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破滅を願われたはずなのに、なぜか私だけが幸せになった話

作者: 絹ごし春雨
掲載日:2026/05/02

 その人は、私が王太子の婚約者を下された日に現れた。


お父様のため息が重くて、一人で唇を噛み締めていた、そんな夜。


「リシェル」


窓の外から呼ばれた。


外を覗き見れば、ふうわりと浮く人影。


「え…?」


人じゃない。


コツコツ、と窓をノックする。

一人でに窓が開いた。


彼は窓枠に腰掛けた。ゆったりとした仕草。


彼の黒い長い髪が風もないのに舞う。


「僕はアルド。可哀想にね、リシェル」


とろけるような笑み。どこかチグハグで、けれど慈愛を孕んで。


「……知ってるの?」


この人でないものが、自分の状態を知っているのが不思議だった。


「知っているよ。願うかい? 僕は願いを叶える精霊、そう呼ばれてる」


瞬間繋がる。王太子の手を取って勝ち誇ったように笑った少女。


「ヴィオラ……」


正解、と言うようにアルドは目を細めた。


「つらいね。……悲しいね」


アルドは立ち上がって、私の頭を撫でる。侮辱された。そう感じてもおかしくないのに、私はいつのまにか泣いていた。


アルドは頭を撫で続ける。


その日から、私の日常は、彼に侵食されていった。



 父は、静養という名目で私を離れに追いやった。


コツコツとノック。するりと入り込む気配。


「リシェル、いい夜だね」


アルドは幻想的な色の液体の入った瓶を持っていた。


「綺麗……」


「そうだろう? 花の蜜と霞を煮詰めて作ったんだ。お土産だよ。隠し味は月の雫」


アルドはグラスに液体を注いで差し出した。


「これ飲めるの?」


「飲めるさ」


アルドは肩をすくめた。アルドの目が熱心にこちらを見ている。


「見られたら、飲みづらいけど」


グラスを口元に運ぶ。


「……美味しい」


しゅわっととろけた。


「飲んだね、リシェル」


アルドの目は爛々としていた。


「アルド?」


「いい子」


アルドの手が髪をゆったりと梳いていく。


髪の毛が薄っすらと月の光を反射した気がした。


アルドはその日から、珍しい“お土産”を持ってくるようになった。


悲しみも、現実の苦しさも、不思議と食べるたびに遠くなっていく。


「ねえ、アルド」


アルドはすっぽりと私を抱えて座っていた。


いつからこうだったのか、思い出せない。


でも……


「安心する……」


私はアルドに頭を預けた。




 次の日父に呼ばれた。

「願いを叶える精霊がいるらしい。お前の嫁ぎ先を決めてもらう」


 山の中、泉のほとり、そばには崩れかけた祠がある。


「精霊様、どうか願いを叶えてください」


--風が、揺れる。

「呼んだ?」


ふうわりと現れたのは、アルド。

知っていたけど、思わず息を呑んだ。


「リシェルに価値ある嫁ぎ先をお願いしたい」


固唾を飲んで見つめる。


「良いよ」


アルドは笑った。


父の目の焦点が合わなくなる。アルドは私を嬉しそうに抱き寄せた。


「アルド? これはどういうこと?」


彼は笑った。


「だって、リシェルは僕から離れられないでしょ?」


「リシェルにとって価値ある嫁ぎ先だよ……おいで」


アルドが指を鳴らすと感覚が変わる。


手を引かれて空へ。


「え…?」


キス。そして


「リシェル、すき」


心臓が暴れ出した。


王太子にも感じたことはなかった感情が指先まで走っていく。


「……ずるい」


私はアルドにぎゅっと抱きついた。


「見せてあげる。行こう」


楽しげに微笑んで、王城の方へ飛んでいく。


私たちは誰にも見つからない。


久しぶりに見たヴィオラは背筋は伸びていたけど、別人のようだった。化粧で隠しきれない隈、油断できないというように辺りを警戒している。


アルドは私の頭に顎を置いた。腕は後ろからしっかり回されている。


「あの子、リシェルを不幸にしたかったみたい」


ぎゅっと腕に力が入る。


「させないけどね。でも願いは叶ったんだよ」


私はヴィオラから目が離せなかった。もし自分が王太子の婚約者になっていたら私も……。


ぶるっと震えると宥めるように唇が落とされた。


「大丈夫。大丈夫」


「僕の願いも叶ったんだよ。……願いを叶える精霊だからね」


自分の手が月光に輝くのを見た。風もないのに髪が舞う。


引き寄せられて、額を合わせて、

その日、私は、風に溶けた。

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