破滅を願われたはずなのに、なぜか私だけが幸せになった話
その人は、私が王太子の婚約者を下された日に現れた。
お父様のため息が重くて、一人で唇を噛み締めていた、そんな夜。
「リシェル」
窓の外から呼ばれた。
外を覗き見れば、ふうわりと浮く人影。
「え…?」
人じゃない。
コツコツ、と窓をノックする。
一人でに窓が開いた。
彼は窓枠に腰掛けた。ゆったりとした仕草。
彼の黒い長い髪が風もないのに舞う。
「僕はアルド。可哀想にね、リシェル」
とろけるような笑み。どこかチグハグで、けれど慈愛を孕んで。
「……知ってるの?」
この人でないものが、自分の状態を知っているのが不思議だった。
「知っているよ。願うかい? 僕は願いを叶える精霊、そう呼ばれてる」
瞬間繋がる。王太子の手を取って勝ち誇ったように笑った少女。
「ヴィオラ……」
正解、と言うようにアルドは目を細めた。
「つらいね。……悲しいね」
アルドは立ち上がって、私の頭を撫でる。侮辱された。そう感じてもおかしくないのに、私はいつのまにか泣いていた。
アルドは頭を撫で続ける。
その日から、私の日常は、彼に侵食されていった。
父は、静養という名目で私を離れに追いやった。
コツコツとノック。するりと入り込む気配。
「リシェル、いい夜だね」
アルドは幻想的な色の液体の入った瓶を持っていた。
「綺麗……」
「そうだろう? 花の蜜と霞を煮詰めて作ったんだ。お土産だよ。隠し味は月の雫」
アルドはグラスに液体を注いで差し出した。
「これ飲めるの?」
「飲めるさ」
アルドは肩をすくめた。アルドの目が熱心にこちらを見ている。
「見られたら、飲みづらいけど」
グラスを口元に運ぶ。
「……美味しい」
しゅわっととろけた。
「飲んだね、リシェル」
アルドの目は爛々としていた。
「アルド?」
「いい子」
アルドの手が髪をゆったりと梳いていく。
髪の毛が薄っすらと月の光を反射した気がした。
アルドはその日から、珍しい“お土産”を持ってくるようになった。
悲しみも、現実の苦しさも、不思議と食べるたびに遠くなっていく。
「ねえ、アルド」
アルドはすっぽりと私を抱えて座っていた。
いつからこうだったのか、思い出せない。
でも……
「安心する……」
私はアルドに頭を預けた。
次の日父に呼ばれた。
「願いを叶える精霊がいるらしい。お前の嫁ぎ先を決めてもらう」
山の中、泉のほとり、そばには崩れかけた祠がある。
「精霊様、どうか願いを叶えてください」
--風が、揺れる。
「呼んだ?」
ふうわりと現れたのは、アルド。
知っていたけど、思わず息を呑んだ。
「リシェルに価値ある嫁ぎ先をお願いしたい」
固唾を飲んで見つめる。
「良いよ」
アルドは笑った。
父の目の焦点が合わなくなる。アルドは私を嬉しそうに抱き寄せた。
「アルド? これはどういうこと?」
彼は笑った。
「だって、リシェルは僕から離れられないでしょ?」
「リシェルにとって価値ある嫁ぎ先だよ……おいで」
アルドが指を鳴らすと感覚が変わる。
手を引かれて空へ。
「え…?」
キス。そして
「リシェル、すき」
心臓が暴れ出した。
王太子にも感じたことはなかった感情が指先まで走っていく。
「……ずるい」
私はアルドにぎゅっと抱きついた。
「見せてあげる。行こう」
楽しげに微笑んで、王城の方へ飛んでいく。
私たちは誰にも見つからない。
久しぶりに見たヴィオラは背筋は伸びていたけど、別人のようだった。化粧で隠しきれない隈、油断できないというように辺りを警戒している。
アルドは私の頭に顎を置いた。腕は後ろからしっかり回されている。
「あの子、リシェルを不幸にしたかったみたい」
ぎゅっと腕に力が入る。
「させないけどね。でも願いは叶ったんだよ」
私はヴィオラから目が離せなかった。もし自分が王太子の婚約者になっていたら私も……。
ぶるっと震えると宥めるように唇が落とされた。
「大丈夫。大丈夫」
「僕の願いも叶ったんだよ。……願いを叶える精霊だからね」
自分の手が月光に輝くのを見た。風もないのに髪が舞う。
引き寄せられて、額を合わせて、
その日、私は、風に溶けた。




