Dブロック予選で?
三題噺お題『蹂躙タイム・他人のフリ・ポップコーン』
闘技場が完全に修復されるまで一刻ほど時間がかかってしまった。
大規模な破壊痕を埋めるため……ではなく、虚無物質の処理に手間取ったせいだ。一見すると鉱石のように錯覚しがちだが、アレはただの〝無〟。毒にも薬にも金にもならない。
『ヒャホホ! お待たせして申し訳ない! 少々遅れてしまったが、Dブロック予選を始めたいと思う! さあ、最後の選手たちの入場だ!』
司会の道化師が大袈裟な身振り手振りで観客たちを盛り上げる。ポップコーン片手に今か今かと待ちくたびれていた観客たちが、歓声と司会に対するブーイングで闘技場全体を揺るがす中、選手入場口から個性豊かなな選手たちが――
誰も現れなかった。
『ん? Dブロックの選手たちよ、入場して構わないぞ』
司会が再度促すが、入場口には人の気配すらなかった。
最終ブロックに相応しい盛り上がりを見せていた観客たちも、自体の異様さに気づいてどよめいている。
『なあ、グロル。ちょっと聞きたいんだが』
『どうした、我が〝魔帝〟よ?』
主催者席の白峰零児が深刻そうな顔をしてマイクを握る。
『この大会中、Aブロックが始まってからだが……Dブロックの選手って誰か見かけたか?』
『……ラ・フェルデの王ならば』
『飛び入り以外で、だ。いや、飛び入り参加者も受付済ませてから俺はほとんど見ていない』
Dブロックの選手は肩書と名前を聞くだけでも個性が大渋滞していそうな連中ばかりだった。そんな連中が最後の予選までに一つもトラブルを起こさないなど、不自然すぎる。姿を直接見なくとも、なにかしらの報告で耳に入っているはずだ。
Cブロック予選が終わるまで観客席にいたことが確認されているクロウディクスまで現れないのは、本当におかしい。
『……まさか』
『ヒャホホ、そのまさかだろう』
考えられる可能性に、零児たち運営サイドは同時に気づく。いたのだ。一人だけ。Dブロックの選手が昼休憩に零児と接触している。
『はぁ、やってくれたね。これはどう考えてもレッドカードものだよ』
解説席に座る『智嚢の魔王』メーティア・レメゲトンが溜息をつき、闘技場の中心にジト目を向ける。
『参加者をどこへやったんだい? 「誑惑の魔王」エティス』
ゆらり、と。
闘技場の空間が蜃気楼のように揺らめいたかと思えば、そこに黒い羊の頭をした蠱惑的な女体の魔人が出現する。
「ふむ、Dぶろっく予選の開始までもう少し時間がかかると思っていたが……流石は我が君。やつがれの予想よりも早く迷宮を修復なされたようで」
主催者席の横に立つ銀髪の美青年――『迷宮の魔王』グリメル・D・トランキュリティに向かって恭しく頭を下げるエティス。
奴が問題を起こすのはいつものこと。それを知っているグリメルは大きく息を吐いて零児からマイクを借り、ドスの利いた低い声で問いかける。
『おい、エティス。答えよ。貴様、なにをしたのだ?』
「今のやつがれのとれんどは――美青年」
『は?』
グリメルが眉を顰める。零児も同じように嫌な予感を覚えていた。いや、現状が既に嫌な予感を的中させているわけであるが。
「やつがれは美青年とだけ戯れたい気分でございます。それも、厳選された美青年が良い。Dぶろっくの選手は全員、美青年とそうでない者たちで振るい分け、やつがれの領域へと招待いたしました」
白状した。選手全員を拉致するとか、いきなりとんでもないことをやらかしてくれたものである。
くいくいっと、零児の裾を『紅蓮の魔王』野薔薇凛華が引っ張った。
『……〝魔帝〟の……お兄、さん……不自、然な……時が……流れてる……異空間があ、る……よ?』
『そこが奴の領域ってやつか』
零児たちなら奴の領域だろうと無理やり捻じ入ることは可能だろう。だが、簡単に帰って来れるとは限らない。
「そう! やつがれが用意したげえむを見事突破した選ばれし美青年だけが、この闘技場に戻って来られるのでございます! その時には彼らの服も半脱ぎ! 実に目の保養となりましょう!」
『いやふざけんな変態羊!? お前のための大会じゃねえんだぞ!? あと美青年以外は出す気ないってことか!?』
『〝……なにも聞いてないんだけど?〟』
ツッコミ叫ぶ零児の隣で、奴とはマブダチらしい『仄暗き燭影の魔王』ンルーリも不満そうな声を漏らす。
エティスに反省の色はない。選手たちを戻すつもりは毛頭なさそうだ。
零児は主催者席から立ち上がり、右手に日本刀を生成した。
『……観客をこれ以上待たせるわけにはいかない。Dブロック予選の前に少しエキシビションマッチだ! 一部結界を解除する。グロル、お前も来い!』
『ヒャホホ! 御意に!』
闘技場へと飛び降りる零児に、『呪怨の魔王』グロル・ハーメルンも司会者席から続く。
「零児よ、余も奴に仕置きするぞ! せっかく造った舞台を、このように〝冒涜〟されては黙ってられないのだ!」
〝エティス。勝手に面白そうなことしてたの、許さない〟
「運営に一枚噛んだ以上、他人のフリはできないよ。仕方ないさね。アタシも手伝ってやるよ」
「え……? あ……じゃ、じゃあ……わたし、も……」
運営側の他の魔王たちも次々と舞台へと降り立ち、羊頭女身の魔王と対峙する。
司会も実況も解説もない突発的な非公式試合。一対六の構図な上、〝魔帝〟以外も全員が最上位魔王たち。
普通なら蹂躙タイムが始まりそうな豪華面子によるレイド戦だが――
「ふむ、やつがれも美青年たちが出てくるまで暇を持て余していた! 歓迎しよう!」
それでも、この変態羊が相手では不安を拭うことなど一切できやしなかった。
――雑貨屋WING〈魔帝城〉出張店。
「……うわあ」
「……うわあ」
「……あらあら」
「変態です!?」
「つか、アレどうすんだマジで。観客席の不具合でも投げつけるか?」
「絶対良くないことになるからやめてください!?」
――ラ・フェルデ王国来賓席。
「まさか、あの陛下までもが!? 奴め、許さんぞ!?」
「そんな、お義父様……」
「落ち着きなさい、セレス! 結界があるから入れないわ! 零児たちに任せましょう!」
――観客席。標準世界・紅晴市一行。
「…………」
「…………」
「…………」
「……。なるほど、アレが羊か」
「アレが羊だ」
「おっすー。アレが白羽ちゃんが言ってた羊かあ」
「あ、梓いらっしゃい! 予選お疲れ様ー!」
「梓ちゃん腕もませてー❤」
「やっほーフージュ。常葉ちゃんマッサージなら後でよろしく」
「……お疲れ、怪我はなかったのか?」
「ないない。……で、なんでそっちのは地面にいるの?」
「好き好んで踏まれてるわけじゃない……なんでさっきから足に力入ってきてるの痛い帰りたい!」
「何のためにずっと足台にしてたと思ってんだ、アレの盾にするために決まってんだろ」
「なるほど納得」
「ちょっと!?」
――観客席。標準世界・異世界邸敗退者の会。
「……やってんなー」
「やっているな」
「呼んでないのに一緒に来ていた時から嫌な予感はしていましたわ」
「ハァ……ハァ……ところであちらに強そうな人間がいるのですが戦ってきてもいいですか!?」
※※※
魔帝城の中にあって、魔帝城ではない異質な空間が存在していた。
Dブロック予選の選手――百六十七名。彼らが全員、そこに設置された六つの巨大な箱の中へと振り分けられている。否、正確には一名を除いた百六十六名になるが。
