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ひとつだけ願いを言うならば

作者: 村永 央

 「兄さん!」

 その台詞を連呼しながら両腕をめいいっぱい前につきだして、獣道を貴方の足跡を辿り走っていた幼き日の私。貴方はとろけそうな笑みを浮かべ、そんな私を見つめ待っていた事を今でも覚えている。


 私は生まれた当時身体が小さく、母に似て気管支も弱かった。一週間に一回ある、往復二時間かけての通院は今でも忘れられない苦行。炭酸飲料とスナック菓子をコンビニで買い与えられ、それを飲み食いしながら暇な行き帰りの時間を潰していたのは今でもありありと思い出せる。

 そんな通院の傍ら、少しでも空気の良い場所に居させようという両親の配慮からか、私は毎日のように祖父母宅へ預けられていた。祖父母宅は家から程近いのに、緑の中に建っていたので療養には好条件だったからだ。朝早く自宅を出て祖父母宅ですごし、夜になってから両親が迎えにきて自宅で共に眠る。それが私の一日の過ごし方だった。しかし、共働きの両親には夜遅くまで仕事が長引く日が時折あり、私はそんな日には決まって祖父母宅へ泊まっていた。

 祖父にお休みのご挨拶をし、布団に入ってからは祖母の即興創作物語を聞き、壁掛け時計の秒針を刻む音を子守歌に私は夢へと誘われるのを待つのだ。

 寝つきは良い方だった私だが、たまには眠れない時だってある。そんな時は恰幅の良い祖母に添い寝をしてもらった。祖母の隣は非常に眠り心地が良く、何より温かい。当時の私は祖母の肉布団を枕にするのが大のお気に入りで、プニプニの脂肪に何よりの安心を感じた。

 でも幾ら安心して眠れたからって、眠りが深くなる訳じゃない。俗に言う、ノンレム睡眠とやらが私を襲うのだ。

 それでも、まだ静かで天気の良い夜は良い。夢の中にまで闇や音が浸食して来ないから。

 問題なのは、嵐の夜。闇の中に光る雷。地響きのようなドドドッという音。窓に打ちつけられる大粒の雨。

 そしてそんな日に限って、私は毎回ある夢を見た。瞼の裏の闇は、特大のスクリーン。百八十度見渡せるそこに毎回同じ映像が流される。

 現実と同じ叩きつけるような雨の中、群青色の甚平に身を包んだ、自分と同じ顔の男の子が佇んでいる。雨に打たれ、風に吹かれ、泥塗れになって…でも、佇んでいる。

 何も無いそこから何かを訴えるように。真っ黒な瞳をこちらへ向けて。

 私は思わず怖くなって、その場面で毎回ハッと目が覚める。でも外から聞こえる音は夢の中と同じで、目が覚めたとは到底思えなかった。

 そんな時私は毎回布団から飛び起きて、家中を走り回る。振り返れば、其処に彼が居るんじゃないか、あの吸い込まれそうな漆黒の瞳が後ろから見ているのではと怖くてたまらなかった。

 祖父母の安心させるような声も聞こえたが、私の脳内で勝ったのは彼への恐怖。私はそのまま疲れ果てるまで走り続けるのだ。ごめんなさい、と彼への懺悔を口にしながら。

 そんな事が月一で続いたある日、私は最新型のゲーム機で暇を潰していた。やっていたのは野菜を育て、家畜を飼い、釣りをしようという育成ゲーム。つい最近発売されたばかりのそのソフトは、残量が少ない中、両親が這いずり回るように探してきたものだとか。一回私が欲しいと言ったばかりに…。

 両親は私がつまらなそうにしていると、いつも何かを与えてくれるのだ。蜜柑やサイダーなどの飲食物はスタンダードで、ゲーム機を扱えるようになってからは進化するゲーム機を惜しげもなく与えてくれた。

 最新の機器は楽しかったか、それともつまらなかったかと聞かれれば、楽しかった。でも、何か物足りなかった。

 無論、私はその何かを知らなかった訳じゃない。過ごす日々の中で何が足りないのかは分かっていた。

 私は一人っ子で、母方にとっては初孫。父方にとっては三番目の孫だっだが、父が歳の離れた末っ子の為、従兄弟は一回り歳が違った。親戚に同年代の子供が一人は居たが、その子の一家は私の住む地方から何時間もかけなければ行けない所に住んでいた。

