ピンクの髪の侍女
リリーが生まれる前の話です。本編とあまり関係ありません。
「その子、抱きたいんだけれどいいかしら」
「もちろんです」
ある日、自分の赤ん坊に近づこうともしなかった王妃が第三王子を抱きたいと言い出したのだ。
王妃様が息子に愛情を向ける気になったのか。
まだ十五歳だった私は喜んで、王妃様に赤子を手渡そうとした。
「お気をつけ下さい」
王妃様にそう声をかけて。
だが、私の手が赤子から離れる寸前、王妃様がわずかに手を引いたのだ。
「きゃぁー!」「王子様!」
落ちる直前で私は慌てて赤子を抱え直すことに成功した。肝が冷えた。足ががくがく震えている。
「アリア! あなたがしっかり渡さないから!!」
周りの侍女達が悲鳴を上げ、私を叱責する。
自分が叱られたことよりも、王妃がわざと落とそうとしたことが何倍も恐ろしかった。
王妃のガラスの表情が薄ら寒くさえ感じた。
ここにいたら、王子は生き残れない。
◇
一ヵ月後、転機は訪れた。
死霊王子が現れたという噂が立った数日後、城の壁が突然消えた。
慌てて城の外を見ると、二十歳くらいの男が兵士の間を悠然と進み、城門を抜ける所だった。
城門を守っていた兵士はばたばたと倒れる。
普段なら恐ろしいと思うのだろうが、今の私にとって、彼は救世主だ。私は彼の姿を目に焼き付けた。
直後、壁が無事だった別館に移動することになった。
私は第三王子を抱いたまま、混乱にまぎれて避難の群れから外れた。男を捜す。
兵士の話を盗み聞く限りでは、もうその男は用事を済ませて城門に向かっているそうだ。
間に合わないのだろうか。そう思ったとき……
捜し人は庭にいた。
こんな、見通しの良いところではすぐ捕まってしまう。でも、チャンスは今しかない。
私は、農民の服に身を包んだ彼に突進した。草の匂いがした。
「助けてください!」
「いきなり会った女を助けてやる義理はない。さっさと離れろ」
男は即座に答えるが、そう言われても、こちらも引き下がれない。
「この子を、母親と兄に殺されそうなんです!」
私は手の中に抱いた赤ん坊を男性に押し付けた。
彼は、それまで不機嫌そうな顔をしていたが、反射的に城を見上げた。
この子の正体を悟られたのだ。
「この子は男の子か?」
彼はすやすやと眠る赤ん坊に視線を落とし、太陽の光を受けてやわやわと光る髪を撫でた。
「はい」
その答えでようやく彼は押し付けられた赤ん坊を抱く。
「俺のところの子供になるか?」
赤ん坊は目を薄く開け、あくびをするとまた眠りに付いた。
まさか、引き受けてくれるとは思わなかった。ほっと息をついた私に彼は子供を抱きながら問う。
「おまえは逃げる準備はできているのか?」
「えっ?」
もちろん私も逃げることは考えていた。
だが、まず第三王子を逃がすことが先で、その後逃げようと思っていた。
「このままじゃ、捕まって拷問を受けるだろう。
お前達はしばらくそこに隠れていろ。後で何とかする」
彼がそう言うと外壁の一部にやっと人が一人通れるほどの穴が開いた。
◇
生垣に身を潜めて息を殺す。赤ん坊が泣き出さないか、ひやひやしながら、何分待ったろうか?
がさりと草が鳴って、心臓が飛び上がる。
「無事だったか」
見知らぬおじいさんが立っていた。目を見開いている私に、見知らぬおじいさんは短く答える。
「これは、知り合いの医者の姿を借りたんだ」
彼は庶民風の婦人服とフード付きのマントを渡し、替わりに赤子を受け取るとぼそりと言った。
「さっさと着替えろ」
私が急いで着替えている間に、
「風よ」 何の予告も無くいきなり風が私の髪を切った。
「光よ」 今度は栗色の髪が瞬時にピンク色の髪になる。
「目と髪の色を変えた。一ヶ月以内に元に戻る。
後はそばかすを消したから、よほど注意して見ないと分からないはずだ」
彼はそう言って、脱いだばかりのメイド服を問答無用で燃やした。
そして、財布を丸ごと私に持たせた。
「俺ができるのはここまでだ。こっちは気にするな」
「あの……」
彼は赤子を抱いたまま、一度だけ小さく頷いて、雑踏の中に消えていった。
◇
第三王子はあの事件の直後、病にかかって死亡したと発表された。
見つかって秘密裏に殺されたのだろうか?
