Bブロック予選で
三題噺お題「鎧袖一触・交通事故・何かのレバーの刺身」
その時、天下一魔王武闘会Bブロック予選が行われているはずの円形闘技場は時間が止まったかのように静まり返っていた。
なにかしらの不具合で『紅蓮の魔王』の〝停滞〟が暴走した……わけではない。
実況に解説に控室にいる選手たち、先程まで熱狂していた観客たちすら、舞台上で発生した事態に理解が追いつかず言葉を失っている。
Bブロック予選の参加人数は百十三名。
いずれも単騎で世界を滅ぼせる以上の名を馳せた猛者たち。
そんな彼らが全員。
血の海に沈んでいた。
正確には、たった一人を除いて。
静謐な戦場の風に揺られる、一つに括った亜麻色の髪。口元を黒いマスクで覆い、下は作務衣、上半身はサラシの上から赤地に桜紋様の着流しを羽織っている――小柄な妙齢の女。
瀧宮梓。
握る直刀はあかく、くろい。
纏う気配は肉体そのものが研ぎ澄まされた刃の様。
凪の海原のように静かながら、噴火寸前の火口のように滾る闘気と魔力。
一つの極地に到達していると言える、圧倒的な存在感。
大量の返り血を浴びた姿は、まさに鬼神のごとし。
「上位魔王を相手取れるほど強い人間がいることはAブロックを見りゃわかる。だが……」
静寂を破ったのは、主催者席で観戦していた〝魔帝〟の呟きだった。
「一瞬で百の魔王級を斬り斃すって本当に〝人間〟かよ!?」
――時は、Bブロック開始直前まで遡る。
※※※
「お、思わず勢いで参加してしまいましたが、場違い感がすごいですね……」
自動修復が完了した舞台上で、剣精世界ラ・フェルデの王女――ジークフレア・ラ・フェルデはぞろぞろと集まってきたBブロックの参加選手たちを見回して乾いた笑いを漏らした。
事実、ここは神剣どころか聖剣すら持たない彼女が立っていい場所ではなかった。神剣の試練を五つクリアしているとはいえ、彼女は純粋な剣技だけの普通の少女。本来なら強者たちの力に当てられて気を失ってもいいところだが、魔力ではなく精神力で技を磨くラ・フェルデ人だからこそ平然としていられた。
「終わったらセレスティナ様とマルグレッタ様に超怒られるんでしょうね」
Aブロックの試合を見た限り、彼女に勝ち目はないことは自明の理。
それでも棄権せずに舞台へ上がったのは、今の自分がどこまでやれるのかを確かめてみたい衝動に抗えなかったからだ。
試合が始まるまで残り僅か。今のうちに特に気をつけておいた方がいい選手を確認するべきだ。
といっても、右を見ても左を見てもやばい存在ばかりなのだが……。
「やっぱり目立つのは、あの二匹でしょうか」
視線を少し上にする。そこには二匹の巨大な竜が大人しく鎮座していた。硬そうな黒紫色の鱗に覆われた悪竜というイメージの厳ついドラゴンと、対照的に輝く黄金の鱗を持つ聖竜と呼べそうな神秘的なドラゴン。
ジークフレアはポケットに入れていた参加者一覧の用紙を取り出す。
「えーと、黒竜の方は『冥竜の魔王』ベルナギウス二世……二世? 魔王も代替わりするのですね。金竜の方は『六天星竜』ヘキサゼギオン。どちらもお強そうです。ワクワクしてきました」
ラ・フェルデにも竜種は存在している。というか、神剣の試練の一つが聖殻竜――聖剣の鞘の素材となる鱗を提供してくれる聖獣――を屈服させ、実力を認めさせることから始まる。当然ジークフレアはクリア済みだが、あの二体は恐らく聖殻竜よりも強大だ。
無論、二匹の竜以外の選手も決して軽視できない。
例えば、無数の導火線を生やした黒い球体、巨大なイモムシ、動く恐竜キメラの骨格、クリオネの頭をした大蛇などなど。一目でやばいとわかる異形のモンスター。
人の形をしていれば安心かと言われれば、そんなことはない。蠍の尾を持つ男や、獅子の顔をした獣人男、ドワーフに似た筋骨隆々の虎髭男、未来世界のバトルスーツで身を固めた男、イライラした様子で貧乏揺すりしている赤髪半裸男、浮遊する玉座に座った尖った長耳を持つ黒マントの男……あれもしかして人型の女性は自分だけでは?
