邂逅を告げる第一闘争 -Ⅷ
謎の存在による襲撃を受けた廃工場。
聳える扉の奥に待つのは希望か絶望か、それとも――――。
中の光景はある意味では予想通りで、これまたある意味では予想外。
まず初めに嗅覚が強烈な異変を感じ取る。鼻腔を突く尋常ではない濃度の血臭に堪らず噎せ返ってしまう。次いで視覚が内部の惨状を捉えた。目に飛び込んできたのは案の定、血の池地獄を連想させる赤黒く染まった床。そして夥しい数の人間――その亡骸だ。
一目で死体であると断ずることができたのはその損壊状況によるもの。人間としての原型こそ留めているものが多いが、そのほとんどがあるはずの頭部や四肢と泣き別れてしまっている。体幹に空いた風穴は何故のものだろうか。
体が引きちぎれてしまっているおかげで正確な数はわからないが死体の総数は約30といったところ。まさに地獄絵図だが皮肉にも自分はこれに似た光景を既に見たことがある。いいやそもそも、数こそ遠く及ばないが眼前の地獄と同種のそれを引き起こしたのは他ならぬ自分自身だ。ならばこれを為したのもまた、自分と同じ存在――?
しかし、これはあくまでも予想通りのこと。実際にこの目で見たことによる衝撃こそ大きかったが先程の男の狂乱ぶりからある程度の察しはついていた。
では予想外であったこととは何か――――?
それは、赤黒い地獄の中心に佇立する場違いとしか言えない存在だった。
天窓から差し込む夕陽に照らし出されているのは驚くべきことに小柄な少女。年齢は自分より一回り下といったところだろうが、この日没近い時間帯に特有の昏い光を浴びた彼女は容姿にそぐわず妖艶でそして酷く危険な雰囲気を纏っており、猖獗極まる惨状の中で彼女の周辺だけが妖しい霊気に包まれているかのような錯覚を生じる。全身は赤黒い血液――おそらくはその全てが返り血――で汚れていたが、ここまでの要素だけから判断するなら彼女をこの場で起こった凄惨な殺戮劇に巻き込まれてしまった不運な被害者だと見ることもできたかもしれない。何せうら若い小柄な少女なのだ、そう思い込みたくなるのが人情というものだろう。
だが状況はそれを許さない。ユウは見てしまったのだ。彼女の右手に握られた、まるで血液でコーティングをしたかのように赤黒く濡れた鉄パイプと、そしてそれよりもさらに凄絶な印象を与えるものを。即ち、何もなければ可憐と呼ぶに相応しいのだろうがチークのように返り血が付着することで蠱惑的な魅力を放つ相貌に浮かんだ狂癲で驕慢で凶悪な、まるで飢えた鬼のような笑みだ。
推測が確信に変わる。間違いない、この少女は自分と同じ状態にある人間だ。そしてならばこそ、これをやったのは彼女以外にありえない。
見た目だけでもかなり恐ろしくそもそも関わりたくなかったが、せっかく出会えた同類だ、もしかすれば協力できることもあるかもしれない。ここは慎重に事を進めよう――――
「あっれー? 一人だけ取り逃がしたのは知ってたけど……、お兄さんあの腰抜けとは別人だよね?」
唐突に、少女が世間話でも振るかのような気軽さでこちらに話しかけてくる。
率直に言ってかなり驚いた。小柄な体躯であれだけの殺戮を為したのだから相当な暴れ方をしたはず。ならば意識などとうの昔に塗り潰されていてまともなコミュニケーションが取れる状態にはとてもないだろうと考えていたがどうやらいい意味で予想は裏切ってくれたようだった。この惨状を見るにすでに闘争を終えた後と見て間違いはないので飢えはもう引いているのか。有無を言わさず襲いかかられた場合どうするかを真剣に考えていただけにこの展開は棚牡丹だ。
「あ、ああそうだ。ついでに言うとおそらく君の言う腰抜け野郎はそこで伸びてる」
自分の背後を指差しながら、できる限り砕けた雰囲気を出して敵意がないことをアピールする。それを感じ取ってくれたのかどうかはわからないが、少女は大きくパッチリとした瞳を細め、こちらを観察するような視線を向けてきた。
「……ふーん、やっぱりか。お兄さん見た目からして悪いことする度胸とかなさそうだし不良じゃないよね? 何でここにいるの…………ってあー、なるほど。そういうことか」
何を得心したのか、ニヤリと軽く笑う少女。妖艶な雰囲気とは相矛盾するがこういう仕草はいかにも小悪魔的だった。片手に握られた真っ赤な鉄パイプと血化粧さえなければ素直に可愛いと思えそうなのだが現実は残酷である。
「さり気なく失礼だなおい……。まあいい、それで? 会話を円滑にするためにも何が『なるほど』なのか教えてくれると助かるな」
「またまたー、とぼけちゃってさー。大量の惨殺死体が転がってる出来立てほやほやの殺人現場と、おまけにその犯人であるところのイカれた猟奇殺人鬼を目の前にして、平静保つどころか楽しくおしゃべりに興じようだなんて思えちゃうお兄さんも充分イカれてるって自覚あるの? ある意味そこらの不良なんかよりよっぽど危ないよ」
