アレスと手紙
アレスさんがただの(?)薬師だった頃のお話。
薬師アレスの所に一通の手紙が届いたのは、ある夏の日の午後だった。
「アレスさん。ステム村のトリスさんからお手紙です」
「わざわざありがとうございます」
郵便機構が確立していないこの国では手紙などは行商人に託すのが一般的だ。
空の薬箱と手紙を受け取ったイリーナは代わりに薬の瓶が詰まった箱を行商人に渡す。
「実はね、おとついから『ゾンビ王子探し』が始まっていましてね。おもしろいものを見つけたんで」
表に怖いゾンビ、裏に可愛らしいお姫様の絵柄が描かれた小さな太鼓。
左右両端に小さな玉が付いていて、太鼓に突き刺さっている棒をくるくる回すと太鼓に玉がぶつかって「ぽんぽん」と音が鳴る。ちょっと変わった形のがらがらだ。
「う~ん。どうしましょうか?」
『魔女に呪いをかけられた王子。ゾンビになって姫食べた。はかなし王子、暗い森で姫を探している』
そんなわらべ歌で知られるゾンビ王子。
その王子に襲われたと国王が騒ぎ出したのは、イリーナの生まれる10年ほど前だ。
以来、不定期で『ゾンビ王子探し』のお触れが報奨金付きで出るようになった。
『ゾンビ王子探し』はいつの間にかお祭りと化し、期間中、王都にはゾンビ王子クッキーやらお姫様飴やらを売る屋台が立ち並ぶようになった。その総利益は、報奨金の何十倍にも及ぶらしい。
イリーナはかなり悩んで、息子に判断させることにした。
息子のレイはお昼寝中に抱き上げられて少々不機嫌だったが、行商人がレイの前でおもちゃを動かすときゃきゃと喜んだ。
「でも、王都の方なら普通のお値段でしょうが、私たちにはちょっと……。子供もすぐ大きくなってしまいますし……」
◇
お互い妥協できる値段でおもちゃを買うことができたイリーナは、薬の代金を受け取って扉を閉め、夫であるアレスに小声で呼びかける。
「アレス」
昼夜逆転の生活を送っている夫は、今の時間は寝室で寝ている。
かすかに動く気配がしたので、もう少し声を大きくする。
「お義父様からお手紙」
「どうせ、孫を見せに来いって催促の手紙だろう。春に連れてったばかりなのに……ほっとけばいい」
アレスは不機嫌そうな声で寝室から出てこようとしない。きっと上掛けをかぶりなおしている。
(そりゃ毎日は無理だけれど、どうせ隣の村なんだから、もう少し会いに行ってあげればいいのに)
字が読めないイリーナは手紙の封を切ることなく机の上に置いた。
「机に手紙置いときますから、忘れないで下さいね」
この手紙が日常の崩壊を告げる手紙だと知るのは翌日の明け方のことだ。
◇
その日の夜。
アレスは妻イリーナと月見をしていた。
今夜の半月はきれいだ。
「なあ。もうそろそろ……」
ドンドン !
アレスの言葉は玄関の扉が叩かれる音に消え去り、二人だけの空間は消えた。
「誰だ。こんな真夜中に」
執拗に扉を叩く音に、妻は身を硬くしている。
まだ幼い息子が起きださないうちに早くあの音を止めないと。
この時点でアレスは思いっきり不機嫌になっていた。
それでも、懇意にしている医者なら許せるが、その医者とも気配が違うし、彼が叩くなら店の玄関ではなく裏口のほうのドアを叩くはずだ。
もう、村の人々は全員眠りについているだろうに……
一応、後ろ手に雷の蛇を用意しながら扉を開ける。
「君がアレス君か?」
光沢のある服を着込んでいるでっぷり太った爺と、大きな胸がこぼれ出そうなほど襟が開いたドレスを着た妙齢の女性だ。
当然、ただの庶民であるアレスにはこんなきらびやかな知り合いはいない。
「どなた様で……」
こんな貴族様か大商人様かが、田舎の薬師に何の用だ?
