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シャッフルワールド!! 番外編集  作者: 夙多史
【時系列】第三巻~第四巻
6/18

留美奈ちゃんとデート

 夏休みも間近に控えた一学期後半、あたし――四条留美奈にはちょっとした悩みがあった。

 正確には、たった今その悩みってのができた。

 授業が終わって寮に帰ろうとしたら、下駄箱にその、なんというか、見知らぬ封筒が入ってたわけ。中身は花柄枠のシンプルな便箋で、


『四条瑠美奈様へ。

 一目見たときからあなたのことが忘れられません。この想いを直接お伝えしたいです。

 いつでもよろしいので、放課後、高等部体育館の裏に来てください。

 お待ちしております』


 とだけ書かれてあった。

 い、今どき下駄箱にラブレター?

 新手の果たし状かと思ってその場で読んでしまったのは失敗だったわ。漣が今いなくて本当によかっ……いやいや、あいつのことはどうでもいいけど!

「ど、どうしよう、これ……」

 文面をもう一度マジマジと見詰めてみる。どこからどう読んでも愛が綴られたラブレター……とは言い難いわね。よく考えたら本当に果たし状の可能性もある文章だわ。まったく、せめて名前くらい書いときなさいよ。


 ドキ    ドキ  ドキ  ドキ

     ドキ  ドキ    ドキ    ドキ

  ドキ  ドキ    ドキ   ドキ


 ――ってなにドキドキしてんのよあたし!? こんなの怪し過ぎるでしょ! 無視よ無視! 気づかなかったことにして帰ってゆっくりミルクティーでも飲も――

「へえ、留美奈ちゃんラブレター貰ったんだぁ。ふふっ、青春してるなぁ」

「ひゃあっ!?」

 いきなり背後から誰かが抱き着いてきた。聞き覚えのある声だったけど、ちょっとテンパってて振り返るまで誰なのか気づかなかったのは不覚だわ。

「も、望月先輩! なんでここにいるのよ! 三年生の昇降口は別でしょ!」

 他人をからかうような笑みを薄ら浮かべる彼女は望月絵理香。サラサラの長い黒髪に鼻梁の整った顔立ち。悔しいことにスタイルもモデル以上によく、特に綺麗でスラリと長い両脚は羨ましい限りだわ。ホント、なにを食べたら背が高くなれるのかしらね。牛乳は毎日飲んでるけど胸しか大きくならないし……まあ、それはそれでいいんだけど。

「どこにいたって私の勝手でしょう? どうせこの学園からは出られないんだし」

 望月先輩は投げ遣りな口調で、しかしどこか余裕ぶった表情で言った。

 彼女を一言で表すなら、『敵』。

王国レグヌム』とかいうわけわかんない組織の幹部らしいわ。かつてはあたしと漣の先輩で親友とも呼べる人だったんだけど、ある事件をきっかけに望月先輩は人間じゃなくなった。

 影霊レイス。あたしたち影魔導師がそう呼ぶ、世界に寄生する混沌から作り出される不完全な生命体。その現在唯一の完全体こそ、あたしの目の前にいる望月先輩なのよ。

 で、今は捕虜として力を封印されて、この学園――異界監査局に軟禁されてるってわけ。

 望月先輩はどこか艶めかしい動作でラブレター(?)を指差す。

「私ことはどうでもいいとして、留美奈ちゃん、それどうするつもり?」

「無視するわ」

 捕虜という身分を自覚してなお普段通りの望月先輩は昔のように親しげに話しかけてくる。嬉しいと思う反面、なんか複雑な気分になるわね。

 望月先輩はクスクスとおかしそうに笑った。

「留美奈ちゃんってば酷いわねぇ。たぶんその子、待ってると思うなぁ。留美奈ちゃんが来るまで、放課後に毎日、何時間も」

「望月先輩が入れたんじゃないでしょうね?」

「ふふっ、どうかしらね?」

 すぐに人を混乱させようとする茶目っ気溢れる性格は昔と変わらない。誘波と気が合いそうね。

「とにかく、行くつもりはないから」

「そうよね。留美奈ちゃんには漣くんがいるもんね。会いに行くだけも浮気になっちゃうわけだ」

「んな!? あ、あいつは関係ないわよ! これはあたしの気分の問題であって別に浮気とか気にしてるわけじゃなくてえっと……その……だから……」

 うぐっ、なんで言葉が詰まるのよ。望月先輩はこんなあたしを見てニヤニヤクスクスしてるし、腹立つなぁ。

 ――これ以上この件で絡まれるのも嫌だし、腹を括ろう。

「あーもう! わかったわよ! 会ってバッサリ斬って来ればいいわけね!」

 たとえ愛の告白だろうが、果し合いだろうが。できれば果し合いであってほしいわね。

「ふふっ。そうこなくっちゃ面白くないわ。ここで先輩から一つアドバイスをあげる。一発で相手に諦めてもらえる魔法の言葉をね」

「い、一応聞いておくわ」

 アドバイスなんて意外だった。望月先輩は昔からモテたから、そういう輩のあしらい方は心得ているはず。影霊で敵になったからと言っても、望月先輩は人間だった頃の優しさをちゃんと持ってい――


「『私、人間じゃ興奮できないの』って言えば完璧よ☆」


「あたしがヘンタイって思われるわよそれ!?」

「あはは、毎日怪しげな黒コート羽織ってる漣くんと留美奈ちゃんはとっくにヘンタイ認定されてると思うけど?」

「これは『そういう病気』ってことで強引に納得してもらってるのよ! 不本意だけど!」

 あたしたち影魔導師は影霊と同じで光に弱い。太陽光を直に三分も浴びれば致死するわ。それを防ぐために影魔導師は特殊な防具を常に纏っているの。あたしたちが影魔導師連盟支給のロングコート、望月先輩は没収されてるけど黒いセーラー服を着てたわね。