と少し不安になった時、屈強な男たちに混じって亜麻色の髪をした小柄な女性を見つけた。なにやら座禅を組んで瞑想している。声をかけたかったが、集中しているようなので近づかないことにした。
「瀧宮梓様、という方ですね。普通の人間に見えましたけど、あの方も魔王なのでしょうか?」
参加者一覧と選手を見比べながら舞台を歩くジークフレア。すると、入場口から入ってきたばかりと思われる緑髪の青年と肩がぶつかってしまった。思いの他強い衝撃。考え事をしながらだったためバランスを取るのが遅れ、尻餅をついてしまった。
「痛たた……あ、申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ今を見ておらず不注意でした」
前髪で左目が隠れた青年は人のよさそうな笑みを浮かべると、ジークフレアに手を差し伸べる。全てを見透かすようなとても美しい青い瞳をしていた。
超がつくほどのイケメン。しかも中華系の王族が着ていそうな豪奢な漢服。しかしイケメン王族は養父で見慣れているため、特になにも思わないジークフレアである。
「あ、ありがとうございます」
好意に甘え、手を借りて立ち上がる。
「余計なお世話かもしれませんが、ぶつかったお詫びに一つアドバイスを。九つ目の試練では選択肢を間違えないようにした方がよろしいですよ。命を落とします」
「え?」
「忘れていただいて結構です。この大会とはなんの関係もありませんから」
彼はそれ以上はなにも言わず、スタスタと手を振って去ってしまった。
「一体なんだったのでしょう?」
「そこな人間のお嬢さん」
「ひゃっ!?」
急に野太い声をかけられて短い悲鳴を上げてしまった。振り向くと、ジークフレアはもう一度悲鳴を上げそうになってぐっと堪える。
そこには見上げるほど巨大なイモムシがいたのだ。
どこぞの総長のように虫が苦手というわけではない。養子として王家に迎えられる前は野山を駆け回るわんぱく少女だったのだ。巨大な虫の魔獣だって何度も倒したことがある。それでも突然目の前に現れると驚いてしまうのは極めて普通の反応だろう。
「あなた様も、魔王? 私になにかご用でしょうか?」
「ハァ、ハァ、ぼ、ぼくは『変態の魔王』キャタピラル・ディザスターだのん。お、お嬢さん……と、とても、柔らかくて美味しそうな体してるね! ハァ、ハァ」
「ヘンタイ様でしたーッ!?」
「その〝変態〟じゃない!? し、失礼だのん!?」
短い脚をカサカサ動かし、横に開く嘴のような口から白い糸をシュルシュルさせながら迫ってくる『変態の魔王』。ジークフレアは身の危険を感じて思わずブルリと震え上がった。
と、その時――
「とう!」
「ほぐふぅ!?」
どこからか飛んできた黒いセーラー服の少女が巨大イモムシの顔面をライダーキックでぶっ飛ばした。
風に靡く美しい白髪に、宝石のごとき赤く妖しい瞳。困っている人の前に颯爽と現れて敵を倒す。自信満々な笑みを浮かべた彼女は、まるで標準世界から取り寄せた漫画という娯楽のヒーローのようだった。
「な、なにをするのん!?」
「決まってるです! 変態は天誅です!」
「だから〝変態〟違いなのん!?」
長い胴をくねくね動かして抗議する巨大イモムシに対し、白髪少女は腰に手をあてた仁王立ちで正面から堂々と対峙する。ジークフレアと同い年くらいなのに魔王相手に全く物怖じしていない。
「あの子を襲おうとしてたです!」
「ぼ、ぼくはお話しようとしてただけなのん!」
「嘘です! 美味しそうとか言ってたです!」
「褒めてたのん!?」
「あ、あの、もしかするとこの方が不器用なだけだった可能性も」
「ないです!」
必死で弁明する巨大イモムシが可哀想に見えてきたので、争いを止めるために擁護したジークフレアだったが、白髪赤目の少女は彼女の言葉すら聞く耳を持たない。
やがて巨大イモムシ――『変態の魔王』キャタピラル・ディザスターがブチキレた。
「お、お前うるさいのん。このぼくを蹴ったし……許さないのん!」
彼はイモムシの体を大きく逸らせる。
と――
ピィイイイイイイイイ!
よく響く笛を吹きながらデフォルメされたペンギンの魔物が駆け寄ってきた。何度も笛を吹いて両者の間に入ると、なにやら黄色いカードを白髪赤目の少女に見せる。
『ヒャホホ! 予選開始前の私闘は許可されていない! 『変態の魔王』キャタピラル・ディザスターを蹴った白銀紫にイエローカード!』
「えええええええええええッ!?」
『次やったら失格だ』
「えええええええええええッ!?」
実況席に向かって目玉が飛び出そうなほど驚く白髪赤目の少女――白銀紫。こうなることがわかっていたからジークフレアは止めようとしたのだが、遅かったようだ。
「ありがとうございます、白銀紫様。そして申し訳ありません。わたくしのためにイエローカードになってしまって」
それでも、彼女はジークフレアのために怒ってくれたのだ。
礼を言わねばラ・フェルデ王家の恥である。
「うん、まあ失格じゃないならセーフです。それより年近そうですし、そんな畏まった喋り方しなくて『紫』でいいですよ」
「ふふ、ぐいぐい来ますね。変態でなければそういうのは嫌いじゃありませんよ、ユカリ」
「順応早ぇですね。まだ硬いけど」
「敬語はそういうキャラなので許してください」
「キャラなんですか!?」
「キャラなのです」
「もしかして真正のコスプレイヤーです? あ、そういえば名前」
「ハッ! わたくしとしたことが名乗りもせず。ジークフレアと申します」
「なんですそのカッコイイ名前!?」
可憐な笑顔で笑い合うジークフレアと紫。
すると、ジジジとわざとらしくマイクのノイズが鳴り響いた。
『さーてさてさて、少女同士が友情を芽生えさせたところで! 選手も出揃った! ヒャホホ! Bブロック予選を始めたい! 位置についてー……』
急に始まった予選開始の合図に、ジークフレアと紫は一旦お互いから離れて身構える。他の選手たちも痺れを切らしていたように闘志と殺意を爆発させる。