「これより、やつがれ主催のDブロック予選の予選を始める。勝ち上がり、元の空間へと戻れる者は、やつがれのとれんどに刺さる美青年のみ!」
その除いた一人の選手――『誑惑の魔王』エティスは、高く聳える代赭色――明るい茶系色――の柱の天辺に立ち、蠱惑的な女体をくねくねさせる不快な動きをしながら宣言した。
羊頭の妖しく煌く両眼が見下ろす先には、六つの箱。
それぞれの箱は段々状に配置されており、中心には一本の旗が突き刺さっている。旗には高い順に以下のような言葉が日本語で書かれていた。
【一流美青年】
【二流美青年】
【ショタ】
【おなご】
【フツメン】
【論外】
完全にエティスの現在のトレンド順だった。
「これよりやつがれからいくつかの試練を課す。試練を見事突破した者は昇格し、突破できなかった者は降格する。最終試練後に【一流美青年】にいた者たちだけをDブロック予選の舞台へと招待しよう!」
単純明快なルールに選手たちもさぞやる気に満ち溢れたことだろう。
「ふざけんな!?」
「てめえも選手側だろうが!?」
「なんの権限があってこんなことを!?」
そんなことはなかった。ギャースギャースと不満の声があちこちから上がる。一番うるさいのは【論外】の箱だ。
「やつがれの権限だがなにか? ああ、論外未満となった者はゴミ箱空間に永久放逐するのであしからず」
さらに【論外】の箱から「ふざけんな!?」の声が酷くなる。全く本当にうるさい。【二流美青年】以上は落ち着いていて静かだというのに。格差が顕著に表れている。
「アハハ、これはどう考えてもレッドカードだよ。〝魔帝〟たちが黙っちゃいない。退場させられるのは僕たちじゃなく、君の方だ」
生意気そうな声でそう言ったのは、【ショタ】の箱に入っているサンドブロンドの髪をした少年だった。
「『柩の魔王』ネクロス・ゼフォン。ふむ……少し前の我が君を彷彿とさせる美少年。惜しいかな、数年前であればやつがれのとれんどの最先端だったというのに」
「……なにを言っているんだい? 自分の立場が分かっていないようだね」
「ん? ああ、レッドカードだったか。そんなもの、跳ね除けてしまえばよかろう」
「いいわけあるか!」
ネクロスが砂色の魔力砲をぶっ放す。エティスは避けることもせず呑み込まれ、立っていた柱の一部ごと蒸発して消えた。
当然、倒してなどいない。エティスは別の柱の上へと転移していた。
「仮にレッドカードじゃなかったとしても、君は今、僕たち全員を敵に回しているんだよ? 『誑惑の魔王』の噂くらいは聞いたことあるけれど、勝てると思ってる? なんなら僕だけでも十分――」
「ふむ、白のブリーフか。要点を抑えていてとてもぐっど。いいねを押してあげよう」
「――ッ!?」
バッ! と自分の股間を抑えるネクロス。エティスがなにもない空間を叩くと、なんだかわからないがサムズアップのアイコンがピコン! 一瞬だけ空中に表示されて消えていった。
「僕の下着を……いつの間に……?」
「立場がわかっていないのはそちらだ。ここはやつがれの領域なれば。なんでもできる。普通なら破る方法の一つや二つ用意されているが、もちろんそんなお約束は存在しない!」
各箱から様々な攻撃が飛んでくる。どれもこれもエティスに直撃したはずのなのに、気がつくと無傷で別の場所に出現している。
【二流美青年】から飛んでくる高度な魔法・魔術、概念付与された魔力砲、超科学兵器。
【フツメン】や【おなご】や【ショタ】の箱から飛んでくる、超高火力の魔力砲や衝撃波やバーベル。
【論外】の箱からは龍の火炎ブレスや灰燼の咆哮や闇の槍。人外及びブサメンや老人などをまとめてぶち込んでいるため数が多く、ここが一番攻撃が激しい。
斬ッ! と。
エティスという存在の概念が〝切断〟された。さらに続けて虚空から出現した星模様の刃が周囲の空間ごとごっそり斬断する。
「……手応えあり。しかし、仕留めてはおらぬでござろう」
「これはこういうイベントだと思っていたが、どうやらイレギュラーな事態のようだ。王である私を差し置いて空間の主を騙るか」
場所は【一流美青年】の箱。
時代劇から飛び出したきたような裃を纏う侍風の青年と、美しい金髪を靡かせる豪奢な王衣を羽織った青年がいた。
「久しいでござるな、ラ・フェルデ王。まさか貴殿と肩を並べて戦うことになるとは思っていなかったでござる」
「『概斬の魔王』殿。貴公とは二十年振りくらいか。再び刃を交えることを楽しみにしていたが、よもやこのような事態になるとはな。貴公であれば奴の領域を斬れるのではないか?」
「〝斬る〟だけであれば、可能でござる。しかしその先が元の空間とは限らぬ。貴殿の神剣で繋ぐことはできぬのか?」
「こちらも可能だ。しかし、元の空間と繋げるには座標を探すところから始めねばならん。少々時間がかかるだろう」
二十年来の友人と再会したように語らう『概斬の魔王』切山魈と、『ラ・フェルデ王』クロウディクス・ユーヴィレード・ラ・フェルデ。
そんな彼らの様子を、エティスは新しく突き出てきた柱の上から眺めていた。鼻血を垂らして。
「嗚呼、美青年同士の掛け合い……実に尊し!」
再び概念斬りと空間斬りが同時にエティスを捉える。だが、確実に当たったはずなのにエティスは無傷で別の場所へと出現するのだった。
「無駄と伝えておこう。やつがれは今、この領域と元の空間に同時に存在している。即ち、両側から全く同時に殺さなければやつがれは死なぬぞ」
「……それはまた、まさに『個』の〝冒涜〟でござる」
「ここは奴が仕掛けてくる試練とやらに乗ってやるのも一興かもしれんな」
諦めたらしく、切山魈とクロウディクスは刃を収めた。他の選手たちもこれ以上は魔力の無駄だと悟り、段々と静かになる。
「あちらは運営側が必死にレッドカードを突きつけようとしていて実に面白いが、こちらもこちらで楽しむとしよう」
ニィヤリと悪魔的な笑みを浮かべ、エティスは一流の美青年を決める戦いの火蓋を切るのだった。
※※※
魔帝城――特設闘技場。
一瞬で組み上がった巨塔が『誑惑の魔王』エティスを喰らうように呑み込んだ。内部が超高難易度の〝迷宮〟と化している巨塔は、一流の冒険者だろうと生きて出ることは不可能に近い。数々のトラップや配置された高位魔獣が明確な殺意を持って侵入者を殺しにかかるのだ。
ダンジョンの壁は破壊不能と相場が決まっている。壁に穴を開けて脱出することもできない。
ましてや創作者は『迷宮の魔王』グリメル・D・トランキュリティだ。即席で構築されたにも関わらず、あらゆる次元でこれより上のダンジョンなど存在しないだろう。
なのに――バゴン! と、巨塔が途中で呆気なく圧し折られた。
攻略されていないのに力を失って消えていく巨塔。降り注ぐ瓦礫の中に浮かぶ羊頭女身の魔人がにやりと嗤う。
想定内だ。
間髪入れず周囲に競り上がった六つの塔の先端。そこに膨大な黒茶色の魔力が収束したかと思えば、エティスに向かって同時に砲撃を開始した。一本一本が上位魔王の魔力砲すら上回る威力で放たれる砲撃が衝突して大爆発を引き起こす。
魔力障壁であっさり防いだエティスに、フッと影が落ちる。
目の前にはまた巨塔が……いや、違う。見上げても全容を測れないほどの超々巨大なゴーレムが、拳を振り下ろしていた。
「お仕置きは――ゲンコツなのだ!!」
ガッ!
ドゴッ!
ちゅどぉおおおおおおおおおおおおおおん!!