「まったく、あたしが『チンパンジーに欲情するようなヘンタイ』だって噂が広まったらどうしてくれるのよ」

「大丈夫大丈夫、噂になる前に相手の心が折れるから」

 無邪気と妖艶さを兼ね備えた器用な笑顔を浮かべる望月先輩。おかげで実はさっきから気になっていた謎が一つ解けた。

「まさかと思ってたけど、先輩の後ろで脱力し切った男子が点々と転がってるのは……?」

「ふふっ、この学園は面白いわね。五歩進めば告白エンカウントだもん」

「……」

 やっぱりそうだった。

 ゴミのようにくたびれた男子たちは焦点の合わない瞳で虚空を見詰め、「ああ、人間なんてやめてしまおう」「俺、生まれ変わったら、貝になるんだ」「オラウータンの魅力がわからない……」と大変ネガティブなことを呟いていた。

 うわぁ、なんて憐れ。まあ、玉砕覚悟で挑んだ男子に情けをかける気はないわ。妙な気を起こされてもウザいし。

「それじゃあ瑠美奈ちゃん頑張ってね。大丈夫、漣くんには秘密にしとくから」

「だからあいつは関係ないわよ!」

 怒鳴ると、望月先輩は愉快に笑ってピョンピョン跳ねるように去って行った。こうしてみると人間的過ぎて本気で人外なのか怪しくなってくるわ。あと自由過ぎ。あの様子だとどこかに隠れて監視するつもりかも。

 先輩の姿が見えなくなってから、改めてラブレター(?)に視線を落とす。

「はぁ」

 溜息しか零れない。

「とりあえず、行くだけ行ってスッパリ断ればいいのよね」

 下手に無視し続けてそいつがストーカーにでも堕ちたりしちゃ面倒臭い。ラブレターなんて古臭いものを送ってる純心なうちに諦めてもらうのが一番ね。


 あー、もしただのイタズラだったりしたら……犯人を影に引きずり込んであの手この手でフルボッコにしてやるわ。


        ※※※


 結論から言うと、果たし状でもイタズラでもなければなにかの罰ゲームでもなかった。

 体育館裏をこっそり覗いてみると、一年生と思われる男子が壁に凭れてぽけーっと空を眺めてたのよ。

 背は男子にしちゃ低い方ね。なんかひょろっとしてて弱そう。顔も中性的って言うのかしら? 女子の制服を着ててもなんの違和感もなさそう。

 うん、アレならこっちがちょっと強気に出れば簡単にビビって退いてくれそうね。

「アンタね、この手紙寄越したの」

 刺のある口調でいかにも「突っぱねますよ」的オーラをわざと見せつけながら、あたしはそいつに近づいた。

 けれど、あたしに気づいたそいつは拒絶オーラなんて眼中に入ってないかのように顔を輝かせた。

「る、瑠美奈先輩!? うわ、まさか初日で来てくれるとは感激です!!」

 いきなり名前呼び!? 先輩ってつけてるけど、なんて図々しいのよ。こっちはアンタの苗字すらまだ知らないってのに。そういうのはもっとこう、親密な関係になってからであって……はっ!

 い、いけないいけない、こっちのペースを乱されるとこだったわ。

 これがやつの作戦ってわけね。ふふん、なかなか策士じゃないの。

「気安く名前で呼ばないでくれるかしら? ていうかこの手紙、どういうつもりなの?」

 あたしはそんな策になんて嵌らないんだから。

「手紙にも書きましたが一目惚れでした! ぼくと付き合ってください! 恋人として!」

 ド直球!?

 なよなよしてるのは見た目だけってこと!?

 え? え? ええぇ?

「えと、その、アンタ、な、なななななに言って……」

 かぁああああああっ。

 し、鎮まれあたし! なに顔沸騰させてんのよ!

 断るのよ! バッサリ切り捨てて突っぱねるのよあたし!


「△@♨☆◆Π□〒+*③」


 自分でもなに言ったのか全然わかんないぃいいいいいいいッ!?

 言語化能力に異常をきたすって、あたしどんだけテンパってんのよ!

「もちろん、半端な気持ちで告白したわけじゃありません!」

 混乱と恥ずかしさのあまり体育館の壁に何度も頭突きするあたしにお構いなく、後輩男子は告白を続けやがった。

「初めて瑠美奈先輩を見たのは入学式の日です。それから今まで、ずっと瑠美奈先輩を見てきました。そうしてはっきりわかったんです。ぼくのお嫁さんはこの人しかいないって」

「ほよめさん!?」

「だからただのお付き合いじゃありません。まだぼくを知らない瑠美奈先輩には強要できませんが、ぼくにとって結婚は大前提です」

「ふぇっこん!?」

「いきなりで迷惑なのは承知しています。ぼくを変人と思っていることでしょう。でも、これがぼくの本音です」

「あ、や、その……」

「ぼくと付き合って、ぼくを知ってもらって、それでもぼくのことが気に入らなければ仕方ありません。その時は思いっ切り振ってくださって結構です」

 きっぱりと、真摯な眼差しで告げる後輩男子。こ、こいつ、イジメられっ子な見た目してかなり肝が据わってるわ。

 侮っていた。ちょっと脅せば楽勝だと思ってた。

 しかも言い分から察するに、今あたしがどう思ってようと関係ないみたいね。好感度が底辺以下なこともわかっていて、これから好きになってもらう努力をする。だからとりあえず付き合って自分を見てほしい、そういう類だ。