『Bブロック予選――バトルスタート!』
※※※
――雑貨屋WING〈魔帝城〉出張店。
「なーにやってんだうちの馬鹿娘は」
「あの初対面にぐいぐい行く感じ、間違いなく羽黒さんの娘ですよ。まだまだ荒いですけど」
「そう言えばユウさんと真奈さんは乱入……もとい、援護の準備はよろしいのですか? Bブロック、始まりましたよ?」
「……最初は、ちょっと考えたんですが」
「流石にアレはヤバそうなんでやめときます。有象無象と一緒に一薙ぎにされそうなんで」
――ラ・フェルデ王国来賓席。
「殿下! ご無理だけはしないでください! 危なくなったらすぐにリタイアするんですよ!」
「無理もなにも死ぬ時は一瞬で木っ端微塵でしょ。殿下は神剣も聖剣もないのよ。リタイアとか言ってる暇ないわ」
「さては諦めているな、マルグレッタ第八師団長。殿下はそれでも我ら聖剣に匹敵する実力があるのだ! 木っ端魔王ごときに敗れはせん!」
「ちょっと落ち着きなさいよ、セレス! あんた殿下に勝ってほしいの負けてほしいの!?」
「とりあえずこの予選が終わったらイモムシ狩りに行くぞ!」
「やめなさいよ!?」
――観客席。標準世界・紅晴市一行。
「いよいよ梓ちゃんの出番だね〜! 楽しみー♪」
「うー……いいなぁ」
「着流し……看板……うっ、帰りたい……」
「動くな足台、こんなとこでジャミング振りまこうとするんじゃねえ」
「ぶぎゅ!?」
「……。ああ、思い出した。そいつが例のジャミングの原因か」
「今かよ」
「……何でお前ら全員そんな平気なんだよ! ちっとは心配しろ!?」
「何の心配してんだ」
「はぁ!? そりゃ梓の」
「フージュを見ろ、要らねえっつうの」
「いいなぁ……」
※※※
Aブロック同様に、Bブロック予選も開始早々から大混戦の荒れ模様となった。
カラフルな魔力砲がビュンビュン飛び交う光景も変わらない。違う点があるとすれば、馬鹿みたいな火力の超範囲攻撃を連発する脳筋の戦闘狂が少ないことくらいだろう。そのおかげか巻き込まれて脱落する者がなかなか出ずに戦場は拮抗している。
「は、離れろ!? 流石にあいつらの近くじゃ戦えん!?」
誰かが叫ぶ。
広大な闘技場の四分の一をその巨体で埋める二匹の竜が取っ組み合いを始めたのだ。黒竜は『冥竜の魔王』ベルナギウス。金竜は『六天星竜』ヘキサギデオン。至近距離でブレスを吐き合いながら腕や尻尾や翼を振り回して行わるプロレスに、足下にいた選手たちの何名かが踏み潰されてしまっている。
そんな二体の竜を――
「ドシドシドシドシ、じゃかぁしいんじゃあッ!!」
拳に赤い魔力の炎を纏わせた半裸の男が飛びかかり、二体の横っ面を同時に殴り飛ばした。二つの巨体が絶叫を上げながらドッと倒れ込み、震動が闘技場を大きく揺らす。
『〝怒り〟の概念――「憤激の魔王」イラ・サタナキアが暴れる両竜を止めた! 旧魔王連合序列十三位は伊達ではない! 彼は昔から常に意味もなく怒っていて空気を悪くしていた! カルシウム摂取しろ!』
『カルシウムで概念が鎮圧されちゃ立つ瀬がないんだよ。ていうか、アタシ解説役じゃなくツッコミ役になってないかい? そういうのは〝魔帝〟にやらせてほしいもんだよ』
無論だが、ワンパンで倒される竜たちではない。すぐさま起き上がって邪魔者へと反撃を開始する。と、彼らが大暴れする足下に一人の影がちょこまかと動いていた。
「ははは! 竜王クラスの新鮮な素材が取り放題だわい! ここはワシにとって天国か! やはり参加して正解であった!」
子供程度しかない背丈だが、筋骨隆々とした横に大柄な虎髭の男――『釛床の魔王』グランドロフ・グラッハである。鍛冶職人が拗らせて魔王となった彼は、大会の優勝よりも参加者たちから剥ぎ取れる素材の方が目当てだった。既に竜王二体が戦った際に剥がれ落ちた鱗や、〝怒り〟の概念の残り火などを回収できてウッハウハな顔をしている。
一方、舞台の別の場所では異様な光景が広がっていた。
その一画だけ戦闘が行われていないのだ。十人以上の選手たちが、浮遊する玉座に長い足を組んで座っている男を守るように円陣を組んでいる。
彼らは魔王と眷属の関係――ではない。
果敢にも戦いを挑もうと突撃した鎧武者や軽鎧の女戦士や山羊頭の執事らがそこに近づいた途端、葡萄色の魔力が纏わりつき、足を止めて脱力する。そしてなにを思ったのか円陣に加わると、軍隊のように武器を構えたままピシッと直立した。
浮遊玉座の男が頬杖をつく。
「貴公らは今より余の忠実なる兵隊である。余を守り、余の為に戦い、そして最後は自ら死を選ぶがよい」
「「「はっ!」」」
先程まで敵意剥き出しだった選手たちが男の声に反応して敬礼する。そのような光景を見てしまえば他の選手たちも近づくのを躊躇せざるを得なかった。
『ヒャホホホ! 孤軍奮闘、あっても共闘になるはずのバトルロイヤルで軍隊を編成してしまった! 奴は「蓋世の魔王」ヴォルデマール・エリアス・ベン・ヘルシャフト! 万物万象を強制的に自らの所有物に変えてしまう恐ろしき〝支配〟の概念だ!』
『アンタ、さてはアタシから解説の仕事を奪う気じゃないだろうね? そうはさせないよ。日和って膠着されてもつまらないから教えるけど、まず奴は自分以上の存在を支配できないんだよ。それと強制支配術が発動する有効範囲も限られている。正確には広げれば広げるほど弱くなるのさ。普通の人間相手なら一国丸ごと覆うことも可能だろうね。でも、今大会の参加者相手だとせいぜい数メートルが関の山だよ』
解説を聞いて自分の方が上だと思っている者が何名か突撃した。結果支配されてしまい、やはり近づくのは危険だと悟った選手たちは遠距離攻撃に切り替えた。
「無駄なことを」
即席された『蓋世の魔王軍』と暗黙の了解で共闘することになった選手たちが魔力砲の撃ち合いを開始する。だが、『蓋世の魔王』はその魔力砲すら〝支配〟して捻じ曲げ、反射し、選手たちを蹂躙していった。
さらに別の場所。
なにか強烈な物理攻撃が行われたと思われる轟音が響き渡った。