 家の近所にも同年代の子は何人か住んでいたが、私だけ別の幼稚園に通っていた為、その輪には入れなかった。

 はっきり言ってしまえば、私には気楽に遊べる友達が居なかった。

 ゲームは楽しい。でも、いつも買うのは一人用の育成ゲーム。

 ジュースもお菓子も美味しい。でも置かれたコップは一つだけ。お菓子は私の独り占め。

 それが良くなかったかと言われれば、そうでもない。大好きな苺を一パック全て一人で食べれるのは嬉しかったし、両親が私にくれる物は私だけの物だという優越感もあった。

 でも。公園で父と遊んでいる時、横目で見る兄弟や友達のグループがうらやましかった。よく分からないルールで追いかけっこをする、笑顔の彼らが妬ましかった。

 私はいつも独りだったから。

 寂しくて、寂しくて。すぐ他の犬と仲良くなれる、我が家の飼い犬すら羨ましく思える程だった。

 そんな人知れず枕を濡らす日々が続いたある日の事、それは突然起こった。

 その日も例に漏れず嵐の夜で、狼の遠吠えによく似た音が窓の隙間から聞こえてきた。強すぎる風に窓は勿論、家もキシキシ音をたてて、私は何回も祖母に尋ねた。

「ばーば、お家潰れない?」

 最初は、安心させる為に満面の笑みで否定してくれた祖母だったが、三回目以降になると呆れ顔で否定され、七回目以降は答えてすらくれなかった。子供は可愛いが、何で何で攻撃には苛々が募る…そういう方式なのだろう。

 やがて隣からは祖母のいびきが聞こえはじめ、遅れて寝室にやってきた祖父も布団に入るなり盛大に音楽を奏でだした。

 そんな中で私だけ寝入る事が出来ず、一人だけ目をパッチリと開けていた。

 一応、祖母に怒られると思い目を閉じてみるが、窓の外の風雨の音がより聞こえやすくなり、恐怖を煽られる為すぐに目を開けてしまう。

 真っ暗な闇の中、やけに大きく聞こえたのは時計の秒針。一秒、一秒を刻む針の音が私の思考を侵食していく。

 と、その時。

「こっちだ。」

 番犬以外、誰もいるはずの無い庭から誰かの声が聞こえた。好奇心にかられて布団の中から顔を出せば、再び庭から声がする。

「やっと、声が届いた。」

 厚手のカーテンの向こうから聞こえた、少年の声。いつ止んだのか、嵐の音はもう聞こえない。蛙の合唱のような祖父母のいびきも。

 望んでいたはずの静けさ。だがここまで無音になると、どうも不安になる。思わず、隣に寝ていた祖母を揺すってみるが、起きる気配は皆無。いや、まず寝ているのかすら分からなかった。

 なぜなら、隣の祖母は呼吸をしてなかったからだ。布団から抜け出して祖父の様子も見てみるが、やはり彼も呼吸をしていない。私は怖くなって、死なないでと叫びながら、必死になって2人を揺すった。けれど、2人は一向に目覚めない。

 いつの間にか溢れ出した涙がパジャマの襟口を濡らしていく。パニック状態になって、もうどうしたら良いか分からなかった。怖くて、悲しくて、大声で泣き叫ぶしか出来なかった。

 そんな精一杯声を張り上げて泣く私に、外の人物が再び声をかけてくる。

「大丈夫…安心して?怖くない、怖くないよ?さ、おいで。」

 諭すようにゆっくりと紡がれる、優しい声。混乱状態にあった私は、ただその声に誘われるように、厚手のカーテンに手をかけた。そして、外の相手を確認するように、ゆっくりと左右に広げていく。

