第一章⑧『黒い霧』
『剣悟くん。 ……悪いが、捜索の前に少しだけ私の所に立ち寄ってくれないか?』
教室を飛び出し、一時間目の時みたいにあちこち廊下を駆け回っていた僕に、ハナコが脳内で声をかけてきた。授業中の教室のすぐ横で思わず「えっ?」と聞き返しそうになりながらも、寸前で堪えて、同じように脳内で聞き返す。
『……風晴さんを探しながらじゃダメなの?』
そう。僕には今、行方を眩ませてしまった風晴さんを探して連れ戻すという重要なミッションが課せられている。当てがある訳じゃないけど、今は不用意に時間を浪費したくない。
しかし、ハナコはそんな事はお構いなし、といった様子で、
『いいから! ……君に、教えておかなければならない情報があるんだ』
その気迫に圧されたのか、あるいは、彼女の気迫から真剣な思いが読み取れたからか。僕は、それ以上ハナコ反抗することなく素直に『分かった』と告げ、彼女と出会った倉庫の方へと進路を転換した。
きっと、彼女もさっきの事件で負い目を感じているのだろう。僕と小竹くんの精神騎決闘に気を取られ、風晴さんの負の感情が高まっていくのを見過ごしてしまった。だからこそあの時、ハナコは「私とした事が……」と呟いたんだ。ハナコ本人も、霧谷さんも言っていたように、この問題は、「誰か一人が悪かった」という性質のものじゃない。一人一人が、それぞれに責任を抱えている。責任という名のパズルのピースを、各々がバラバラで抱え込んでいる状態なのだ。僕は、その中でも一番多くのピースを抱えている訳だけど、ハナコだって、皆が気に留めないぐらい小さなピースを抱えているはずなのだ。「自身のビハインドは、自身で取り返すしかない」と、ハナコは言った。だからこそ、僕は僕のピースを埋めなきゃいけないし、ハナコはハナコのピースを埋めなきゃならない。その為に、今は手を取り合って───
『あーもう長いんだよ説明が! いいから黙ってこっちに向かえ馬鹿が!』
『ちょっ……人がいい感じに纏めようとしてる所に割り込むなよ! ……っていうか、やっぱ聞こえてたの!?』
『丸聞こえだよ、少しは学習したらどうなんだい? 全く……何が「責任という名のパズルのピース」だ、小っ恥ずかしいったらありゃしない』
『うわあああああ止めろぉぉぉぉぉ!!!!!』
消えたい! 今すぐ此処から飛び降りて消えたい!!
顔から火を出し、スコップを抱えてどこかの穴に入りたそうにしている精神騎と一緒に、僕は、全速力で倉庫へと向かうのだった。
***
「ハァッ、ハァッ……お待たせ……」
「やぁ、お疲れ様。 ……そんなに息切れするほどの距離だったかな?」
「ハァッ……ランニングは……前頭葉を刺激したり……ハァッ、神経系に……良い影響を、及ぼしたりするから…………でも……ちょっと休ませて……」
肩で息をしながら、近くの椅子にドスンッと勢いよく座り込む。そんな僕の様子を、ハナコは足を組んで机に腰かけながら、相変わらずの態度で見下していた。今回ばかりは、流石に自分でも馬鹿だなぁと思う。こう、焦りとか恥ずかしさとか色んな感情が渦巻いてハイになっていたのだ。でも、こんなに無我夢中でダッシュしなくても良かったよな……。
「生憎、ここには麦茶も無ければ水も無い。 喉が乾いているんだったら、そこを出てすぐの水道に……」
「いや、お構いなく……それより!」
じんわりとダルさが残る身体をなんとか起こして、ハナコの方へと向き直る。さっきの全力ダッシュのせいで忘れかけてたけど、僕は今時間に追われている立場だ。五時間目の終了までは、あと三十五分しかない。「終了時刻十分前には戻ってこい」という霧谷さんの指示のことも考えると、現在僕に残されている時間は、あと二十五分だ。
「僕に教えておかなければならない情報、っていうのは?」
そんな時間に追われている身の僕をわざわざ呼び出してまで、伝えておかなければいけない事って一体何なんだろう? 精神騎についての新情報、って考えるのが妥当なんだろうけど、ただ、その中でも特に心当たりがあるとするならば……。
(風晴さんの精神騎を纏っていた、黒い霧……)
そう、風晴さんが教室を飛び出す寸前に見た、精神騎のあの異様な姿。一時間目終わりに出会った時の様子とはまるで違う、闇堕ちしたみたいなあの感じは、明らかに風晴さんの精神騎が危険な状態にあると分かるほどのものだった。もし、ハナコが言っていた『心此処に在らず』の症状が、あの黒い霧だとしたら……あれはもう、異常だ。
「……そう、異常だね。 君の見たあの黒い霧のようなものは、『心此処に在らず』の症状と見て間違いないだろう。 しかし、あれだけの量の霧が一度に出るというのは、明らかに異常だ」
……また心を読まれた。会話のペースが狂うから、なるべく対面してる時は口で会話して欲しいんだけどな……。
「あの黒い霧は、一体なんなの……?」
会話の仕方については目を瞑るとして、どうやらハナコが僕を呼び出した用件も、あの黒い霧についての事のようだった。『心此処に在らず』の症状って事は、彼女はもう予備軍ではなくなり、完全に罹患してしまったという事なのだろうか……?
