神の盤上で
三題噺『マッサージチェア・浮かんでいる・眼鏡属性魔法』
「ふざけないで!? この世界は、私たちは、あんたのオモチャなんかじゃないッ!?」
世界の神である我の足下で、勇者の仲間だった女剣士が悲痛な叫び声を上げている。実に耳障りの良い声で鳴く。その隣では同じく勇者パーティの武闘家の男と、魔法使いの女も絶望的な顔をしており、実に面白い。
「否、世界は我の盤上。貴様らも我を楽しませるためだけに存在する駒にすぎぬ」
我はいくつかの人間に信託を降して操り、差別を生み、国単位で争わせ、世界が平和にならないように混沌を維持してきた。国ごとに信仰している神は違うことになっているが、全て我である。
概ね思い通りに動く駒だけでは面白くないため、異世界の人間を召喚して力を与えて勇者に仕立て上げたりもする。結局はそやつらも駒であるが、イレギュラーな駒はイレギュラーな事を起こす。A国に召喚させた勇者がB国についてそのまま勝利してしまう、など。そういう予測不能な展開もまた楽しみの一つであった。
ただ、今回は少々イレギュラーが過ぎる。
あれは予定になかった魔王の出現から始まった。ならばと魔王を討伐するために勇者を選定したというのに、どういう経緯があったのか、勇者たちは世界の真理を知ってしまった。そして愚かにもこの我を敵と認定し、各国を説得して纏め上げ、我の差し向けた神軍すら突破してこの場へと到達したのだ。
「玩具ごときが我が神域まで辿り着いたことは褒めてやろう。創造主に牙を剥く玩具というのもまた一興であった」
こういう事態は初めてではない。勇者が神域まで辿り着いたことは初だが、以前にも何度か似たようなことは起こっている。
その度に我は文明を滅ぼした。
ゲームをリセットして新たなスタートを切ることなど、無限の時間に存在する神であれば躊躇うこともない。
いや、そうか。古代文明の記録が我の感知し得ぬ場所に隠されていたのだろう。勇者たちはそれを見たのだ。
ならば次は、文明の欠片も残さぬよう徹底的に消し去らねばなるまい。
「それで、貴様らは我には敵わぬと知ったわけだが、どうするつもりだ?」
「……勇者を、返して!」
声が裏返るほどの叫び声で訴える女剣士。彼女の目に映るものは、中空に浮かんでいる我ではなく、光り輝く聖剣を握って対峙している勇者だった。
奴らは、仲間だった勇者の手によって戦闘不能まで追い込まれたのだ。
その戦いも実に滑稽で愉快であった。
「勇者の力は元々我のものだ。我に従うことは道理であろう」
「違う! 勇者はあんたのものなんかじゃない! 世界の在り方に真っ先に嘆いた勇者は、絶対にあんたなんかの操り人形になんてならない!」
「ふむ、そろそろ貴様の囀りにも飽いて来た。勇者よ、下がれ。トドメは我自ら刺してやろうぞ」
おもむろに右手を翳す。莫大なエネルギーを秘めた光の粒子が集結し、巨大な剣の形を成す。その切っ先を慈悲も容赦もなく勇者の仲間たちに向け、振り下ろす。
人の身など細胞の一つすら残さず蒸発させる光剣は、しかし彼女たちに触れることすらなかった。
突如、中間に出現した大楯が光剣を受け止めたからだ。
「……なに?」
勇者の仲間がなにかをしたわけではない。奴らには既にそのような力など残ってなどおらぬ。ならば別の者が? 否、この神域には我と勇者一行しか存在していない。
大楯から感じる膨大な魔力には、覚えがある。
「まさか、魔王だと……?」
恐らく外の世界から来たであろうイレギュラーな魔王。魔界と呼ばれる荒廃した地だったが、我の盤上に勝手に城を築いた不届き者である。
神眼を使って奴が住まう城の様子を視界に映す。
『あぁぁあぁああぁ効くぅうううううう!!』
『そういえばお兄さん知ってる? この世界にある変な魔法なんだけどさ』
『あわわわわわ、え? なんて?』
城の屋上で、黒衣の男と白布の女が思いっ切り寛いでいた。マッサージチェアで。
「は?」
これは神でも流石に素っ頓狂な声は出るというもの。
『だからさぁ、お兄さん。この世界には眼鏡属性魔法っていう変わった魔法があってだね』
『どんな魔法だよ。鏡属性ならまだ想像できなくはないけど』
『ボクも直接見たわけじゃないけど、なんか眼鏡からビームが出たりするんだってさ。ロマンだね』
『やめろどっかの技術研究者みたいなこと言うな!?』
奴らは一体、なにをしているのだ?
