聖剣が世界を救ったようなのだが!
本筋から脱線しました…。
初めて『それ』…いや、『彼女』を見た時、妙な縁を感じるものだと思っていた。
懐かしさと言うべきか、郷愁と言うべきか…とにかく、そんな感情に埋め尽くされる。ひどく混乱したのを今でも覚えている。
不思議なものだ。
なぜ『彼女』にそんなものを感じてしまったのか…。頭をひねるばかりだった。
我は竜人と呼ばれる種族に生まれた。生まれた時から、人族の赤子よりは少し大人びている竜人の中でも、さらに我は冷静な赤子であった。何故なのかは分からなかったが、我は生まれた時より自分を赤子ではないと感じていたのだ。
意味は分からなかったが、自分の姿を鏡で見ることも嫌いだった。竜人とはドラゴンと人間、ふたつの顔を持つ種族であり、巨躯なドラゴンになることも角だけを残した人族に近い形をとることも、顔はドラゴンのままで大きさだけを人族に近付けることも可能だった。我は若い故に人族に近付けることは難しく、顔はドラゴンのままで、そんな姿を鏡で確認することがひどく苦痛だった。我は竜人としての誇りを持っている。竜人として生まれてきたことも、誇り高い一族であることも、理解はできる。なのに、なぜ、自分の姿が自分では無いような気がするのか。分からないままに歳を重ねて、年々、そんな思いも薄れてきた。
一族を率いる者の血筋であったことから、我は若くから冒険者になり世界を見て、他の種族と交流を大事にしてきた。
そんな我は、世界を見る中で、一つの結論を見た気がした。元々、我が竜人として生まれたことから、そう感じていたことであった。
『ここは異世界である』
意味の分からない結論に愕然としたのは当たり前だった。我にとっての世界は『ここ』しかない。なのに、なぜここを『異なる世界』と感じるのか…。不思議でしかたがない。
だが、妙に納得してしまったその結論に、我は人知れずに涙を流したのだ。
『もう帰れない』
『もう会えない』
『もう…』
いったい、『どこに』帰りたかったのか?『誰に』会いたかったのか?
わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない…
まったく分からない。だが、我は『帰りたいどこか』があったのだと…そう思うことしかできなかった。記憶をたどっても、卵から孵った以前のことは思い出せないのだ。とはいえ、それより以前があるはずもないのだが、それでも、我はずっと大昔にその『どこか』にいたような気がする。それは、こことは違う世界なのだろうか?
この世界で生きてから、どれくらい経っただろうか?大昔から問題になって来た『魔王』という悪意の塊が多大な脅威になりつつあった。世界は憎しみや悲しみに包まれる。そんな世界が続こうとしていた。
ある時、まだ人族に近付ける変化はできなかったが、冒険者として旅を続けていた時、たまたま知り合った気のいい男が、急に鍛冶職人になる、と言い出した。結婚するんだ、と嬉しそうに笑う男を祝福し、我は再び旅に出た。
数年後、彼に子どもが生まれたと、共通の知人でもあった羊の獣人から聞いた。獣人の彼も変わった男だった。執事として仕えている商人の主人に傾倒していて、主人の養子になった少年が将来、冒険者になりたいと言うので、その為に教えられることがあればと、空き時間で冒険者として働いているという。
鍛冶職人の弟子になった彼に会いに行こうという気になったのは、獣人の彼が、会える時に会った方がいい、と言った言葉だった。この世界は人の命が軽いのだ。悲劇は日常、どこにでも転がっている。つい明日には、誰かが死ぬかもしれない。誰かが『魔族』に落とされるかもしれない。強靭な肉体を持つ竜人族であったとしても、憎しみや悲しみを持たずに『魔王』に相対せるはずがない。明日は我が身だ。誰が『魔族』になってもおかしくない。ただ『魔王』に会うか会わないかで、運命が分かれるだけの危うい世界に我たちは生きているのだ。
会いに行ったとき、彼は数年前に別れたときと同じ笑顔で我たちを迎えた。
「なんだ、なんだ?!珍しいな。お前らが訪ねてくるなんてよ~」
嬉しそうに笑う彼を見た時、来てよかったと思った。変わらない彼が嬉しい。
「息子がうまれたと聞いたぞ。父親になった感想はどうだ?」
勧められた椅子に腰を掛けながら、尋ねると、彼はぶはっと吹き出す。
「おいおい!何年前の話をしているんだ?!俺の息子はとっくにハイハイも終わっているぞ!」
む?!そんなに時間が経っているのか。
「話を聞いたのは最近だからな。いつ生まれたかまでは知らなかったな」
「息子さんは今はどちらに?」
「残念だが、嫁と実家に行っているよ。帰りは三日後だ」
そうか、会えないかもしれないな。
「お!そうだ!代わりに新しい俺の『息子』を紹介するぜ!!」
彼が満面の笑みで立ち上がり、軽い足取りで、部屋を出ていく。意味が分からずに元執事と顔を見合わせて首を傾げた。ゆっくりと彼の家を見回す。
彼の家は暖かいものに溢れていた。殺伐とした世界の中でも、彼の周りにはいつも優しい空気が漂う。竜人の我は魔法も使えるが、その他にも特殊な能力として物や人の想い、空気を読むことができた。そんな我は、彼の空気感が好きだった。朗らかな暖かな光のような優しい空気。彼の作り出す武器はきっと素晴らしいものになるのだろう。
「おう、待たせたな。俺の新しい『息子』。第一号の剣だ!!」
『彼女』を見た瞬間の我の心情は、計り知れなかった。
「ほう!ロングソードですか?」
「…」
「俺が一人で作った第一号なんだ!自信作だぜ!!」
彼はしきりに自慢している。だが、我はそれどころではなかった。
胸に飛来するのは、郷愁。なぜだ?それに、『息子』という彼に対して、なぜ『彼女』だと思うのだろう?