「あれは、『心此処に在らず』によって起こる様々な症状の原因物質だ。 『ストレッサー』と表現すれば分かりやすいかな?」
「ストレッサー……じゃあ、風晴さんの精神騎は、ストレスまみれだったって事?」
「端的に言えば、そうなる。 ……しかし、さっきも言ったけれど、あの量のストレッサーは常人が一人で抱え込めるような量じゃない。 病気レベルの能天気さか、あるいは病気レベルの我慢強さか……そのいずれかが原因でああなってしまったんだろうね」
「……」
ストレッサー。心理学や生物学上では、人間をはじめとした生物にストレスを与える要因となる、様々な刺激の事をそのように呼んでいる。その言葉がカバーする領域はとても広い。暑さ、寒さ、腹痛、擦り傷、きついジーンズの締め付け、タンスの角に小指をぶつけた時の痛み……などの外的要因を指す事もあれば、不安、悩み、怒り、イライラ、上司や母親のお説教、〆切が迫ってるのに終わらない課題……など、精神に働きかける内的要因を指す事もある。とにかく、人やその他の生き物のストレスの原因となる全てのものが『ストレッサー』と呼ばれるのだ。
「……元々、ストレッサーは精神騎の身体に内在している物質だ。 本来は、精神騎のエネルギー源として作用する筈なんだが、何らかの影響でそれが精神騎の外へと放出したり、許容量をオーバーして溢れ出たりする事が稀にある。 それが、心此処に在らずの初期症状だね」
「ストレスが、放出……」
ハナコの説明を聞いてコクコクと頷きながら、僕も僕なりにストレッサーについて考えていた。
ストレスには、心に良い影響を与える『快ストレス』と、悪い影響を与える『不快ストレス』の二種類が存在する。人間が、筋肉にあえて負荷をかける事で筋肉をムキムキにするように、心にもある程度の負荷……すなわち、ストレッサーによる刺激が必要となるのだ。心がなんの刺激にも耐えられない程ひ弱じゃ、人間は社会で生きていけない。つまりストレスは、単に人間に悪い影響を与えるだけのものではないという事だ。
しかし、やはり人間の心はストレスによってひしゃげてしまうものである。それは、先述した『快ストレス』と『不快ストレス』のバランスが影響しているとされている。さっきハナコが言っていたように、人には、人それぞれのストレスの許容量がある。それがオーバーすると、心が病む原因になってしまう。いわば、筋トレのやり過ぎによる筋肉痛だ。一方で、ストレスの許容量が適正であったとしても、そのバランスが悪い場合……とりわけ、『不快ストレス』が多くなってしまった場合にも、同じように心が病んでしまう。これは……まぁ、腕の筋肉ばっかり鍛えすぎて他の筋肉が無い、みたいな……いや、それはちょっと違うかな……?