「誰かそのイモムシを止めろーッ!?」
「ぐはぁあああああああッ!?」
大きく仰け反った巨大イモムシ――『変態の魔王』キャタピラル・ディザスターが、凄まじい速度の頭突きを放つ。そのインパクトは〝迷宮〟の権能で創られた舞台床を粉砕し、近くにいた選手たちを紙屑のように薙ぎ払っていく。
「あ、あのお嬢さんたちは、ハァハァ、どこなのん? ぜ、ぜったいぼくが、お、おおオシオキしてやるのん! ハァ、ハァ」
キョロキョロと頭を振って目標の少女を探しながら、腹脚を動かして前進するキャタピラル。
実はその後方で、予選前に彼を蹴飛ばした白銀紫は蠍の尻尾を持つ暴走族風の男と戦闘していた。
「ギャハハハ! 荒は目立つがぁ、ガキのくせに悪くねえ動きするじゃねえかよぉ!」
「サソリのおじさんこそなかなかやるです!」
「『蛇蝎の魔王』フィア・ザ・スコルピ様だぁ! 覚えてから死ねぇ!」
蠍男――フィア・ザ・スコルピが放つ拳や蹴りや尻尾による乱打を、紫は半ばで折れた大太刀の柄で捌く。硬い甲殻で覆われたフィア・ザ・スコルピの腕や足と打ち合う度に火花が弾ける。
「面白くなってきたぜぇ! ――喰い千切れ、〈蛇蝎剣〉!」
フィア・ザ・スコルピの右手に禍々しい連接剣が出現。どこまでも伸びる刃が予測不能な軌道を描いて襲いかかる。
「Aブロックの時から思ってたですが、魔王さんが武器出す時なんかめちゃめちゃカッコイイこと言ってるですよね!? 紫もそれやってみたいです!」
「あん?」
赤いお目目をキラッキラさせて連接剣を軽業師のようにかわしていく紫。切れ味抜群な上に猛毒が付与されている刃が他の選手たちの背中を切り裂いているが、そんな蚊帳の外のことなどもはや彼女の眼中にはなかった。
「紫、楽しそうですね。ふふふ、ではこちらも……」
彼女の様子を遠くから一瞥したジークフレアが、目の前の相手に視線を戻す。獅子の頭を持ち、身の丈ほどもある片刃大剣を構える逞しい獣人――『百獣の魔王』レオン・エヴァンスだ。
「……参る!」
一鼓動でジークフレアと間合いを詰めたレオンが片刃大剣を豪快に振り下ろす。宍色の魔力を纏った刃をジークフレアは長剣で受け流し、一歩踏み込んで鎧の隙間を斬りつける。
だが、レオンは常人離れした反射速度でジークフレアの剣をかわした。強烈な蹴り技が来るが、ジークフレアは敢えて受けてその勢いを利用して高く飛び上がる。
一瞬で精神を集中させ、地上に向かって超高速で剣を素振りする。異能でもなんでもない。純粋な剣技だけで放つ闘気の波動に、レオンは開いた口から放射された宍色の魔力砲で応戦した。
ジークフレアの闘気は拮抗することなく呑まれる。
「うわっと!? やはり魔王は手強いですね」
闘気を放った反動で体をずらして魔力砲をかわすと、ジークフレアはスタリと華麗に着地を決めた。
「……人の子にしてはしぶとい。少々大人げないと思っていたが、〝百獣〟の本領を発揮させてもらおう」
レオンが片刃大剣を地面突き刺す。すると彼を囲うように宍色の魔法陣が展開し、ざっとでは数え切れないほど多種雑多な魔獣たちが召喚された。
「これは圧巻ですね。神剣があれば数なんて関係ないのですが……いえ、お養父様なら神剣なしでも無双してしまうでしょう。であれば、いずれその極地に至るわたくしにできないはずはありません!」
レオン本人も含め、これほどの強敵を相手にする経験はラ・フェルデでお留守番をしていたら叶わなかっただろう。
また一歩自分が成長する実感を覚え、彼女は嬉しそうに笑った。
※※※
科学が進んだ世界で手に入れたバトルスーツとゴーグルを装着した男――『復活の勇者』アカツキは、この場で強大な魔王たちを相手に戦えている自分に感激の涙を零していた。
彼は若い頃に普通の勇者として魔王を打ち倒した経験がある。その後も魔王ハンターとして次空保安局が出している賞金首を狩っては食い繋いでいた。
だが、ある日彼は標準世界で想像に絶する体験をする。
脅威度Sランク程度の魔王を姑息な手を使って倒しただけでイキッていた自分が、どれほど矮小な存在だったのかを思い知った。心を折られた彼は勇者も賞金稼ぎも辞めて田舎でスローライフを満喫することにしたのだ。
田舎暮らしは思いの外上手く行っていた。
しかし、どうにも物足りなさがあった。心をポッキリ折られたはずなのに、死と隣り合わせだったあの頃が酷く懐かしく感じ始めたのだ。
――これでいいのか?
――お前は、本当は戻りたいのではないのか?
――逆立ちしたって敵わないような存在に立ち向かいもせず諦めて、悔しくはないのか?
心の中にいる勇者としての自分に叱咤され、彼は目が覚めた。初めて魔王を討ち取った時も無謀すぎる挑戦だったはずだ。その時の気持ちを、彼はいつしか忘れていたことを自覚する。
そこから先は猛特訓の日々だった。
血肉を削る思いでひたすらに己を鍛え続けた。
やがて、その時住んでいた世界に魔王が襲来した。脅威度SSSランクを越える強大な魔王だった。心が折れた状態だったら真っ先に逃げ出していただろう。だが彼は意を決してその魔王に一人で立ち向かい、そして死闘の末に正面から堂々と討ち倒したのだ。
努力が結ばれた。
自分の力に、初めて心の底から自信を持てた。
復活した勇者アカツキは魔王ハンターにも復職し、今回の馬鹿げた大会を知って参加を決めたのだ。
同業者たちは開幕前に一網打尽にしようと企んだが、そんなの失敗するに決まっている。案の定相手にすらされず撃沈してゴミを処理するように片づけられてしまった。
試合でいくら魔王を倒しても復活するから賞金は稼げない。
アカツキの目標はただ一つ――優勝特権で得られるかもしれない〝魔帝〟の首だ。
主催者席から舞台を見下ろしている〝魔帝〟はどっかで見たような気がする顔だが、どうでもいい。奴の首を取りさえすれば金も名誉も力も手に入る。過去の惨めな自分すらなかったことにできる。
「さあ、来い! 魔王ども! この勇者アカツキが一人残らず討ち滅ぼして――」
ちゅどおおおおおおおおおおおおん!!
