彼の掟 :約4000文字 :SF
とある惑星に一人の男が降り立った。彼は宇宙探査員。未知の惑星へ赴いて現地調査を行い、可能であれば原住民と友好関係を築き、将来的な交易や開発の足がかりを作ることが任務だった。
厳しい訓練を受け、数多の試験を突破した選りすぐりのエリートでありながら、その実務は泥臭い。何か月、時には何年にも及ぶ航行の末に未知の土地へ降り立ち、原始的な種族を相手に交渉を重ねる。衝突が起きることも珍しくなく、命の危険さえ伴う。そのため母星では『銀河の営業職』などと揶揄されることもあった。
もっとも、彼はこの仕事に誇りを抱いていた。誰も見たことのない世界へ最初に足を踏み入れ、未知の文明と接触するという高揚感は何物にも代えがたいではないか。嘲笑の声など選ばれなかった者のやっかみにすぎない――彼はそう考えていた。
小型宇宙船のハッチが静かな駆動音とともに開き、彼が外に降り立つと、乾いた風が宇宙服の表面をさらりと撫でていった。
地面は固く、赤茶けた色をしており、少し離れた場所には低木と背の高い樹木が入り混じる林が広がっていた。空気はやや乾燥気味だが、呼吸補助装置の計測結果では有害成分は少なく、気温も穏やかだった。居住環境として見ても悪い星ではない。
彼が軽く伸びをして体を慣らしていると、早速原住民たちが集まり始めた。この近くに比較的大きな集落が存在することは、軌道上からの観測ですでに確認済みである。
最初は警戒して距離を保っていたが、好奇心のほうが勝ったのか次第に彼を取り囲む人数が増えていった。
彼らが身にまとっていたのは服というより、獣の皮や粗末な布を体に巻きつけただけのものだった。動物の骨や石で作った装飾品を首や腰にぶら下げている者もいたが、道具らしきものは木や石を加工した程度にすぎず、文明水準はかなり低いと見受けられた。
もっとも、それは大きな問題ではない。本格的な交流が始まった際には、労働力として十分に活用できる。母星から労働者を送り込むより、現地住民を雇用したほうが遥かに安上がりで効率がいい。鉱山開発でも農地開拓でも好きなように働かせることができるだろう。
彼はそんな計算をしながらも表情には一切出さず、にこやかに微笑んだ。まずは両手をゆっくり広げ、敵意がないことを身振りで示した。こうした言語を伴わない表現手段は、どの星の知的生物にもある程度共通する法則がある。これも訓練で叩き込まれた技術の一つだった。
続いて彼は宇宙船から小型コンテナを運び出し、中に詰められていた食品を取り出して配り始めた。菓子類で高価なものではないが、こちらのほうが効果てきめんだった。
原住民たちはおそるおそる口に運んだが、甘味が広がるとたちまち表情を和らげ、互いに顔を見合わせて笑った。喜びのあまり飛び跳ねる者、何度も頷いて彼の肩を叩く者、恭しく頭を垂れる者まで現れた。どうやらかなり好感を持たれたらしい。歓迎すべき客、あるいは仲間か。どちらにせよ、あっさりと受け入れられたようだった。
数日が経った頃には、携帯翻訳機が彼らの言語を解析し、ある程度会話ができるようになった。もっとも『ある程度』というのは、原住民の言語体系自体が未熟だったためである。
それでも会話を重ねるうちに、彼らの生活や文化、価値観が少しずつ明らかになっていった。それに比例して、彼は胸の奥で静かに不安が膨らんでいった。
そして、ある日のこと――。
「ブグア! グア……ア……ア…………」
「フー……」
「え、え、え、あの……」
「ナニ?」
彼はおそるおそる一人の原住民に声をかけた。
「今、何を……?」
「アア、コロシタ」
「こ、殺した……?」
そう。向かい合って会話していた二人の原住民のうち、一人が突然足元の石を拾い上げ、相手の頭に振り下ろしたのだ。鈍い音とともに相手が地面に倒れると、その原住民は相手に馬乗りになり、ためらうことなく何度も石を叩きつけた。硬質な音が繰り返し響き、飛び散った血が周囲の土を濡らし、黒く染めていった。
手を止める様子は微塵もなく、相手が完全に動かなくなるまで淡々と石を振り下ろし続けた。
「どうして……?」
彼は視線を死体と原住民とを何度も往復させながら訊ねた。腰に提げた光線銃にそっと手を添える。たとえ何人がかりで襲われても返り討ちにする自信はあるが、目の前で繰り広げられたあまりにも原始的な暴力に無意識に腰が引けていた。
「キライ。コロス。スッキリスル」
原住民は子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「おー……」
彼は喉の奥から間の抜けた声を漏らした。
どうやら、この連中には法も秩序も存在しないらしい。それとも『殺されるほうが悪い』といった価値観でもあるのか。なんにせよ、殺人は日常茶飯事であった。食料や異性を巡って殺すこともあれば、ちょっとしたふざけ合いが本気の殺し合いに発展することも珍しくなかった。些細な揉め事で血を流すことに彼ら自身、なんら疑問を抱いていないようだった。周囲で殺し合いが行われていても、ただ眺めるか囃し立てるだけで、止めようとする者はいなかった。
