「祝いの言葉など、誰が読んでも同じだろう」と婚約破棄されましたので、隣国の婚礼を祝います ~女神が来ない王都では、今年の結婚が一件も成立していないそうです~
「祝いの言葉など、誰が読んでも同じだろう。俺の婚礼は聖女に読ませる」
婚約者の王太子オーバンは、聖女フロリーヌの手を取って、そう言った。
年明けの朝、大聖堂の窓は白く曇っている。祝いの言葉を読む予定は大神殿の神官で、花嫁側に立つ私の手に紙はない。いつも紙の端を支える指を、私はそっと握り込む。今日の私は、読まれる側に立っている。
「お前との婚約は破棄する。これからは聖女が読めばよい」
「祈りなら私のほうが上手ですわ」
聖女は手を取り返しもせず、淡い赤金の巻き髪を揺らして頭を下げる。参列の列で衣が擦れ、ざわめきが広がっていく。白い花の匂いが、冷えた空気に混じる。
その列のうしろで、年明けの謁見を待っていた北の使者が立ち上がる。殿下が顎で示すと、王宮が留めていた依頼の束が使者の腕へ返される。紙の端がばらけ、使者が抱え直す。もう取次ぐ相手のいない紙だ。
「そのような事でしたら、北からの願いをお渡しさせていただけますか?」
使者は束を胸へ寄せたまま、私を見る。紙を抱え込んでいた指が、わずかにゆるむ。
「殿下から返されたところです。六年で十二通、そのすべてを王都がお預かりしたままでした。陛下はずっと、あなたのお返事を待っておられます」
束を受け取る。欠けた封の蝋が指に触れ、ざらりと引っかかる。開いた紙には、知らない村の名と、花嫁の名が並んでいる。私は紙の端を押さえ、名を一つずつ目でたどる。
「分かりました。それでは、隣国の婚礼を祝います」
私はリュシル、二十四歳。大神殿が大陸で一代に一人立てる祝い女だ。十八の年からの六年間、エルスタンの王都の婚礼をすべて読んできた。
私が読み上げる縁に女神さまが来て、二人を結ぶ。その結びがあってこそ、大陸のどこでも夫婦として認められる。女神さまの来なかった婚礼は、どれほど飾っても夫婦とは認められない。
自分の縁だけは読めない。神官が読むと定めにはあるけれど、それで女神さまが来たという話は聞かない。今日それが来るのかどうか、私は一度も尋ねないまま、花嫁の立つ場所へ来ていた。
殿下が、私の立っていた場所へ聖女を招く。私は脇へ寄り、受け取った束を両手で持ち直す。
「女神の話など、ただの昔話だ。聖女との婚礼は昼に挙げる。お前の助けは要らん」
「分かりました……」
理解の無い殿下と北から切望される願い。その温度差にくらくらしながら使者の方を向いた。
「こちらの願いは、私が読みますわ」
「あ、ありがとうございます! 先に馬でお知らせしてまいります。私が乗ってきた馬車と御者をお使いください」
「分かりましたわ」
昼、私は使者の馬車で王都を出る。膝に置いた依頼の束を、車輪が揺れるたびに押さえる。背にした大聖堂では、これから殿下の婚礼が始まる。
◇
半日走って、日の落ちた国境に着く。ここから先がノルディアだ。街道の先に灯りが一つ瞬く。先に着いた北の使者の声が、その灯りへ何か告げている。
「私の手元に届いたのは今日です。この束の願いは、すべて陛下が書かれたのですか?」
「僕が書いた。テオバルトという。春も秋も、村で待つ花嫁の名を確かめてから送っている。返ってくるのはいつも、祝い女は多忙だという返事だ」
灯りを持って迎えに来たのは、十二通を全部自分で書いたという若い王だった。
王が紙の面へ灯りを寄せる。持ち上げた指の節は、夜気に冷えて白い。私は紙を少し寄せ、灯りの下に文字を収める。
「灯りは、君が読み終えるまで持っている」
王が持ち手を握り直す。紙に落ちる光がわずかに揺れ、その向こうから声が続く。
