絵本計画
「秘密を暴こうって言うわけでも、この秘密を使ってリリーに結婚を承諾させるつもりも無い。
ただどうすれば自分にもあんな奇麗な精霊を呼べるのか教えて欲しいんだ」
三人は困った顔をする。
「これが精霊か別の何かかの議論は置いておいて、どうする?」
シャムローの言葉と考え込んでいたイリアは疲れきった表情で、
「父の判断を仰ごう」
と言い、リリーは哀れむような表情を浮かべる。
「ちょ、その顔はどういうこと?」
サフィールはさすがにただならぬ雰囲気を感じたが、誰も答えず、まるで葬列のように彼を連れて行った。
◇
ため息をついた後、伯爵がポツリと呟く。
「埋めるか?」
「死体が発見されたら、後が面倒です。馬車の暴走に見せかけて、渓谷に落とすほうがよろしいかと」
イリアがさらに物騒な言葉を付け加える。
「馬がかわいそうだろう」
伯爵はサフィールより馬の身を案じている。
「これって、僕の処分方法?」
「はい」本当に申し訳なさそうにラハード伯の奥方が答える。
「マジ?」
「まあ、イリアが“あれ”をお手軽に使ったのも問題があるし、レイが気軽に書庫に案内したのも、請われてあっさりレイの居場所を教えた私にも問題がある。見なかったことにしてきれいさっぱり忘れてくれたら、こちらも目を瞑ろう」
伯爵にしては最大限の譲歩だったろう。だが……
「忘れろってったって、あんな綺麗なもの一生忘れることできません」
「そこは素直に『忘れます』って答えて!」
リリーが悲鳴じみた声で注意する。
「すっごい素直な気持ちなんだけれどなぁ」
本当に世界で一番綺麗なものだったのだ。
◇
伯爵はサフィールへの口止めをリリーに任せた。
人払いをした部屋で、二人っきりのお茶をする。扉の前ではあの不思議な力を使える兄が見張っている。
「あれが、ラハード家の秘密?」
「言いふらしても何もなりませんよ。噂が一つ増える程度です」
きっと信じる人などいない。
「でも、千人に一人は信じるかもしれない。信じた誰かが他の秘密も暴こうとするかもしれない」
ひくり、とリリーの肩が震える。
伯爵が前国王を殺した、伯爵は国王の異母兄弟、第二子イリア・ラハードは伯爵と王妃の息子、実は伯爵は死霊王子の子孫。
噂の一つくらいは本当なのかもしれない。だが、最後の一つは別として、前の三つは王家のスキャンダルに発展しかねない。
「ところでさ、賄賂を要求した役人に草を渡したって話、本当?」
サフィールは話の矛先を変えてみることにした。
リリーがわずかにほっとした顔になる。
アレス・ラハードが伯爵になりたての頃、徴税官に税金が足りないと言われたそうだ。
伯爵は規定分は払ったつもりだったが、多く払うのが慣習だと言われた。
仕方ないので、足りない分(賄賂)を自分の私財(薬草)で補填しようとしたのだが、「ただの草を渡すのか」と怒り狂った役人は目の前でその草を燃やしてしまう。
その薬草は本来、『死霊王子』の森の奥深くに自生していて、王都では、かなりの値が付いてた。もしその時点で売っていればその役人は一財産築けたのだろうが、その役人が価値を知った頃には、栽培条件がラハード家によって広められていて、価格が暴落してしまっていた。
「本当です。父はせっかく育てた薬草が燃やされてカンカンに怒っていました」
まだ、彼女の対応は硬い。
「ふーん。その役人が次の年に賄賂をせびりに来た日の翌日、国王の執務机に、その役人の裏帳簿が置かれていたとか」
リリーは一瞬分からないといった風な顔を浮かべて、すぐに思い当たってさっと顔を青ざめる。
「“あれ”でできることは限られます」
だが、できないとは言わなかった。
ちなみにその役人の財産はすべて没収になったそうだ。以来、徴税官の間ではこの領地は鬼門になっているとか、なってないとか。
「君はあの素敵な力を使えるのかな?」
「いえ」
「そう、残念」
サフィールはしょぼんと肩を落とすが、まだ希望はある。