星を砕くような一撃が魔力障壁ごとエティスを地面に叩きつけ、圧し潰し、穿った底の見えないクレーターへと突き落とす。
観客全員が黙り込む。あまりにあまりな大迫力に圧倒される。こんな暴虐的な力を振るう大魔王がもし選手だったのならと考え身震いする。
「流石は我が君。すっかり全盛期の力を取り戻しておられますね」
超々巨大ゴーレムの肩。そこに立っていたグリメルの隣に、変態羊が何事もなかったかのように寄り添っていた。
「――ふぁ!?」
「やはり、我が君こそやつがれ最推しの美青年でございます」
ぶちゅううううっ、と。
驚きはしたが隙という隙は作らなかったはずのグリメルの唇を、変態羊は魂を吸うような猛烈な口づけで奪い去った。
なんでもないただのキスだった。なのにグリメルは顔を青くして放心し、超々巨大ゴーレムを維持できなくなり崩壊。瓦礫と共に力なく落ちてくる。
「グリメルがやられた!?」
「ヒャホホ! なんと酷いことを!」
カチッ。
闘技場全体の時が〝停滞〟する。
絶対零度すら下回る冷気が一瞬にして氷の世界を形成した。空中で動きを止めているエティスに巨大な氷の槍がマシンガンのような勢いで次々と突き刺さっていく。
「……ま、だ……やりすぎ……くらい、じゃ……全然…………足りない」
マフラーを靡かせ、黒セーラー服の少女――『紅蓮の魔王』野薔薇凛華がすっと片手を翳す。
周囲に蓮華のような氷の花が無数に出現。それらが高速回転し、切断機となってエティスの体を刺さっていた氷槍ごと細切れに解体した――はずなのに、エティスの破片がぐにょぐにょと蠢いて集結、再生する。
止まっていたはずのエティスの時が動き始める。
「…………きも、ち……悪い……」
パチンとフィンガースナップ。野薔薇凛華の背後の空に氷で造られた時計が浮かぶ。直径百メートルはあろうかという盤上には、ギリシャ数字が円形に並んでいるだけで秒針も長針も短針も存在していない。
絶対に動かない時計。それが、カチリと音を鳴らす。
エティスの周囲に青白い魔力が降り注ぎ、瞬時に氷の柱へと封じ込めた。骨の髄まで完全凍結。どんな生物だろうと生きてはいられない。
普通なら。
氷柱が砕かれる。変態羊が鼻歌を歌いながら出て来る。その身体は極寒で皮膚が裂け、紅蓮の花が咲いたように血塗れになっていたが、瞬き一つする間にその傷は幻のように消えて無くなった。
「……」
再び氷柱に閉じ込める。
砕かれる。
閉じ込める。
砕かれる。
閉じ込め、砕かれ、閉じ込め、砕かれ、閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ閉じ込め砕かれ砕かれる。
「……しつ、こい……の……ッ!」
野薔薇凛華は顔を顰め、羊が氷柱から出てきたタイミングで一本の氷巨剣を串刺した。周囲の空間や時、あらゆる概念ごとまとめて〝停滞〟させるが――
「今のとれんどでなくとも、可憐なる少女のパンツはいと尊きかな」
黒セーラー服のスカートの中に、どこからともなく現れた羊が顔を突っ込んだ。
「……ッ!? くぁwせdrftgyふじこlp!?」
普段の彼女からは考えられない悲鳴を上げ――バッ! と弾かれたように飛び退く野薔薇凛華。スカートを押さえ、顔を紅蓮華のように真っ赤する。
「このようなことに慣れておらん初心な反応。良きかな良きかな」
愉快げな拍手を挑発と受け取った野薔薇凛華は僅かにムッと表情を歪めた。その手に魔力を集中させ、魔王武具の顕現呪言を口にする。
「……いつま……でも……覚えて、いて……あげる……〈孤太刀〉」
野薔薇凛華の手に青白いカッターナイフが握られる。小さく迫力のない魔王武具に見えるが、掠っただけでもその存在の全てを〝停滞〟させる絶死の刃だ。
「いつまでも? ほほう」
「ひえっ……」
鼻の穴を膨らませる羊にビクつくも、野薔薇凜華はカッターナイフを構えて地面を蹴る。
だが、エティスと目が合った瞬間――ゴッ! と鈍い音。正面から突然ぶつけられた謎の衝撃で野薔薇凜華は紙切れのように吹っ飛び、背後に浮かぶ氷時計へと激突。その小さな背中で豪快に粉砕した。
彼女の〝停滞〟の凍獄領域が解除される。
「グレンちゃん!? 羊てめえなにしやがった!?」
下手に加勢すると寧ろ邪魔になるため見守っていた零児が叫ぶ。かつての〝君主〟――旧連合第八位の強大な魔王を易々と撃破したエティスは、くるりと振り返って口を開いた。
「ふむ、眼力」
ただの目力だけで、〝停滞〟の概念魔王を圧倒したというのか。
「ヒャホホホ、まったく私以上に馬鹿げている!」
『呪怨の魔王』グロル・ハーメルンがシルクハットから無数の鳩を飛ばす。エティスを中心に闘技場全域に散らばった鳩たちは、所定位置につくと赤紫色の血を噴出して盛大に破裂した。飛び散った血液がおどろおどろしい呪術式の魔法陣を描く。
「本当だよ。これで変態じゃなければ評価も百八十度変わるんだろうね!」
続いて『智嚢の魔王』メーティア・レメゲトンが煙管の煙を吹いた。すると、象牙色の多重魔法陣がエティスを囲んで多重展開される。
呪術と魔術の最高峰が同時にエティスを襲う。
地水火風の四大元素、陰陽五行、果ては七曜・八卦に五大・六気。ありとあらゆる属性が嵐となって隙間なく空間を埋め尽くす。
もはや観客席からはなにが起こっているのかわからない天変地異。
全てが跳ね返ってきた。
「これだからギャグ世界の住人は困る! ヒャホホ!」
「アンタが言うんじゃないよ!」
グロルはわざと跳ね返った呪術魔術をその身で受け、そのダメージを倍にして直接エティスへと返還。メーティアも知悉しているものに対しては無敵。煙管に魔力を通し、象牙色となって膨らんだ煙が呪術魔術を乱反射し、やはりエティスへと返した。
「ほう」
反射に反射を繰り返したことで威力が倍々に膨れ上がった呪術と魔術が、エティスの肉体を原型を留めることなく、それはもうぐっちゃぐちゃのめっちゃめちゃに破壊した。
「この程度で死ぬなら苦労はない。ヒャホホ、どうせ復活する」
「奴については未知が多すぎるからいけないね。識っていれば〈数秘分解〉してやるんだけどね」
警戒を解かない両者の想定通り、エティスの肉片が意思を持って蠢き始める。
影の手が伸びた。
エティスの肉片が、影に触れられた部分から存在が〝曖昧〟になっていく。元の形を忘れたように復元が止まり、自分が何者かわからなくなったみたいに徘徊し始めた。
〝エティス、これは裏切りだよ。そこは『曖昧』にできない。大会を引っ掻き回すなら、わたしも誘って欲しかったな。いや、それだとわたしが苦労して手伝ったことも壊れるわけだから……うん、やっぱり許さない〟
影の少女――『仄暗き燭影の魔王』ンルーリが黄昏色の魔力でエティスの肉片を焼き払っていく。彼女が手を出してしまえば、因果や事象や記憶さえも〝曖昧〟となり、零児たちはなんのために戦っていたのか段々とわからなくなっていく。
はずなのに、いつまで経ってもエティスという存在を強烈に覚えている。
ドス、ドス、ドスッ!