「この六年、王都へ来られた者だけが結ばれている。わが国の者、特に村では、その順すら回らない」
「願いは、ここで確かに伺いました。まずは私が村へ出向いて、読み上げます」
紙をめくる。墨の濃さはばらばらなのに、字の癖はどれも同じだ。私は似た形の文字に指を添え、前の紙と見比べる。
「墨の色は違うのに、どれも同じ方の字ですね」
「前の願いを写して済ませたくはない。待っている顔が、そのたびに浮かんだ」
その時だった――。
街道の暗がりから、馬の足音が迫る。顔を上げると、王都の使者が灯りの届くところへ駆け込んでくる。
「殿下は聖女さまを花嫁に迎え、ご本人に読ませましたが、女神さまがおいでになりません。お戻りになって、お読みになるようにとのことです」
あまりの身勝手さにくらっとしたが、自分のやってきたことは間違いではなかったという思いに少し救われた。
とはいえ、いまさら戻るわけにはいかない。村人たちが待っているのだから。
「明日は村の祭壇で読み上げます。殿下には、そのようにお伝えください」
「しかし……」
「祝い女殿を待ち望む方たちはたくさんいる。日を改めるように伝えなさい」
王はピシャリと言い放った。
そして自ら手綱を取ると、村へと馬車を走らせる。
しばし馬車に揺られ、跳ね始めた灯りの向こうに、北の丘の教会の屋根が黒く浮かんできた。
◇
翌朝、祭壇の前には若い二人が肩を並べ、私が紙を開くより先に、花婿が身を乗り出す。
「この人との結婚を望んでいます」
私は花嫁のほうへ向き直る。紙を少し下げ、彼女の顔を見る。
「間違いないですか?」
花嫁の伏せていた顔が、ゆっくり上がる。喉が小さく鳴り、開いた唇から息が入る。私は紙を下げたまま、その声を待つ。
「はい、この人と夫婦になります」
「最後の確認です。女神様を呼んでもいいですか?」
「はい。この日を、ずっと待っていました」
王都では、こういう返事を式の前の小部屋で、私だけが聞く。今日は祭壇の前の全員に、二人の声が届いている。私は束から願いを抜く。紙の上の名と目の前の顔を確かめてから、二人の名を読み上げ、祝辞をかける。
供え物のケーキを両手で抱えた、白いおかっぱの娘がちょこんと椅子の上に現れる。祭壇の婚礼鐘が鳴り、窓の外で町の祝鐘が応える。重なる音に、私は読み終えた紙から顔を上げる。
「呼ばれたからではない。ケーキのためだ」
王都の使者が、鳴っている鐘を見上げる。その視線がしばらく鐘に留まり、私へ戻る。
「同じ祝辞を、聖女さまも読んでおられました。殿下は、同じようにならぬのは納得できぬと仰せです」
「いま読み上げたのは、ここでお返事をくださった方たちの縁です。鐘も、その婚礼を祝って鳴っています」
娘の足が、椅子の縁で揺れている。床には届かず、皿を抱えた腕だけがじっとしている。
「そこの椅子では足が届かぬ。皿を置ける所へ、わしの席を寄せよ」
「こちらでしたら、ケーキにも手が届きます。花嫁さまの通り道は空けておきます」
王が夫婦を戸口まで送る。使者は馬の向きを王都へ変えてからも、首をめぐらせ、鳴り続ける鐘を見上げている。
◇
昼、王の馬車で麓の別の村へ移る。着いたときには雨で、教会の戸口から祭壇へ、風が雨を吹き込んでくる。私が紙を胸へ寄せると、王が外套を外して広げ、戸口へ張る。
「僕はここを持つ。君は濡れない所へ」
張った布の縁から水が滴り、王の肩がみるみる黒く濡れていく。私は祭壇の脇へ寄る。紙を持つ肘を引き、王の肩が入るだけの場所を横に空ける。
「テオバルトさまも、こちらへどうぞ」
王は戸口の布を持ったまま、こちらへ顔だけ向ける。その向こうで、雨音に馬の足音が重なる。丘の教会で行き先を聞いてきたのだと言って、殿下と聖女が戸口をくぐる。