……とにかく、ストレスが原因による心的な悪影響は、そのほとんどがストレス過多及びストレスの偏りによるものである、という事だ。『心此処に在らず』を発症してしまった風晴さんは、心理学的に言うならば、ストレスによる精神的な鬱状態に陥ってしまったという事になる。
でも、もし風晴さんの心が、こういった要因によって病んでしまっているのだとすれば、それは…………。
「黒い霧は恐らく、彼女の悪性ストレスが実体化したものと考えて良いだろう。 溜まりに溜まっていたストレスが、さっきの騒動で爆発したんだろうね。 ……ああなってしまったら最後、彼女が何かしらの精神病に近い状態に陥ってしまうのは時間の問題だ」
ため息混じりに告げられた、恐ろしい宣告。気づくと僕は、ブルブルと隣で震える精神騎と同じように、わなわなと手を震わせていた。
「……どうかしたのかい?」
「……僕が」
弱々しく開いた口から、思いがけず声が漏れる。その声すら、僅かに震えを伴っていた。
「僕が、風晴さんを追い詰めて、病気にしちゃったって事……?」
彼女が『心此処に在らず』を発症したという事は、その直接的な原因は、あの体育館裏騒動───つまり、僕だ。僕が、彼女の心を貶めたといっても過言ではない。心眼石を拾って、学校中の人々の心を救って欲しいとお願いされた僕が、いきなり、人の心を傷つけて殺めてしまうなんて、そんなの……!
「……」
グシャグシャと頭を掻きむしる僕を、ハナコは何も言わずに見つめていた。……いや、声をかけたくなくなる程に、僕に失望しているのだろう。……そりゃそうだ。心眼石をたまたま拾って、意気揚々と皆を救う宣言をした奴が、こんなダメダメな人間だったんだから。僕の足元には、腰を直角に折った精神騎が項垂れて倒れている。僕は風晴さんを救うことすら出来ず、あまつさえ傷つけた。僕は、最低最悪の人間だ……!
思わず叫び出したくなり、その場にうずくまりかけたその時。僕の頭にトスン……と柔らかく何かが当たる感触がした。え……? と弱々しく声を上げながらゆっくり顔をあげると、そこにはハナコが立っていた。さっきまで座っていた机から降りて、呆れた顔で、僕の頭にやんわりとチョップをしていたのだ。
「なにを弱気になっているんだい? 火属性の精神騎を持っておきながら、情けない」
「でも……」
「風晴陽葵。 彼女は元々、ストレスを自分で抱え込むタイプの人間だった。 だからこそ、周りは彼女の抱えていた苦しみに気づいてやれなかった訳だし、放っておいても、どのみち誰かが地雷を踏んで彼女を傷つけていただろう。 君が彼女を傷つけたというのは、あくまで結果論だ」
ハナコが、僕の頭の上に乗っけていた手を倒し、そのまま軽く頭を撫でた。ただそれだけの行為なのに、僕の頭をグルグルと渦巻いていた不安や恐怖といった感情が、すうっと抜けていくような感じがした。言葉は相変わらず辛辣だけど、どうやらハナコは、僕のことを慰めようとしてくれているみたいだった。
「何度も言ったけど、これは誰か一人に責任があるような問題じゃない。 君は君なりに、自分の過ちを精算すれば良いだけだ。
……心配しなくても、『心此処に在らず』は、ちゃんと治療を施せば治すことのできる病気なんだから」
「ハナコ……」
その言葉で、ズンと重くのし掛かっていたプレッシャーのようなものが、ゆっくりと消えていった。言葉一つで、こんなにも人は救われるものなのか。まるで、地上に降り立った天使を見上げるかのように、僕はただただぼんやりと彼女の姿を見上げていた。
「……ほら、いつまでボサッとしてるんだ? 早くしないと、風晴さんを探す時間がなくなってしまうよ?」
さっきよりも少し強めに、コツンと頭にチョップを入れられる。ハッとして起き上がる僕と同時に、僕の精神騎もゆっくりと立ち上がった。折れかけていた僕の心は、完全にとはいかないまでも、なんとか立ち直れたようだ。