「…っ。」

 其処に広がる光景に思わず息をのみ、我にかえる。

 窓の外はスコールのような雨が降り、地面に当たっては跳ね返っている。風も野晒しの犬小屋を揺らし、木の枝を折りそうな程ふいている。

 なのに、だ。

 私の耳にはその音が届かない。唯一聞こえるのは荒い自分の呼吸だけ。

「…なん…で?」

 思わずそう呟けば、いつの間に目の前まで来たのか、声の主であろう少年がその問いに答えてくれた。

「僕のせいだ。」

 そう言って悲しそうに笑う。

「僕が、君の魂をコッチ側に呼び寄せてるから。」

 彼はそう言い、私の後ろを指さした。

 私の後ろには布団に横になる祖母と、その隣で丸くなっている何か。その何かが居る場所は、先程まで私が寝ていた場所。

 震える指で、その何かを覆う布団を捲れば…。

「わ、私?」

 確かに私自身であろうものが其処に寝転がっていた。触ってみようと手を伸ばせば、まるで映像のように手がすり抜ける。

 祖父母と同じように、目の前の私も呼吸をせず、ただ阿呆のような顔で丸まっていた。

「…幽体離脱って分かる?身体と魂が離れる事を言うんだけど、僕がそれを君にした。」

 窓一枚を隔てた先で、濡れ鼠の少年がそう説明してくれる。

「…なんで?」

「夢じゃ、話せないから。」

「どうして、話せないの?」

「君が怯えて、僕の声を聞こうとしないから。」

 まるで僕は悪くないとでも言いたげに、両手の平を空に向けて肩のラインまで上げる。彼の目には一欠片も光が無いのに、少しだけ首を傾げたその姿は妙に愛らしかった。

 と、そこで初めて彼の姿をじっくり見た私は再び息を飲んだ。

 其処に居る少年の服は、夢で何度も見た青い甚平。左肩に入る二つの幾何学模様まで何一つ間違ってはいない。雨で濡れた純黒の髪も、青白い肌も…夢で見た通りだ。

 極めつけは、私が何よりも恐怖を感じた、自分と瓜二つのその造形。瞳に宿る光さえ除けば、それはもう私の顔。唇の右端にあるほくろまで一緒の、もう1人の自分。

「ゆ、夢の…。君、夢に出てきた…お、お化け!」

 再び軽いパニック状態に陥った私。そんな私に彼は苦笑を浮かべて、辛抱強く囁いてくれた。

「大丈夫、僕は君を傷つけはしないよ。だって僕はーー。」

 彼の言葉を聞いたとき、時が止まった気がした。まるで超人にでもなったかのように、全ての動きがスローモーションのようで…全てが現実から遠ざかったよう。

 彼の口がゆっくりと言葉を紡ぎ、やがて、静止。

「う…そ…?」

「本当だよ、双子の妹。」

 だって僕はー

 ウマレルハズ ダッタンダ…

 キミニ セイヲ ユズラナケレバ。

 儚げな笑顔を浮かべ、そう述べた少年。

 確かに目の前の少年と私には、母のような目であったり、父のような漆黒の髪であったりと、明らかに他人の空似なんかでは表せない類似点が多すぎた。

「生まれるはず…だったって何?」

「そのまんまさ。でも、今は……今は何も知らなくて良い。」

 そう言った顔があまりにも悲しそうで、私は思わず彼に手を伸ばした。強化ガラスで止まると思った手は、霊体の所為かガラスを突き抜け、彼の頬でやっと止まる。

「…冷たい。」

 指先から感じた体温は驚くほど冷たくて、まるで氷水に手を突っ込んだようだった。でも、何故か…手が冷たくなろうが、痛くなろうが、私はその手を離そうとは思わなかった。

「…そう。僕は温度を感じないから分からないけど…多分、君の手はあったかいんだろうね。」

 私の手を包み込むように、彼の手が私の手に重なる。

「やっと、触れられた…もう一人の僕…僕の、妹。」

 彼は独り言のようにそう呟いてから、意を決したように私を見ると、頬に当てていた私の手を引き、外へと引き出した。

 私は手を引かれるまま彼へと倒れ込み、その身は彼の腕の中で止まる。驚きと困惑が頭を駆け巡り、反射的に顔をあげれば、彼は私を安心させるようにニコリと笑ってくれた。

「大丈夫。悪いようにはしないよ。」

 彼は私にそう囁いてから、私の目を左手で覆う。私はされるがままに身をゆだね、身体の力を抜けば、彼は耳元でクスリと笑った。

「いい子だ…。」

 そう囁かれ、私はニコリと微笑む。彼の手のひらの中の暗闇は非常に心地が良く、まぶたをゆっくりと閉じていけば、優しいさざ波がやってくる。

「おにー…ちゃん。」

 この波に身を任せても良いものか、ろくに働きもしない頭で決めあぐねていると、彼は私が波に乗るのを手伝うように、そっと一言囁いた。

「大丈夫、眠りなさい。」

 その言葉に全ての思考能力を手放した私は、まるでクラゲのようにゆらゆらと波に身を任せた。水面はどんどん遠のき、身体は深みへ沈んでいく。でも、不思議と恐怖は無かった。何処までも続く海原に、身を任せようと本気で思った。

「怖い物なんて無いよ。僕さえ…僕さえ受け入れてくれれば、君を全ての災厄から守るから。」

 囁く兄の声を子守歌に、私は意識を放す。まるで呼吸をするかのような、自然な眠りだった。


 そんな夢のような摩訶不思議な夜から十数年。

 私は何事もなく成長し、高校生になっていた。

「兄さーん、どこ〜?」

 いつも一緒に居るはずなのに、突然姿の見えなくなった兄に驚き、私は辺りを捜索する。

「…此処にいるよ。」

 再び声を張り上げようとした所で、やっと兄から声が帰ってきた。声がした方に急いで視線を向ければ、半透明の身体をした兄が立って…いや、正確には浮いていた。

「兄さん、いつも一緒なのにどうして居なくなったの?」

「そりゃお前…トイレまでついていったら、幾ら何でも変態みたいじゃないか!」

「良いじゃん、皆には見えないんだし。」

「僕が良くないの!」

 あの時以来、私の側には必ず兄が居るようになった。なんでも、私の魂を昏睡状態にした時に、魂の契約をしたらしい。それによって、幽体離脱なるものをしなくても彼の姿が見えるようになった。

 そして何故か、あの頃は幼児だった兄の姿も、私と同じように成長している。兄曰わく「僕は特別だから」らしい。実に意味が分からない。

 でもまぁ、兄が居て実に助かってる事も事実。魂で繋がってる私達は、相手を思いながら話しかける事で、どんなに離れても意思疎通が出来る。それを利用して、兄が聞く有名講師の授業をリアルタイムで聞けたり、空中から兄が色々な指示を出すことで変質者を避けるように歩けたりする。

「でも兄さん、昔はお風呂覗いてたくせに。」

「お前が一人で入るって言うから、溺れたり転んだりしないか心配で…それに、それは小学校の時の話だ。」

 口を尖らせて、ふいと横を向く兄。我が兄ながら、実にその表情はあざといと思う。

 十数年の間に私も成長したが、兄も成長したので、あの雨の夜のような、瓜二つと呼べるレベルからは少しだけ離れてしまった。私は少し女らしくなったし、兄も男らしくなった。けれど、兄は男にしては小柄で丸顔だ。だから、そんな女の子みたいな行為をしても可愛く見えるし、女と紹介しても納得してもらえると思う。無論、誰にも見えないから紹介したくても出来ないのだけれど。