「北の王が外套まで差し出すとはな。御者にでもやらせれば済む仕事だ」
「ここを持っていれば祭壇は濡れない。読み上げが終わるまで、僕の手はここに要る」
殿下が私へ向き直る。雨音の中でも、その声は私の耳にはっきり届く。
「戻れ。聖女が読んでも、女神が来ないのだ」
「女神さまは、私が読み上げた縁にしか来ませんので」
私は殿下から目を離し、祭壇の二人へ向く。
「おふたりのお返事を、私にお聞かせください」
「はい。この人と生きていきます」
「私も、この人と一緒になります」
紙を持ち直し、二人へ声が届くように読み上げる。雨の匂いに、供え物の甘い匂いが混じる。皿を持った娘が現れて、殿下の頭の上で鐘が鳴りだす。
「では、ケーキも同じものをご用意いたしますわ」
殿下が懐から書付を出す。日の数え方は年明けからだと、頭の行を指でたたく。同じ場所をたたくたび、その紙がしなる。
「三日目の正午、大聖堂で読め」
紙を私の手へ押しつけてくる。受け止めた指の腹に、紙の角が硬く当たる。
「書いたとおりに来い。聖女も、俺も、大聖堂で待つ」
「正午は、北の丘で三十組の婚礼を結びます。そのあとでしたら、こちらで王都の縁も読み上げます。聖女さまご本人から、お返事を伺います」
殿下と聖女は雨の上がらないうちに発つ。私は丘の教会へ戻り、書付を世話役へ渡す。王が外套を畳むと、絞るほどの水が石の床へ落ちる。重い布を支える指まで濡れている。
◇
北の丘の教会には、三年待った三十組の花嫁がいる。
三日目の午前、昨日までの二組とは別の人たちが、白い飾りをつけて並んでいる。高い窓から差す光に、しまい込まれていた布の折り目がくっきりと浮かぶ。私は最初の祭壇の前に立ち、願いの紙を開く。
「花嫁さま。ずっと待っておられたのは、こちらの方との婚礼ですか?」
「はい。王都では式の日をいただけません。飾りを仕舞っては出して、今日もこれを着てまいりました。私はこの方の妻になります」
花嫁が隣の花婿を見る。花婿の耳が赤い。私は紙へ目を戻しかけて、二人の顔を改めて見る。
「花婿さまも、この方と夫婦になるお気持ちを、ご自身の言葉でお聞かせください」
「待つあいだも、この人と暮らす日を思い描いていました。今日から、この人の夫になります」
読み上げるたびに娘が現れ、鐘の音に花嫁と花婿の顔が上がる。次の組、その次の組。娘は姿を消した椅子へまた戻り、そのたびに皿のケーキが少しずつ減っていく。
世話役が書付を開く。紙の折り目が伸びる音に、私は顔を上げる。
「殿下の書付にある正午です。王都からも、お召しの紙を持った方が着きました」
「お約束どおり、こちらを読み上げます。お越しの方のご用も、そのあとで伺います」
最後の組の二人へ向き直り、返事を一つずつ聞く。どちらの声も終わるまで、紙には目を落とさない。
私が読み上げると、女神がケーキを持って現れて、大陸中の鐘が鳴った。
窓の外では、遠い鐘の音にさらに遠い音が重なる。丘を越えていく響きを聞きながら、私は読み終えた紙を手元で伏せる。夫婦になった三十組が並び直す横で、王都から来た貴族が帽子を取る。
「聖女さまの式を待っていたのですが、こちらで婚礼をお願いできますか?」
「おふたりでお越しください。皆さまの順を決めて、お返事を伺う時間を取ります」
女神は席で、残りのケーキをパクパクと美味しそうに食べ続けている。
◇
夜、殿下と聖女の馬車が教会へ帰ってくる。灯りの下へ降りた二人を見ると、揺れる裾に昨日の雨の跡が白く乾いている。
「町の鐘をお聞きになったのは、書付にある正午ですか?」
「そうだ。聖女が読み終えたところだった。町の鐘だけが、あれほど鳴ったのだ」
殿下が、聖女の持つ祝辞の紙を指でつつく。薄い紙が押され、聖女の手の中で揺れる。