「いいかい? 彼女を元に戻すには、彼女の精神騎を纏う黒い霧……すなわち、悪性のストレッサーを除去しなければならない。 その為には、君が彼女の心に寄り添って、不安や苦しみを振り払ってやる必要がある」
僕の精神騎をヒョイッとつまみ上げながら、ハナコがもう片方の手の人さし指を立てて説明をする。
「しかし、ストレッサーを纏った精神騎は、いつにも増して攻撃的だし、視界が悪いせいでなりふり構わずに攻撃してくる。 簡単に近づける訳じゃないから、用心しないといけないよ?」
「……彼女を救うのは、僕にしか出来ないんだよね?」
「そうだ。 君にしか出来ない事であり……君がやるべき事だ」
ハナコの真剣な眼差しを受けて、僕も覚悟を決める。今は、後ろを向いて悲観的になっている場合じゃない。今、一番辛い思いをしているのは、僕じゃなくて風晴さんだ。……そりゃ、僕だって自責の念で今にも精神騎が潰れちゃいそうになってるけど、でも、それで僕が立ち止まっていたら、その間風晴さんはずっと苦しみ続けなきゃならなくなってしまう。そんなの、絶対にあってはならない。
「私からの用件は以上だ。 後は、君自身でなんとかしたまえ。 ……決闘するにしろ寄り添うにしろ、その方法は変わらず「対話」だ。 君のやり方で構わないから、慎重に彼女の精神騎を救うんだぞ」
「……分かった、やってみるよ」
力強く頷きながら、僕とハナコは示し合わせたかのように、ほぼ同時に立ち上がった。「じゃあ、そろそろ行ってくる」という僕の言葉も、「さぁ、早く行ってきなよ」というハナコの言葉も、もう二人には必要なかった。「心を通じ合わせた」二人は、やるべき事を確認し合うや否や、そのままミッションの遂行へと急ぐ。……まぁ、実際にミッションをこなすのは僕だけなんだけどね。
「……あ、そうだ」
用件を聞き終え、今まさに倉庫の扉に手をかけようとしていた所で、僕は動きを止める。
「……どうした? 何かどうでも良いうんちくでも思い出したのかい?」
「いや、ちょっと言い忘れてた事があってさ」
身体をくるりと反転させて、不思議そうに首をかしげるハナコの方へと向き直る。もじもじと身体をゆすり、むず痒そうにする精神騎を横目に見ながら、僕は真っ直ぐにハナコの方を見て、
「教室で、怒りを皆にぶつけそうになった僕を宥めて説教してくれた事。 霧谷さんに追い詰められていた時に、『ファミリア・ストレンジャー』のことを教えてくれた事。 ……それから、さっき心が折れそうになっていた僕に、優しく声をかけてくれた事」
一つひとつ、頭の中で思い出すようにしながら、言葉にして整理する。こんな短い時間の中で、僕は何度となくハナコに助けられた。今はまだ、彼女に何かお返しが出来るような立場じゃないけれど……せめて、これだけは言っておこう……そう思ったのだ。
「ハナコが助けてくれなかったら、今頃僕は項垂れて何も出来ずにいたと思う。 だから……ありがとう。 君のおかげで、本当に助かった!」
にっこり笑って、そう告げる。改まって感謝の言葉を口にするのって、なかなか照れくさいけど……でも、こんなに助けて貰ったんだから、お礼くらい言っておかないといけないな、と思った。心を通じ合わせた間柄だからこそ、こういうのは大切にしないと。
「……」
ハナコは、初めポカーンとした顔で僕の言葉を聞いていた。しかし、しばらく時間が経つと、彼女は面白いようにみるみる頬を赤く染めて、
「な……な、な、何を急に恥ずかしい事を言い出すんだ君はっ!? こんな事に時間を使って……本っ当に君は馬鹿だな!!」
「えぇっ!? 何でここで急に怒るんだよ!?」
まぁ、こういう反応するだろうなーとは若干予想していたんだけど、ここまで怒られるとは。
ハナコは、白い髪を指先にクルクルと巻きつけて弄りながら、いつになく早い口調で僕につっかかる。
「大体アレだ! ファミリア云々《うんぬん》とかいうのは……その……君の心の中にぼんやりと浮かんでいたワードを、たまたま拾って伝えただけで!
