせる佐倉。
「いや、だから露出癖のある黒木さんは際どい水着を着てくるかもしれないと思ったんだよ。それで念のため、予備の水着を用意しておこうと……」
佐倉はゆっくり首を動かして黒木さんの方を見た。
「……要するにあのフリフリのついた水着は、先輩が黒木さんに着せる前提で買ったと……?」
「そうだよ。可愛いだろ?」
その瞬間、俺は佐倉から思いっきり引っ叩かれたのだった。
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