「町の鐘は鳴った。俺たちの祭壇の鐘は鳴らなかった」
その音なら、昼に私もここで聞いている。祭壇の鐘に応え、窓の外から届いた町の祝鐘だ。
同じ刻、王都の大聖堂では聖女が読み上げて、鐘は鳴らなかった。
王都では、殿下の婚礼が済むまで今年の式をすべて待たせているという。
「俺の婚礼から始めると言ったのに、今年の結婚が一件も成立していない」
「ここでは、聖女さまのお気持ちを伺ってから読み上げます。今のお返事を、お聞かせください」
「殿下がこちらへ来るとお決めになったのですから、私も、そのようにいたしますわ」
「聖女は俺と結婚する。それでよい」
聖女の巻き髪が揺れ、顔が殿下へ向く。開きかけた唇がいったん閉じ、ゆっくり動く。
「……私の返事も、殿下がおっしゃるのですか?」
聖女そのまま黙ってしまう。私は紙を開かずに待つ。入口では世話役が、着いた順に貴族の名を書き付けている。
それを見た殿下は世話役に絡んだ。
「俺たちの名を先に書け。大聖堂から来たのだから、今度はこちらの番だ」
「皆さま、おふたりでお待ちです。祝い女さまが明日から順にお読みになりますので、こちらへお並びください」
鐘を聞いた方たちが次々と先にここへ着いているのだ。世話役の紙には、その方たちの名が着いた順に並ぶ。
「……最後尾だと?」
殿下は振り返る。坂道に馬車が並び、その末尾に空いた場所がある。聖女は殿下を振り返らずに歩き、そこへ立った。
◇
「僕はまだ食べてるの! 皿まで片づけないで!」
「ケーキはそのままにしておきます。私は読み終えた紙をまとめますので」
王が椅子を寄せ、箒を手に取る。祝いの席の床には、花と粉が落ちている。私が紙を束にする音に、床を掃く音が重なる。
「馬車は教会の前だ。君が紙をまとめたら、僕も支度を終える」
「明日の順は世話役の方が書いてくださるので、私はこの紙を綴じます」
王が箒を壁へ立てかける。床を掃く音がやみ、空いた手を下ろした王がこちらへ向く。
「ところで――――祝い女の縁は、誰が読み上げる?」
「えっ!? 私の……縁ですか?」
まとめた紙を持ち上げかけて、指が止まる。定めには神官と書いてあるだけで、それで女神さまが来たという話は、やはり聞いたことがない。そろえたばかりの紙の端を、親指がそのままなぞる。
女神が皿を置く。その小さな音に、私の親指が紙の端から離れる。
「一度きりだよ。二度は読まないよ?」
女神は空いた手でパンパンと袖の粉を払い、椅子からピョンと跳び降りる。小さな顔が、王を見上げ――首を傾げた。
「テオバルト、リュシルと夫婦になるか?」
「え? な、なる。リュシルと、夫婦になる」
三十一組目を、王が願い出た。
「よしっ!」
女神の顔が私へ向き、その琥珀色の瞳が私の目の奥をのぞきこむ。
「リュシル、テオバルトと夫婦になるか?」
「えっ、えっ? い、今決めるんですか?!」
「早くして! 僕も忙しいんだから!」
「わ、分かりました……」
私は大きく息をつき、テオバルトさまを見つめた。
優しい青い瞳で私に微笑みかけてくる――――。
私もつい微笑み返してしまう。
「はい、テオバルトさまと、夫婦になります」
「オッケー! リュシルとテオバルト。互いに選んだこの縁を、僕が結ぶよ!」
祭壇の婚礼鐘が鳴る。外では町の祝鐘が続き、坂道の列にも届いていく。花嫁側に立つ私の前に、王がいる。紙を置いた手は、もう空いている。
「ま、まさかこんなことになるなんて……」
「いいじゃないか。女神様に直接祝ってもらうなんて僕らだけだよ」
「そうですね。ふふっ」
「リュシル、幸せになろう」
「はい、テオバルトさま、帰りは私と手をつないでください」
「もちろん」