あの場所から、あんな寛いだ様子をしながら、位相の違うこの神域に楯を出現させ勇者一行を守ったというのか。
『ていうか、ボクら視られてるよ?』
『ぽいなぁ。お前の〝夢〟であっちの状況は把握できてるし、そろそろ行くか』
黒衣の男と目が合った瞬間、神であるはずの我がブルリと震え上がった。
神としての意識が芽生えて初めて、身の危険を感じた。
だから――
「使徒どもよ! 魔王城を攻め落とせ!」
号令と共に、魔界上空に十万体もの白金天使を召喚した。
プラチナブロンドの長髪と翼を持つ美男美女が、双槍を構えて魔王城を取り囲む。白金天使は一体で一国を攻め落とせる力を持つ最上位使徒。勇者ですら結局落とせなかった魔王城だが、この過剰とも言える戦力であれば数瞬と持たな――
全ての白金天使がどこからともなく出現した巨剣で胴体を貫かれて墜落した。
『迎えはいらねえよ。こっちから行ってやる。悪いが、首を洗う暇はねえぞ、神バロゴス』
黒衣の魔王が持っていた白い刀で空間を切り裂いた。
「よう、お互い監視はしてただろうが、直接会うのは初めましてだな」
さっきまで魔界の魔王城にいたはずの黒衣の男が、勇者一行を庇うような位置に出現した。裂いた空間を通って現れたのだ。
「……馬鹿な」
勇者一行ですら相当な苦労と古代遺物と精霊の力を借りてやっと辿り着いた神域に、扉を開けるような気軽さでやってきた魔王に絶句する。
女剣士たちも思わず身構える。
「ま、魔王!? なんであんたがここに!?」
「なんだ勇者ども、いたのか」
白々しい。知っていた癖に。
「なんでって、決まってるだろ? 俺は魔王だぞ。世界を壊すために、神を殺しに来た」
黒衣を翻してそう告げる魔王に、後から神域に踏み込んできた裸体に白布だけを巻いた少女がプッと噴き出す。
「キヒッ、悪役風な言い回しも昔より様になってきたんじゃない?」
「うっせえな、ゼクンドゥム。今ので台無しだ」
キィン!
甲高い金属音が鳴り響く。
今や我の操り人形である勇者の聖剣と、奴の白い刀が打ち合った音だ。今の勇者の戦闘力は白金天使の五倍。だのに、奴はその奇襲を気配だけで察知して簡単に受け止めてしまった。
「この程度のエセ神に操られて仲間を傷つけるとか、勇者として失格じゃないか? 悠里の学校を紹介してやるから勉強し直して来い」
ガキン! と聖剣が絡め取られるように弾かれる。そのまま鳩尾に拳を叩き込まれ、意識を刈り取られた勇者は力なく倒れ伏した。
「わ、私たちが束になっても勝てなかったのに……」
戦慄する女剣士。武闘家の男と魔法使いの女も腰を抜かしている。
「勇者どもが邪魔だな。ゼクンドゥム、適当に地上に送り返しといてくれ」
「嫌だね。そういうお人好しはお兄さんがやってよ。ていうか、たまにはボクにもラスボス戦をプレイさせてくれないかな?」
キヒッと獰猛に嗤った白布少女が我を見上げる。瞬間、我は心の底から恐怖という感情が込み上げてきた。
奴は魔王の眷属ではなかったのか?
否、この魔力は奴も魔王そのもの。
「ひぃ!?」
口から悲鳴が漏れた。それはそうだ。魔王を目の前にしてしまえば、たかだがゴブリンでしかない我は吐息一つで消し炭にされてしまう。
「た、助けてください!?」
巨大で凶悪な魔王が我を鷲掴みにする。凄まじい万力で全身の骨という骨が砕ける痛みに悲鳴を上げる。
「ぎょおわぁああああああああああああああああああああああああッ!?」
ボロ雑巾のように投げ捨てられる。周りの魔物たちから石を投げられ、唾を吐かれ、何度も何度も踏みつけられる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
「キヒヒ、『白昼夢』で君がやってきたように踏み躙られて――死んじゃえ」
「相変わらずエグイ技だな」
「かかる方が雑魚なだけだよ。神のくせにね」
最後になにか会話が聞こえたような気がした時には、我は己が神であったこともすっかり忘却し、その命は風前の灯火だった。