「あー早く帰って寝よ。」

「知ってるんだよ、宿題があるだろう。」

「兄さんがやってー。」

「阿呆。お前がやってこそ意味があるんだ!」

 そう言うや否や、私の反論を聞くまいと、不審者チェックという名の逃亡に走る兄。でも私は知ってる。兄は優しいから、私が分からなかったら片っ端から問題の説明をしてくれる事。そしてお叱りの言葉は、全て私を思っての事だと。


 だから驚いた。

 母親から何気なく話された事実を聞いて。

 私の誕生時の秘密…それを聞いて。

 母の言葉に、それまで考えていた他の事は頭から全て飛び出て、ただ驚きと悲しみが頭を支配した。眼球の奥を熱い液体が流れていく。それが表に出るのも時間の問題かもしれない。

 そんな状態になる程衝撃的な話は、いつもと変わらぬある日の夜、アルコールが入った所為かいつもより能弁になった母の一言から始まった。

「そういえば…あなたの事、お腹に入っている時は男の子だと思ってたのよねぇ。」

「…え?」

 初めて聞く事実に私は驚きの表情を浮かべる。兄のお陰で自分に双子がいる事は知っていたが、自分が出生以前は男の子だと思われていたとは知らなかったのだ。思わず口に運んでいたコロッケを落としそうになったが、慌てて掴み直し、どうにか口の中におさめた。

 するとその反応に気を良くしたのか、母親は私の態度を笑い、上機嫌で言葉を続ける。

「産婦人科の先生もね、男の子って言ってて…ほら、パパの一族って生まれるのは皆男の子だったじゃない?本当はママ、女の子が欲しいと思ってたんだけど、そんな現実があったからママも男の子だろうなとずっと思ってて…でも、いざ生まれて女の子だなんて…ママ、嬉しすぎて号泣しちゃった。」

 さも嬉しそうにそう話す母親。でも私はそれが素直に喜べない。それは無論兄がいるから。誰にも見えない、私だけが確認出来るその存在。頼りになって、優しくて、ちょっと口うるさいけど大事な人。私の分身、もう一人の私。

 だから「兄さんに向かって酷い。男がいらないなんて言わないで!口を慎んでよ!」と私は母に向かって叫びたかった、むしろ叫びそうになった。でも…必死で止めた。

 私がそれを言うことによって、兄が傷つくと思ったから。実の母の口から「何馬鹿なこと言ってるの?」とか「誰も近くにいないじゃない。」なんて頭では分かっていても存在していない自分を肯定するような事を言われたら、悲しいに決まっている。

 私は兄さんが気になって不自然にならないよう注意しながら後ろを振り返ってみるが、いつも後ろに控えているはずの彼の姿が見当たらない。

 どうしたのだろう、やはり辛くてここにいるのが耐えられなかったのだろうか。

「それでね。」

「あ、ママ、その話はまた今度。毎週聞いてる英語のラジオ始まっちゃうから、部屋戻る!ごちそうさま!」

 私は夕飯の最後の一口を口へ放り込むと、食後の挨拶をそそくさと済ませ、慌ただしく席を立った。はやる気持ちをどうにかおさえながら、ダイニングを出て階段を上り自室へ向かう。

 英語のラジオなんて嘘だ、そんな物は全く聞いてない。いや、聞いているわけが無い。そんな事をしていなくても、私の英語の発音は兄との意志疎通リアルタイム講座のお陰でネイティブ並みだ。

 ならどうして嘘をついたのか?その理由は一つしかない。兄が心配で早く見に行きたかった。大丈夫?と囁いて側に居てあげたかった。ただ、それだけ。それだけだけど、私にはそれがどんな事よりも優先すべき事だった。

 私は音をたてないように自室のドアを開けると、ゆっくりと室内を見回す。そして、見つけた。本棚の脇で膝を抱え、座り込む兄を。

「兄さん…?」

 話しかけるが返答は無い。

「兄さん?」

 私はもう一度話しかけ、氷のような彼の肌に触れる。すると、兄さんはふるりと身体を震わせてから、ゆっくりとではあるが顔をあげ、朧気な瞳で私を見つめた。

「…分かってる。」

 兄さんは消えてしまいそうな声で、私に向かってそう呟いた。震える声と一緒に、徐々に身体も小刻みに揺れ始め、真っ黒な瞳からポロリと涙を零すその様は、本当に現の物からかけ離れていて、空気の中に溶けて無くなってしまいそうだった。

「…何が?」

 私は彼の肩にそっと手をかけると、驚かさないようゆっくりと彼の体を両方の腕で抱きしめた。すると兄さんはホッとしたように両肩の力を抜き、彼も両腕を私の背中へ回す。肩口に顔を埋めて涙声で呻く様は、思わず私の涙腺もゆるませる。