「…触ってみても?」
彼が快く差し出す剣に触ると…。
(わぁ!トカゲ!トカゲじゃない?!すご!すごい!!異世界?ここは異世界なの?)
あぁ、『同郷』だ。そう思った。『彼女』の感情が、素直な想いが伝わってくる。
(あれ?羊の執事?!執事の羊?!ネタ?!ネタなの??)
……吹き出しそうになった。
じっと覗き込むように見つめる。
(ちょっ!!近い、近いって!!おじさんのお友だちにまで熱烈な挨拶は求めてませんから!!)
挨拶?
(……はぁ、『剣』に生まれて初めてのキスがおじさんだなんて……)
…少し同情するな。どうやら友人に熱烈なキスをされたらしい。それを思い出しているのか。
(…あれが剣生初のキス…ファーストキス…)
(いや!むしろ、あれは人工呼吸だ!!マウストゥーマウス!!ひっひっふー!あれ?これはラマーズ法か?私は妊婦かーー!?)
……笑いを堪え切れないかと思った。
いい剣だ、と友人に伝えると、彼は満足そうに笑う。
あぁ、本当にいい剣だ。『彼女』は間違いなく、あの『どこか』からやって来た『同郷』なのだろう。我は一人ではないのだと思えた。
『彼女』に何かを言いたかったが、友人たちに剣に話しかける変なやつと思われるのが嫌で、その場では何も言えなかった。
その後、何度か『彼女』が置かれるようになった店に行って、『彼女』に話しかける機会を伺っていたのだが、あまりにもご機嫌に独り言を喋る『彼女』に完全にチャンスを失った。
(イケメンは正義!やっぱり、選り好みは大切だよね!わりとイケメンでも手汗兄さんはいやだ!)
(あっ!トカゲさん!また来たの?トカゲさんが来るとおじさんが喜ぶんだよね~♪いつもありがとうございます!って聞こえてないんだけど)
(トカゲさん、トカゲさん。羊の執事さんはいっしょじゃないの?もふもふは?もふもふ!)
(ぐ~、す~)
(トカゲさんがイケメンだったらな~。こんなによく来てくれるなら、大事にしてくれそう)
(あっ!雪?トカゲさん、頭に積もっていますよ!雪降ってるの?!粉~雪~♪)
(カレーライス、オムハヤシ、カップ麺、焼肉…。くそぅ!口さえ有れば!!)
(トカゲさん、トカゲさん。お友だちにイケメンさんはいませんか?私、嫁ぎ遅れそうなんです!切実なの!)
完全にチャンスを失い触れなくても声が聞こえるようになっていた。いつも『彼女』は楽しそうだ。誰とも話せない、誰とも関われないにも関わらず、剣生を謳歌しているように見える。会いに行くと、聞こえないと思っているからか、愉快に話しかけてくれる。時々、寝ている時もあったが…。
我が聞こえていると知れば、羞恥でもう話してくれない気さえした。それくらいに『彼女』の独り言は…その…すごかった。
そんな時、いつものように店に行くと、『彼女』はいなかった。友人の息子と旅立ったと聞かされた。
「それは良かったな」
「なんだ?気に入ってたんじゃないのか?」
友人はいつも来るのに、『彼女』を買わない我を不思議に思っていたようだ。
「いや、我はあの剣には相応しくない」
おかしなことを言うなぁ、と笑う友人。
『彼女』が出会えた彼の息子がいい人間だといい。『彼女』の前途を祈らずにはいられないのだ。
しばらくしたら、もう一度、会いに行こう。きっと『彼女』はまた、楽しそうに「トカゲさん、トカゲさん」と話しかけてくれるに違いない。
そう思った。
そう思っているうちに、冒険者の間で、不思議な剣の噂が流れだした。『魔王』に汚染されて『魔族』になってしまった人間を元に戻すことができる剣だと言う。
それを聞いた瞬間!あぁ!『彼女』だ、と思った。
(あっ!トカゲさん!!勇者!トカゲさんだよ!おじさんのお友だち!)