髪をピンクに染め続けたまま、私はあの男を捜した。
あれから、五年、いや六年……。
赤ん坊が生きていないのなら、男も秘密裏に殺されたのだろうか。
半ば諦めていた頃、新しくできた伯爵家が侍女を募集していたので、応募してみた。
そこで会ったのは……服装は違うが、あの男性とそっくりな伯爵だった。
「アリアか」
伯爵は履歴書に目を落としたまま呟く。
「さすがに王城での侍女経験は書けないか」
身を硬くした。やはり、あの子を救ってくれたあの人なのだろうか。
問いただしたい。でも違っていたら。
「いい。今は俺と君しかいない」
「あの子、は?」
「健やかに育っている。採用だ。子供達の面倒を見てくれ」
涙が、あふれた。
◇
私はこのウエストレペンス城で侍女として働き出した。
伯爵は庭園でくつろぐのが好きで、紅茶を片手に本を読んでいる。
読んでいるのは古い時代の薬学書がほとんどだ。
そういうときは、庭園で一番美しいバラを花瓶に飾るのだ。
「君は、いつも赤を飾るのだな」
「お嫌いですか?」
「いや。そんなことはない」
伯爵はそれだけ答えるとまた視線を薬学書に戻した。
そこに、薔薇の茂みから双子のようにそっくりな子供たちが這い出てくる。
「こら、入ったらダメって言っているだろう!」
さすがの伯爵も立ち上がって、子供達を捕まえようとするが、
「ちゃんと危ないとこは避けているよ!」
「兄ちゃん待って~」
あんなスピードで走り出されたら、不健康生活まっしぐらの伯爵には追いつけない。
伯爵は、はあっとため息を零し、椅子にどっかり座り込んだ。
「棘が目に入ったら目が見えなくなるって言っているのに聞きやしない。絶対マルスに似たんだな」
確か、伯爵の弟がそういう名だったはずだ。
「伯爵さまでも、困ることがあるんですね」
笑いが自然とこぼれてしまう。
なんでもできる魔法を持っていても、子供には叶わないようだ。
「もう、この際、実力行使でもいいから、バラの下に入るのをやめさせられたら、給料値上げするよ」
兄のレイ様と弟のイリア様は本当にすばしっこくて、伯爵の実力行使をかわしている。
子供達からしたら新しく広い家で、冒険したい気持ちも分かるのだが……
「目が行き届かず申し訳ございません。必ずやめさせて見せますわ」
『お仕置き』の方法を考え始めた私に、伯爵はいつも以上に難しい顔をして、彼は王家の紋章の封蝋がなされた手紙を見せた。
「王城からの手紙だ。王妃がこちらで静養したいそうだ」
◇
私達、ウエストレペンス城の一同は整列して、王妃を迎えた。
「王妃様こんにちは」
「シロツメクサの冠です」
何も知らない伯爵令息二人が、白い花でできた冠を差し出す。
王妃が少しだけ身をかがめると、兄弟は王妃の頭に冠を載せた。
「ありがとう」
王妃が微笑んでそう答えると兄弟はそろってにっこり笑う。
王妃には、冠も兄弟の笑顔も受け取る資格はないのに。
◇
私は王妃に茶を注ぐと、王妃の視界から外れ、距離を取って後方に控える。
「押し込められたのかな」
茶を飲んだ王妃からため息がこぼれる。
別に押し込めたわけではない。
オープンに向けて、王妃の間を含むいくつかの部屋と宝物庫は整備したが、他は手が回らなかっただけだ。
そこに書類を抱えた平民の服に着替えた伯爵が歩いてきた。
「秋の庭が気に食わなかったか? それとも茶がまずかったか?」
「いえ。そのようなことは」
伯爵は王妃の許可無く、相席する。
「あの、伯爵なんですよね?」
最初の挨拶でも、伯爵は女嫌いを隠さず、王妃に最低限の挨拶しかしなかった。
王妃は伯爵の態度に戸惑い、後ろの護衛が伯爵を睨んでいる。
「この城を取り戻すために、伯爵になる条件を呑んだだけだ。やっていることといったら税理と屋敷の管理だけだ」