「知ってたんだ…。母さんは女の子がほしかったって。そして…分かってるつもりだった…。ちゃんと理解してるつもりだったんだ。でも…辛くって…。男の僕は必要とされてなかったって…直接言われると…辛くって…。」

 生きたくても生きれなかった彼におくられた、最悪の言葉。

 ただ嘆く事しか許されない彼に、私は言葉をかけられなかった。どんな言葉をかけた所でも、変わることの無い残酷な現実。

 彼は泣いているのに、その涙は私の服には染み込まない。彼はこの世にあって、この世に無い物。私だけが知覚し、触れる事の出来る奇妙な存在。

「ねぇ、君は僕を必要としてくれる?」

 募るようにそう問う兄に、私は何度も頷く事しか出来なかった。ただ頷いて、涙を流して、抱き締めて、貴方が必要なのと心の底から訴えた。

「ありがとう、ありがとう。」

 兄は何度も私にそう言い、涙を流した。私達は泣きつかれて眠るまで、そのまま抱き合って過ごした。魂が一つになる程、強く、強く。


 翌朝、兄は何事もなかったかのように笑顔で私に接してくれた。私はその様子にどこか安心もしたが、胸を締め付けられるような痛みも感じた。

「兄さん?」

 ふと彼を呼べば、彼は笑顔で返事をしてくれる。しかし、その笑顔にはどこか影があった。大丈夫?無理してない?私がいるよ?何でも話して?言いたいことは山程あった。でも、以前のように振る舞おうと努力している兄に、私は何も言うことが出来ずにいた。

 そんな日が数日続いたある日、突然私は両親からドライブに誘われた。その日は一時間目で学校が終わって帰宅していたため、特に予定も無く二つ返事で了承を出し、両親と一緒にいることを嫌がる兄を連れて父の運転する車に乗り込んだ。

「どこへ行くの?」

 行き先を聞かなかったので、シートベルトを締めながらそう問えば、珍しく母は口を濁らせた。

「着けば分かるわ。ドライブって言ったけれど、すぐよ。着けば分かるの、だから、ね?」

 言いたくなさそうな母の口調に、私は迷わず頷いた。着けば分かるのだ。今ごねて聞いて、母を困らせたくなかった。

 兄は終始無言で私の左手を握り、目を閉じていた。ぎゅっと握れば同じ様に握り返してくれる事から、彼が起きている事が分かった。

「着いたわよ。さぁ、降りて?」

 二十分程走っただろうか?気づけば、祖母の家近くの共同墓地前に車は停車していた。

「ここ、どうして?」

 車で脇の道をそれなりの回数通った事があるため、県内のどのあたりに居るのかは理解できたが、何故ここに居るのかは理解できなかった。

「…ママとパパが買ったお墓がここにあるの。」

 母はそう言いながら、墓地の中を迷わず進んでいく。置いていかれるまいと、私と兄が小走りで母の後に続き、父は無言で後ろについた。

 共同墓地の中をただ歩き続けること数分。無言でひたすら歩き続けた母は、その墓の前に来るなりピタリと足を止め、糸の切れた人形のようにガクリと膝を折った。

 そんな母の前にあったのは、まだ比較的新しい墓。

「…これは?」

 なんとなく想像はついたが、両親の中で私は兄を知らない設定なので、私は一応そう聞いて、ただ母の言葉を待つ。

 父は目をつむり、墓の前で手を合わせてから、母の肩に手を置く。そんな父の優しさに励まされたのか、母は重たい口を開いた。

「これはね、パパとママが建てたお墓。あなたが生まれた年に。…あなたの、お姉さんのために。」

 母の言葉に私は思わず言葉を失う。私に…姉がいた?しかも、母の物言いからして、双子の姉が。

「姉さん…。」

 へぇ、そうだったのか。でも、あれ?だとしたら、兄さんの骨もあるはずだ。私と兄さんは双子なのだから。

 なのに、何故母はそれを言わないのだろうか?

「ねぇ、ママ。」

 まさか、ね。兄さんは兄さんだもの。嘘をつくはず無い。だけど。でも。もしかしたら…。

「…ここに眠ってるのは姉さんだけ?」

 聞きたい。でも、聞きたくない。相反する感情を持ちながら、私は母にそう聞いた。そしてすぐさま母から返答が帰ってくる。そして、その結果は私が最も正答であってほしくなかった答えで。

「お姉さん、ただ一人よ。」

 …嘘だ。

 私は兄の方を見て、その性別をもう一度確かめてみる。しかし、やはり男である事に間違いはなさそうで。

 私の側にいるのは幽霊の兄。眠っているのは骨の姉。

 …何が起きているんだろう?分からない。分からないよ。

「え?え?え?」

 私の双子の相手は骨がある時点で確実に女だろう。

 だとしたら?兄は…私が兄と慕うこの男は…いったい…誰?

