この子の笑顔は・・・
踏み出したはずだった。
重力に引かれ、体は傾きだしていた。
けれど、横からの衝撃に体制を崩してしまった。誰かが僕を右側から押し倒したのだ。そのまま屋上の硬いコンクリートの上に倒れこみ、背中を強く打った衝撃に咳き込む。
「ダメだよ、命を無駄にしちゃ」
そいつは僕に覆いかぶさったまま、淡々と語りかけてきた。
僕は咳を堪えながら、思ったことを口にする。
「な、んだ、お前・・・なんで止めた?」
「目の前で死のうとしてる人がいたら普通、止めるでしょ」
実際に止めたのは初めてだけど、と小さな声で呟く。
だいぶ冷静さを取り戻してきた。急速に頭が冷えていく。今の思考回路なら自殺は考えなかっただろう。
咳も治まり幾分か余裕を取り戻した僕は、僕の腹の上に馬乗りになりこちらを眺めているそいつを見る。
高校生くらいの女の子だった。綺麗に整った顔立ち、ショートカットの茶髪。服は僕でも知っているほど有名な進学校の制服だ。座っているから正確な身長はわからないが、平均より少し高いぐらいだろうか。
お互いに沈黙する。長く感じたが、おそらく10秒も経ってないだろう。
いい加減馬乗りを続けられるのも居心地が悪い。
「どいてくれないか?」
そう少女に聞く。
「もう、しない?」
少女は不安そうに聞いてくる。
自殺のことを言っているのは明らかだ。
「ああ、だからどいてくれ・・・」
調子が狂う。どうしてこの女は名前も知らない男のことをこれほど心配できるのだろうか。
少女は立ち上がった。
僕もそれに続いて立ち上がる。
少女は何か聞きそうにこちらを見ていたが、唐突に空を見上げた。
つられて、顔を上げる。ぽつ、と水滴が頬に当たった。始めは数滴だった雨は数秒後には土砂降りになっていた。
視線を戻すと、少女が屋根を求めて、貯水槽が設置されてある建物の陰に歩きだしている。
僕は1度、屋上の端へ顔を向ける。
僕は死ねなかった。
飛び降りようとは、もう思わない。少女が止める直前、空中へ体が傾き始めた時、確かに僕は死に恐怖した。
「僕は、生きる目的を無くしたっていうのに、死ぬ覚悟は無いんだな・・・」
自分が情けない。
とりあえず、このまま雨に濡れているわけにもいかない。建物の方に歩き出そうとした時。
「・・・ん?」思わず声がもれる。
病院の庭を挟んで向かい側の病室から視線を感じたのだ。その病室に眼を凝らす。
シャッと音が聞こえそうな勢いでカーテンが閉められた。
「誰かに見られたかな・・・」
見られたからといって、不都合がある訳でもないんだけど・・・。
「おーい」
建物の陰から、すでに座っている少女が僕を呼ぶ。隣のスペースを指差しながら、何してるの?と視線で問いかけてきている。早く来いということらしい。
服が雨水を吸い込みだしている。少し肌寒い、僕は急いで建物の陰に向かった。
...
貯水槽が設置されてある建物の陰に片膝を立てて座り下を向く僕と体育座りで空を眺める少女。病院の中に入れればいいんだけど、雨はかなり強く、フェンスを越えた先にある院内への扉にたどり着く頃にはずぶ濡れになってしまうだろう。とりあえず、雨が弱まるまでこうして待つことになった。
顔を上げ、この少女を見たときから聞きたかったことを聞く。
「お前、僕が屋上に来た時、」
質問しようとした僕の言葉を遮るようにして、少女は柊と名乗った。
「名前で呼んでよ、お前って呼ばれるの嫌いなんだ」
こちらを見てにこりと微笑むその顔には不思議な魅力があった。
「わかった。僕が屋上に来た時、柊はどこにいたんだ?」訂正し僕は聞く。
柊は満足そうに頷いた後に、口を開く。
「ここで寝てたの、君が扉を開ける音で起きちゃったけど」
ああ、納得がいった。確かにここは、さっき僕が見回した場所から死角になっている。気がつかないわけだ。彼女の瞳ははまた空へ向けられる。
「ここに人が来るの珍しいし、何してるのか隠れて観察してたら、飛び降りようとするんだもん・・・」
ホントびっくりしたよ・・・そう呟いた。
「止めてくれてありがとな、さっきはどうかしてた」
今でも椎奈が死んだことを受け止め切れてはいない。だけど、自殺なんかしたら、きっと椎奈は僕を許さない。そんなのはごめんだ。
「どういたしまして」
僕の眼をまっすぐ見て、柊はまた微笑んだ。
「・・・・・・」
今、わかった。この子の笑顔は、記憶の中の椎奈の笑顔と重なるんだ・・・。
...
どれくらい時間が経っただろう。30分は経っただろうか?
あれからしばらく、取り留めもない話をしながら雨が弱まるのを待ち続けていた。今はザーザーと雨がコンクリートを叩く音しか聞こえない。
会話が途切れた後も柊の視線はちらちらと僕の顔色を伺っている。
いい加減、無視するわけにもいかず尋ねた。
「そういえば雨が降る前、何か聞きたそうにしてたね。まだ何か、ある?」
聞かれることはほぼ確信していたが、あえて聞く。
彼女は僕の表情を横目で見たあとに。
「どうして、死のうと思ったのか、聞いていい?」
遠慮がちに訪ねてくる。
予想通りだった。
「僕もまだ、整理出来てないんだ・・・」
僕は用意しておいた言葉を返す。
柊は、そう、と短く答える。その表情に変化は無い。
彼女になら、話してもいいと思った。
「なんか、色々自暴自棄になって、生きていたって仕方ないって思ったんだ。今も頭の中ごちゃごちゃだ」
柊と目が合う。
「・・・だけど、言葉にすれば少しは整理出来るかもしれない、聞いてくれるかい?」
「うん」
柊は頷く。聞いたげる・・・と。
それから僕は、5日前に死んでしまった妹のことを、椎奈のことを話し始めた・・・。
雨はまだ、強く降り続いていた。
読んでくださってありがとうございます。Living proof、2話目です。
後書きを使って新キャラの補足説明をしたいと思います。
柊は17歳。高校2年生です。
ぼーっと何も考えずにしてるのが好きな子です。学校はサボりがちですが進学校に通っているだけあって頭はとてもいい。色白です。柊というのは下の名前で苗字はしばらく明かされません。というか、明かされるか謎です(笑)
これからもストーリーに大きく関わってくる予定・・・たぶん!。
全体的に暗い印象の作品ですが、しばらくは、明るめの予定です。
次回か次次回にはもう1人新キャラ出したいな〜とか考えています。