主催者席で
三題噺『ビリヤード・眠気・怪文書』
魔帝城の一画に建造された超巨大円形闘技場に、四百人を超える魔王級の猛者たちが集っていた。
普通の世界ならそれだけで崩壊現象が発生する魔力量。いつ爆発してもおかしくない張り詰めた空気。仮にどこかの世界でイキッているようなSランク冒険者をこの中に放り込むと、一秒と持たずに泡吹いて倒れ心肺停止することだろう。
というか、既に多くの人間がコロッセオの隅に転がっている。満員の観客席から零れ落ちた者たち……ではない。
魔王が一堂に会するイベント。それも所在不明な上に侵入不可能とされていた〈魔帝城〉が会場だ。賞金稼ぎが黙って見逃すはずもない。一斉に躍りかかった彼らだったが、この数の魔王相手には流石に無謀が過ぎた。乱闘すら起こることなく、ビリヤードの球よろしく弾き飛ばされ沈黙した次第である。
大会スタッフ――デフォルメされたペンギンのような姿をした魔物――によって運び出されていく賞金稼ぎたちを視界の端に捉え、壇上に立った白峰零児はマイクを軽く小突いて調子を確認する。問題ないことを認めると、参加者と観客をざっと見回してから口を開いた。
『余計な前置きはなしだ! これより天下一魔王武闘会を開催する!』
宣言した瞬間、眠気も吹き飛ぶ歓声が沸き上がる。同時に参加者たちからの殺気も二割ほど増した。
『おっと、まだ暴れるなよ。ルール説明をしないとな。まずは参加者をA~Dの四ブロックに分けて予選を行う。対戦形式はブロック全員参加のバトルロイヤルだ! 最後に立っていた最大二名が本戦出場権を手にする。禁止事項はない。武力のみに頼ろうが、知略謀略を巡らそうが、眷属を召喚して数で圧倒しようが、なにをしたって構わない。お前たちの全力を惜しみなく出して戦ってくれ』
ブロックの振り分けは、受付時にA・B・C・Dの文字だけ書かれたカードを人数に偏りが出ないように渡している。戦力的な偏りは出るかもしれないが、そこは運が悪かったと諦めてもらいたい。
百の魔王が同時に争うわけだから、当然被害もでかくなることが想定される。死んだり消滅したりする者も出てしまうが、殺しをNGにすると彼らが本気で戦えない。かといって死なれるのも今後の計画では困る。
そこで、まず必要だったのがンルーリとグリメルの存在だ。
『ここでの死や消滅は「仄暗き燭影の魔王」によって〝曖昧〟にされ、試合終了後にあっちに見える悪魔教会で復活できるシステムを「迷宮の魔王」が組んでいる。安心して死んでくれ』
無論、心配なのは参加者の命だけではない。なんの対策もしなければ魔帝城どころか近隣の世界まで滅ぼしかねないバトルになる。それを防ぐ対策はさっきの小部屋でも確認した通りだ。
『それからバトルフィールドと観客席との間には〝迷宮〟のバリアはもちろん、〝呪い〟〝曖昧〟〝停滞〟の概念による結界も張ってある。お前ら程度じゃ絶対に破れないから好きなだけ暴れてく――』
敢えて挑発的な言葉を吐くと、見るからにイラっとした多くの魔王たちから一斉に魔力砲をぶつけられた。カラフルで目がチカチカしそうな光線の嵐だったが、その全ては零児の体を擦り抜け、後ろのバリアに衝突して呆気なく消滅した。
『悪いが幻影だ。迂闊な事すんなよ? もし俺がグロルだったら跳ね返してたとこだ。まあ、今攻撃した短気な野郎どもはどうせ予選落ちだろうけどな! 悔しかったら優勝してみろ!』
立てた親指を下に向けてやるとブーイングの嵐が飛んできた。これでモチベがさらに上がったことだろう。
『上位入賞者にはあちらに用意した賞品が贈呈される。さらに優勝者にはできる限りの願いを叶えてやろう。例えばこの俺への挑戦権。見事俺を倒せればそいつが次の〝魔帝〟だ!』
譲る気なんてさらさらないが、『次の〝魔帝〟』という言葉を聞いただけでブーイングがざわつきに変化する。やはりこの餌は正しかった。
『まもなくAブロックの予選が始まる。それまで選手控室で待機してくれ」
※※※
「……ふう、やっぱこういう演説は柄じゃねえな」
主催者席の玉座にストンと腰を落とした零児は、大きく息を吐いて肩の力を抜いた。こうした演説は〝魔帝〟になってから何度もやってはいるが、なかなか慣れないものである。
「いやいや、けっこう様になっていましたよ〝魔帝〟様! 参加者たちを挑発した時なんか私ゾクっとしました! お靴お舐めしてもよろしいでしょうか?」