「だ、だったら名前くらい名乗りなさいよ」

 ようやく言語機能が回復してきた。

「……」

 と、後輩男子はなぜか押し黙った。言いたくないけれど、言わないといけない。そんな逡巡が見え隠れしていた。

「……笑いませんか?」

「は?」

 意味のわからない確認に眉を顰める。後輩男子は一泊の間を置いてから、言い難そうに自分の名前を口にした。

「ぼくは……佐藤利雄(さとうとしお)、と申します」

「なによ。別に変な名前じゃ……」

 ないじゃない、と言おうとして気づいた。

 佐藤利雄。

 さとうとしお。

 砂糖と塩。

「……ぷふぅ」

「うわ、今笑いましたね!? 全国の『サトウトシオ』さんに謝ってください!?」

「わ、笑ってないわ! 全然! これっぽっちも笑ってないわ!」

「絶対嘘ですよね!? それ絶対嘘ですよね!?」

 後輩男子は涙目だった。確かにちょっと面白かったけど、おかげでさっきまでのテンパりがどっかに吹っ飛んだわ。そこには感謝ね、佐藤利雄。

「気持ちは嬉しいけど、アンタと付き合う気はないわ」

「ぼくに好意を抱いていないことは知っています。ですから、まずはぼくと――」

「だから、そこから既に却下なのよ。諦めなさい」

「ぐぅ……」

 両拳をプルプルさせて項垂れる後輩男子、もとい佐藤利雄。ちょっと悪い気もするけど、これでいいのよ。

「じゃあね、さよなら」

 あたしは冷たくそう言って立ち去ろうとしたんだけど――

「諦め……られません」

 佐藤利雄は引き下がらなかった。

「わかってました。こうなることはわかってました。瑠美奈先輩には迫間漣先輩がいますから」

「ちょ、なんでそこで漣の名前が出てくるのよ!?」

「え? だって、今付き合ってる人なんですよね?」

「違うわよ!? 漣とは幼馴染っていうか腐れ縁というか、とにかくそんな感じで彼氏でもなんでもないんだから!」

 影魔導師で異界監査官ということは反射の反論でも流石に出さなかった。

「でも、漣先輩のこと好きなんでしょう?」

「す、すすす好きじゃないわよあんな面倒臭がり屋!? 好きだとしても、それはラブじゃなくてライクの方よ!?」

「じゃあ、ラブな意味で好きな人はいないんですか? それならぼくと――」

「い、いいいいるわ! いるわよ好きな人くらい!」

 ぬぁぁああああなに言ってんのよあたし!? 誘導尋問!? コレ誘導尋問!? あ、でもその方がこいつも諦めてくれるかも。ナイスあたし。

「誰ですか? ぼくはずっと瑠美奈先輩を見てきましたけど、漣先輩より近しい男なんて知りません」

 し、しまったわ。誰と訊かれたら答えられないじゃない。あたしの馬鹿!

「なんでアンタに言わないといけないのよ。その人を闇討ちする気ね」

「しませんよ!? 本当に瑠美奈先輩に好きな人がいるというのなら、ぼくは諦めるしかありません。ですが、ハッキリするまでぼくは絶対諦めません!」

「うぅ……」

 やっぱこいつ強いわ。心が。これじゃあたしも答えないといけないじゃない。でも漣って答えるわけにもいかないし、あーもう、どうすればいいのよ!

「答えてください。瑠美奈先輩の好きな人は誰ですか?」

「えっと……ほら、その……あっ! あいつよ、あいつ」

 完全に混乱し切っていたあたしは、妙案とばかりに脳裏に浮かんだその名前を口にしてしまった。

 

「白峰零児よ!」


        ※※※


「――で、なんでそこで俺の名前が出てくるんだよ?」

 まだ下校していなかった白峰零児を誰もいない空き教室に拉致り、かくかくしかじかの事情を説明すると非常に面倒臭そうな顔をされた。

「うっさいわね! 咄嗟だったんだから仕方ないでしょ!」

 空き教室の机に腰掛けて腕組みするあたしを、白峰零児はやる気のなさそうな目で見据えている。なんか〝魔帝〟の子や聖騎士の子と商店街に寄り道する予定だったらしいけど、知ったこっちゃないわ。こっちは一大事なんだから。

「素直に迫間が旦那ですって言っときゃよかっただろ」

「誰が旦那よあんなやつ!?」

「ああ、その否定を反射で言っちまうことはよくわかった」

「なんで残念そうな目であたしを見るのよ!?」

 あーなんか腹立ってきた。この馬鹿見てると腹立ってきた。一回殴ってやろうかしら。

「俺の名前を使ったことはともかく、それでどうにか佐藤利雄ってやつを納得させられたんだろ? 俺もう帰っていいか?」

「いいわけないでしょ。解決してたらアンタになんて話してないわよ」

 踵を返そうとした白峰零児は「それもそうか」と溜息。そして完全に諦めた表情をして言う。

「俺になにをさせたいんだ?」

「あたしとその……で、デート、しなさい」

「は?」

 意味不明という風に眉をハの字にする白峰零児。この朴念仁、なにが「は?」よ。こっちは恥ずかしいの我慢して言ってんのよ?

「言葉だけじゃあの後輩は納得してくれないのよ。実際に、あたしとアンタがら……ら……らぶらぶ? なところを見せつけてやんないと。そうすれば向こうも諦めるって言ってたし」

「恥ずいなら『らぶらぶ』とか言うなよ。聞いてるこっちも恥ずいだろ」

「~~~~~~っ!? う、うっさいうっさいうっさい!!」

 机から飛び降りて顎下に思いっ切り頭突きをかましてやった。「ほぐぅ!?」とか変な悲鳴を上げて白峰零児は背中から倒れた。ざまあ。

「……ち、チビなだけにもろに入ったぞ」

「チビ言うなぁあッ!!」

「おぐふっ!?」

 さらに腹に蹴り一発。あたしの背はこれから伸びるのよ! 二十歳までには百七十くらいになってるわね。きっと! たぶん!