繁殖力が高く、個体数は多い。しかし、集団としてあまりにも不安定で、労働力としては到底運用できそうにない。少し気に入らないことがあるたびに殺し合っていては、せっかく確保した人員が減ってしまう。何より、管理する側にも危険が及ぶ。
そう判断した彼は、ある日原住民たちを集落の広場に呼び集めた。
「一つ、ルールを設けましょう! これからは皆さん、そのルールを守って暮らしてください!」
「ルー?」
「エウーエウ?」
「ルルー……」
「ルールルル?」
「ルルルルル!」
「えっと……いいですか、ルールというものはですね……」
首を傾げる原住民たちに、彼はできるだけ噛み砕いた言葉を選んで説明した。秩序とは何か。なぜ集団には決まりが必要なのか。互いに殺し合えば集団を維持できないこと。個々が好き勝手に振る舞うよりも、互いに協力して生きたほうが結果として得をすること。身振り手振りを交え、地面に図まで描きながら、彼は辛抱強く一つひとつ言い聞かせていった。
「ソレデ、ソレヲ、マモル。ドウナル?」
ひととおり説明を聞き終えたあと、一人の原住民が訊ねた。
「それはですね、だからえーっと……つまり、皆さんが幸せになれます」
「シアワセ?」
「シアンワ?」
「シワミウ」
「シュワア……」
「えー……幸せというのはですね……」
彼が定めたルールはたった一つ。『人を殺してはならない』ことだった。
これをどう納得させればいいものか彼は頭を悩ませたが、意外にも原住民たちは素直に了承した。
初日にうまい食べ物を振る舞ったことで、皆が彼に好感を抱いていたためである。中には護衛のつもりなのか、一日中彼の後ろをついて歩く者までいた。
こうしてそれ以降、殺人は起きなくなった。
だが――。
「えー……皆さん、また集まっていただきありがとうございます。また一つ……いや二つ、新しいルールを設けたいと思います」
翌日、彼は原住民たちを再び呼び集めた。
新たな決まりを伝えるためであり、それは当然の流れとも言えた。
殺人が当たり前のようにまかり通っていた社会なのだ。他に問題がないはずがない。
「えー、まず人の物を盗んではいけません」
「ヌスム、ラク」
「トラレルホウ、ワルイ」
「それから、無理やり性交してはいけません。また、配偶者以外の相手としてもいけません」
「ハイグウシャ?」
「オクサン、ノ、コトカ」
「ヨメ」
「パートナー、ト、ヨビナサイヨ!」
相変わらず、なぜルールを守らなければならないのかという理屈までは理解していないようだったが、原住民たちは素直に彼の言うことに従った。
しかし、問題は尽きなかった。彼はその後もたびたび原住民たちを呼び集めては、頭を痛めながら新しいルールを追加していった。
「周囲の人に嘘をついてはいけません。それから他人の物を欲しがるのもやめましょう。あと、私の名前を勝手に使って誰かに命令したり、従わせるのも禁止です」
さらに彼は一日に数回、祈る時間を設けた。心を静める習慣をつけさせることで、衝動的な暴力行為を防ぐためである。
また、両親を敬うよう教えた。彼らの『家族』という概念は極めて脆弱で、伴侶や子供を平然と捨てる者が珍しくなかったためである。
自分より貧しい者に食べ物を分け与えるようにも諭した。放っておけば一人で貪り食ってしまうためである。
みだりに生き物を殺すことも禁じ、また、もし自分以外の異星人が現れたとしても、その言葉を信じてはならないと教えた。
そうして原住民たちが、ようやく最低限の節度を身につけ始めた頃、彼は母星へ帰還することにした。持ち込んだ物資が底を突きかけていたことに加え、精神的な疲労が限界に達していたためである。
ルールを一つ定めると、原住民たちは決まってその抜け道を探した。そして連中はそれを遊びのように楽しんでいたのだ。
盗んだのではなく、“借りただけ”。殺したのではなく、“すでに死んでいた”。嘘をついたのではなく、“相手が勘違いしただけ”。誤解を招いたことについては申し訳ない気持ちであるといった調子だった。
そんな屁理屈ばかりこねられ、ほとほと疲れ果てた彼は、引き継ぎ要員に任せることにしたのだった。
宇宙船が浮上し始めると、原住民たちは一斉に手を合わせ、彼を見送った。
まあ、無駄にはならなかっただろう――。
彼はモニター越しにその姿を見下ろしながら、深く長い息を吐いた。
しかしその後、その惑星へ後任の探査員が派遣されることはなかった。
母星政府が不要と判断したのか、それとも別の問題が起きたのか。いずれにせよ、誰も訪れなかった。
ただ、彼が定めたルールだけは長い年月の中で少しずつ形を変えながら残り続けた。
空を見上げても宇宙船の姿はなく、神不在のその星で。