貴族様直々に税の取立てと言うわけではなかろう。そもそも税金はきっちり払っている。
それとも都の大商人が薬を安く売っているアレスに文句を言いに来たか?
「ここでは人目に付く。中に……」
(いや。勝手に押しかけといて、何で家に招かなきゃならんのだ)
暗殺用の薬が欲しいとかそういうことだろうか?
夜の闇に溶け込んで、何かが動いた気がした。
(うちはそういうのやっていないんだがなぁ)
アレスは妻が奥に引っ込んでいるのを確認して、客人に中に入るよう顎でしゃくった。
普段ほとんど使わないランプに火を灯し、夕飯の時に代えたきりの限りなく水に近い茶を渡す。
客人は湯気一つ立ててない茶と店に一脚しか用意されていない椅子を眺める。
もちろん、一脚しかない椅子はアレスが座る。
家の中にはもう二脚、自分用と妻用があるが、こんな無礼な客にわざわざ運んで来るつもりはない。
「アレス・ラハード殿にはわが娘と――」
「ラハード?」
アレスは樽貴族の言葉を最後まで聞かずに遮った。
アレスの姓はフォレストだったはずだが。
姓自体あまり庶民にはなじみがない。彼の姓も、実家が森に近いから付けただけで、名乗る機会もほとんどなかった。
「あなた様は、王家の血を継いでおられます。それも第一王子よりも高い地位にあられます」
第一王子……。国王陛下が、『自分の子供じゃない』とか言い出して、王位継承権でかなりもめていて、三十近くになった今も、まだ王太子になっていない。
国王は女好きで……
「つまりは、貴様は夜中にうちの母が不義を働いたと伝えに来たのか?」
八つ裂きにしたい気分になったが、なんとか押し留まる。
普通の人とは違って、本当にたやすく八つ裂きにできるのだから、怒りに任せてなんてことにならないように注意しなければならない。
「いえ、いえ、あなた様は正しくシャムロック様とロザリー様の実の息子です」
非常に周りくどい言い方をされているが、聞いたことのない名が頭に引っかかる。
「シャムロック?」
「お父君の本名でございます。死霊王子シャムロック・ラハード」
死霊王子。一般的にはゾンビ王子の名で庶民に親しまれている王子は、数百年前に、実在した人物らしい。
(ダメだ。医者を呼ぼう)
「我が娘と結婚していただきたく」
「女は嫌いだ。せめて胸を削ってから来い」
もう、ざっくり。
そもそもアレスは既婚だ。
いつもはもう少しましな言い方もできるが、夜中に押しかけて、もうじき五十歳になる父を何百歳とか、王家の血とか、既婚者に結婚しないかとか……阿呆なことをぬかす輩に付き合ってられない。
「あんた、その爺さんの娘ならそのぼけた爺さんを連れて帰ってくれ」
「わたくしは心からお慕いしておりますわ」
(会って十分も経ってないのに、よくものうのうと)
もう少し奥ゆかしくならないか。ご令嬢はアレスにペッタリと寄り添おうとする。
彼女の手を触るのも嫌だったが、女の手を思いっきり引っかいてやる。
さすがに女は「きゃっ」と悲鳴を上げて、手を引っ込めた。
「まさか男のほうがいいのか?」
樽貴族の言葉に頭の中が煮えたぎった。
冷静さを取り戻すため、戒めの呪句を心の中で唱える。
(神を従わせるのではなく、神の力を借りていることを決して忘れるな。
汝らは神に声を届けられるが、神の声を聞く耳はないのだ)
「殺されたくなければ、さっさと帰れ」
「ここよりかうーんと幸せな暮らしを保障しますわ」
甘ったるい笑みが、ランプの炎に浮かび上がる。
ぷちっ
◇
老人と美女があられもない姿で、木に吊るされている。
「イリーナ。蜂蜜」
「いくらなんでもやり過ぎです!」
アレスの妻、イリーナは顔を真っ青にして、夫の腕を掴む。
「こいつら、俺が『うん』と言わなければ俺を無理やり連れて行くつもりだったんだぞ。こんなの庇う必要なんてまったくない」