啖呵を切っていたアカツキはすぐ傍で発生した大爆発に呆気なく呑み込まれた。
だが、吹き飛ぶことはなかった。咄嗟に展開した対魔法シールドがその身を守ったのだ。
ゴロゴロとなにかが転がる音を立て、大きな丸い影が近づいてくる。
「小癪なオモチャを使うではないか、人間。貴様が『勇者』を名乗るのであれば、この我が相手をしてやろう」
それは巨大な黒い球体から生えた何本もの導火線が手の形を作る怪物だった。ぎょろりとした一つ目に、ギザギザの牙が生えた大きな口。感知できる魔力は決して甘く見てはならないレベルだ。
アカツキはゴーグルの側面にあるボタンを指で操作する。
「『爆滅の魔王』バオチャー。爆弾の化身。脅威度SSS+。フッ、雑魚か」
「ヘルメスレコードを参照したか! だが情報とは日々更新されるもの! 我の力がデータ通りだと思うな!」
導火線の手が拳銃の形を作る。その指先が発火したかと思えば、なにかが射出されたのだろう。連続する爆発がアカツキへと襲いかかる。
「【展開】――〈リフレクター〉!」
リストバンド型の端末を高速で操作して前方に光の壁を生成。爆発が壁に振れると、その軌道が百八十度反転した。
「なに!? 我の爆発を反射しただと!?」
横に文字通り転がって自分の爆発を避けるバオチャー。アカツキはその一瞬の隙を見逃さず、さらにリストバンドを操作する。
「【起動】――〈光学迷彩〉!」
「消えた!? どこにいった勇者!?」
光を屈折するスーツで身につけているものごと背景に溶け込んだアカツキ。キョロキョロと焦った様子で捜しているバオチャー。
「目の前だ、ノロマ野郎」
姿を現したアカツキは、引き抜いた未来拳銃の銃口をバオチャーの眉間に突きつけた。
「おいちょっと待て!? 冷静になれ!? そんなことをすれば我自身が起爆して大変なことになるぞ!?」
「貴様ごときではAブロック以上のことは起きまい」
躊躇なくトリガーを引く。
「【照射】――〈マテリアルブラスター〉!!」
青い閃光がバオチャーの脳天……たぶん脳天と思われる部分を貫通し、その巨体を闘技場の中心近くまで吹っ飛び転がす。
カッ! とバオチャーから凄まじい光が――
ちゅどおおおおおおおおおおおおん!!
爆弾の化身たるバオチャー自身が大爆発を起こし、複数の参加者を巻き込んで木っ端微塵に消し飛んだ。
「俺だって変わったんだ。もうSがどれだけ並ぼうとビビリはしない!」
※※※
闘技場の中心で発生した超々大な爆発は、多くの選手を巻き込んで爆死させ、戦況に大きな影響を与える――はずだった。
実際に巻き込まれたのはかなり近くにいた数名だけ。
爆発の発生と同時に複数の人物が動いていた。
まず『憤激の魔王』が一瞬で接近し、怒りエネルギー全開の赤い炎で爆発ごとバオチャーの巨体を高く打ち上げた。
それでも余裕で地上まで届く爆炎爆風を『蓋世の魔王』が支配。停止は無理でも拡散を僅かに緩やかにさせる。
最後は『変態の魔王』が口から吐いた白い糸で爆発を包み込み、下手をすれば選手が全滅する事態まであり得た衝撃を全て強引に抑え込んだのだ。
要するに、『爆滅の魔王』バオチャーの自爆は彼を知る者からすれば連携してでも止めるべき大惨事だったわけである。
「おんどりゃあ! 誰じゃあがいなもん起爆させちょうアホンダラはぁあッ! ワシがブチ殺しちゃる!」
「代々の『爆滅の魔王』は当人の強さこそカスであったが、その全員が一度の自爆で十単位の世界を消滅させている。当代は余が知る中でも最も強い力を持っていた」
「ま、まったく危ないことするのん。し、死ぬかと思ったのん。ハァハァ」
魔王たちが口々に吐き捨てる愚痴を聞いた『復活の勇者』アカツキは――だらっだらと滝汗を掻いて唇を引き結び、くるりと踵を返すのだった。
『アカツキくんさぁ、ヘルメスレコードでカンニングしてるなら隅々までちゃんと読み込むべきだったのではないかな? 反省することだ、ヒャホホ』
「――ッ!?」
実況が逃がしてくれなかった。
「あの野郎が犯人だ!?」
「テメエかこの野郎!?」
「ぶっ殺してやる!?」
「待たんかワレェ!!」
「チクショー!? せっかく決まったと思ったのに!?」
※※※
ちょっとしたトラブルはあったものの、Bブロック予選はすぐに戦闘を再開させた。相手を替え戦術を替え、目まぐるしく動く戦場に観客たちも元の盛り上がりを取り戻していく。
「『六天星竜』が恐竜キメラの骨格を討ち取ったぞ!?」
「『蛇蝎』が『蓋世』に仕掛けた!? すげえ、あいつ〝支配〟されねえぞ!?」
「女の子二人が『憤激の魔王』と戦ってる! 頑張れ!」
「冥竜王のブレスだ! やっぱ迫力が違う!」
「勇者アカツキを殺せ!!」
野次から声援、驚嘆まで様々な反応を示す観客たち。
選手たちからも次第に注目選手が脱落し始める。
そんな中で、ある一人の選手に変化が起こっていた。
「こいつ、この『蒼の剣聖』ブラオに斬れぬほど硬いだと!?」
蒼刃の長剣を握る男が冷や汗を流しながら睨む先には、玉虫色の殻に覆われた巨大なサナギが転がっていた。
「くそっ、さっきまでブヨブヨだったのに!?」
別の選手が魔力砲を撃つ。しかし巨大サナギに傷一つつけることもできなければ、一ミリも動かすことさえ叶わなかった。
ずっしりと、確かな重量感でそこに根を張っているかのように微動だにしない巨大サナギが、妙に息を荒げてどこにあるかもわからない口を開く。
「ハァハァ、ぼ、ぼくは『変態の魔王』第二形態――クリサリス・ディザスターなのん。な、何人たりともぼくを傷つけることはできないのん。ま、またさっきみたいなことが起こったら嫌なのん」
それは巨大イモムシだった魔王が蛹化した姿だった。『爆滅の魔王』の時のような大惨事に備え、防御力特化の形態へと〝変態〟したのである。