「いや舐めんな!? あんた、だいぶ俺に対する態度変わってない?」
顎の下で重ねた手をスリスリしてわかりやすくごま擦る記者――アンナ・ベッタに、零児は呆れた白い視線を向ける。彼女の主は零児ではなく『智嚢の魔王』だ。最初は敵意と警戒心と裸を見られた羞恥心でトゲトゲしい態度だったのだが、なにがどうなればここまで手の平クルックルするのだろうか。
「いえいえ滅相もございません! 『〝魔帝〟のくせにペコペコ低頭しやがって社畜かこいつは?』とか思っていた頃の私は死にました!」
「めっちゃ失礼なこと思ってた!?」
「あああああ、もももも問題ありませんその慮外者はもはや過去の存在! 今の私はCEOと同じくらい、いえそれ以上に貴方様を尊敬しております!!」
「大丈夫? 手の平回転しすぎて取れたりしない?」
ハンチング帽子が吹っ飛ぶほど勢いよく頭を下げるアンナ。この話題で突きすぎると彼女が壊れてしまいそうだったので(もう壊れている気もするが)、零児は話を大会のことへとシフトさせる。
「さっき演説した時に知ってる顔はチラホラ見えたんだけど、実は参加者ついてまだ詳しく知らないんだよな。あんたから見て、有力そうな奴はいたか?」
「それを聞いちゃいますか? ふふん、実はこんなこともあろうかと各ブロックごとの有力選手をピックアップしておいたのです!」
ポンコツそうに見えるが意外と有能だった。零児はアンナから資料を受け取り、パラパラと捲って眉を顰める。
「なんだこの怪文書は?」
なにが書かれてあるのか全くわからなかった。暗号だとか知らない文字だとか、そんなのではない。単純に、字が汚すぎる。
「ハッ! ももも申し訳ございません! 私ってば手書きだと自分さえ読めればよくて、つい書き殴ってしまう癖がががお靴舐めます!」
「舐めんでいい!? じゃあもう口頭で言ってくれ」
「は、はいィ!」
彼女はこれでもディメンショナル通信社の敏腕記者。『智嚢の魔王』の眷属だ。アホそうでもその知識量は信頼できる。あとで正式な参加者リストは貰うとして、彼女個人がどのようにこの大会を評価しているのか知っておきたかった。
姿勢を正したアンナが自分で書いた資料を見ながら、口を開く。
「えっとですね、Aブロックで私が注目しているのはなんと言っても彼女――『戦禍の魔王』シュラハット・アナト様です! かつての魔王連合で序列九位だった〝戦争〟の化身! バトルロイヤルのような集団戦では彼女に軍配が上がることでしょう!」
「ああ、俺が知る中でも最凶最悪の戦闘狂だわ」
「それから〝噴炎竜〟と名高い〝火山〟の化身――『煉獄の魔王』フェイラ・イノケンティリス様もおりますね! 数の上での勝負なら『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブラン様が優るでしょう! 『鐵の魔王』MG-666様の火力も侮れません! もちろん、脳筋ばかりではありませんよ。『十六夜の魔王』ランニィ・ヴェーチェル様の幻術はとても強力です!」
「ほとんど知ってる魔王とはいえ、そうやって並ぶと昔戦った記憶がフラッシュバックして鬱になりそうだな……」
フェイラのように新生魔王連合に加入していたり、MG-666のように零児の眷属となっている者もいるが、それでもかつては敵として死闘を繰り広げた相手だ。思い出したくない記憶も当然ある。
アンナが資料のページを捲る。
「Bブロックも熱いですよ! 『蛇蝎の魔王』フィア・ザ・スコルピ様に『百獣の魔王』レオン・エヴァンス様、〝支配〟の概念『蓋世の魔王』ヴォルデマール・エリアス・ベン・ヘルシャフト様といった強大な魔王の方々!」
「ほうほう」
どいつもこいつも侯爵以上の力は間違いなく持っている魔王たち。確かにこれは熱い勝負が期待できそ――
「瀧宮梓様」
「……ん?」
「『憤激の魔王』イラ・サタナキア様に『冥竜の魔王』ベルナギウス二世様、『釛床の魔王』グランドロフ・グラッハ様、そしてなにより『流転の魔王』还没有様は――」
「ちょ、ちょい、ちょっと待て!? 今変なのいなかった!?」
「先代の冥竜王は〝魔帝〟様たちによって倒されたって聞いてますよ。だから二代目の」