「竜人の長!お久しぶりです!!」
我に気が付いた友人の息子はこちらに頭を下げる。
「久しいな。元気そうで何よりだ」
たまたま立ち寄った街で勇者が来ていると聞いて、会いに来てしまった。やはり『彼女』は変わらずに我を呼んでくれた。すでに人族の形になれるのだが、『彼女』に気が付いてもらえないことが嫌で、あんなにも拒絶していたドラゴンの顔のままだった。
しばらく、旅の道連れになったのだが。
(!!?トカゲさんが!!トカゲさんが!!まさかの美青年?!なんてこった!盲点だった!!)
我の人族化を見て、『彼女』が叫んでいる。
……吹き出すところだった。
(いやいや!浮気はよくない!私には勇者がいるじゃない!!)
『彼女』は相変わらず過ぎて、笑いを堪え切れなくなりそうだった。
勇者はどうやら『彼女』の声を聞くことはできないようだった。
だが…。
さわさわと吹き抜ける風に。
(ねえ!勇者!風が気持ちいいですね!)
「…風が心地いいな」
街の祭りの最中に。
(勇者、勇者!あっちに行ってみよう!あの屋台が見たい!)
「あっちに行ってみるか」
戦いの渦中に。
(勇者!あっちの魔族を先に倒して!!)
「あいつが先だ!!」
聞こえないはずの声に、想いが届いているかのような『2人』の様子に、我は嬉しくてたまらなくなる。涙が出そうなくらいに、嬉しくて嬉しくて…。
「……いい男に会ったな」
食堂で勇者と2人で食事をしていた。勇者が席を立っている間に、呟くように『彼女』に話しかける。
(でしょう?でしょう?!勇者は私の唯一なんです!出会えて本当に幸せ!!)
思わずふっと笑みが零れる。
ちょうど勇者が戻ってきたところだった。
「お前が幸せそうで良かった。元気でな」
(…え?トカゲさん…まさか…?)
「ありがとうございます?竜人の長」
意味が分からず首を傾げる勇者と我が声が聞こえているのでは、と考えている『彼女』に別れを告げ、我は一人で旅に出る。
勇者と共にいた『彼女』と会ったのは、それが最後だった。
封印を施したと聞いた時、優しい勇者の決断に悲しくなった。あんなにも近くにいた『2人』を引き裂く結末になったことに…。人間と言うのは本当にどうしようもない生き物だな。なぜ、何かを失いながらしか生きられないのだろう?なぜ、今あるモノよりも多くのものを欲するのだろう?世界を救った『2人』を犠牲にしていいはずがない。
『彼女』は悲しんでいないだろうか?『彼女』は絶望しなかっただろうか?勇者に裏切られたと思わなかっただろうか?
勇者とともに我は『彼女』のいない戦場に立つ。勇者は、たった一人、皆を引っ張っていった。そこには、『彼女』の力に頼るだけの男はいない。やはり、彼は『彼女』が選んだだけの勇者だ。
「声…ですか?」
まるで、通じあっていたかのような『2人』につい、訊ねてしまった。
「あぁ。あの剣は意志があると言っていただろう?声が聞こえたのかと思ってな」
勇者は口元に手を当てて、目線を下にやり、考え込む。
「…時々。頭に声が響くことがありました。
優しい声…。最後に…封印を施したとき、『また冒険に行きましょう』と言っていました。
あれは…聖剣の声だったのだと思います」
悲しそうに言う勇者。剣の声が聞こえたなど、おかしな話だと笑われそうなことを、強い確信を持っているかのように言う。
「俺はもう一度、聖剣に会いたいです」
「…そうか」
『彼女』の声は届いていた。『彼女』は最後まで勇者のことを信じていたのだ。
『彼女』にもう一度、我も会いたいと思う。だが、同時に会いたくないとも思う。『彼女』の封印が解かれるのは、恐らくは、再び世界が災厄に見舞われた時なのだろうから。
あの『2人』の時間を犠牲にしてできた『魔王』という脅威のない世界。それが壊されるということだ。それだけは許されない。救われた世界を守りたい。勇者が国の王となり子を成し、人族としては若くして命を失った時、我は世界を守ることを誓った。優しい『2人』が作り上げたこの世界を。
『彼女』と勇者の絆が世界を救ったのだ。
『トカゲさん!トカゲさん!!生きていたんですね!また会えてうれしい!!』
封印から150年。再び、『彼女』と『彼女』が選んだ2人目の勇者にまみえることになろうとは、我は思わなかった…。『彼女』が人の形をしていることに驚いて固まってしまうことになることも…我は全く思わなかったのだ。
誰にも聞こえていないと思っている独り言が、実は一人には全部聞こえていたと気が付いた時、きっと『彼女』は羞恥で死ねる気がします。かなり恥ずかしいですよね。