全身光沢のある玉虫色をした巨体だ。イモムシの時よりも目立つ。選手たちから格好の的になってしまったわけだが、現状誰にもその超硬度の殻を突破できていない。あの爆発すら防げるつもりで〝変態〟しただけのことはあるようだ。
「……どけ、次は我がやろう」
剣聖ブラオの肩を押し除け、魔獣たちを引き連れた獅子顔の戦士が巨大サナギの前に出た。
『百獣の魔王』レオン・エヴァンス。
どんな魔獣だろうと屈服させ続けた百戦錬磨の剣闘士。その末路である彼の磨き抜かれた屈強な肉体から繰り出される技の数々は、魔力も込めないただの物理技ですら大地を割るほどの超威力を誇る。
「……外野も見ているだけではつまらんだろう。我が〝百獣〟の相手でもしておけ」
低く唸るような声でレオンはそう言うと、従えていた魔獣たちが他の選手に向かって一斉に躍りかかった。強力な魔獣による不意打ちをくらった選手たちの悲鳴が上がる。
しかし、腐ってもこの大会に出場している猛者。召喚魔獣ごときに即死させられるほどの雑魚はいない。すぐに体勢を立て直して魔獣たちと戦い始める。
それを無感情に横目で一瞥すると、レオンは構えた片刃大剣を強く握り直した。
『おーっと! ここで「百獣の魔王」レオン・エヴァンスが「変態の魔王」キャタピラル・ディザスター改めクリサリス・ディザスターに勝負を挑む! 解説役殿はどちらが勝つと思われるか?』
『久々にアタシに振ってきたね。しかもアタシが予想を口にすれば答え合わせになっちまうタイミングで。ホント嫌な奴だよ、アンタ。超威力の「百獣」か、絶対防御の「変態」か。見てのお楽しみ、とだけ言わせてもらうよ』
力強く重い一歩を踏み込んだレオンが片刃大剣で巨大サナギを滅多斬りにする。生物を殴ったとは思えない金属が連続し――ピキリ、と。
罅割れ、砕けた。レオンの片刃大剣が。
巨大サナギは、無傷。
「……フン」
レオンは静かに鼻息を吐くと、砕けた片刃大剣を無造作に放り捨てる。それから徒手の状態で中段に構え――カッ! と目を見開いた。
「吼えよ、〈獣王の剣闘刃〉!」
召喚された魔王武具は、十メートルはあろうという宍色の刃をした両刃超剣だった。
レオンは握りを確認するように豪快に振り回して旋風を巻き起こす。自分が召喚した魔獣たちごと周囲の選手たちを吹き飛ばしていく。
戦士の鋭い眼光が巨大サナギを捉える。
「……参る」
最強の矛と最強の盾。
強烈な火花を散らして衝突する両者。
その、勝負の行方は――
「……馬鹿な」
〈獣王の剣闘刃〉が大きく弾かれたことで決した。
「お、おおお前、さささっきから迷惑なのん!」
巨大サナギから玉虫色の魔力砲が放たれる。それは驚愕に目を見開いていたレオンをあっさり呑み込んで吹っ飛ばし、結界に背中から叩きつけた。
クリサリス・ディザスターの完全勝利である。
『意外かもしれないけど、そいつは長き時を討伐されず生き続ける立派な古参魔王の一体だよ。「百獣」ごときまだまだ新参の魔王じゃ、蛹化状態のそいつには掠り傷も負わせられないよ。見た目がイモムシだったから誰も注目してなかったようだけれどね』
解説を聞き、所詮はイモムシだと舐め腐っていた選手たちに動揺が走る。だが、今の光景を見せつけられた後では納得せざるを得ないだろう。
「あの変態そんなすごい魔王だったですか!?」
「思いっ切り蹴っちゃってましたね」
白銀紫とジークフレアも、自分たちの戦闘そっちのけでそそり立つ『変態の魔王』を眺めていた。
と――
「あ、おおおお嬢さんたち、みみ、見つけたのん! ぼ、ぼくが美味しくいただいてやるのん! ハァハァ!」
「ぎゃああああああ見つかったです!?」
巨大サナギが紫たちの方を向いて息を荒げる。だが、それだけだった。どういうわけか襲いかかってくるようなことはなかった。
「しまった、第二形態は歩けないのん」
「お馬鹿だったです!?」
「い、今のうちに逃げた方がいいのでしょうか?」
ジークフレアも苦戦したレオンがあっさり敗れたわけで、恐らく彼女では戦っても勝てないだろう。しかし今は本当の戦場ではなく、バトルロイヤルの試合中。逃げたところで意味はない。
二人の前に半裸の赤髪男が着地する。
「小娘どもをつけ狙う引き籠り野郎だぁ? ムカつくのう、おどれそれでもワシと同じ古参魔王かッ!」
今の今まで紫とジークフレアの二人が協力して戦っていた相手――『憤激の魔王』イラ・サタナキアだった。
「じゃが、小娘を蹴散らすよりゃあワシの鬱憤も晴れそうじゃけえ! 覚悟せえや!」
イラの足下で赤い炎が爆発。その勢いに乗って超速で巨大サナギへと切迫しながら、イラは両手をボクサーのように構えた。
「――怒り狂え! 〈怒髪拳〉ぉおおおおおおッ!!」
真っ赤で厳ついトゲつきグローブが両拳に嵌まる。さらに赤い魔力を纏い、発火。〝怒り〟の概念を込められた灼熱の拳が巨大サナギを殴りつけ、その巨体を一瞬で炎上させた。
流石のクリサリス・ディザスターもこれには悶絶する。
「あわわ!? 痛い、痛いのん熱いのん!? こ、これは我慢、我慢できないのん!? ハァハァ、こ、こうなったら……」
パカァ!
巨大サナギの背中が割れ、玉虫色の魔力光が眩く漏れる。
「なんじゃあ!? 『変態』がまた〝変態〟するんか!?」
眩しさに反射で目を庇うイラ。その目の前で、巨大サナギの割れ目から煌びやかな玉虫色の翅が広がり出てくる。
誰もがその美しさに目を奪われていた。
そして、中身が一気に飛び出す。
「変☆態!」
「――ゴブッ!?」
目にも留まらぬ超高速の蹴りがイラの鳩尾にクリーンヒット。一瞬遅れてやってきた衝撃により、彼は舞台の床を何バウンドもしながら吹っ飛んでクリオネ大蛇の頭に突っ込んだ。
シュタリ、と玉虫色のスタイリッシュな影が舞台の床に着地を決める。
否、決めたのは着地だけではない。
「この世の悪が俺を呼ぶ!