「…………自称イカれた猟奇殺人鬼殿からのご忠言痛み入るよ。そういう認識があるならもう面倒な御託は必要ないな。……実を言うと」
「……俺も『闘争』に飢えているんだ――――かな?」
「…………っ!?」
言わんとしていた台詞をそっくりそのまま続けられた。思考が、読まれている。絶句するユウをよそに、少女は悪戯っぽい表情を崩さないまま自身の目元を指差し一方的に話を続ける。
「皆まで言わずともわかってるって。お兄さんの目、凄く何かに飢えた目だ。かなりの自制心で抑えこんでいるみたいだけど、どうしても溢れて表出してきちゃう部分はある。恥じることはないよ、それが人間の限界ってやつ。それと安心して。私はあくまでもお兄さんの様子と状況的な要素から得た推測を述べたのであって読心とかできるわけじゃないから」
「……いやそもそも俺が心を覗かれている可能性に戦いてたことをわかってる時点で怖いったらないよ」
「ありゃりゃ。一応できないってのは本当なんだけどねー。そこはほら、経験の成せる技ってことで」
(経験……?)
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす少女の言葉に違和感を覚える。
単純に、飢えた状態での闘争経験のことを言っているのなら、たった二回だけで一回目は意識が無く二回目はついさっきのことではあるものの自分にだってあるにはある。しかし、どうもそれとは異なる意味を含んでいるように思えてしょうがない。
「経験、というと?」
「口振りから察するにお兄さんは『同類』に出会うの初めてだよね? でも私は違うんだ、もうすでに何人か相手してきてるからね、そこから見えてくるものもあるんだよ。かくいうお兄さんだって私が同類であることを見抜いてたじゃない――この場合は状況証拠によるところが大きいんだろうけど、私はその直感みたいなものが経験によって研磨されてるってこと。それに、童貞クンが経験豊富なお姉さんの手管に翻弄される光景は、様式美みたいなものなんじゃない?」
どう見ても年下の女の子から、艶っぽいウィンクと共に振られたキツめの下ネタへの正しい返し方が真剣にわからないユウであったがしかし、例えは悪いもののどうやらこの少女、自分よりこの飢えについて詳しいと見て間違いはなさそうだ。それならば今までの訳知り立てにも頷ける。聞き出したいことは山のようにあった。
「相手したってことはつまり……」
「闘って、殺したよ、今のところは文字通りの意味で必殺。今更引かないでよね、お兄さんだってこんな辺境まで不良狩りに来ようだなんて発想が出るくらいだしまさか殺人童貞ってことはないでしょ?」
「ノーコメントで、としたいところだけど、お察しの通りだよ」
「ま、そりゃそうだよね。私としても同類さんは貴重だしできることなら穏便に事を済ませたい気持ちもなくはなかったんだけど向こうから襲いかかってくるからさー。まったく、大の男がいたいけな女の子相手に――いや、だからこそなのかもしれないけど、有無を言わさず嬉々として闘争吹っかけてくるのってどうなのよ。勝てそうな相手としか闘わないだなんて女々しいったらないね」
「いたいけかどうかは正直微妙なところだけど見た目からして勝てそうだから嬉々として、か……。確かに褒められた考え方じゃあないが……でも結果として勝ってるんだろう?」
問いに少女は可愛らしく舌を出して小首を傾げながら答える。よくいう『てへぺろ』のポーズなのだろうが血塗れの体でそれをやられても狂気しか感じないユウだった。
「バレてしまいましたか……。でもその点、お兄さんは今までの奴らとは違うね。いきなり襲いかかってきたりしなかったし」
「自慢じゃないが昔から克己、というか自己制御には自身があるもんでね。飢えもまだ大したことない強さだし、経験豊富な『年下の』お姉さんから得られる有益な情報のことを考えたら余計にだよ」
「いやー……それって実は結構凄いことだと思うんだけどねー……。私の『出会った同類は今のところ全員殺してる』って発言聞いても全然動じてない点も含めてさ」
「結局は『今のところ』なんだろ? ていうかそれだけの人数相手にしてるんだしキミの飢えは間違いなく引いている。身体能力が上昇するのは飢えてる間だけみたいだし身の危険を感じる要素はないじゃないか」
「え? いや、まだ全然飢えてるけど?」
(…………………………!?)
――――唐突に露呈した両者の認識の齟齬は、一瞬にして場の空気を凍てつかせる。
今、彼女は何と言った……?
まだ、全然、飢えていると?