三つの、なにかが刺さる鈍い音が聞こえた。
どこからともなく伸びてきた代赭色の艶めかしい触手が、グロルとメーティアとンルーリを貫いていたのだ。
「お前ら!?」
焦る零児。
「ヒャホホ! なんのこれしき!」
グロルがダメージ反射の〝呪い〟を発動して触手を破壊する。が、別の触手がデコピンの構えで迫り――
「その道化は……ん-、論外。パンツも見たくない」
バチコンと思いっ切り弾き飛ばした。酷い言われようだった。
零児は声が聞こえた方向に視線をやって――驚愕する。
「とはいえ、さっきのは流石のやつがれも危うきところであったぞ」
触手の先には、サルが大勢の人間のパーツを適当に組み立てたような、生物を〝冒涜〟しているとしか思えない意味不明な巨大触手モンスターが出現していた。
クトゥルフ神話にも出禁になりそうな吐き気を催す怪物。
その頭上から、羊女の上半身が生えていた。
「せっかく、これほどの相手が揃っているのだ。たまにはやつがれも、しりあすな戦いを演じたい気分となった」
「……お前がシリアス? それが既にギャグだろ」
スパン!
巨大生物の触手が一斉に刈り取られた。空中に浮かぶ千の刃が同時に剣舞を踊り、冒涜的な怪物の体を次々と斬り刻んでいく。
「邸で会った時からなにをすればお前が死ぬのかさっぱり見当もつかねえが……」
零児は右手に白い刀身の日本刀――魔王武具〈白峰刀・零刃〉を生成し、居合切りの要領で一閃。流れるように二閃。巨大触手生物を頭上に生えたエティスごと四つ切りに斬断した。
「殺し続ければ、流石にどこかで死ぬんじゃないか?」
「ネタバラシはDブロック予選の予選でやったので、こちらでは言わないでおこう。本当にやられかねん」
当たり前のように再生するエティス。同じく再生した触手が真横から襲いかかり、咄嗟に刀でガードした零児は大きく吹っ飛ばされた。
空中で態勢を整えて着地する。そこにグロルとメーティア、ンルーリにグリメルに野薔薇凛華――それぞれ肉体にも精神にもダメージを負っているが、なんとか全員が集結する。
「〝魔帝〟、アタシはそんな脳筋戦法なんてごめんだよ」
「ハァハァ……あ、悪夢を見た気がするのだ……」
「……あい、つ……パンツ……嗅がれた……シラ、ハ……ちゃんにも……嗅がれ、た……こと…………ないのに……殺ス殺ス殺スコロスコロス」
〝油断してなかったのに油断した〟
「ヒャホホ! なにやらとんでもなくでかい秘密がありそうだ! あと論外は地味に傷つく!」
彼らは一人一人が絶大な力を持つ魔王。だが、それ故に連携が難しい。ターン制バトルのように一人ずつが技を出し合うように戦わなければ、お互いがお互いを邪魔しかねないのだ。
零児は頭の後ろを掻き毟り、ふと脳裏に閃くものがあった。
「……一つ、可能性は限りなく低いが、心当たりがある。悪いけど、少しの間どうにか時間を稼いでくれ」
――雑貨屋WING〈魔帝城〉出張店。
「無茶苦茶だあ!?」
「……流石に正視に耐えないというか……」
「白羽連れてこなくて良かったな。アレ、あいつのお気に入りだろ。頭に血ィ上って無策に突っ込んで即死してたな」
「ママならアレってなんとかできます?」
「流石の私も喰べるものは選びたいですね」
――ラ・フェルデ王国来賓席。
「な、なんなのだあのバケモノは!?」
「うっ……」
「殿下! 見ちゃダメよ! SAN値が下がるわ!?」
「頼むからどうにかしてくれ、零児。このままでは大会がめちゃくちゃになるぞ」
「もうなってる気がするわ」
「お義父様、どうかご無事で」
――観客席。標準世界・紅晴市一行。
「うわあ……何あれー」
「俺が言うのもなんだが、冒涜的っつうか……なんなんだあれ」
「うぇえ……帰りたい……」
「きーにーなーるー! 梓ちゃん、何でさっきから目隠ししてるのー!?」
「ごめんねー、でも流石にこれは非戦闘職が見ると正気を失いかねないわ。あ、竜胆くんは後でお説教ね」
「えっ俺!?」
「……しかし、流石にあそこまでしても応えていないのは妙だ。というより、アレとやり合ったのかお前」
「思い出させんな……っつーかここまでじゃなかったから、手を抜いてたな。とはいえカラクリはある、あの言動見てると多分……ああ、魔帝は気づいたっぽいな」
――観客席。標準世界・異世界邸敗退者の会。
「あの羊、邸ではかなり手を抜いてたんだな」
「我らは奴の生贄となって遊ばれるだけだからな」
「あの六人を相手にして未だに底が見えないってどういうことですの? わたくしだったらたぶん三秒も持たないですわよ」
「あっちの売店で串焼き買ってきたのですが、それはそれとして強そうな人間がいたので戻って戦ってきてもいいですか?」
――選手控室の屋上。
「ジシシ、なんか面白ぇことになってるぜ。なあ、オレたちも〝魔帝〟に加勢した方がいいか?」
「やめておきましょう。これは分岐する未来の中でもかなりいいルートです。運営側が本気で暴れているわけですから、Dブロック以上の結果が期待できるでしょう」
「なんか知らんが、オレらも暴れたらもっといいんじゃないか?」
「ちゃんと本戦は行われます。温存しておきましょう。彼女のように」
「スヤァ……スt°─スt°─……」
※※※
異空間――〝冒涜〟のDブロック裏予選会場。
「あの羊は本当にわけのわからないことをしでかすのです……」
【おなご】の箱に振り分けられているアリス・ユニは、とある邸で反吐が出るくらい顔見知っている存在にげんなりしていた。
アリスたちをこの空間に閉じ込めている『誑惑の魔王』エティスは、なにやら柱の上で胡坐を掻いて眠っているように動かなくなっていた。あちらとこちらに同時に存在しているというめちゃくちゃなことを言っていたから、元管理人代理たちがなにか動いているのかもしれない。
彼女はそもそもこんな頭のおかしい大会になど出るつもりなどなかった。所属している魔術師連盟も異世界のことまでは基本的に関与しない。開催されることは各方面から情報が入ってくるので知ってはいたが、あの常識人だった元管理人代理が主催ということに驚いた程度で、自分が関係することはないと楽観していた。
異世界は異世界でも魔術師連盟と繋がりの強い幻獣界。
そこの地下に存在する竜人王国を支配している大王が参加すると聞かされるまでは。
報告者は親善大使として標準世界と幻獣界を行き来している大魔術師の息子――いや、その表現はもう古い。彼自身が連盟の八人目の大魔術師として就任されているのだから。
とにかく、彼が言うにはその大王――サルコテアという竜人は非常に強欲で好戦的な性格をしており、なんと標準世界への侵攻を企てているらしい。その前の腕試しと強者をスカウトする目的で配下を従えて意気揚々に旅立って行ったのだとか。
放置するといろいろと面倒なので監視してほしいと言われ、なんやかんやでアリスに白羽の矢が立ってしまったわけである。
「こんなことに巻き込まれるなら大人しく観客をしておけばよかったのです……」
「嬉々として参加してたのは貴様なのだわ」