「結婚したら、子供に隔世遺伝するかな?」
リリーは、わずかに顔をむっとさせて
「そのようなことは承服しかねます」
「僕、口が軽いからなぁ」
そんな風に言うと、彼女は冷たい目で言葉を返した。
「秘密を使って、私を脅すつもりは無いって言ってましたよね。
明日の朝、谷底の川で浮かんでても知りませんよ」
「言わないとは約束してないし、言いふらしても噂が一つ増える程度だって言ったのはそっちじゃないか」
この時、サフィールはまだ、この力の美しさしか見ていなかった。
◇
この城は一部ホテルとして利用されている。
サフィールは、しばらく城の一室を借りて、休みが取れるたびにここに滞在するようになった。
改装時にキッチン・風呂・手洗いの数を倍増したらしく、自分の古いままの城よりか便利なくらいだ。
頼めば、食事も出てくる。メニューも幅広く、中には昔のレシピを元に作った宮廷料理を現代風にアレンジしたものまである。
「ってことで一生ここに住みたいんだけれど」
いつものように地下の書庫に篭っているリリーの傍で、サフィールも校正を手伝う。
ランプの中ではろうそくの芯に炎の形をした光が灯っている。
はっきり言って、これではなんの面白みも無い。
「兄さん。この人、使用人になりたいそうです」
「清掃くらいなら枠が空いているんじゃないか?」
リリーは多少サフィールに慣れてきたようである。まあ、聞き流す方向にだが。
リリーを挟んでリリーの上の兄、レイ・ラハードが苦笑している。
彼女たちが書庫でこそこそ作業しているのは、教本の作成である。
一冊の本にいろは歌を中心にしたわらべ歌やら、有名なおとぎ話やら、珍しい遠い国のおとぎ話、ついでに算数まで詰まった本の原稿である。
それも、おとぎ話一話につき、色刷りの絵が二枚ほど入っているゴージャスさである。
兄妹三人がかりで、校正をしているのだ。
彫像を愛した男、壷が頭から外れなくなった姫の話、自分が触れたものすべてを黄金に変える事を神に望んで娘まで黄金に変えてしまった王の話。
「僕の知らない話が結構あるね」
「おじいちゃんの家にそういう物語がたくさん置いてあったのよ」
ぼろぼろの本を渡される。 題名は『御伽双帋輯』。
こちらは少し難しい文字がびっしり詰まっていて、ついでに言うと挿絵がまったく無い。
大人でも読みにくい文字に眉をひそめたサフィールにリリーが付け加える。
「読みやすいのもあるけれど、そっちは現役で使われているから」
『児童向けの本を作ろう』計画が持ち上がったのが十五年前だそうだ。
「スープ皿に載って小人の騎士が悪魔退治に向かう話なんておもしろそうなのに……
なんで、そんなに時間がかかったんだ?」
「その頃、城は改修工事が終わった頃で、財政はマイナスだったのよ。城の隠し財産の一部をこっそりレイス家に売る始末だったし」
「レイス家?」
どこかで聞いた覚えがある。
「親戚。学者の家系で……私のおばさんの旦那さんのお兄さんが、農学者の『シャムロー・レイス』。
前に書庫に来ていた男性で、レイス家に養子に入ったのね。
まあ、あそこなら歴史資料の散逸も防げるし、後から全部買い戻せたらしいけれど」
長男レイ・ラハードも説明に加わる。
「ついでに、領民は観光業に傾いてて、農業に力を入れていなかった。
ウエスト・レペンス領が王領だった頃は、不測の事態には王家が手を差し伸べてくれたけれど、伯爵領になったからには、領民を守るのは伯爵の役目。
穀倉を作らないと凶作になったときに対応できない。そのお金をひねり出すのに、必死だったから」
「昔の宮廷料理を復活させたのも、『ウエストレペンスの新鮮な食材で、宮廷料理を作ろう』ってことで、領民たちを農業に目を向けされるのが、一番の目的だったのよ」
「……失敗しても取り戻せる範囲でゆっくり事業を広げて行って、やっと周囲の信頼を得られて出版業者と提携できても、先に『かてもの』と『薬草』の本を先に出す必要があったんだ」