伯爵は書類が間違っても風に飛んでいかないようにガラス製の文鎮で抑えて、びっしり文字の書かれた書類を一枚一枚丁寧に読み、サインをしていく。
もう、完全に会話する気ゼロ。王妃を完全無視である。
そうかと思えば庭師にいわれて草むしりを手伝う。
その横を、今度は伯爵夫人がドレスの裾をたくし上げて、走って来た。
彼女は東屋に入るとお茶を陶器のカップに注ぎ、作法も何もなく一気に飲み干し、クッキーも二枚を一度に口の中に押し込んで、もう一度お茶を口に流し込んだ。
「何のお構いもできませんで」と軽く会釈して台風のように去っていった。
王妃も護衛も呆然と見送るしかなかった。
「茶菓子が気に入らなかったか? 歴史や美術に興味があるなら、城の宝物庫を案内するが。と言っても大したものは無いんだがな」
二百年の長い間放置されていたせいか、めぼしいものはすでに盗まれた後だ。
あるいは、併合時に、レペンス王国に奪われたのか。
しばらく他愛も無いやり取りを伯爵と続けていた王妃は気づいたのかもしれない。
ふいに、
「上ですか? 下ですか?……」
伯爵はカップに視線を落としたまま答える。
「下だ……」
彼はそこで急にバラの茂みに視線を向ける。
「お前ら、なんでこそこそしているんだ」
「イテ!」「ふぇ~ん」
伯爵の言葉に薔薇の茂みから子供たちが這い出てくる。
「馬鹿、そんなところに隠れるから怪我するんだ。目に棘が刺さったらどうする」
「だって、王妃様のお姿見たのちょっとだけだもん」
「ごめんなさい」
ちょっと口を尖らせて兄が言い訳して、弟が素直に謝る。
「上がレイで、下がイリア」
そう紹介されて、兄は急いで手や服に付いた土を払い、「レイです」と言い、弟もそれに習って(というよりか真似て)服をパンパン叩き、「イリアです」と答える。
「後で薬塗ってやるから。王妃様もこれくらいはいつものことだ。そんなに青い顔をしなくていい」
伯爵がほんの少し声を和らげて言う。
本当に少し擦った程度で、子供たちはもうにこにこして王妃を見上げている。
「父上と母上は優しいですか」
「ちちうえ?」
二人には聞きなれない呼称なのか、揃って首を傾げる。
「父さんと母さんのことだ」
「ぱぱとまま?」
父親の説明にイリア様が問い返し、ちょっと考えて、王妃の質問に答えた。
「パパはちょっと怖いけれどママは優しいよー」
王妃は『ママ』の一言をどのような想いで聞いたのだろうか?
「今日は母さんも鬼のように怒るかもしれないがな」
伯爵は苦笑しながら息子達の泥まみれになった上等な生地を指差す。
ちょうど指差した先はほつれていて……
「ひっく」「ふぇ」
よほどの恐怖なのか、息子二人から引きつった声が漏れる。
「だから、外を走り回る前に、服着替えろって言ったのに」
伯爵はため息をついて、めんどくさそうに子供たちの頭を撫でる。
王妃の頬を涙が伝う。涙をぬぐい、
「ごめんなさい」
顔を両手で覆うが、涙は次から次へとあふれる。
それを不思議そうに見つめる子供たち。
「いや……」
伯爵は、静かに呟く。
薔薇の香を含んだ風が吹いた。
私は、一生王妃を許せないだろう。
でも、あの涙だけは本物だったと信じたい。
◇登場人物紹介◇
アリア……ウエストレペンス城の侍女。ピンク色に髪を染めている。
アレス・ラハード……ウエストレペンス伯爵。元は薬師。
王妃……第三王子の母親。
イリア・ラハード……アレスの次男。顔は兄と瓜二つ。アレスの実子ではないという噂が立つ。
レイ・ラハード……アレスの長子。弟と双子のようにそっくり。
イリーナ・ラハード……ラハード伯爵夫人。男装の伯爵夫人として有名。
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