「(しかしその佐藤利雄ってやつ、なんでこんな乱暴チビ女を気に入ったんだか……)」

「あぁ?」

「なんも言ってません!」

 もう一回蹴り転がしてやろうとしたところで白峰零児は飛び退るように勢いよく立ち上がった。常人にはなかなか難しい動き。腐っても監査官よね、こいつも。

「とにかくデートは次の土曜日。十時に駅前に集合ね。デートのことはもうあの子に言ってあるから絶対来なさいよ! 一分遅れるごとに罰金千円!」

「次の土曜って明日じゃねえか!? 急過ぎるだろ!? こっちだって予定が……」

「なんかあるの?」

「いや特になんもなかった」

「じゃあ決まりね」

 予定あっても全部キャンセルさせてやるけど。こればっかりは誘波にも邪魔させないわ。でも武力介入されちゃ敵わないし、この後ちょっと根回ししておく必要があるわね。

「あ、このことは漣には内緒だからね! チクったら『混沌の闇(ケイオス・ダーク)』に突き落とすから」

「はいはい」

 やる気のない返事。まあ、そこは仕方ないわよね。あたしだってやりたくないし。

「つか、今からでも撤回して迫間が旦那ってことにできないのか? デートするにもあいつの方が俺なんかよりずっと適任だろ」

「だから旦那じゃないわよ!? できるわけないでしょバッカじゃないの!?」

 腹パン一発叩き込み、再び転がる白峰零児を放ってあたしは空き教室を飛び出した。

 それから携帯で誘波に白峰零児を明日一日借りる旨を伝え(理由は伏せた。絶対言いたくない)、あたしは伊海学園の学生寮へと向かった。


 あたしが住んでる女子寮じゃなくて、男子寮に。


 階段を上り、三階のある一室の前で立ち止まる。

 鞄からこっそり作っておいた合鍵を取り出して鍵を開け、部屋に入る。

 明かりはつけずにリビングへ。影魔導師は部屋の照明くらいならなんともないけど、それでもできればつけたくないのよね。

『つか、今からでも撤回して迫間が旦那ってことにできないのか? デートするにもあいつの方が俺なんかよりずっと適任だろ』

 さっき白峰零児に言われた言葉が脳裏に蘇る。

 撤回できたとしても、デートなんてできないのよ。

 だって――

「漣、起きてる? 具合はどう?」


 漣のやつ、馬鹿のくせに風邪引いて寝込んでるんだから。


 ベッドに横たわる幼馴染は上半身を起こしてあたしを視認し、

「ああ、瑠美奈か。さっき目が覚めたよ。風邪たりぃ」

 顔色悪いくせに普段通り面倒臭そうなことを言って頭を掻く。汗も掻いていて酷く調子悪そうね。しばらく治りそうにないかも。

「食欲あるならお粥作ってあげてもいいわよ?」

「……」

「なに、その目? なんで頬摘まんでるの?」

「いや、瑠美奈が気持ち悪いくらい優しいこと言うから、夢かと」

「張り倒すわよこの馬鹿! あたしだって病人には配慮するわよ!」

 せっかく様子見に来てあげたのに、この馬鹿。ホントに馬鹿! お粥作ってあげないわよ?

「食べるの面倒臭ぇけど、まあ、食欲はあるかな」

「わかったわ。じゃあテキトーに作るわね。感謝しなさい」

 そう言ってあたしはキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。漣も自炊してるだけあって、材料は一応揃ってるわね。

「瑠美奈」

 と、漣が声をかけてきた。

「なによ?」

 卵を取り出しつつ素っ気なく答える。

「なんか、あったのか?」

「!」

 気づかれた? いや違うわね。たぶんあたしがあたしらしくないことしたからそう思っただけでしょうね。

「……なんにもないわ」

「そうか」

 交わされた言葉はそれだけで、あたしがお粥を作ってリビングに戻ると、漣は静かに寝息を立てていた。……この野郎、せっかく作ったのに。

 とりあえずお粥は傍に置いて、あたしは男子寮を後にした。

 意識を明日の偽デートに切り替える。


 そのことは、漣にだけは絶対言えないから黙っておかないとね。


        ※※※


「遅い!」

「いやまだ九時半だぞ! お前いつからいたんだよ!」

 駅前の噴水広場で合流した白峰は、黒地のTシャツにジーパンというラフな格好をしていた。黒のチョイスはいいセンスしてるけど、偽とはいえデートなのよ? もっと気合い入れてほしいものね。

「他に着てくる服なかったの?」

「この真夏に暑苦しい黒コート羽織ってるやつには指摘されたくない」

「こ、これは仕方ないでしょ! ちゃんと下はオシャレしてるんだから!」

「その黒いワンピースも十二分に暑苦しいんだが?」

「他人の趣味に口出しするなんて最低ね。白峰・最低・零児ね」

「不名誉なミドルネームつけないでくれます!?」

 相変わらずギャーギャー騒いでうるさいやつ。こいつ誰にでもこんな風にツッコミ入れてて疲れないのかしら?