かわいい子いねえかと俺が呼ぶ!
愛と純情を貫く紳士の鑑!
素敵なお嬢さんたちのためなら世界だって滅ぼせる!
俺の名は『変態の魔王』最終形態――マスターホップ・ディザスター! 見☆参!
玉虫色の未来は俺の手に!」
口上と、片手を後ろにピンと伸ばして屈むポーズまで決めたのだ。
人型であり、大きさは人間の長身男くらいだろう。大きな複眼に側単眼。頭には二本の触覚が揺れ、鎧というよりバトルスーツのようにピッチリ全身に纏う玉虫色の甲殻。広がっていた翅は背中に収められ、口元はマスクのような殻で覆われている。
そしてなにより語るべきは、『憤激の魔王』すら蹴り飛ばしたその長く立派な美脚だ。
「……」
「……」
「……」
この予想外の変化に誰もが口をあんぐりと開けて放心していた。
『いやバッタかよ!? 蝶じゃねえのかよ!?』
たった一人以外は。
『ちょ、我が〝魔帝〟よ! 実況席に殴り込みツッコミはやめていただきたい!』
『うるせえ! これがツッコまずにいられるか! なんでサナギからバッタに成るんだポケ〇ンみたいな進化しやがって!? あとその姿はどう見ても某バッタ戦士だろ怒られても知らねえぞ!?』
『〝魔帝〟がご乱心だよ! 今までよっぽどツッコミが溜まってたんだね!』
そんなギャーギャー見っともなく騒ぐ〝魔帝〟にバッタ戦士は片手を上げると、ぐっと足を屈してから大きく天へと跳ね飛んだ。
「ジュワッ!」
『掛け声!? てかどこ行くんだ戻って来い!?』
空の彼方へ消える――正確には上空の結界付近で視認が〝曖昧〟になった――『変態の魔王』マスターホップ・ディザスター。
彼を見上げていた紫が、ジークフレアの隣で溜息を吐くようにぽつりと声を漏らした。
「か……」
「紫?」
「カッコイイ! なんか昔憧れてたヒーローみたいです!」
「魔王ですよ!?」
ヒーローとはかけ離れるどころか相反する存在だ。しかし、標準世界の漫画文化に触れたジークフレアは『ダークヒーロー』という概念を知っている。『変態の魔王』がそういう存在になったのかは、わからないが。
と、空を見上げて立ち尽くす少女二人に忍び寄る影があった。
「ははは! いい感じに余所見せてくれて助かるわい! いただきだ!」
ドワーフのようなずんぐりむっくりな人影が素早く彼女たちの武器を奪い取って逃げ去っていった。『釛床の魔王』グランドロフ・グラッハである。
「あっ!? それ紫のです!?」
「わたくしの剣が!? お返しください!?」
「安心しろ! ワシがこれを素材に傑作を打ってやるわい!」
「パパの形見ー!! 死んでないけど!!」
がっはっは! と嬉しそうに大笑いしながら、見た目に反してすばしっこく脱兎するグランドロフ。すると――ズシン! ドシン! 彼の前方に二つの巨大な影が立ちはだかった。
「貴様、最初からちょろちょろとコソ泥のような真似を」
「我から素材を剥ぐとはよい度胸をしている」
「げっ、『冥竜王』と『六天星王』!?」
黒竜と金竜に阻まれてたじろぐグランドロフに追いかけてきた紫とジークフレアが追いつきかけた――その時だった。
「HAHAHA! そこにいたかお嬢ちゃんたち! 今度こそ逃がさないぞ☆ 我が紳士なる正義の鉄槌――〈レロレロ真拳〉にて改心させてくれる!」
遥か上空からキランと玉虫色の星が瞬いたかと思えば、隕石のような勢いで降ってきた『変態の魔王』マスターホップ・ディザスターが闘技場の床を大きく蹴り砕いた。
自分で穿った深い大穴からピョーンと飛び上がってくるバッタ戦士に、武器を奪われている二人は無言で顔を見合わせ回れ右。
「どこに行こうというのかね、お嬢さんたち☆」
しかし、逃げられなかった。
一瞬で目の前に回り込まれたのだ。
「速いです!? そしてやっぱカッコよくないですキモいです!?」
「紫、こうなれば立ち向かいましょう! 無手での戦いも心得ています!」
『変態の魔王』の〝変態〟という二度目の大きな変遷を迎えたBブロック予選。
これはバトルロイヤル。最後に立っていた者が勝つ。『百獣の魔王』など、一度は敗れたが異常な頑丈さと回復力を持つ者も起き上がって戦闘に復帰していく。
膠着する戦場。
その中に置いて最も異様と言える存在がいることに、選手も観客たちもほとんどが気づいていない。
予選の開始前からずっと、そこで座禅を組んで瞑想している人間がいることに。
ゆらり、と。
今まで存在を完璧に消していた彼女の周囲が静かな闘気で歪む。途端、研ぎに研ぎ済まされた刃のごとき強烈な気配が爆発。選手たちにとっては急に現れたように感じる圧倒的な武人の存在感に、誰もが戦闘の手を止めた。否、止めさせられた。
しん、と静まり返る闘技場。
なにもかもが全て整った。そう言わんばかりに、彼女は――瀧宮梓は、ゆっくりと目を開いた。
斬ッ!
まず、彼女の近くにいた数十名がほぼ同時に鮮血を撒き散らして勢いよく転がされた。なにかのレバーの刺身が難を逃れた選手の顔面にべちょりと貼りつく。
だが、彼らも次の瞬間には一刀の下に斬り伏せられていた。なにが起こったのか見えもせず、意識を、命を刈り取られていく。
「くっ、余の僕とな――」
浮遊する玉座に座る『蓋世の魔王』が、〝支配〟していた選手たちと同時に斬り落とされる。
「な、舐めんじゃねえ!?」
『蓋世の魔王』との戦いで第二形態になったいた『蛇蝎の魔王』も、振り回した連接剣の隙間から間合いに入られ斬断される。
真っ二つにされ消えていく百の魔獣たち。その主である『百獣の魔王』も気がついたら肩口から袈裟斬りにされ、再び結界まで吹っ飛んだ。
二体の竜は同時に首を落とされ、『釛床の魔王』もいつの間にか斬られており奪っていた大量の素材をバラ撒き散らす。
「梓おばさ――」
「ごめんねー。一応真剣勝負だから」
身内とそのお友達だけは峰打ちで気絶させた。
即座に次の獲物に斬撃を放つが。玉虫色の甲殻スーツを纏う足で防がれる。
「HAHAHA! よくも俺のお嬢さんたちを!」
「へえ、あんたはちょっとはやるみたいだけど」
斬! 斬! 斬!