横から同じように疲労が滲み出ている声で話しかけてきたのは、銀髪をお団子ツインテールに結っている少女だった。だが人間ではない。お団子を突き刺すようにして竜の角が生えており、背中にも立派な翼を持っている。
「あ、あれはわたしじゃなくて五条桃が勝手にゲフンゲフン! い、一時の気の迷いだったのです。ティアマトこそ、こんな大会に参加するほど好戦的だったのです?」
「優勝賞品の中に竜の卵がなければ出るつもりなんてなかったのだわ」
幻獣ティアマト。
世界最古にして神話の太祖――メソポタミア文明はバビロニア神話における創世物語『エヌマ・エリシュ』に登場する原初の女神である。『ティアマト』という名は『苦い水』を意味し、即ち〝海〟の象徴。始祖竜でもあり、本人もあらゆるドラゴンの〝母〟を名乗っている。二十年ほど前、卵を守ろうとして神話級のドラゴン軍団を生み出して街を滅ぼしかけた時は、流石のアリスも他の人格たち含め肝が冷えたものだった。
メンタル面に少々問題はあるものの、最上位魔王だろうと相手取れるほど強い彼女を護衛にできたのは本当に不幸中の幸いだった。
「あの変態羊も出ると知っていれば全力で任務自体を断っていたのです……」
ティアマトがいたところでアレはどうしようもない。仮に〝大団円〟を解放したとしても勝てる気がしなかった。
「ところで、監視対象はどうなったのだわ?」
「Cブロック開始一秒で配下ごと消し飛んでいたのです」
「よっわ!? と言いたいところだけれどアレは仕方ないのだわ」
「復活した後も暴れに暴れて今は城の地下牢にいるのです」
「監視する意味、あるのだわ……?」
ぶっちゃけると、もうほぼなくなっている。だからDブロックを棄権するため申請を出そうとして、あの変態羊に捕まってしまったのだ。
「別に勝ち上がる気なんてないのです。あの羊は変態ですが、殺しを楽しむような魔王ではないのです。この箱で大人しくしていればそのうち解放されると思うのです」
「だといいのだわ」
二人で頭上の羊を見上げて溜息をつく。
「あの、ちょっとよろしいですか?」
するとそこに、後ろから若い女の子っぽい声がかけられた。【おなご】の箱なので女性しかいないのは当然である。
振り向くと、オレンジを基調としたフリッフリのノースリーブドレスを纏った少女が困り果てた様子で立っていた。縁日で売っていそうな女児向けアニメキャラのお面をつけているため顔はわからないが、華奢ながら出るところは出たモデル体型で美少女オーラを醸し出している。なのにその手に武器のように握られているものは、重さをトン単位で測れそうなバーベルだった。
「私は畔井真理華……じゃなくて、マジカルマッスル……でもなくて……あっ! 〝魔法少女〟フォーエル・メガマフィンという名前で参加登録している者なのですが、今ってどういう状況なんですか? お二人の会話が聞こえてきたのですけど、あの羊顔の魔人とお知り合いですよね?」
姿格好だけではわからなかったが、うっかり漏らした名前を聞いてアリスは該当人物の記憶を引き出すことに成功した。あの邸の関係者で紅晴市在住の人物は一通り調査しているからだ。
「あなたは確か……悠希さんのお友達なのです?」
「あ、悠希の知り合いだったの? よかったわぁ、同じ世界の人がいて」
知り合いの知り合いだとわかるや否や言葉が砕けた。
「どうしてこんなところにいるのです?」
「通ってるジムの知り合いからあらゆる次元の猛者が集まるって聞いたから、一緒に連れて来てもらったのよ」
紅晴市のトレーニングジム関係者でこちらへ来ている者は二人。どちらにも接点はありそうなのでどっちについて来たのかは考察する意味はない。
彼女は人間だが一応瀧宮系列の術者でもある。その格好とバーベルは気になるが、あの一族にしては物腰落ち着いており、どこぞの駄ルキリーのような戦闘狂ではなかったはず――
「ここなら私の結婚相手と出会えるかと思って」
「いや婚活会場じゃないのです!?」
そういえばそういう人物だった。強者と結婚すると言い続け、三十をとっくに過ぎた今でも独身街道を突き進んでいる。あまりに結婚できなさすぎて、ついにはガチで人外にまで手を出そうとしているらしい。
「あれ? ちょっと待ってほしいのです。今のあなたはどう見ても十代の見た目なのです」
「正体知られちゃってるならまあ、いっか。私中学の頃から魔法少女になれるんだけど、いくら年取っても変身するとあの頃の姿になるって気づいたのよねぇ。梓さんとか知り合いを見かけたから正体知られたくなくて変身して偽名で参加したって感じ」
「……わけがわからないのです」
二十年前、あの街で魔法少女なる者たちが出現していたことは記録を見て知っている。その一人が彼女だったのだろう。
「話が脱線しちゃったけれど、今の状況をわかりやすく教えてくれる?」
「それはこちらが知りたいのです」
「あ、変態羊が動いたのだわ!」
真理華の相手をアリスに丸投げしていたティアマトが斜め上空を指差した。ゆらりと立ち上がった『誑惑の魔王』エティスが、眼下に広がる六つの箱を見下ろして口を開く。
「準備は整った。やつがれ主催Dブロック予選! 美青年格付けチェックを開始する!!」
※※※
ほぼ同時刻――【論外】の箱。
黒龍ヴォルドは困惑していた。
ノワールと契約している彼は、戦うことが堪らなく大好きな戦闘狂である。なのにここ何年も忘れさられたかのように外に出してもらえることもなく、主の魔力を無駄に食らっているだけのぐーたら生活を送っていた。
彼は引き籠って満足できるほどの陰キャではないのだ。とにかく暴れたくて暴れたくてフラストレーションが溜まっていた。ついでに体の脂肪も溜まりに溜まっていた。
かつて古龍の中でも実力者であった彼だが、魔力太りのせいで当時の威厳は微塵もない。
思い出したように主が飛び入り参加を許可してくれたのは僥倖だった。ようやく暴れられる。フラストレーションも脂肪もここで一気に解消してくれる!
そう意気込んでいたのに、突然謎の変態に攫われたかと思えばさっぱりわからない状況へと落とされてしまった。なにが【論外】だ。
「この中でバトルロイヤルをするのかと思ったが、戦いも一向に始まる気配がないぞ。どうなっている?」
周りを見れば人外ばかり。龍の直感が危険だと告げるほどのバケモノどもが犇めいている。えげつないほどの原子力エネルギーを体内に秘めた翼竜種。闇の精霊力を溢れさせている人型生命体。ヴォルドなどスズメ程度の大きさにしかならない巨人。コーヒー豆の集合体に炎の手足が生えたようなよくわからん魔王。
こんな連中と戦えたらどれだけ楽しいか。武者震いするほど気は立っているのに、お預けとは非情につらい。
「準備は整った。やつがれ主催Dブロック予選! 美青年格付けチェックを開始する!!」
ヴォルドたちを閉じ込めている変態羊がなにやら叫ぶ。
