1.車内にて
「星君! 海! 海だわ!」
助手席に座っている黒木さんが興奮した声を上げた。運転席から左に見える海を眺めると、ただひたすらに広がる空があり、その下で海がまぶしく波打っている。そして視線を助手席に移すと、黒木さんが嬉しそうにほほ笑んでいた。黒く艶のある長髪に赤渕の眼鏡、そして何より露出の多い服装で引き立つ肉感的な身体。彼女の身に纏うもの全てが男心を掴むために計算されたものではないかとさえ思える。近所の教会で働く黒木さんを、勇気を出して海水浴旅行に誘い続けた甲斐があった。もちろん一筋縄ではいかなかった。
「私はシスター、神職者です。そのような場所に行って肌を露出させる事は相応しくありません」
と断られていた。だが俺はある確信の元、彼女を誘い続け、その末になんとか彼女とのお泊まり旅行を勝ち取ったのだった。横目で黒木さんの胸元を見ていた俺は急にドキドキしてきた。これはもうアレじゃないか。色んな良い思いが出来る感じなんじゃ……。ああ! ビーチに着くのが楽しみすぎる!
と、俺がやましい事を考えていると、突然後ろから白い手が現れ、俺の首を両手で覆った。ハンドルから手を離すわけにいかない俺は身体を硬直させる。
「星先輩、さっきからどこを見ているんですか」
後ろからビンビンの殺意と共に発せられた低い声の正体は、佐倉麗華という名の女だ。大学空手部の後輩である。
「え、べ、別にどこもミテナイヨ」
佐倉は俺の返答次第で本当に首を絞めかねない。そういう女だ。
そもそもこの旅行は俺と黒木さんの二人で行く予定だった。ところが俺が教会のシスターと一緒にお泊まり旅行に行くと知った途端、佐倉がすごい勢いで食い下がって来たのだ。
「先輩はその女に騙されている」「きっと入会させられて多額の献金をさせられるに決まっている」「その女は野獣」と会ったこともない黒木さんを完全に敵視していた。
もちろんそんな事で旅行を中止にする気などさらさら無かった俺に、佐倉は苦し紛れにこう言った。
「じゃあ私も連れて行ってくださいよ!」
いや、なんでそうなるんだ。と思ったのだが、こうなると言うことを聞かない奴である。そうして俺は泣く泣く黒木さんとの二人旅を諦め、佐倉を連れて行くことにしたのだった。
パッと俺の首を掴んでいた手を離し、佐倉が言った。
「全く、遊びに行くんじゃないんですからね」
「いや遊びに行くんだよ! アホかお前は!」
「ほらほら二人とも、せっかくの旅行なのだからケンカしないで。ね?」
黒木さんが仲裁してくれたことで俺はどうにか気分を沈めた。確かに二人っきりで旅行できなかった事は残念だ。しかし見方を変えれば、男一人に女二人という両手に花な展開と言えなくもない。せっかく海に行くのだ。この状況をしっかり楽しもう!
しかし俺はこの時知るよしも無かった。
俺がとんでもないトラブルの数々に巻き込まれることを。
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