オレンジパイ
「リリー、お昼ご飯だよー。食べよう」
「やだ」
……お昼ごはん食べるのに嫌もなにもあるか。今食べないでどうする。
君島リリー。私の彼女。リリーの口ぐせは「やだ」。何も考えずにとっさに「やだ」と出てくる。だから本当の「やだ」か、口ぐせの「やだ」かを判断する必要がある。
伏し目がちで表情も固い彼女の本心を見分けるのは普通の人なら難しいだろう。
ちなみに今のはとっさに出てきた方で、事実、彼女は自分の弁当箱を持ってこちらに向かってくる。
「こうやって向かい合っても食事中は話さないのだから、一緒に食べる意味あるの」
私の前に座るなり彼女はそう言った。
「意味なんてないの。好きな人とご飯を一緒に食べる。幸せ。ね?」
私はお弁当の包みを解きながら答える。
「……」
「照れてるねぇ」
リリーは表情は固いが嬉しかったり照れたりするとわかりやすく顔が赤くなる。
そしてもうひとつのくせ。照れると前髪をくるくるいじる。巻いてはほどけるのを繰り返す。
かわいい。
「さゆ、そういうのはずるい」
さゆ、というのは私のことで付き合い始めたときに「長本さん」から変わった。長本紗雪です。元気に女子高生してます。よろしく。
非難がましい目を向けてくる彼女に「食べよう」と促し、二人で手を合わせていただきますをする。
「……」
「……」
食べるときは互いに無言である。なぜかというと、私の体質のせい。そしてそれは私たちが付き合った理由でもある。
以下回想。
「おりはらまひろです!1年C組でした!趣味はダンスです!よろしくお願いします!」
歯みがき粉かな。パチパチパチ。
私は共感覚というものを持っている。文字に色が見えるとか音に味を感じるとか、形があるとか。
「えっと、かいづかひろと、です。元Fです。あの、読書が好き、です。よろしく」
ゴーヤだ。苦い。パチパチパチ。
私は音に味を感じる。騒がしいところだと味が混ざりあってとても気持ち悪い。
「かみおかはるです。1Bでした。人見知りだけど、話すと面白いって言われます。気軽に話しかけてほしいです」
枝豆。パチパチパチ。
食事中に騒がしいとご飯がおいしくない。不便なことは少しだけ。別になくなってほしいとは思わない。
「きみしまりりー。D組でした。よろしくお願いします」
柑橘類。甘い。だけどこれは柑橘類じゃない甘さ。なんだこれ。食べたことない。でも美味しい。
私は思わず顔をあげて声のした方を見た。
二年生になり、また転校生として、自己紹介を終えた彼女は、他の人なんか興味がないというように右手で髪をくるくるいじりながら窓の外を見ていた。
角度のせいで表情は見えないが、どことなく憂いをおびたなんとなく近寄りがたい雰囲気。春風にゆれるブロンドの髪がいっそうそれを演出していた。
その後のクラスメイトの自己紹介はまったく耳に入って来なかった。自分もなにを言ったかも覚えていない。
ただこの時間が終わったら話しかけようと、あの美味しい味をもう一度聞きたいと、それだけだった。
自己紹介の後私は真っ先に彼女に話しかけに行った。
「君島さん。私とお話してください」
「やだ」
とりつく島も無いような言い方だった。
その日は家に帰って真剣に考えた。私の何がいけなかったのか。声が目的だと、下心があると気づかれたのだろうか。それともただ人が嫌い、もしくは照れ屋……なのだろうか。
なんにせよ話さないとわかるものもわからない。もう一度彼女の声を聞きたい。
次の日私はリベンジした。
「君島さん。私と」
「やだ」
次の次の日も
「君島さん」
「やだ」
次の次の次の日も
「きみし」
「やだ」
次の次の次の次の日も
「」
「やだ」
実を言うとこの辺りからもう声を聞きたいとは思っていなかった。
声をかけるタイミングをうかがっていた私はいつも彼女を目で追っていた。
落ちた物を拾う所作、風でなびく髪をおさえるとこ、授業中の真剣な顔、ときどき飛ぶ先生の冗談がつくる笑顔、体育は少し苦手らしく、よくボールを取り落とす。そして人と話す姿は一度も見なかった。
いつのまにかその姿の一つ一つがいとおしくなっていた。
自分でも驚いた。女が女に恋をするなんてそんなの小説の中だけの話かと思っていた。
それから私は今まで以上に彼女に話しかけた。
そのうち私が諦めるのを諦めたのか、話してくれるようになり、連絡先も交換した。
文面での彼女はとても素直だった。
照れ屋で上手く話ができない静かな彼女は、ハーフで他と見た目が違うことも合わせてお高くとまっている、と小学生のときに友達にいじめられたらしい。以来、最初から友達にならなければ傷つかないと、友達なんていやだと思っていたら口ぐせが「やだ」になっていたことを話してくれた。
だから今までのことはごめんなさい、と。
かわいい。いとおしい。食べちゃいたい
次の日私は告白した。
ぜんぶ。すべて。洗いざらい。共感覚持ちであること、最初は声が聞きたかったこと。
そして、好きだと伝えた。付き合ってくださいと。
「やだ」
やっぱり。女子同士なんておかしいよね。
「って言うと思った?」
……!
瞬間、私は抱き締められた。
「私も、好き」
以上、回想。馴れ初め。
ただのろけたかっただけ。リリーはかわいい。
「ごちそうさまで」
「待って」
手を合わせようとした私をリリーが止める。
「あのね、オレンジのパイ焼いてみた。私の一番得意なやつ」
そう言ってリリーは自分の机からタッパーを持って戻ってきた。
「あーん、して?」
目を瞑って、半分本気、半分冗談で言ってみる。彼女はまた顔を真っ赤にしてうろたえたが、うん、と了承してくれる。わお。とりあえず言ってみるものだな。
「あ、あーん……」
消え入りそうな声でそう言って、ぎこちなく私の口にパイを運んでくれる。
あ、これだ。