「第一問のテーマは『パンツ』だ! 一流の美青年であればパンツを見ただけでその人物像をイメージできるだろう。そこで、たった今時間と空間を飛び越えて入手したとある閉鎖世界の高貴な令嬢が穿いていたパンツと、先程捕獲していた田舎臭い芋娘の記者が穿いていたパンツを見比べてもらう。回答方法は、AかBかの二択の内、高貴だと思う方を心の中で思い浮かべるだけでよい」
戦闘はやっぱりお預けだった。
シュバッ! と分身したエティスが各箱へと降り立つ。その手に持っているものは、ガラスケースに入れられた二枚の人間の女性用下着。それごと分裂していたように見えたが、わけがわからないことに全部が本物なのだろう。
無視して暴れてしまおうかとも思ったが、先程の一斉攻撃でもビクともしなかった。ヴォルドが今まで出会ったことのないレベルの強者だということはわかる。だが、なぜかこの羊と戦いたいという気持ちは湧いてこない。
大人しく指示に従うべきだと本能が警告している。
「フン、人間が身につけているものなど見分けなどつかん……ん?」
気のせいか、片方――Aの下着からは懐かしい気配がする。
奴は『閉鎖世界』と言っていた。もしかするとそれはヴォルドの故郷かもしれない。だとすればこの懐かしい感じにも納得がいく。
――答えはAだ。
高貴かどうかは知らない。そういう意味では間違っているかもしれない。Bの方が感じる魔力量は遥かに多いが、なんの感慨もない下着を選ぶ気にはなれなかった。
「全箱全員の答えが出揃ったようだ。では、正解を発表する」
分身が消え、柱へと戻った変態羊が告げる。
「正解は――Aのパンツだ!」
瞬間、【論外】の箱からヴォルド以外の選手が消滅した。
※※※
【一流美青年】の箱。
クロウディクスと切山魈は全く減っていない箱内を見回して肩の力を抜いた。元々十人程度しかいなかった箱だが、流石は『一流』に振り分けられているだけのことはある。というより、一般的な人間の感性と知見があれば間違うことのない問題だった。
穿いていた人物に関係なく、布の質や装飾の有無からどちらが高価な物なのかは一目瞭然だったからだ。その辺りの良し悪しがわからない人外はBに残留していた強い魔力に引っ張られて間違えてしまったことだろう。
とはいえ――
「正解を当てても気持ちのよい問題ではないな」
「〝魔帝〟から少しばかり話を聞いたことがある。奴は〝冒涜〟の概念魔王。このゲーム、そして問題一つ一つがなにかしらを冒涜しているのでござろう」
全部で何問あるかもわからない。答えている内にこちらの正気度が下がってしまいそうでもある。
クロウディクスは空間の掌握を急ぎ、切山魈は概念を確実に斬るための刃を研ぎ澄ますことに集中する。
【ショタ】の箱。
「これは、どういうことなのです!?」
問題に正解してしまったことで【おなご】の箱からワンラック上の箱へと転移することとなったアリスは、自分の体の変化に気づいて悲鳴を上げた。
一緒に上がってきたティアマトも、畔井真理華――もとい〝魔法少女〟フォーエル・メガマフィンも同じように姿が変わってしまっている。
そう、ここは【ショタ】の箱。
「妾たちが子供に、しかも男の子になってしまったのだわ!?」
「うそー!? 背が縮んで胸がなくなって……下は可愛いのがついているわぁ」
「なにを見てるのです!?」
どこを見ても男の子しかいない。【おなご】の箱から上がった他の選手たちも、【二流美青年】から落ちてきた者も全員がショタにされてしまっているのだ。
「まさか、箱を移動する度に姿が変わっていくのです!?」
つまり、このまま正解をし続けてしまうとアリスたちは美青年になる。性別や外見といったアイデンティティをこれでもかと〝冒涜〟する所業だ。あの羊らしいといえばその通りである。
「つ、次はわざと間違えて【おなご】に戻るべきなのです……?」
「ティアマトさん、美青年になったら私と結婚してください!」
「妾は〝母〟なのだわ!? 男母さんになんてなりたくないのだわ!?」
【おなご】の箱
一問目から見事間違えてしまった『柩の魔王』ネクロス・ゼフォンは、可愛らしいロリっ娘になってしまった自分自身に戦慄いていた。
「な ん だ こ れ は !?」
怒りで体の震えが止まらない。これほどの屈辱は今の〝魔帝〟に一度敗れた時でも感じた事はなかった。そもそもあんな問題、魔王の自分にわかるわけがないのだ。
「この僕にこのような辱めを……奴は必ず僕の手で殺してやるッ!」
そのためには次から正解し続け、最終的に【一流美青年】の箱に残る必要がある。姿は変わってしまうが、ここよりはマシだ。
【フツメン】の箱。
ここでもやはり姿の変化に驚く選手はいた。
「なっ!? 人化していないのに人間の姿になっただと!?」
というか、箱の中はヴォルド一人である。
元々【フツメン】の箱にいた選手たちは正解しようが間違えようが、箱を移動することになる。加えて一つ上が【おなご】の箱ということで、間違える者は誰一人としていなかったのだ。
平凡な顔をした男の姿になっているヴォルドだが、竜の姿に戻ろうとしてもなぜかできない。それでいて力は元のままのようで、火を吐いてみるとしっかり出た。
幸いな事がもう一つだけある。ぶくぶくと太っていた体が平均男性程度にスリムアップしていたのだ。
「ふむ、正答率は七十パーといったところか。人の感性がなくほぼ全滅した【論外】の箱がなければ、九十パーを越えていただろうが。まあ【論外】故によし!」
柱の上で変態羊が満足そうに頷いている。
「では第二問に入る! テーマは『味覚』だ」
発表後、各箱がざわついた。
一問目と比べてなんともまともなテーマだったからだ。
「ここに二種類の塩を用意した。片方は一流の職人がとある素材から丁寧に生成した『エリート塩』と呼ばれる至高の一品。片方はその辺の激安スーパーに売っている粗悪品である。AとBの味を比べ、『エリート塩』だと思った方を心の中で念じよ」
パチン!
変態羊が指を鳴らすと、各箱に皿に盛られた二種類の白い粉が出現した。塩ならばヴォルドも舐めたことはある。故郷の山で採れる岩塩は美味であり、こっそり里を抜けてはペロペロしていた懐かしい思い出。
故に、塩の味比べならば自信はあった。
「Aの塩は……いかにも普通といった感じか」
故郷の岩塩の方が美味い。これは違うだろう。
「Bは……む? なんだこの、しょっぱい中にもしっかりとしたコクのある味は?」
控え目に言っても美味い。故郷の岩塩より美味い。それに強くはないが独特な魔力も感じる。
――答えはBだ。
【おなご】の箱。
「死人の僕は味覚が死んでるんだよぉおおおおおおおおおおおおッ!?」
――舐めてもわからない。さっきは力を感じる方を選んで失敗したからAだ。
【ショタ】の箱。
「ううぅ、あの羊が出して来たものを口に入れたくないのです……ぺろっ」
「あ、Bの方が美味しいわぁ」
「〝塩〟に関する問題を妾に出すとは、舐める必要すらないのだわ」
――た、確かにBの方が美味しかったのです。しかしエリート塩……どこかで聞いたような?
――これはBねぇ。この上品な味は間違いないわねぇ。
――Aは海水から採れた普通の塩。だからBなのだわ。たぶん、きっと、合ってて!