それに、心眼石の所有者である君がこんな所でへばっているようじゃ困るからね。 ……これは君を利用する立場である私の利益を考えての行動だ。 勘違いしないでくれ、別に君のことを心配して言ったんじゃない!」
「ふーん? ……もしかして、ちょっと照れてる?」
「……この馬鹿が! あんまり調子に乗るな!」
「わ、ちょっ! 学校の備品を投げるなって!」
机の影に身を隠しながら、照れて小パニックに陥っているハナコを見つめる。最初は、いけ好かない奴だと思っていたけれど、こうして見ると、ただの可愛い女の子じゃないか。まだまだ謎の多い子ではあるけれど、今日一日の間で、かなり彼女との心的距離も縮まったような気がする。これからも、仲良く出来ると良いんだけど……って、今のこの思考も読まれてたらマズいな。まぁ、今の彼女はパニックって何も聞こえていないだろうし、大丈夫か。
「全く……ほら、とっとと出ていって風晴さんの捜索に向かえ! こんな事に時間を費やしてどうする!」
しばらくして、ハナコからの投擲攻撃が止み、代わりに罵声が飛んでくる。その言葉にハッとして、慌ててスマホの時計を見る。倉庫に入って来てから、もう既に十分が経過していた。タイムリミットまで、あと十五分しかない。
「やばっ!? 油売りすぎた!」
『ハァ……自業自得だ、馬鹿が』
猛ダッシュで倉庫を飛び出す僕の脳内に、ハナコのため息が響く。さっきまで普通に会話してた事もあってか、こうして脳内で会話する感覚への慣れがなくなっていて、若干気持ち悪く感じてしまう。……まぁ、今はそんな事気にしている場合じゃない。一刻も早く、風晴さんを見つけないと。
「───おーい、藤鳥ぃー!!」
職員室を探す時と同じ要領で、外から風晴さんの居場所を探ろうと外に出ようとした時だった。誰かが僕を呼ぶ声が聞こえてきた。聞き覚えのあるその野太い声は、外から僕の方へと向かって走る、広崎くんから発せられたものだった。
「広崎くん!? どうして……君も風晴さんを探しに来たの?」
「あーいや、そうじゃない。 俺は、霧谷に頼まれてお前を呼びに来たんだ。 『迷子になっている転入生を連れ戻す』という名目でな」
にししっ、と笑いながら肩に手を回してくる広崎くん。しかし、一体どういう事だろう? 霧谷さんからの指示という事は、彼女はもう教室に戻って来ているのか? とすれば、風晴さんは……?
うむむ……と一人悩んでいる僕を見て、広崎くんは急に僕の頭に手を乗せて、わしゃわしゃと掻き回した。そして、訳もわからず困っている僕に、にいっと笑いかけ、
「安心しろ。 さっき、風晴が自分で教室に戻って来たんだ。 もうケロッとしていたし、お前も心配しなくて大丈夫だぞ」
は……?
風晴さんが、自分から帰ってきた……?
広崎くんは嬉しそうに笑っているが、正直なところ、僕には信じられなかった。
あれだけ激昂して教室を飛び出し、『心此処に在らず』にかかっていた彼女が、そんな簡単に戻ってこれるのか……? ……いや、そんな訳ない。もしそれが本当なのだとしたらもう、鋼メンタルどころの話じゃない。
『あぁ、そんなことは有り得ない……』
ハナコも、不思議そうに唸っている。広崎くんが噓をついているとは思えないし、風晴さんが戻ってきたというのは本当なのだろう。でも、そんな事って……。身震いする精神騎を横目に、僕自身も何かとてつもなく嫌な予感を抱いていた。
「お、おい!? 急にどうしたんだよ藤鳥!?」
広崎くんの呼ぶ声を無視して、僕は来た道を戻っていく。今日でもう何度目か分からない全力ダッシュで階段を上がりながら、僕は、精神騎が抱えるザワザワした何かに苛まれていた。
***
「───風晴さんっ!」
勢い任せにドアを開け、風晴さんの姿を探していた僕は、次の瞬間、言い様のない恐怖に取りつかれていた。思わず「なんだよこれ……」と声に出してしまいそうだった。
ドアを開く音につられ、教室にいたクラスメイト全員の視線がこちらに向けられる。その中には、僕がずっと探していた、風晴陽葵さんの姿もあった。教室の中心で大勢に囲まれる中、皆と同じように僕の方へと振り向いた彼女は───
「───あ、おかえり藤鳥君。 ごめんね、もう大丈夫だから!」
「風晴、さん……?」
───彼女は、真っ黒に染まった精神騎の隣で、恐ろしい程に黒ずんだ瞳を歪めてニコリと笑っていたのだ。
つづく