 チラリ、と背後を確認する。いるわね。駅前の人ごみに紛れて女の子みたいな顔をした少年がじっとこちらを観察している。

 佐藤利雄。

 きっちり諦めてもらうんだから。

「それで、今日はどこに連れてってくれるの?」

「え? お前が考えてたんじゃないのか?」

 意外そうに疑問符を浮かべる白峰。こいつ使えねぇ。

「普通、男のアンタがあたしをエスコートするもんでしょ? 予定くらい立てときなさいよ(後ろにあの子が来てるわ。テキトーに合わせて)」

「(こっち見てるあいつか? しゃーないな)悪かったな。昨日はちょっと忙しくてさ。そうだな……」

 白峰零児は顎に手をやって考えるフリを、いえ、実際にどこに行くか今考えてるんでしょうね。でもこいつに任せておくと商店街とか言い出しそうだから、助け舟を出してやろうかしら。

「遊園地とか、どう?」

「ああ、いいんじゃないか? ここから二駅ほどで割と近いし」

「決まりね」

 そうしてあたしたちの偽りのデートは無難に始まった。


        ※※※


 電車からバスに乗り継いで合計約三十分、特に渋滞に巻き込まれることなく目的の遊園地に辿り着いた。

 白峰の財布でフリーパスを購入し、さくさく入場する。

「あとでいいから、今日立て替えた分は払ってくれよ」

「覚えてたらね」

 まあ、あたしの都合に付き合ってもらってるんだし。ここでは建前上全部奢らせるつもりだけど、そのまま返さないほどあたしは鬼じゃないわ。

 五十メートルほど離れた後方では佐藤利雄があたしたちを見失わないように尾行している。いいわよ。そのままついてきなさい。

「白峰零児、手、繋ぐわよ」

「え? あ、そっか。カップルらしくだよな」

 すっ。なんの躊躇いもなく白峰は左手を差し出してきた。まったく、女の子の手を握るのよ? もうちょい戸惑ってほしいものね。あたしのことなんてなんとも思ってないのかしら? まあ、その方があたしもやり易いけど。

 ていうか、白峰の左手って確か……。

「〈吸力〉したら殺すわよ?」

「影魔導師からはなんも奪えねえから安心しろ」

 白峰零児の〈吸力〉は魔力を吸い取る能力。魔力じゃなくて周囲の〝影〟を操るあたしたち影魔導師には関係ないってわけね。

 ちょっと恥ずかしいけど手を繋いで、あたしたちはテキトーにぶらぶらしながらアトラクションを回ることにした。

 とりわけ先に乗ることにしたのは――


 大絶叫ジェットコースター『ヨルムンガンド』。


 園内全域に張り巡らされたひたすらに長く複雑なコースを超高速のマシンで走り抜けるアトラクション。神話に出てくる大蛇を名前にしてるだけあってかなり壮観ね。来た時からずっと乗ってみたかったのよ。

「いきなりコレかよ」

「なに? ビビってるの?」

「ば、んなわけねえだろ」

 白峰は観覧車より高い位置にあるコースを見上げてゴクリと生唾を呑んだ。実は高所恐怖症だとか? やだなにそれ面白そう! こいつの泣き顔と悲鳴だけで今日のごはんが美味しいわ。

 休日だけどどうにか十分程度の待ち時間であたしたちの番がやってきた。

 大蛇をイメージしたデザインの列車の最前列に乗り込む。佐藤利雄が二つ後ろに乗り込んだことを確認し、安全バーを下ろす。

 ガコン ガコン ガコン。

 列車がチェーンリフトに運ばれて最初の山をゆっくりじらすように登って行く。

「いい眺めじゃない。ね、白峰零児」

「ソウデスネ。人ガゴミノヨウデスネ」

「……アンタ、大丈夫?」

 こいつ本当にこういうの苦手なんだ。ちょっと意外ね。監査官のくせに。

「昔な、母さんと誘波が結託して俺と悠里にとある訓練をさせたことがあったんだ」

 なんか語り始めた。

「上空五千メートルからパラシュートなしどころか両手両足を縛られたまま突き落とされて、誘波の風でひたすらに超高速アクロバット飛行を三時間ほど続けるという極悪な内容でな」

「それなんの訓練?」

 もはや罰ゲームやイジメのレベルですらない。

「見てから気づいたんだが、あの時誘波が作った風のコースがこのジェットコースターとよく似てるなぁなんてハハハ」


 ガタン。


 山の頂上まで達した列車が一瞬の停止後、ものすんごいスピードでコースを下った。

 三百六十度回転錐揉み走行なんて当たり前。高いところを走っていたかと思えば地面すれすれを逆さに走行したり、太陽が近く見えるほど高く登ったかと思えば今度は後ろ向きに同じコースを巡り始める。あと時々ジャンプする。

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハガッデム!!」

「白峰が壊れた!?」

 こいつのトラウマを刺激すると怖いことがよくわかったわ……。


        ※※※


『ヨルムンガンド』は三分ほどで終わったが、最初から白峰は真っ白だった。

 仕方ないからベンチで少し休憩すると、なんとか白峰は再起動してくれた。

「ハッ! 俺は一体なにを……」

「記憶飛ぶほど!?」

 確かにあの壊れ方は尋常じゃなかったけど。普通に悲鳴上げてくれた方が横にいる身として面白かったんだけれど。

 まあ、記憶がないんならそれはそれでいいわ。

「じゃあ、次はこの『ヨルムンガンド』ってのに乗りましょう」

「鬼かお前!?」

 チッ、どうやらアレに乗ったことだけは覚えてたみたいね。

「アンタはなんか乗りたい物とかないの?」

 一応聞いてみる。最初はあたしの要望だったし、交互にそれぞれのやりたいことをしていった方がその、ほら、恋人っぽくない? 知らないけど。

「ん~、そうだな。俺、遊園地って実はあんまり来たことないんだけど……」

 とか言いながら白峰はパンフレットを広げる。あたしもそれを横から覗き込み、

「あ、これなんかどう? バイキング」

 遊園地によくある船が前後に大きく揺れるアレね。この程度の絶叫マシンなら白峰もいけるんじゃない?