「『かてもの』?」
「凶作のときに食べられる草を書いた東の国の書」
レイはそう言って一冊の本を渡す。
食べられる山野草とその調理方法、巻末には食べてはいけない毒草までイラスト付きで載っている。
「そんな本があったんだ」
「二百年ほど前に、当時のウエストレペンス王国が入手していたけれど、翻訳する前に肝心のお国が潰れちゃったからね。十七年前まで、この暗い書庫の奥に眠ったまま」
二百年前から現代まで、飢饉は一度や二度ではなかったはずだ。
最近では、四十年ほど前に大きな凶作があった。
ラハード伯爵は、庶民として大凶作を経験していたはずだ。
「この家の苦労話を話してても仕方が無いわ。さっさと仕上げて、まず貴族のぼっちゃま方に売りつけるのよ」
リリーは背伸びをすると、黙々と校正を再開した。
確かにこの内容なら、貴族の子女でも十分楽しめるだろう。
『まず』いうところで、ヒントもぼんやり見えてきた。
この国は学校の授業料が高く、農民の識字率が低い。
本はまだ高価で図書館は盗難を恐れて、農民の出入りを禁じているところがほとんどだ。
この領の図書館は領民の出入りは自由と聞いたことがあるが……
「これを世に広めるのが君の夢?」
「似ているけれど、ちょっと違うわ」
リリーはそう言って笑った。
◇
一週間後。
次男イリア・ラハードの息子と使用人の子供が校正がほぼ終了した原稿を一緒に声を出して読んでいる。
「おじちゃん、ここ読みにくいよ」
使用人の息子が生意気にもサフィールを『おじちゃん』扱いする。
サフィールは「リリーに伝えとくよ」と笑みをほんの少し引きつらせながら答える。
「これは『針』よ。お裁縫のときに使うときのトゲトゲね」
イリア・ラハードの奥方が優しく教えて、絵の中の針を指す。
未来の親戚さんだ。好印象を心がけねば。
「うん。全部読めたよ。分かりにくかったところも無かったよ」
子供達が二人がかりで長い時間をかけてつっかえながら読み終わると、母親が優しくなでた。
髪をピンク色に染めた侍女が子供達の様子を微笑ましく見守りながらも、絶妙のタイミングで子供達のティーカップに茶を注ぐ。
イリア一家と一緒にいることが多い侍女だ。
髪の色が印象的過ぎて、自然に目に映るだけかもしれないが。
侍女がサフィールのカップに茶を注ぎに来たときに、彼は尋ねた。
「伯爵の夢って何ですか?」
「伯爵の夢ですか? この領地の経営を安定させるわけではなく?」
髪をピンク色に染めた侍女は、首をかしげながら、
「わたくしは存じ上げませんが……お付き合いの長い方でしたら、ご存知ではないですか?」
「いや、そりゃそうだけれど」
侍女はこれ以上ヒントは渡さないという風ににっこり微笑む。
次男の奥方も同じ笑みを浮かべる。
(伯爵夫人に聞いても無理だろうなぁ。他は……)
彼は、彼女の秘密を知っていそうな人を思い浮かべる。
◇リリー
リリーは頬杖をつきながら三階の窓から庭の様子を眺めていた。
「通い詰める根性は認めて、付き合ってみたらどうだ?」
好きな人と結ばれた兄は気楽だ。
次兄のイリアの問いかけにリリーはあきれたようにため息を返す。
「ひどい男性です。私じゃなくて、この家の秘密を好きになってしまうなんて」
魔法や財はリリーのものではない。いつの日かその“特別”は剥がれ落ちてしまう。
それに……もしサフィールと結婚したとして、子供の一人だけに力が引き継がれたら、彼はその子だけに愛情を向けるのではないかと思ってしまうのだ。
彼女はほんの少し苦笑を浮かべて、ささやく。
「本当に、彼が“私”を好きになってくれるのはいつなのかしら?」
すべて剥がれ落ちて、別の何かになった自分を、彼は見てくれるのだろうか?
この時、大陸の端から静かに押し寄せて来る脅威に誰も気づいていなかった。
『かてもの』……江戸時代、米沢藩で刊行された飢饉救済の手引書。
『糧物』とも。