「そうじゃなくて! 普通の人間いなかった?」
自分が〝魔帝〟であることも忘却して狼狽する零児に、アンナはきょとりとした顔をする。
「ああ、瀧宮梓様ですか。標準世界の屈強な女戦士という情報です」
「いや知ってるけど!? 一応知り合いだけども!? 天下一魔王武闘会だぞ? なんで人間が参加してんのって話!」
「え? 普通に魔王以外の腕自慢もたくさん参加されていましたよ。例えば、このBブロックだと他にも『六天星竜』ヘキサギデオン様や『復活の勇者』アカツキ様やラ・フェルデ王女のジークフレア様とか」
「勇者までいんの!? てか殿下なにしてんの!?」
陛下の方はセレスたちが全力で止めたらしいのに、殿下が出場していては今ごろ大騒ぎになっていてもおかしくはない。いや、聖剣十二将総出でも陛下一人を止めることで限界だったのだろう。殿下はその隙に登録を済ませたといったところか。
死んでも復活する仕様にしていて本ッッッ当によかった。
「Cブロックに移りますね。ここはやばいですよ。激やばです。まず〝魔帝〟様の相方である〝悪夢〟の概念『現夢の魔王』ゼクンドゥム様は本命でしょう」
「いないと思ったらちゃっかり参加してやがった!?」
「他には『贖罪の魔王』エルヴィーラ・エウラリア様、『地獄の大鬼』朧様、『七つの次空の覇者』ザドラグ様、『蒼銀の死神』ジークルーネ様、『壊滅の天使』デストロエル様、『砲哮の魔王』ゾイ・ローア様、『狼王』フェンリオス様」
「おお、知らない名前もそこそこいるな」
「巷で名が広まっている『極光の勇者』久遠院姫華様! そんな彼女と呪いで繋がっている『魔王喰いの魔王』逢坂陽炎様! このコンビは強敵ですよ!」
「そいつらの狙いはグロルの首だろ」
「そしてそして、なんと言ってもこの方! 旧魔王連合序列六位! 〝虚無〟の概念! 『退廃の魔王』ラスト・エンプティネス様! 彼の者が通った後には大気すら残らない!」
「……対策してなかったら冗談抜きで無に帰してたな。どっちかっていうと運営側に欲しかった人材だわ」
超大な概念魔王たる元君主どもがほぼ全員参加しているのは意外だった。グロルとグレンちゃん含めて奴らが旧魔王連合に反旗を翻した時は頼もしい味方だったが、その後はそれぞれ引き籠るように散っていったから消息もずっと掴めていなかったのだ。
まさか今さら〝魔帝〟の座を狙っているとも考えにくい。
となると、グロル辺りが接触して丸め込んだと見るべきか。
「最後のDブロックですが……まあ熱いですね! ホント熱い! 〝死〟の概念『柩の魔王』ネクロス・ゼフォン様、〝切断〟の概念『概斬の魔王』切山魈様、数多の世界を灰に変えた災厄『燼翼獣』ヴァロゴルネス様、『奈落に潜む怪物』アビスウォーカー様、『巨人の国の若旦那』ギギギギガス様、『焙煎の魔王』コピ・ルアク様、得意技は物理で殴る『魔法少女』フォーエル・メガマフィン様、『誑惑の魔王』エティス様」
「アウトー!?」
その名を聞いた瞬間、零児は反射的に叫んでいた。
「え?」
「段々とネタっぽくなってきて濃い奴らばっかりだったけど、それを差し置いて最後の奴はアウトー!?」
「『誑惑の魔王』エティス様? まさか参加資格がない、ということですか?」
目をパチクリとさせるアンナ。魔王以外も参加できる時点でなんでもありの大会に、参加資格などあろうはずもない。強いて言うならば強大な存在に囲まれて立っていられる『強さ』くらいだ。
「いや、いいよ。参加してくれて構わないよ。でも絶対普通には終わらねえんだよ。お前はあの羊の恐ろしさを知らないからキョトンとできるんだ」
「ま、〝魔帝〟様がそこまで言うほどの魔王だなんて!? 我が社にもあまり情報がなかった魔王ですのに……いえ、だからこそですね! これは取材しなくては! ちょっと透明化して接触してきます!」
「絶対やめなさい!?」
零児が止めたにも関わらず、アンナは目をキラッキラさせて飛び出してしまった。あとで悲鳴が間違いなく聞こえるだろうが、その時助けるのは零児になるのだろう。
溜息をつき、懐に手を入れて念のため持ってきていた薬瓶を取り出す。
「久々だよ、この胃薬を飲んだのは……」
長き封印が解かれたように全力でキリキリする胃と戦いながら、零児はそれ以上なにも考えないようにしてAブロック予選が始まるのを眺めることにした。