邂逅を告げる第一闘争 -Ⅲ
冴えない少年、燐堂ユウを突如として襲ったのは激烈なる謎の飢え。
意識を塗り潰さんとして湧き上がる狂気をなんとか押さえ込み、不安定ながらも正気を保った彼は状況打開のため街へと繰り出す――――
大見得を切って――とはさすがに言えないが何とかなるだろうと高をくくっていたのは紛れもない事実だった。だが無情にも、希望的観測はあくまでも希望のまま潰えようとしている。
比較的多様な店のある街の中心部、そのいたるところで様々な物を見て回ったが正体不明な飢えの琴線に触れるものはどうやら無いらしく、解決の糸口すら掴めていない。元々何の手がかりも持ち合わせていなかったので因果応報と言われればまったくもってその通りなわけだが。
空を見上げればあれほどの猛暑を齎していた太陽はすでに鳴りを潜め、肌寒いとまではいかないが涼しげな黒の帳が辺りには降りている。時刻はもう夜だ。
あの飢えは時間経過とともに再びその存在感を増してきており今や暴発寸前。外にいながら気がつけば日が暮れていたなどという間抜けな状況になっているのもそれを抑えるのに必要以上の集中力を要していたからなのだろうが、今重要なのはそんな詮無い自己弁護などより一刻も早く――理性が飢えで上書きされるより先に――我が家へとたどり着くことだった。
息は荒く足取りは覚束無い。傍から見て明らかに挙動不審なのが自分でもわかるため人目につかない裏路地を選んで先を急ぐ。
空には太陽の代わりに見事な満月。街灯のない裏路地で頼りになる光源として十分に機能しているほどなので今晩は一段と明るい。
しかし、精神に余裕が無いせいなのか飢えそのものの作用なのかはわからないが今の自分には日中から変わらず雲一つない夜空に浮かぶその満月がまるで巨大な何かの眼球に見えてしまう。
その幻の視線がまるで苦しむ自分を見下し嘲笑しているように思われて、訳がわからない故に遣り場のない自分が置かれた状況への憤慨を込め、恨めしげにそちらを睨みつける。
どん――と唐突に何か、というより誰かにぶつかる。
上空に視線が奪われていたからだろう、前方への注意が散漫になってしまっていた。
「あァ?」
見ればそこには絵に描いたような4人組の不良グループ。そもそもこんな時間に暗い裏路地を闊歩している人種など彼らぐらいなものか。
運動は別に苦手なわけではないが喧嘩にはそこまで自信がなかった――いやたとえあったとしてもおそらくは武器持ちで場馴れしているであろう4人相手に1人は無理がある――ので慌てて謝ろうと思い口を開きかけるが知らず知らずの内に唾液が溢れかけていたことに気がつき反射的に歯を食いしばってしまう。その行為が余計に彼らを刺激してしまったようだ。
不良達はどう見ても、キレている。
「いやいやいやいや、ヒトサマにぶつかったなら言うべきこと、見せるべき誠意ってモンがあるんじゃないの? 何? 無言って。なあオイ、にーちゃんよォ」
「つーかコイツ何か鼻息荒いし、ヘンタイさんなんじゃねぇ?」
「もしかしたら認知症とかかもよ? 夜遅くに俺らの縄張りフラフラしてたってことはぜってぇそうだって。ウチのジジィと同じだなあ若いのに大変ですねぇ」
ゲラゲラと巻き起こる下卑た笑いの渦。
好き放題言ってくれているがただの若年性認知症程度で済むならどんなに良かったことか。
こちとら今にも発狂しそうなんだよ。何だかさっきから飢えが凄い勢いで強くなってきてるし。ああくそそんなことより謝るタイミング完全に逃しちまったじゃないか。
「ヘンタイだか認知症だか知らねぇがよォ、どっちにしろ社会不適合者ならブチのめしちまったとして誰にも文句言われやしねぇよなァ?」
ポキポキと拳を鳴らす不良。
そして天井知らずに跳ね上がっていく飢え。その勢いは、もはや始まりの時よりも明らかに強く激しい。波濤の如く、暴風の如く、荒れ狂っている。
社会不適合者はどっちだ、などと威勢良く反駁する余裕は脳内にさえ既になかった。
「つーかむしろ感謝されたりして」
飢えの勢いに呼応するように動悸が一段と強くなる。過呼吸状態に陥り口元からは唾液がとめどなく溢れ出てきた。
理性は哀れにも捩じ伏せられ、精神が一気に侵食されていく。
氾濫する頭の中にあるのは純粋で強大な飢え飢え飢え飢え飢え飢え飢え――――
「世のため人のためじゃん最高」
不良達の声が遠のく。
耳朶を打つのは外界の雑音ではなく、己の内側から響く狂音のみ。
■■を。至高の■■を。唯一無二の■■を。一心不乱の■■を。
他には何も要らない、興味も無い。この飢えを、どうしようもない宿痾の如きこの飢えを、どうか満足させてくれ。
自分の中で叫喚する自分のものではないその飢えを前にして、抱く疑問はただ一つ。
――――ああ、こんな状態になってまで、俺は一体何に飢えているんだ
「それじゃ遠慮なく――」
そして、世界が時間を忘却する。
全てがスローモーションとなったその中で、狂気と渇望と怨嗟と慟哭とそして飢えが一緒くたに混交された声が、唯一にして最大だった疑問に、答えた。
地獄の底から響く、人を狂乱させ奈落へ誘う瘴気を孕んだ、鬼の声が。
――――答エハ簡単…………ソウ、「闘争」……サ。
耳で幻聴を、眼で振り上げられた拳を、それぞれ捉えた瞬間。今度こそ燐堂ユウの意識は狂喜乱舞する「餓鬼」の「飢え」に完膚無きまでに塗り潰された。
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