 私は恐る恐る彼を見やり、その表情を伺った。すると…。

「ふふ。ふふふふ。」

 兄は、笑っていた。予想外にも、非常に嬉しそうに。

 私は訳がわからず彼をじっと見る。でも、兄は私など眼中に無いのか、ただ嬉しそうに、声をあげて笑うばかり。

 実体の無い兄を見つめる私が、両親には呆然として虚空を見つめているように見えたのだろう。二人だけで花を取り替え、水を変え、線香をあげると、私の背中をそっと押して車へ誘導する。

 兄の手をいつの間にか離していた私は、兄をその場へ置き、両親に連れていかれた。背を押されながら振り返れば、兄は未だ楽しそうに笑っていた。


「一人にしてごめんね?」

 そう詫びながら、私の部屋に音もなく現れた兄。時計を見やれば、兄が帰ってきたのは私が家についてから六時間後。もう辺りが暗くなってきた頃だった。

「…おかえり。」

 反射的にそう答え、戻ってきた兄を見やる。服装に変わりは無いが、その顔は今までとは対照的にキラキラとした笑みが浮かんでいた。

「嬉しそうね?」

 疑問で一杯の私とは反対に悩みの無さそうな兄を見て、思わず声に刺が混じる。

「…一人にしたから…怒ってるの?」

 そんな私の態度に、兄は笑みを消して申し訳なさそうに聞いてくる。

「…違う。」

 淡々と答えて兄を睨めば、彼は狼狽えたように挙動不審な行動をした。わたわたと左右に手を降り、辺りを見回して自分の欠点を探そうと目をきょろきょろさせる。

「…探しても何もないよ。意味が無いわ。」

 その姿に憐れみと怒りが一緒に込み上げてきて、不機嫌な声ながらも助け船を出す。

「…ごめん、分からない。君は何が気に入らないの?僕が何をしたの?」

「………嘘。」

「…え?」

 訳が分からないと眉を寄せる兄に、私は叫んだ。

「ずっと、ずっと、嘘ついていたでしょ!」

「……嘘?」

 兄は驚き、何の事か分からないとでも言うかのように首をかしげる。しかし、ヒートアップしていた私はそんな事気にもとめず、もう一度兄に向かって叫んだ。

「私の兄って、兄さんだって言ってたの、嘘だったんでしょう?!」

 兄はフリーズしたように止まり、その光の無い真っ黒な目を見開いた。それを事実を知っている事に驚いているのだと思った私は、探偵のように推論を述べる。

「私だって馬鹿じゃないんだよ?母さんは墓に眠るのは姉さんだって。姉さん一人だけが入ってるって言ってた!だから……だったら!」

「僕は誰、だって?」

 やっと意味が分かったという顔をした兄さんは、そう言って笑う。その馬鹿にしたような笑いに、私は思わずカッとなって彼に罵声を浴びせかけた。

「あんたなんか…あんたなんか、もう必要ない!!二度と私に近づかないで!!」

 そして、その勢いのまま部屋を飛び出した。

 何も考えたくなくて、ただがむしゃらに走った。走れば、頭を真っ白にする事が出来たからだ。走って、走って、そして気がつけば学校に来ていた。

 校門をくぐると同時に走るのを止めた私は、地面を見つめて歩きながら、人気の無い所を探す。今は誰にも会いたくなかった。この十年間、ずっと誰よりも、信じて、頼って、分かち合っていた…そう思っていた存在に裏切られたショックはやはり並大抵の物では無かったらしい。

「ばっかみたい。」

 初めて見た時は怖くて怖くて仕方なかった。でも、触れた瞬間からなぜかそれが安心に変わった。一緒に行動するにつれて大好きになって、一緒に眠るにつれて大切になった。大好きで大切で、誰よりも側にいてほしかったし、側にいてくれた。誰よりも必要で、必要とされていた。

 だから、許せなかった。

 兄が私に嘘をついていた事が。

 私は、兄にはひとつも嘘をついていないのに。

 嘘をついた事すら無いのに。

「…っ。ひっ…ぅう。」

 いつの間にかたどり着いた空き教室の隅で、私は一人泣いた。泣いて、泣いて、泣いて…目蓋が重くなり、しばし私は眠りについた。


 気がつけば辺りは暗くなっていて、窓から見えた空には星がキラキラと夜空に輝いていた。月もずいぶん上に登り、かなり長い時間眠っていた事が分かった。

「…帰らなきゃ。」

 おもいっきり泣いてすっきりした私は、幾分か気分が軽くなり、すっかり平常心に戻っていた。これなら兄に会っても大丈夫そうだ。それに、兄に会ったら謝らなくてはいけない。

 冷静に考えてみれば、あの兄が理由なく嘘をつくはずが無いのだ。何か理由があったのかもしれないし、兄も不測の事態かもしれない。そんな事も考えずに罵声を浴びせた事を早く詫びなければ。

 そう思って私は立ち上がると、廊下へと繋がるドアに手をかけた。だが、開かない。ガチャガチャとドアを鳴らしても、ビクとも動かない。

「やだ、鍵が!」

 ドアの鍵が閉められている。ドアの窓越しに廊下を見ても、見回りの時刻も過ぎたのか、教師や警備員の影すら見当たらない。

 では、窓は?そう思って窓を開けた。すると幸いにも窓は空き、ベランダには出る事が出来たが、そこから先は行き止まり。飛び降りようにも、ここは四階。飛び降りて無事でいられるはずがなかった。では、非常階段を。そう思って非常階段に手をかけるが、その階段は最新設備で、使用すれば警備会社に連絡が行く仕組みになっていた。連絡が行けば大事になる。家族や教師への迷惑を考えたら、その階段を使用する事がためらわれた。