発言の意味を理解するのに数秒の時間を要した。そんなはずはない、それでは道理が通らない。たしかに自分はまだ飢えに苛まれるようになってから1週間程度の時間しか過ごしていないが、それでも彼女が決定的に異常であることはわかる。
「……? 何をそんなに驚いてるの? 私、もう飢えは収まってるだなんて一言も言ってないはずだけど……」
「た、確かにそうだが……、どうして……?」
「それに関しては私に聞かれてもなー、この飢えがどういう由来のものなのかは全然サッパリわからないままだし。ただ事実として飢えてるものは飢えてるんだよ、そうとしか言いようがない」
手慰みのつもりなのか、少女は持っていた鉄パイプをバトンのように回転させる。同時に、未だ乾ききらない血液の雫が飛び散り点々と辺りに赤い染みを形成した。
その光景を見て、燐堂ユウは再認識する。眼前に広がる地獄を作り出したのは紛れもなくこの少女。彼女は言った、まだ飢えは引いていないと。では飢えとは何に対するものか、言うまでもない、闘争だ。彼女は自分の同類なのだから。
『出会った同類は今のところ全員殺している』 言葉の意味とその恐ろしさを事ここに至ってようやく実感した。自分だけは大丈夫、そんな甘えた幻想は音を立てて崩れ去る。
肝胆寒からしむ事実を前にして、対照的に飢えのボルテージは沸々と着実に上昇する。
強敵との闘争、例えるならその匂いのようなものに反応したのだろうか。
だがあの時とは明らかに何かが違う。意識は塗り潰されるのではなく塗り変わっていく、それがはっきりと感じられた。人としての理性はない、だが自我は保ったまま、あくまでも燐堂ユウ自身の意思として闘争を渇望するのだ。据え膳を躊躇う必要などありはしない。相手がまだ飢えているというのなら好都合ではないか、我ら餓鬼同士が出会ったのならやるべきことなど自ずから決まっているだろう――――?
「……なんだ、なんだなんだそうだったのか。……いや、むしろそうであってくれて助かったよ」
「ほっほう……」
変質したユウの雰囲気を敏感に察知したのか、ピクリと少女の眉が動く。次いで口角がより凶悪に吊り上がっていく。もはや小悪魔とはとても呼べないその笑顔はまさしく鬼のそれ。
先程まで凍てついていた両者の間の空気が、今度はまるで帯電しているかのようにピリピリと張り詰めていく。
――――そうだ、これこそが何ものにも代え難い『闘争』の空気。肌を電流が駆け抜けて行くようなこの緊張感。ああ、なんと心地がいいのだろう。なあ、そうだろう? 我が同類よ――――
「そう、それでこそだよねお兄さん。飢えた私達が出会ってしまったのなら結局やることなんて一つしかない、全てはそこに収束する」
「なんというか、これじゃあ俺も今までの奴らと同じだよな……」
「まあまあ、そう卑下しなさんな。今までのが酷かったからってのもあるけど私的にはお兄さんの好感度結構高かったりするんだよ?」
「でもイカれた猟奇殺人鬼からの好感度が高くてもなあ」
「うわあ、今のでせっかくのポイントが水泡に帰したよ……自分だって殺してるくせにさ。勿体ないなー」
他愛のない、それこそ仲のいい兄妹がするような調子の会話をしながらもユウと、そして間違いなく少女の飢えは天井知らずに増大していく。
集中力は極限にまで研ぎ澄まされ、辺り一面に漂っていた血臭は消え、血だまりと無惨な死体達も視界から失せる。有象無象の情報など必要ない、捉えるべきはただ、目の前に立つ打ち倒すべき敵のみだ。
凝縮された時間と一触即発の空気の中で唐突に、まるで独り言のような語り口で少女が言葉を投げてきた。
「一つ、気になってることがあるんだよね」
「……………………?」
「さっきも言ったけど私は今まで出会った同類を例外なく殺してる。つまりは負けたことがないんだ。だからわからない。この飢えが求めるのは闘争で間違いはないんだろうけど、だったらその結末として突きつけられたのが敗北で、さらに命がまだある場合、私達はどうなってしまうのか。潔く敗北を認めて一時的に引くのか、それとも認めず命が尽きるまで闘争を続けるのか。……もしも前者なら私達、いい関係を築けると思わない?」
確かにそれは問いの形式を取ってはいるがそれだけで、こちらの返答は最初から期待していないのだろう。
それは正しく独り言で、故に少女は一方的に語り続け、
「……ただ。この闘争が終わった後お兄さんの心臓がまだ動いてるっていう、ちょっと難易度高い前提条件込みなんだけど、ねっ――――!」
そして勝手に締めくくった。
闘争の宴が幕を上げる――――。
「第一闘争」ってサブタイにも関わらず全然戦闘シーンなくてスミマセン。
この次はいよいよ――――なのでどうかご容赦を。