「……大嵐の中一週間海上を彷徨った訓練を思い出すぜ」

「だからそれなんの訓練よ!?」

「海難に対処するとかなんとか」

「じゃあこの空中ブランコは?」

「ミノムシ状態で謎の機械にぶん回されてGを鍛える訓練を」

「宇宙飛行士か!?」

「いや流石にロケットに乗せられたことはないけど」

「でしょうね! もうコーヒーカップとかならいいでしょ!」

「ウチのアサシンメイドが事あるごとにカップに毒を盛るからなぁ」

「それ関係なくない!? まさかメリーゴーランドも……」

「まあメリーゴーランドなら特に……あっ、そういえば昔訓練でモンゴルに行ったとき草原を馬で――」

「アンタもう遊園地来ない方がいいわよ!?」

 なんで? なんで今日あたしがこんなにツッコミしてるの? ツッコミは白峰の役目じゃなかったの? なんで今日のこいつこんなに面倒臭いの?

「まあ最初のコースター以外はトラウマってほどでもないけどな。どれ行く? バイキング?」

「じゃあ言わないでよ!?」

 こいつ、まさかあのコースターの仕返しであたしにツッコミさせたわけじゃないでしょうね? もしそうだったらうっかり殺すとこよ。


        ※※※


 それからあたしたちは適当に目についた物から回って行った。

 バイキングを始めとしていくつか巡った後、あたしたちは一つのアトラクションの前に立っていた。

「で、俺たちがこれに入ってなんか面白いことあるのか?」

「いいじゃない。定番だし。こ、恋人同士のデートならここをスルーはできないわ」

 あたしたちの目の前には『お化け屋敷』と書かれたおどろおどろしい雰囲気の建物が鎮座していた。

 まあ、監査官として常日頃と人外を相手しているあたしたちにとって、妖怪とかオバケとかの作り物を見せられても全く驚きもしないし感動もない。でも今日は一応デートという名目で来てるんだから、わざとでも「きゃー」とか言って白峰に抱き着くくらいは……ごめん無理。せいぜいこいつの服の裾を摘まむくらいが限界だわ。

「なら入るか(その佐藤利雄ってやつはちゃんとついて来てるか?)」

「うん(今もあたしたちの五十メートル後ろくらいでこそこそしてるわ)」

 人が多い場所だと特定個人を気配で探ることは難しい。特に一般人はそう。あたしも白峰も佐藤利雄の尾行については目視で確認するしかない。

 お化け屋敷は思っていたよりよくできていたが、思っていた以上に面白くなかった。人間って生き物はオバケなんかよりもこういう暗闇の方が本能的に恐いもんだけど、白峰はともかくあたしは影魔導師。暗闇こそホームグラウンドだから恐がる要素がこれっぽっちも見つからない。

「……暇ね」

「嘘でもいいからもっと恐がれよ」

 機械の妖怪がぐわっと脅かしに来るが、あたしも白峰もビクリともせずスタスタ進んでいく。ちなみに後ろでは佐藤利雄の悲鳴らしきものが何回か聞こえた。

「そうね。姿は見えないだろうから悲鳴くらいは上げた方がいいかもね」

「そうしろそうしろ」

「きゃーこーわーいー」

「超棒読み!?」

 寧ろお化け屋敷の従業員さんに失礼だったかしら? まあいいか。

「なあお前本気で佐藤利雄に俺たちを恋人だと思わせたいの?」

「当たり前じゃない」

 白峰が胡散臭げにあたしを見てくる。そんなの決まってるわよ。思われたくないけど思わせないといけないから本気よ。本気と書いてマジよ。

「だったらもうちょっと真面目にやったらどうだ? 俺は別にこれが嘘デートだとバレてもいいけど、お前は困るんだろ?」

「うっさい。自分のこと棚上げとか何様よ、アンタ」

「うーわー、なんで俺こいつに協力してんだろわかんなくなってき……」

 突然、白峰が歩くのをやめた。その表情はどこか深刻で、なにかを探るように視線をあちこちに飛ばしている。

「いきなりどうしたのよ、白峰零児?」

「……嫌な気配がする」

「は? ――ッ!?」

 そこであたしも気づいた。

 ドロドロと粘っこい溶けていくような、空間の歪み。

 監査官が日頃の任務で監視する『次元の門』とは違う〝穴〟の気配。

 この世界に寄生する世界の種子――『混沌の闇』。

 これ、影魔導師のあたしが先に感知しなきゃいけなかった気配だ。白峰零児、勘がよすぎるわよ。

 場所はこのお化け屋敷の中。あたしたちがいる場所より少し向こうね。

「アンタは人払いをお願い」

「一人で行くつもりか?」

「影魔導師じゃないアンタが誘波の加護もなく闇に触れたらどうなるか、身を持って知ってるでしょ?」

『混沌の闇』はこの世界の情報を吸い尽くす。触れれば最後、毒に侵されたように緩やかに死に向かい、後には骨も残らない。逆に『混沌の闇』を克服して制御下に置ければあたしたち影魔導師の仲間になれるが、それができるのは純粋なこの世界の人間だけ。