 どうにか、この状況を打破出来ないか。そう考えながらドアを叩く。

「先生!?警備員さん!?いませんか!?まだいるんです!出して!ここから出してよ!!」

 こんな時に限って、スマートフォンも財布も家に置きっぱなし。家族に連絡もとれないまま、真っ暗な中で一人きりだ。迷惑をかけないようにするためには、明日、先生が来るまで此処で耐えること。

「どうしよう…。」

 八方塞がりだ。

 もう、どうしたら良いのか分からない。

 今になって、出しきったはずの涙が再び溢れてきた。こうなったのは自業自得なのに、何故かもどかしく思う自分がいる。こうすればよかった。とか、ああすればよかった。とか今考えた所で後の祭りなのに。

 お願い、助けて。

 パパ、ママ…。

 もうどうしたら良いか分からないの。

 助けて。

 もう必要無いなんて言わないから。

 もう酷い言葉は言わないから。

 だから、助けて。

「助けて…兄さん。」

 その瞬間、冷たい手が私の頬に触れた。勢いよく顔を上げれば、そこには望んだ半透明の彼の姿があった。

「…やっと、必要としてくれたね。」

 儚げに笑い手を差し出す姿は、彼と初めて会った時の光景によく似ていた。震える私を冷たい二本の腕で抱き締めて、軽く目を閉じる兄。

「もう必要ないって言われて、力が無くなったんだ。」

 呟くようにそう言った兄に対し、私は何の事?と聞き返す。

 すると兄は、一つ頷いてからこう切り出した。

「…ねぇ、少し昔話をしようか?」

 そう言ってから、静かに兄が語りだした話の内容。

 それは、私が予想だにしなかった内容だった。


 時は遡ること十数年。

 母の体内に二つの命が宿った事から始まった。

 誕生した小さな小さな二つの命は、母の温かい体内で、形を変え、姿を変え、人間の体へと成長していく。母は微笑みを浮かべて、壁の外から声をかけてくる。

 しかし、その幸せとは裏腹に不幸が音もなく忍び寄ってきていた。不幸は小さな命の片方に狙いを定めると、その小さな心臓に根を生やした。その根は心臓全体を多いつくし、少しずつ、そして確実に小さな命から力を奪っていった。それにいち早く気づいたのはその命の片割れで。どうしようもなく不安がその心を渦巻いて、とっさにその不安を解消すべく、まだ出来たばかりの小さな手を片割れに伸ばせば、優しく触れてくる同じ大きさの手。

(不幸な片割れ。儚い片割れ。)

 外の世界に出られても、長くは生きられないだろう。そう感じた小さな命は閉じた目から涙を溢した。

(こんなに優しく触れてくるこの子は、死ぬしか無いのかな?)

 出来れば、死んでほしくないと思った。でも道がないなら諦めるしか無いとも分かっていた。そんな時に、ふと感じた違和感。

 片割れの命だけでは飽きたらなくなった不幸の根が、母親の方に手を伸ばそうとしていたのだ。

(駄目!!)

 嫌だと叫んでも、不幸の根は止まらない。手で掴もうにも、実体の無いそれは掴めるはずも無かった。

(神様、お願い!僕の命をあげる。僕の命をあげるから、お母さんと片割れを救って!)

 小さな命はそう願い、それを聞き届けた神は全ての不幸を小さな命に封じた。それと同時に小さな命の全身にに耐え難い程の苦痛が走る。

(痛い、痛い、痛い、痛い。)

 しかし、小さな命は助けを求めなかった。

 助けを求めれば自分は勿論、助けたいと願う母と片割れまで危険にさらしてしまうからだった。

 そんな健気な小さい命に、神は問う。

「小さい、小さい我が息子。可哀想な我が息子、健気なそなたに免じてもう一つだけ望みを叶えてやろう。望みはあるか?」

(…ならば、母と片割れの…二人の願いを叶えてほしい。)