【一流美青年】の箱
「ぺろっ……これは人間の魔力が込められた塩でござるか」
「ふむ、この程度の目利きができず王は名乗れん。舐めずともわかる。Aは普通の塩だ」
――Bでござる。
――間違いなくBだ。
「答えは出揃ったようだな。まだまだ簡単なサービス問題だったかな。そう! 正解はBの塩だ!」
変態羊が答え合わせを告げる。【おなご】の箱から絶叫が聞こえた。
「ちなみにエリート塩を生成した職人はやつがれである。そして、素材となったモノは……」
ブン! 空中に大きな幻影スクリーンが出現。そこにはどこかの世界の建築現場と思われる風景が映し出されていた。
誰も彼もが頭上に疑問符を浮かべる中、スクリーンに黒光りする逞しい筋肉を備え現役バリバリで働くご老人の姿。
まさか、と誰もが嫌な予感を脳裏に過らせた。
「やつがれのとれんどからはかけ離れてはいるが、彼――畔井松千代殿が流した汗を抽出し火にかけ雑味を抜いた物がエリート塩である!」
一瞬、時が止まった。
そして、誰かが「うぷっ」と嗚咽を漏らした瞬間――
「「「「「ゔぉぇえええええええええええええええええええええええッ」」」」」
全ての箱から汚い叫び声嗚咽呻き声のオンパレードが響き渡った。
「ゔぉええええッ!?」 「ハヒューハヒュー」 「うぇぇ……」
「オロオロオロオロ」 「ゲロゲロゲロ」 「ゔぉええええッ!?」
「ふざけうっぷ」 「ゲロぶぇッ」 「なんてもの……」
「ゔぉええええッ!?」 「ガハゲホッ!?」 「は、外したが舐めなくてよかった……」
「あうあう……」 「ゔぉええええッ!?」
「ぱ、パパの汗を私はおえっ……ガクッ」「真理華が死んだのだわ!?」
「ゔぉええええッ!?」 「? たかが人間の体液でないか?」
あまりのショックにBの塩を舐めた者が次々と倒れていく。人としての感覚が薄い【フツメン】の箱の黒龍ヴォルドだけはケロリとしていた。
「エリート塩……思い出したのです。確か昔、日本のテレビ番組でやってた……うっ」
「アリス!? しっかりするのだわ!?」
意識を手放したアリスを抱き起して揺さ振るティアマトだったが、彼女は死んだように目を覚ますことはなかった。
「大丈夫か、切山魈殿?」
「……なんとか耐えたでござる」
【一流美青年】の箱ですら、立っているのはクロウディクスと切山魈の二人だけだった。泡を吹いて倒れた者はピクリとも動かなくなっている。これでは無事にこの空間から脱出できたとしても戦闘不能だろう。
と、その時だった。
《クロウディクス! 聞こえるか? 俺だ! 白峰零児だ!》
クロウディクスの脳内に〝魔帝〟の声が直接響いた。
「白峰零児か。ようやくこの空間を発見できたのだな」
《ああ、こっちも戦闘中だ。今はグロルの呪術で一時的に声を繋げている》
彼の声に混ざって激しい爆発音も聞こえる。戦闘中というのは本当のことらしい。となれば、次に彼が口にする言葉は決まっているだろう。
《これからあの変態羊を攻略する。手を貸してくれ》
※※※
思えば最初から違和感はあった。
ただ殺しても死なない存在なら珍しくもない。大会の参加者にだってそういう連中はいくらかいた。それでも反則にしなかったのは、不死の性質ごと殺し切れたり消滅させたりできる参加者も多くいたからだ。天界一魔王武闘会において単なる不死は問題にすらならない。
零児たち最上級魔王が不死対策できないわけもなく、実際に何度も何度も何度も奴を殺している。
そうなると、奴は死んだり消滅したりした上で復活していることになる。
かつて己の魂を別の物に入れることによって不死不滅を実現していた魔王と戦ったことがある。そいつは魂から魔力を供給することで肉体を動かしていたが、奴はそれとも違うようだ。
ヒントは最初に奴自身が漏らしていた。
Dブロックの選手たちを奴の領域に拉致したと言ったことだ。奴自身がここにいるのに、どうやってその領域を維持している? 主が離れた領域は崩れ去るのが鉄則だ。もっとも、〝冒涜〟の概念にそういうルールは通用しないかもしれないが。
零児の至った仮説が正しければ、その領域内にも奴がいる。
そして恐らく、どちらも本体だ。
二体同時に殺さなければ復活する。昔やったゲームの敵にもそんな面倒臭いボスがいた。
「グレンちゃんが言っていたな。時間の流れが異なる空間があるって」
彼女は時間も関わってくる〝停滞〟の概念だ。そういう不自然な部分があることは感じ取れたのだろうが、正確な座標までは特的できていなさそうだった。
だが――
「ここは俺の〝城〟だぞ。そんなものがあればすぐに特定できる」
目を閉じ、感覚を魔帝城全域へと広げていく。この間は流石に無防備になるが、零児に襲いかかってくる触手はグロルたちが片づけてくれている。
「見つけた……が、本当に俺たちを〝冒涜〟してやがるな」
零児は名状しがたいバケモノとかした変態羊を睨む。
「この闘技場の舞台に重ねて異空間領域を創ってんじゃねえよ!」
零児は白い刀をその場で乱れ振るい、変態羊をバケモノの体ごと微塵切りにしてやった。まだ通用しないことはわかっている。ただの憂さ晴らしだ。
「グロル! ちょっと来てくれ!」
「どうされた、我が〝魔帝〟よ」
呼ぶと足下にシルクハットが転がり、そこから道化風の男が出現した。
登場の演出にいちいちツッコミを入れている暇はない。零児は携帯電話――旧時代のスマホだが改造して魔導具となっている――を取り出し、グロルに突きつける。
「異空間にいる参加者に作戦を伝えたい。お前の〝呪い〟で俺と縁のある人物に繋ぐことは可能か?」
「ヒャホホ! お安い御用! 縁を介することは呪術の定番だ!」
グロルが指先でスマホの画面に素早く呪術陣を描く。Dブロックの参加者の中で零児と一定以上の縁を持つ人物がリストアップされた。
連合に加わっている切山魈。零児の眷属となっているネクロス。異世界邸で管理人補佐をしていたアリスはオフライン。やられてしまったようだ。まずい。向こうの方が時間の流れは遅いと思っていたが、既に相当な脱落者が出ている。
生き残っている者の中で一番話が早そうなのは、やはり――
「クロウディクス! 聞こえるか? 俺だ! 白峰零児だ!」
ラ・フェルデ王一択だ。
《白峰零児か。ようやくこの空間を発見できたのだな》
「ああ、こっちも戦闘中だ。今はグロルの呪術で一時的に声を繋げている」
クロウディクスの声以外は聞こえない。戦闘は起こっていないようだ。どうせ一度は奴に対して攻撃しているだろうから、無駄だとわからされてなんらかの変態的指示に従っているのだろう。
「これからあの変態羊を攻略する。手を貸してくれ」
《こちらにいる奴とそちらにいる奴を同時に討てばよいのだろう?》
「知ってたのか?」
《奴が自分で喋っていたのでな》
「頑張って仮説立てた俺を〝冒涜〟しやがって!?」
そういえば『ネタバラシはDブロック予選の予選でやった』とか言っていた。つまり最初からこうして連絡を取りさえしていれば無駄に戦闘することも悩むこともなかったのだ。
「腹立つけど、まあいいや。せーのでタイミングを合わせるのは現実的じゃない。こっちは奴を殺し続けているから、そっちでもやってくれ。どこかで噛み合えば――」
《いや、つい今し方この通信を介して両空間を全て掌握した。私がそちらにタイミングを合わせよう。合図も不要だ》
「さ、流石としか言えないが、そっちとこっちでは時間の流れが違う。普通に合わせてもずれると思うぞ」
《その点は心配あるまい。こうしてこちらとそちらが繋がっていれば、時間の流れも同期するはずだ》
「そうか。繋いだままにするってことだな。じゃあ、任せたぞ」
零児はスマホの通話状態を切らずにポケットに仕舞うと、改めて変態羊と向き合った。
「おっと、どうやらやつがれのヒ・ミ・ツ❤に気づいてしまったようだ」
「観念するならDブロックの選手を返して土下座して謝れば許してやるよ」
「やつがれが命惜しさに降参を選ぶと? ここから面白くなるというのにそれでは興醒めだ」
瞬間、奴の左右からグリメルと野薔薇凛華が挟撃する。時すら封じ込める氷で足枷を作り、巨大ゴーレムが星をも砕く激烈なゲンコツを打ち下ろした。
さっきまでのエティスなら、それであっさり潰されていただろう。
だが、奴は避けた。
氷に捕まる前に、ゲンコツの範囲外に転移したのだ。
「なっ!?」
「どう……して……ッ!?」
触手が巨大ゴーレムに巻きついて破壊する。野薔薇凛華も絡め取られ、見るに堪えない姿で拘束されてしまった。
「今まではわざと受けていた。最上級魔王の攻撃はどれも強烈で最高に気持ちが良かったものだ」
「まったくドM属性も持っていたとは変態がすぎるよ」
「おっと?」
触手が数字の羅列となってボロボロと崩れ去っていく。『智嚢の魔王』メーティア・レメゲトンの数秘分解だ。どうやらエティスの本体は無理でも、端末までなら解析できたらしい。
〝キモイけど、そこがエティスの面白いところ〟
続いてエティスの周囲の空間がぐにゃりと歪む。ンルーリが〝曖昧〟の檻で奴を閉じ込めたのだ。奴自身に攻撃を当てなかったのは正解だろう。当ててしまえばそこかどんな冒涜的ケミストリーを起こすかわかったものではない。
今の奴は、上下も前後左右も認識できなくなっている。
空間認識が〝曖昧〟だと転移はできない。
「それで? これがどうした?」
なのに、エティスは触手を生やした肉塊を迷うことなく前へ前へと進めてくる。無論、封印という手段も時間稼ぎにしかならないことくらいわかっている。
奴の肉塊を、触手を、地面から生えた無数の手が掴み止めた。
「ヒャホホ! 貴様に弄ばれた者たちの怨念に呑まれるがいい!」
グロルの呪術だ。概念干渉する〝呪い〟が〝冒涜〟と混ざり合って余計に吐き気を催す絵面になってしまっているが……エティスは確かにその動きを一瞬だけ止めざるを得なかった。
「さあ、我が〝魔帝〟よ」
「ああ」
零児は白い日本刀を居合斬りの要領で構える。
「元管理人代理の斬撃は確かに強力。しかし――」
すぽーん! とエティスは肉塊から黒ひげ危機一髪のように飛び出した。マヌケすぎる脱出芸だが、そんな馬鹿みたいなことで〝曖昧〟も〝呪い〟も振り払われてしまった。
「射程外に移動してしまえば問題なかろう?」
「いや、無駄だ。俺はラ・フェルデで神剣の試練を受けたことで空間に縛られない力を得ている」
声が届く距離なら姿も見える。姿が見えれば斬ることができる。
「俺の魔王武具の能力は――〝遠近無視〟だ!」
斬ッ!!