隠れていた外の兵士はアレスが雷の魔法で気絶させた。
「愚民が! こんなことして、ただで済むと思うな! 村一つ焼き討ちにするなど容易いのだからな!」
「燃やしたいなら、勝手にすればいい」
「アレス!」
もともと村の住民とは仲が悪かったのである。焼かれようが、刻まれようが知ったことではない。
「もうすぐしたら夜が明ける。村人に忠告ぐらいはしてやってもいい。『このじじいは村を焼き討ちにする気だ』ってな。武装した兵を見て、彼らはどう思うかな?」
老人は顔を引きつらせ黙ってしまう。
(そういえば、昨日の夕方、父さんから手紙が来ていたな)
アレスはこの時になって、ようやく手紙の存在を思い出した。
『孫を見せに来い』という催促の手紙かと思って開けもしなかったが……。
アレスは家に戻るとその手紙の封を切って、一読する。
短い文だったが、その一文から、すぐに目を離すことはできなかった。
「どうしたの?」
『変な勧誘にひっかかるな』と言う内容だった。
なぜこのタイミングで、わざわざこの手紙が送られてきたのだろう。
貴族の言うことが完全な戯言ならこんな警告めいた手紙は送られてくるはずがないのに。
「今から、実家に行くぞ。急いで準備しろ」
「は!? この人たちはどうするの!?」
「誰か親切な村人が降ろしてくれるだろう」
貴族が乗ってきた黒塗りの馬車を拝借することにして、財産の1/3を貯蔵庫に残したまま、残りの2/3をイリーナ3:アレス2の割合で分ける。
あまり顔色がよろしくない妻を安心させるためアレスは少し迷った後、声をかける。
「ここは王家の直轄領だ。貴族でも好き勝手に燃やせないだろう」
実際に村に火を放つ可能性は少ないが、知り合いの医者には念のために忠告だけしておこう。
◇
「こんな夜遅くにどうしたんだ」
「気に食わなかったから貴族を吊るした」
「は?」
知り合いの薬師の言葉にあっけに取られている医者に、アレスは日持ちしない野菜と肉、それに薬草の束を渡す。
「しばらく家を空けます。肉と野菜はそちらで使っていただけるとありがたいです」
アレスが言葉を切って、妻を見る。
アレスの口からはそれ以上“無駄”なことを言うつもりはないと察したイリーナは視線に促されるまま、言葉の先を継ぐ。
「貴族は、村を燃やすかもしれません。
もしも、本当に村を燃やそうとしたら……両親をお願いできませんか?」
「……よくわからんが、 ……わかった」
イリーナの両親はこの村に住んでいる。
アレスがやらかしたことを知ったら、貴族にアレスの実家の場所くらい平気で教えそうな“村の住人”であるが、それでも実の両親だ。
医者は困惑したままだが、イリーナの切羽詰った表情に気圧されるように頷いてくれた。
◇
夜が明ける直前。
黒塗りの馬車に妻と息子、飼い猫、隙間にできるだけの食料を積み、アレスは実家があるステム村に向かった。
◇登場人物紹介◇
アレス・フォレスト……薬師。極度の女性嫌い。この時点では女性嫌いのピークに達していて、人間嫌いも併発しかけている。後の初代ウエストレペンス伯爵。魔法が使える。
イリーナ・フォレスト……アレスの妻。女嫌いな夫のために男装している。
結婚して、夫の引きこもりが進行したことを心配しており、別れたほうがアレスのためではないかと思い始めている。
レイ・フォレスト……アレスとイリーナの息子。まだ一歳と数ヶ月。
医者……ベイル村の医者。昔は隣村のトリスの所に薬を買いに行っていた。
高齢になり後継者を探していたところ、ちょうどアレスが実家を出たがっていたため、ベイル村に呼んだ。
トリス・フォレスト……アレスの父。薬師兼教師。息子に謎の手紙を送る。
ナナ……アレスの家の飼い猫。




