犯罪者になりたい
彼はホームレスである。
しかも新参者だ。つい三日前にアパートを追い出されたばかりである。
元来働き者で生真面目な彼がホームレスになること自体が、そもそもおかしな話なのだが、彼は何というか、イイ人すぎるのだ。我が身も顧みずに目の前の人のために努力してしまう、そんな人間だった。
こうなってしまうまでにはもちろん、一つや二つの理由で片づけられる経緯ではなかったが、そこはまぁ保証人であったり身代わりであったり詐欺であったりと、色々あったんだと察していただければ幸いである。
つまるところ彼は、何もかもを失ってめでたくホームレスになったのだ。
はい拍手。
さて、昨日までは誰かのために必死こいて働いていた彼であったが、今日からは自分のために頑張ろうと心に誓ってはみたものの、なかなかご飯にありつけない。生活保護の申請をして血税を無駄にするなどというのは論外として、ただで炊き出しをいただくという選択肢はもちろん、ボランティアのささやかな報酬すら高すぎると思ってしまう性分の彼にとって、ホームレスは根本的に向いていないと言わざるを得ない。
そもそも、ホームレスに限らず社会というものは小狡いものが得をするようにできている。善良なものが最後には勝利するなどという妄想は、虚構の世界でしか通用しない。であるからこそ虚構は尊く美しいのだ。彼はそんな、理想的な発想を具現化してしまったような人物であり、気の毒にも決定的にホームレスのできない人物でもあった。
しかし腹は減る。
彼とて人間なのだから当然のことだ。
だからといって、がめつくタダ飯に食らいつくということが彼にはどうしてもできない。何か対価が必要なのだ。そしてその対価を持っていない。今の彼に用意できる対価で、心おきなく食べる方法はないかと一晩考えた結果、一つの革新的なアイデアを思いつくことになる。
それがつまり犯罪者だ。
悪事という対価を支払うことで刑務所のご飯をいただく。刑期という対価を消費することで臭い飯にありつく。これが彼の妙案である。これなら困るのは彼だけで済むし、苦しい状況を耐えることでご飯を食べられるのなら自分を納得させることもできる。
いい考えだと、彼は朝日を見ながら思ったものだ。
とはいえ問題もある。
彼は生まれてこの方、犯罪行為というものを意識してしたことが一度もないのだ。無意識の内にならもちろんある。しかしそれらは、言ってしまえば道路の左側を歩く程度の些細なもので、とても犯罪と呼べるものではない。そんな程度で逮捕されるようなら、この世に誰一人残っていないだろう。つまり彼にとって犯罪とは、対岸の火事どころか海の向こうで起きたテロ事件みたいなものなのかもしれない。
そもそも、どうしたら犯罪者になれるのかがピンと来ない。
悪いことをすれば良い、という一点から具体的に何をするべき課までの道筋が完全に白紙状態なのだ。そしてもちろん、彼の性分として目の前にいる誰かに直接の被害が及ぶような行為はできない。できる限り迷惑の掛からない犯罪行為、それが必要だった。
無論、そんな都合の良い犯罪行為はない。
犯罪とは誰かにとって、あるいは何かにとって都合が悪いからこそ犯罪と認められるものであって、誰にも迷惑がかからなければ犯罪などとは呼ばれないからだ。
ともかく彼は、彼の考える悪いことをしてみることした。
まずは本屋で立ち読み。店員さんには多少迷惑だが犯罪ではない。
拾ったお金を募金箱に入れる。せめて自分で使え。
通行の邪魔になっている放置自転車を勝手に動かして整理する。誰も悲しまないどころか拍手喝采である。
とまぁ、こんなことを繰り返して警察が自分のところへやってくるの待っているワケだが、当然のように警察が彼のもとを訪れることはない。
当然である。警察だってヒマではないのだ。
一向に逮捕される気配がないことに焦った彼だったが、食べられないことよりも毎日悪事(と彼自身が思っていること)を続けることの方が辛くなってきた。仕方なく彼は、悪事一つに対して一つの善行を行うことでバランスを取ろうと考えた。
つまり落書きをしたら、その周囲をまとめて綺麗に掃除する、といった具合である。ごみを散らかして周辺を掃除する、少し壊して直すばかりか綺麗にする、そんなことを繰り返し始めるようになった。
悪行に比べると善行は気持ち的に楽なのか、すいすいとこなしてストレスも解消されていく。気づけば彼は模範的なホームレスとして市報でも取り上げられるようになっていた。
そんな彼の小さな悪戯が、逮捕されるなどという事態に陥ることはもちろんなく、笑って流されるだけである。ただ、当初の目的だった空腹の解消は、押し付けられるように渡されるお礼の品で満たされるようになっていた。
ちなみに、その様子を羨んで真似をしたホームレスがいたが、数週間後に報酬を巡るトラブルで逮捕されている。
世の中というのは、ままならないものである。