視界を面として捉えて斬り捨てる。たとえ奴が豆粒ほどの大きさに見えるほど離れていようと、否、離れれば離れるほど受ける側からすれば斬撃の規模が途方もなくなるチート技。
「ほう? やつがれとしたことが、これは読み誤った」
背景の城ごと、エティスの体は容赦なく斬断される。
※※※
異空間――〝冒涜〟のDブロック裏予選会場。
「――という話だ、生き残りの参加者たちよ。今ならば奴を殺すことができるぞ」
クロウディクスが話を伝えるや否や、生き残りの参加者たちが一斉に殺気を爆発させた。
「アハッ、そういうことなら僕にやらせてよ!」
「アリスと真理華の仇なのだわ!」
「なんだか知らんがようやく戦ってよいのだな!」
「――斬る」
砂色の魔力砲が、塩の槍が、灼熱の火炎が、概念を裂く斬撃が同時にエティスに向かって放たれる。今殺されてはまずいエティスは転移で逃げようとするが、不発。
「この空間は掌握した。今より私が『王』だ。貴様の自由にはさせん」
「お見事。やつがれの出番もここまでのようだ」
全ての攻撃をその身で受けるエティス。まだ息はあるが、そこへクロウディクスが空間斬りでトドメを刺す。
それが丁度、闘技場で白峰零児が遠近無視の斬撃を浴びせたタイミングを重なった。
バリィイイイン!!
空間がガラスのように砕けて割れる。
気がつくと、そこは元の闘技場の舞台上だった。
「よっしゃ、成功したみたいだな!」
戻ってきたクロウディクスたちを見て白峰零児がガッツポーズを取る。
選手たちの中で立っている者は、クロウディクスを含めて五人。
「よかったのだわ! 妾の体が戻っているのだわ!」
「ぬおっ!? せっかく消えた脂肪が……」
「ああ、ダメだね。まだ屈辱を晴らし切れていないよ。暴れ足りない」
「……本番はここからでござるか?」
クロウディクスはずっと【一流美青年】にいたから被害を受けていないが、箱移動で変化していた肉体もエティスが倒されたことで戻っているようだった。
「ヒャホホ、倒れている者をすぐに教会へ」
グロルが指示を出すと、どこからともなくデフォルメされたペンギンたちが駆け寄ってきて選手たちを担架に乗せて運び出していく。
運営サイドの他の魔王たちも肩の力を抜いた。
「やれやれ、これだけしか残っていないのかい? だいぶ手遅れになっちまったようだね」
「すぐに舞台を修復するのだ!」
「千年……分……くらい……はたらいた……ねむい……」
〝エティス、なんだかんだで面白かったよ。今度はわたしも誘ってね〟
銀髪の美青年だけ残して闘技場から去っていく運営サイドの魔王たち。すると、零児がクロウディクスへと駆け寄ってきた。
「なあ、倒れてる奴らはなにがあったんだ? めちゃくちゃうなされてて当分目覚めそうにないんだが?」
「知らぬ方がよいこともあるが、聞きたいか?」
「……いや、遠慮しとく。どうせロクでもないことだろ。これ以上はもう正気度を下げたくねぇ」
げっそりとした零児は〝魔帝〟としての威厳もなにもあったものではなかった。ここで無理やりエリート塩のことを喋ってしまえば卒倒して大会どころではなくなりそうだ。
と――
「よもやよもや、やつがれが二体同時に倒されるとは予想外である」
今、誰もが最も聞きたくなかった声が闘技場内に響き渡った。
零児とクロウディクスは、いや、他の魔王や生き残った選手たちも弾かれたように声がした方角に振り返る。
「なっ!?」
「無傷だと? また再生したというのか?」
そこには案の定、黒毛の羊頭をした女体の魔人が余裕綽々といった様子で胡坐を掻いていた。
「なんで生きてるんだ!? まだ教会で復活はさせてないはずだぞ!?」
「いつからやつがれの本体が二つだと錯覚していた? 今この時、別のやつがれは異世界邸の風鈴家で飯を食べていたりするのだぞ。やつがれを殺し切るには足りぬ足りぬ」
クロウディクスは顎に手をやる。つまり、あの羊には三体目が存在していたということだ。
「馬鹿な……一体何人いるんだ!?」
「空間の数だけ、と言っておこう」
「この羊!?」
空間とは無限に存在する。そしてエティスという魔王はどの空間にも存在していて、全てを同時に倒さなければ殺し切れない。やはり反則級に無敵だと言える。
「やつがれの異空間を解いたのは、二体同時撃破をるーるとして定めていたからだ。そこに嘘はついていないぞ」
「だとしてもこの野郎!?」
「やつがれは満足した。あとは良しなに大会を続けるとよかろう」
そう言って、エティスはドアでも開けるような気軽さで結界を突き破って観客席へと消えていった。最上級魔王の四重概念結界が意味を成してなさすぎる。
「最後の最後まで〝冒涜〟しやがってあんのクソ変態羊がぁあああああああああああッ!?」
――雑貨屋WING〈魔帝城〉出張店。
「どうやら何とかなったようですね」
「これでようやくスタートラインとか本気か?」
「え、あ、そうか!? まだ予選始まってないのか」
「既に満腹気味……」
「人数もかなり減ってしまいましたし、予選前にあんなのを見せられたら、残った人たちのパフォーマンス面でのハードル高そうですねー」
――ラ・フェルデ王国来賓席。
「お義父様、よかったご無事で」
「あの羊、観客席に入って来たわよ!? 結界は!?」
「もう暴れるつもりはないようだが、警戒は怠るな」
――観客席。標準世界・紅晴市一行。
「な、なんとかなったのかなあ?」
「いや普通に結界ぶち抜いてこっち来てんだが!?」
「こっちとしてはむしろ危険度上がってんだよな……」
「いやだから俺を踏む力増してるって! 痛い帰りたい!!」
「ていうかまーちゃん出てたんじゃん、何があったんだろうなぁ」
「私何も見れなかったー!」
「……あの駄龍が残ったあたり、真っ当な感性の持ち主では残れなかったんだろう」
――観客席。標準世界・異世界邸敗退者の会。
「やあ❤」
「やあ、じゃねえよこの羊!?」
「ド派手に引っ掻き回しやがってこの羊!?」
「もし異世界邸の監督責任にされたら管理人の胃袋に大穴が開きますわよこの羊!?」
「真理華様、いないと思ったらあんなところにいたんですね」