 白峰零児は半分異世界人。

 影魔導師の戦場に踏み込ませるわけにはいかない。

「……わかった。気をつけろよ」

 白峰は不本意そうに言うと、走って来た道を引き返して行った。それを見届けてあたしは前に進む。

 黒いヘドロのような靄が足下に広がり始める。これがあたしたちにしか触れられない闇で、あたしたちの力の源でもある〝影〟だ。

 この靄の出所は……あった。

 お化け屋敷の最後を飾るだろう巨大スクリーンの埋め込まれた壁、そこにパックリと楕円形に裂かれた〝穴〟がある。

「〈封緘スィール〉は漣の方が上手いんだけど」

 あたしは右手を振るって〝影〟を繰り、鎖で繋がった何本もの杭を作り出った。それを〝穴〟を取り囲むように床へ突き刺す。〝穴〟から漏れ出るヘドロ靄は杭と鎖に堰き止められ、それ以上先へは広がらない。

「次は〈縫合スティッチ〉」

 もう一度手を振って〝影〟の糸を飛ばす。異界監査官が対処する『次元の門』と違って、『混沌の闇』は影魔導術で強制的に閉じることができる。その点はさっさと仕事が終わって楽だと思うわ。

〝影〟の糸が空間に開いた〝穴〟を縫いつけていく。

 楽勝ね。漣がいなくたってあたし一人でも充分に――


〝穴〟から真っ黒い腕のようなものが生えた。


「〝影霊レイス〟……もうちょっとだったのに!?」

『混沌の闇』がこちらの世界の情報を基に生み出した、不完全な生命体。腕はあたしの糸を簡単に引き千切り、〝穴〟を押し広げて這い出てくる。

 そいつは。溶けかけの紙粘土で作ったゴリラみたいな姿だった。

 全身真っ黒。目にあたる部分だけが爛々と血色に輝いている姿は、このお化け屋敷にいたどのオバケよりも圧倒的に悍ましい。

 もちろん放置はできない。

 相棒の漣はいない。

「あたしが一人で、アレを倒さなきゃね」

 床を蹴る。両手に三本ずつ〝影〟のナイフを〈構築ビルド〉して黒ゴリラに投擲。気づいた黒ゴリラは巨腕を振るってナイフを弾いたけど、その時にはもう第二撃、第三撃と投げナイフの嵐が襲う。

 黒ゴリラにグサグサと刺さったナイフがバチリと弾ける。黒い電撃が迸り、黒ゴリラは絶叫して動きが鈍った。

「トドメ!」

 接近したあたしは直刀を〈構築〉して黒ゴリラの脳天に突き立て――ようとしたところで、振るわれた丸太のような腕で薙ぎ払われてしまった。

「がっ!?」

 床を転がる。痛い。なんて衝撃。下手に近づかない方がいいわね。もっと弱らせてからじゃないと……。

「あーもう! 漣がいたらさっきので一発だったんだけど!」

 あたしの影魔導術にあいつほど攻撃力はない。師匠には二人で一人前だなんて言われるけど、漣がいないと改めて実感させられるわ。

 起き上がったあたしに黒ゴリラがカエルのように大ジャンプして襲ってくる。バックステップでかわし、もう一度電撃を〈付加アド〉したナイフを投げる。

「――ぐるぅ……」

「チッ」

 刺さったけど、やっぱり大して効いてないわね。屋内じゃなかったら〈飛行フライ〉で空から強襲するんだけど、やり難いわ。


「うわぁああああああああああああああああああああっ!?」


 その時、聞き覚えのある声の悲鳴が響いた。

 杭の向こう側で見知った少年が絶望と驚愕の混じった表情で腰を抜かしている。

「佐藤利雄!? なにやってんのよ白峰零児!?」

 悪態をついている暇はない。今の悲鳴で黒ゴリラが佐藤利雄を認識してしまった。あたしの方は無視してそっちに飛びかかる。

「逃げて!?」

 杭を飛び越え、その凶腕で佐藤利雄の華奢な体を鷲掴みにせんと迫る黒ゴリラ。ダメ、ここからじゃ間に合わない!

 と――

「こっちに出て来てんじゃねえよ!」

 ぐしゃり。

 駆けつけた白峰零児が黒ゴリラの顔面に飛び蹴りを喰らわせた。黒ゴリラの巨体が杭の内側に戻される。

「アンタなにしてんのよ!? 見られたじゃない!?」

「こいつが言うこと聞かずにこっちに走っちまったんだよ! おい、立てるか? 逃げるぞ!」

「だ、ダメです。アレがなにかわかりませんけど、瑠美奈先輩を置いて逃げるなんてできません!」

「お前凄いな。普通この状況でそんな台詞なんて出ねえぞ」

 そうよ、一般人なら普通はもっと慌てて混乱して喚き散らすところよ。どんだけよ。

 どんだけ、あたししか見てないのよ!

「説明はあとでするから、アンタはそいつと逃げなさい!」

「嫌です! それなら瑠美奈先輩も一緒に」

「あたしが逃げたら誰がこいつの相手すんのよ!」

 叫びながらもあたしはナイフを黒ゴリラに投げ続けている。致命傷にはならないけど、これを続ければ確実に弱っていくわ。

「四条はプロだ。任せとけば問題ない」

「白峰先輩は、瑠美奈先輩の恋人なのに助けようとしないんですか!」

「それは……」

「やっぱりぼくを騙す嘘だったんですね。お互いに名前ですら呼んでなかったし、ずっと見ててなんとなくわかってました」

「……」

 返答に窮する白峰。

 あーあ、バレちゃったか。もうなんかどうでもいいわ。

 さっさとこの黒ゴリラの影霊を倒して、あとはもうなるようになれよ。

「――ぐるぅ」

 黒ゴリラが低く唸って血色の両眼にあたしを捉えた。

 え?


「――ぐるぐぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 怨念じみた叫びを上げ、黒ゴリラはナイフと電撃を吹き飛ばしてあたしに飛びかかってきた。

 嘘!?

 速い!?