 小さな命はそう願い、激しい痛みの中必死に保っていた意識をそこで手放した。その姿に神は言う。

「健気な息子よ、その願いしかと承った。」

 その後、小さな命は苦痛に耐え、外界に出た後、一人だけその命を落とし、母と片割れを救った。

 母の「一族からの、女の子を産めという重圧から解放されたい。」、片割れの「片割れと生死を共に。」という願いを叶えて。


「ここまでは、大丈夫?」

 兄にそう聞かれて、私はこくりと頷く。

 つまり、兄が命をかけて私と母を救った…。その事実があまりに大きすぎて上手く飲み込めてはいなかったが、話していることは理解出来た。

「僕はね、生まれるはずだったんだ…君に生を譲らなければ。今頃、息をして、肉体があった。…母さんが死んでなければだけどね。」

 初めて会った時に言われた言葉。あれにはこんな意味があったのかと、今初めて分かった。

 そして、今、もっとも言うべき言葉は。

「…ごめんなさい。私のせいで、貴方の…命を奪ってしまって。」

「あぁ、可愛い子。僕の可愛い、片割れ。僕はそんな事が言いたいんじゃ無いんだよ。」

 兄が手を伸ばし、昔話で溢れた私の涙を指でぬぐう。でも、言いようの無い感情が胸中を支配して、涙は次から次へとあふれた。

「僕はね、罪悪感を持って欲しいと思ってないし、ましてや恩を感じろとも思ってないよ。」

「…でも…。」

 優しく囁く兄の言葉を受け入れられず、私はただ彼の言葉を否定した。そんな私に兄は1つため息を吐くと、両手で私の右手を包むように握ってくる。兄の瞳がまっすぐ此方へ向かい、真剣なんだという事が分かった。

「僕が言いたいのはね、君も僕の立場なら同じ事をしてくれたのではないか。そして今の僕のように、僕を助けてくれたのではないかって事だよ。」

「…うん…。」

「僕もね、当然生まれたかった。自分で息をしてみたかった。そのために母には生きてもらわなきゃならない。だから最初は片割れに全ての病気を封じてもらおう、そして生き延びようと思った。でも僕はそれをしなかった、何故か分かる?」

「…わからない…。」

「願いを本当に聞き届けてもらうか、最終確認された時にね、神様って方に聞いたんだよ、母親と片割れの願いを。母親は自分のための願いだった。まぁ、それは僕らの異常を知らなかったから仕方の無い事なんだけれどね。でも片割れは違ったよ、僕の幸せを望んでくれた。」

 そう言って嬉しそうに、ふふふと笑う。

「嬉しかった。これから先どんな人と出会おうと、こんなに心地よくて、愛しくて、僕を分かってくれる人はいないと思った。だから、僕は二人の願いを叶えようと思った。だから、“僕の幸せ”…つまり“片割れと生死を共にすること”が望みになった。全ては君が幸せに生きるため、全ては僕が望んだ未来。」

 彼の腕今まで以上に、強く私を抱き締めた。

「今みたいにね、僕は姿を失う事がある…それは君が、僕を嫌ってしまったら君の幸せが無くなるから、僕は君の幸せのために姿を失う。僕は他の霊と違って成長する…それは君と生死が繋がってるから。僕は魂と肉体の性別が違う…それは生まれるその瞬間に、神が性別を変えたから。死産の僕は生まれる瞬間には魂が肉体からはなれていたから、肉体と魂の性別が違うんだ。」

 スラスラと綴られる兄の言葉。

 神様なんているか知らない。不思議な力が存在するかなんて分からない。でも、これだけは言える。

 兄はここにいる。

「…ごめん。…疑ってごめん。酷い言葉言ってごめん。…私の幸せは、ずっと貴方と生きていくこと。…昔も…今も…これからも。」

 呟くようにそう言えば、兄はこれ以上無いほどの笑みを浮かべて言葉をつまらした。変わらない漆黒の瞳から、涙が溢れてはいくつもの川を作っていく。

「僕も、ずっと…長い間…何も教えずにごめんね。」

 お互いに額を寄せ合い、掌を重ねる。ただ、それだけなのに、心の中に愛しさとほっとしたような感情が溢れた。冷たい手のひらが、私の熱で中和されていく。とても、心地がいい。兄の気持ちが流れ込んでくる。じんわりとした、あったかい気持ち。きっと、これが魂が繋がっているってことなのかもしれない。

(愛しき、片割れ。)

 愛しい、愛しい声が聞こえる。

(どうか、幸せになって。)

 えぇ、勿論。貴方の命の分、今までも、今も、これからも…ずっと。

 この命、いつまで続くか分からないけれど…。

 息を止める最後のその時まで、貴方と共に。

「ひとつだけ願いを言うならば…。」

 貴方と幸せに生きたい。


 後日談ではあるが、その後私は兄の力を利用して学校を脱出し、駅前のファストフード店で寝ていたという嘘をつき、両親に怒られるだけですんだ。両親は般若のような顔で怒ったが、私はあまり怖くなかった。

 だって、ずっと隣にいて、強く手を握ってくれている存在がいるから。

 私達はこれからも、手を取り合って生きて行く。

話に組み込めなかった裏設定

①幼少期の兄は、神様のもとで育ち、動けるようになった段階で主人公へ干渉。しかし、初めて夢の中に現れたとき、あの世感溢れる彼がやはり怖かったらしく、無意識のうちに拒否=嫌いとなった。それ以降、嵐が怖い=嫌い、となり、嵐への恐怖から、自分への嫌いな気持ちが薄らぐ日、かつあの世とこの世が近くなる時間にしか干渉できなくなった。


②墓の前で兄が笑っていたのは、なかなか墓参りに来ず、墓のことを妹に話そうとしなかった両親の様子から、自分はもう忘れられた子だと思っていたが、墓前に来た両親の様子から、愛と悲しみを感じとり、嬉しさとか喜びとか様々な感情が爆発し、混乱状態にあったから。



お読みいただき、ありがとうございました。

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