あかくくろい直刀をピュンと振っただけで、甲殻ごとぶつ切りにされる『変態の魔王』。「ヘアッ!?」と短い悲鳴だけ残して沈黙した。
「ほい次!」
未だ追い回されていた『復活の勇者』を追手ごと盛大に斬り飛ばす。
「なんならァ!? なんが起こっちょるんじゃあ!?」
クリオネ大蛇の頭を赤い炎で焼き飛ばした『憤激の魔王』の眼前に、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべる人間が一瞬現れ、やはり抵抗もできず一刀で斬られ力尽きた。
鎧袖一触。
それは、たったの二秒にも満たない出来事だった。
ほぼ一瞬とも言える間に全ての参加者が血の海に沈んだのだ。実況も解説も放つ言葉を見失い、観客たちは起こった事態を理解するまで時間がかかっている。
「上位魔王を相手取れるほど強い人間がいることはAブロックを見りゃわかる。だが……」
主催者席に戻った〝魔帝〟だけが、肉声のまま言葉を漏らす。
「一瞬で百の魔王級を斬り斃すって本当に〝人間〟かよ!?」
その声で多くの観客がハッと我に返った。
《うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!》
沸き起こる大歓声。惜しみのない拍手。
あのような絶技を見せられた以上アンチなど現れるはずもない。誰もが彼女に魅了され、賞賛し、超絶スプラッタな舞台上すら気に留めることもなく興奮する。
『えーと……ヒャホホ! この私すら少々驚いて言葉に詰まってしまったが、Bブロック予選は御覧の通り! なんと立っているのが一人だけ! つまり勝者は――』
キンッ!
金属を弾く音が歓声の中で透き通るように響いた。
瀧宮梓が、急に背後から刺突された剣を直刀で薙ぎ払ったのだ。
「おや? おかしいですね。この〝未来〟に向かって当たるように攻撃したつもりでしたが」
すくっと、倒れていた選手たちの一人が何事もなかったかのように立ち上がる。中華系の王族が着るような漢服を纏った、鮮やかな緑の前髪で左目を隠したイケメンだった。
彼は軽く漢服の汚れを叩く。多少の土埃だけであり、血は一切ついていない。
「あたしも全員斬ったと思ってたんだけどね。あんたは?」
「私は『流転の魔王』还没有と申します。あなたにとって参考になる紹介かわかりかねますが、旧魔王連合では序列七位の『君主』をさせていただいておりました」
「七位? 話には聞いてる『グレンちゃん』の一個上か。そりゃ手強いわけだ」
「参考になられたようでなによりです」
慇懃ながらも胡散臭い口調で喋る还没有に、梓は直刀を構えて口角を吊り上げる。
「生き残ってくれてありがとう。ここからはちゃんと『勝負』できそうで嬉しいわ」
「いえいえ、お礼は私の方から言わせてください。あなたのおかげで労せず予選を突破できたのですから」
ブーン、と拡声器のハウリング音が響く。
『二名の生き残りを確認した! ヒャホホホ! Bブロック予選勝者は、瀧宮梓と「流転の魔王」还没有だ!』
『流石のアタシにも予想外が連発したブロックだったよ。二人には、特に瀧宮梓には決勝も期待しているよ。公平な立場だから応援はしないけどね』
「あー……そっか、二人まで選出するんだったか」
「そういうことです」
「じゃあ、なんであたしに攻撃したわけ?」
「あなたがどの程度〝未来〟を変えられる力を持っているか確かめるため、とでも言っておきましょう」
本音か嘘か判然としない笑みを浮かべる还没有に、梓は急速に戦意を削がれて踵を返した。
「ま、なんでもいいわ。決勝でぶつかればその時に斬るだけよ」
【Bブロック予選結果】
通過者二名
・瀧宮梓
・『流転の魔王』还没有
――雑貨屋WING〈魔帝城〉出張店。
「お前もうちょっと頑張れよ」
「あんなの交通事故です!?」
「いや、いきなりイエローカード貰うわ武器は盗られるわ反省点しかねえわ。あと〈龍化装甲〉も使ってないだろ?」
「ふふん、切り札は最後まで取っておくものです!」
「それで負けてちゃ意味ねえわ」
「他の戦いを見ていたからかもしれませんが、梓さんの気配が全然感じられませんでしたね」
「えっと、なんでも特殊の暗殺者から〈気配遮断〉の技術を習ったとか」
「アレがセルフでパーフェクトステルスまで使えるんですからこの世の終わりですよ」
――ラ・フェルデ王国来賓席。
「殿下、魔王相手にすばらしいご健闘でした!」
「いえ、わたくしもまだまだです。最後は本当になにをされたのかわかりませんでした」
「峰打ちで助かったわね。殺されてたら今頃他の選手と一緒にあの不気味な教会で復活させられてる頃かしら」
「さあ、マルグレッタ第八師団長殿! イモムシ? サナギ? バッタ? とにかくあの変態を滅ぼしに行くぞ!」
「だからやめときなさいって!? アレはもうギャグ世界寄りの住人よ!?」
――観客席。標準世界・紅晴市一行。
「で、誰が心配だって?」
「ああうん……怪我がなくて本当に良かったけど……凄えなあ……」
「キャー! 梓ちゃん素敵カッコイイ♥」
「やっぱあの人バケモンだ帰りたい!?」
「うー、わたしも出たかったなー!」
「……フウとはいい勝負になりそうだが、下手な結界だと切り裂かれそうだな。お前ならどうする」
「俺にやらせようとすんじゃねえよ……あの条件になった時点で分は悪いが、回避に専念して仕切り直し狙いってところだな」