 上に……そうだった、つい癖で飛ぼうとしたけど、こんな狭いところじゃ〝影〟の翼を作れない!? 

「やば」

 一瞬の隙。

 避ける暇はもうなく、黒ゴリラの拳があたしの眼前に迫る。佐藤利雄の悲鳴が聞こえる。白峰が無謀にも杭の内側に飛び込もうとしている。

 だけどもう、なにもかもが遅い。

 ――ごめん、漣……あたし、死――


 ブワッ、と。

 あたしと黒ゴリラの間に〝影〟が噴き上がった。


 次の瞬間――斬!

 あたしをぶん殴ろうとしていた巨大な腕が、肩の付け根からスッパリ斬り裂かれた。

 噴出する〝影〟から現れたのは、あたしと同じ黒コートを羽織った少年。

 昔からずっと、一緒にいる幼馴染。

「漣!」

 黒い大剣を握った迫間漣の姿を見た瞬間、不覚にもあたしの中は安堵の気持ちでいっぱいになった。

 来てくれた。漣が来てくれた!

 ……なんで?

「どうして、漣がここに……?」

「話は後にしろ瑠美奈、面倒臭ぇ。あいつの動きを止めてくれ」

 漣は振り向かずに言う。あたしも文句は言わず頷く。

「わかったわ」

〝影〟を繰る。ナイフでも電撃でもなく、帯状になったそれでパシッと黒ゴリラを一瞬で雁字搦めにする。

 影魔導術――〈束縛チェイン

 あたしが二番目に得意な術よ。一番は〈飛行〉だけど。

「今よ、漣!」

「おう!」

 引き千切ろうと足掻く黒ゴリラに、漣が大上段から黒い大剣を振り下ろす。

「――ぐらぁああああああああああああああああああああああああっ!?」

 断末魔。

 黒ゴリラは真っ二つに両断され、霧散し、漣の大剣に吸い込まれるようにして消えて行った。

 漣の大剣――〈黒き滅剣ニゲルカーシス〉が持つ〝影喰み〟の力だ。

「瑠美奈、〝穴〟を!」

「ええ!」

 言われるまでもない。今度こそあたしは〝影〟の糸で空間に開いた〝穴〟を完全に縫い塞いだ。


        ※※※


「はぁ?」

 お化け屋敷を出てから聞いた話に、あたしはつい素っ頓狂な声を上げてしまった。

「し~ら~み~ね~れ~い~じ~」

「そんな怖い顔すんなよ。いいだろ、結果的に助かったんだし」

 なんで漣が遊園地にいたのかというと、白峰の馬鹿が逐一連絡を取っていたらしいのよ。到着したのはついさっきみたいだけど、あたしがせっかく秘密にしてたことをこの馬鹿はこの馬鹿はこの馬鹿はっ!

「事情はだいたい白峰から聞いたけど、面倒臭ぇ」

 漣は少し離れてあたしたちを見ている佐藤利雄に視線をやり、大きく溜息をついた。

「ていうか漣、アンタ風邪は大丈夫なの!? 昨日なんてすごい熱だったじゃない!?」

「馬鹿な……四条が人の心配をしているだと……?」

「うっさい黙れ白峰馬鹿児」

「馬鹿児がふぅ!?」

 つい反射で白峰の鳩尾に頭突きをしてしまった。まあいいや。そのまま腹を押さえて蹲る白峰を何度も足蹴にする。ゲシゲシゲシ!

「大丈夫じゃねえよ。面倒臭いことにまだ気分悪い」

「じゃあなんで来たのよ? 気分悪いなら部屋で寝てなさいよ!」

「お前がピンチだって白峰から聞いたんだよ」

 ゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシ!

「ちょっと四条さんゲシゲシがさっきより強くなってますよ!?」

 地べたに這いつくばったゴミ虫がなんか言ってるけど、人間には言葉がわからないわね。〈言意の調べ〉も虫には効果ないし。

「お前に死なれちゃ、俺が面倒臭えんだ」

 漣は照れたように頭を掻いてあたしから視線を逸らした。

「まあ、漣の〈転移ムーブ〉なら二駅くらいあっという間だろうけど……無理しないでよ。馬鹿」

 俯く。少し泣きそうになったじゃない。

 嬉しくて。

 ゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシ!

「そんな乙女な顔してんのに足だけはしっかり仕事させんのなお前!? 照れ隠しか!? 照れ隠しなのか!?」

「ゴミ虫は黙ってなさい!」

「ゴミ虫言うな!?」

 あーなんか今日はいつも以上に暑いわね。これから白峰の財布でアイスでも食べに行こうかしら? なにそれ名案。

「あの……」

 と、ずっと蚊帳の外だった佐藤利雄が勇気を振り絞ったような顔をして話かけてきた。

「先輩たちがなんなのか、ぼくは聞きません。今日のことは見なかったことにします」

「懸命だな。それなら面倒臭くない」

 漣が適当な口調でそう言うと、佐藤利雄は一瞬だけそっちを睨み、真摯な眼差しであたしを見た。

「悪いわね。白峰との嘘デートで騙そうとしたことは謝るけど、それくらいアンタと付き合うことはなしだってわかって――」

「瑠美奈先輩……ぼく、諦めませんから」

 それだけ告げて、佐藤利雄は駆け去ってしまった。

「わかった上で!?」

 やばいわ。あの子やっぱり強過ぎる。心が。

 また月曜日から面倒なことになりそうで憂鬱。なるべく会わないようにするしかないわね。

「てか、もうお前らがはっきりくっつけばいいんじゃね?」

「うっさい白峰!」

「げふーっ!?」

 とりあえず、腹いせに白峰を思いっ切り蹴っ飛ばしておいた。



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