第一章④『触れ合う心と、その切っ先』
『心此処に在らず』という病気が、一体どんな症状をおよぼし、どんな被害を出すものなのかは分からない。心理学的な知見では測れない部分だって、少なからずあるのかもしれない。
でも……少なくとも今の僕には、目の前でキョトンとしながらこちらを見る彼女───風晴陽葵さんが、その病気の予備軍であるなんて、信じられなかった。
「……ふざけるなよ! そんな筈ないだろっ!」
「ひゃっ!? ……え、なになに? ごめん、なんか気に障るような事言っちゃった……?」
どこか怯えた様子で僕の顔を覗き込む彼女の声で、ハッとする。しまった……つい勢いで声に出してしまった。
心を落ち着かせ、なんとか風晴さんを宥めた後、心の中で改めて怒鳴る。
『どういう事だよ、彼女が予備軍って……!』
『あははっ、少し落ち着きなよ。 彼女も驚いていたじゃないか』
そうケラケラ笑いながら、ハナコが僕の頭に直接語りかけてくる。その小馬鹿にするような言葉選びに苛立ちを覚えつつも、僕はなんとか気持ちを落ち着かせ、彼女の説明に耳を傾けた。
『改めて説明するけど……『心此処に在らず』というのは、精神騎が宿主を離れる事で、宿主が感情を失ってしまう病気のことだ。 『心此処に在らず』によって心を完全に失ってしまう人間は百人に一人。 まぁ、数字だけ見ればそこまで多くもない訳だけど……その"予備軍"となれば話は別だ』
『予備軍って……?』
『例を挙げるとするなら……そうだな、「自分の心に関心がない」とか、「心に蓋をしている」、「心に闇を抱えている」。 こんな風に表現すれば分かるかい?』
あ……と思わず声を漏らした。なるほど、どうやら『心此処に在らず』の予備軍とは、精神病とまではいかないまでも、心に何か問題を抱えている状態の人を指すらしい。確かに、軽度の精神病だと考えれば、症状が見た目で判断できないのにも頷ける。
(でも……)
もう一度、目の前にいる風晴さんの瞳をじっと見つめる。こんなに明るくて、しかも自己紹介の時に僕を助けてくれたような優しい心の持ち主である彼女が、本当に『心此処に在らず』の予備軍なのか……? 心理学の勉強をある一定積んできた僕の目を以てしても、彼女にそんな兆候があるようには見えなかった。
「……あのー、もしもーし? じっとしたまま無言は流石の私も対応に困りますですぞー?」
「ハッ!? あ、えと、ごめん……」
またもや、風晴さんに声を掛けられて我に返る。 というか、風晴さんの会話とハナコとの念話を同時にこなすって、なかなか大変なんじゃ……。
「あー、ひょっとしてアレか! ニャガシャカ星との電波交信か! いやー、電波が精密すぎて流石の私も気づかなかったなー」
「あ……その設定、まだ続いてたんだ……」
例のよく分からない設定での会話に、苦笑いで返すしかない僕。……が、むしろ好都合かもしれない。彼女がちょっとしたおふざけで言っている事なのか、はたまた本気で僕を異星人だと信じているのかは定かではないけど……ここは都合上、その設定に乗っからせてもらうことにしよう。
「あ、えーと……そう、実は今ちょうど交信してたところなんだ。 ほら、こうやって頭の中で別の空間にいる人と電波でコミュニケーションを……」
我ながらアホらしいな……なんて思いながら適当な説明をでっち上げる僕を、風晴さんは終始ポカンとしながら見つめていた。
「あの……どうかした?」
「へっ? ……あーいや、君って割とノリが良いタイプだったんだなーって。
……ふむふむ、遂にカミングアウトしたなニャガシャカ星人! 私の目に狂いはなかったね!」
(やっぱりおふざけだったぁぁぁぁぁ……!!)
一瞬素に戻ってから、気を遣うように異星人設定を再開してくれた風晴さん。まぁ、今の時代に本気で宇宙人を信じてるような純粋な人ってなかなか居ないだろうし。分かってたけど。結局のところ彼女は、天然でそういう電波的な発言をしている訳じゃなくて、単にそういうノリで話せる人物だったって事だ。バカ正直に交信の説明とか始めた自分が恥ずかしい……
『……雑談は終わったかい? なら、説明の続きをしたいんだけど』
退屈そうに、ハナコが頭の中に声を割り込ませてくる。無視して風晴さんとの会話に集中した方が良いような気もしたが、『心此処に在らず』の事についても放っておけない。仕方なく、ハナコの話にもなんとか意識を向けた。
『君も重々承知だろうけど、心の闇はふつう可視化できない。 君が彼女の言動から『心此処に在らず』の兆候を感じ取れないのも尤もだね。
……そこで、君が今完全にその存在を忘れているであろう精神騎の出番だ』
ハナコに指摘され、そういえば……と、ふと思い出してキョロキョロと辺りを見回す。件のちびキャラ───もとい精神騎は、僕の右斜め後ろ側にちょこんと立って風晴さんの方をじっと見ていた。精神騎の姿は、『心眼石』を持っている僕にしか視えないと言っていたけど、確かに風晴さんは、あからさまに怪しいこのちびキャラに全く意識を向けていない。気づいてないだけとかではなく、本当に視えていないのだろう。
『君に君の精神騎がくっ付いているように、彼女にも彼女の精神騎が居る。 ……そこらを探してごらん? きっと、彼女の姿に似た精神騎が居る筈だ』
言われるがままに、彼女の周辺をチラチラと目で蹂躙する。と……
「…………居た!」
「へ? 何が?」
「え、あ、その……人間の目には見えない異世界生物が……みたいな……」
「ほー! ニャガシャカ星人にはそんな特殊能力まで備わっていたとは! これは大発見でありますな、隊長!」
危ない、間一髪で誤魔化せた……かどうかは分からないけど。
彼女の足元に、僕の精神騎と同じサイズの小さな妖精みたいなのが立っていた。さっきまで気づかなかったのに、精神騎のことに意識を向けた途端、突如として僕の視界に入ってきたのだ。さしずめ、相手の心に意識を向ける事で始めて、その心が姿を現す、といったところか。
きらびやかな装束と、透き通ったベールのような布があしらわれた衣装に身を包む、まるで東洋の踊り子さんのようなデフォルメキャラ。その見た目は、まさに風晴さんをそのまま小さくしたかのような感じになっている。
『あれが、風晴さんの精神騎……』
『あぁ、そうだ。 ……なるほど、彼女の精神騎はダンサーの特性を持っているようだね。 これは面白い』
ブツブツと呟きながら、一人楽しんでいる様子のハナコに、質問を投げかける。
『あの、特性って何……?』
『精神騎には、人それぞれの特性がある。 人間でいうところの個性、種族みたいなものさ。 彼女の場合はダンサーだし、君の場合は……剣士だ。 ほら、君の精神騎は腰に剣を下げているだろう?』
『……本当だ。 よく見たら、RPGに出てくる勇者の剣みたいなのがある……』
『そうだ。 君の精神騎は"言の刃"を使って、人の心を"切り開いて"いくのさ』
『……本当に、言葉遊びみたいな世界観なんだね』
改めて自分の精神騎をじっくりと観察してみる。勇者っぽい剣の他にも、戦いにでも赴くのかというような細かな装備品などがたくさん付いていた。心の武装? なんて考える中で、僕は人間の心の自己防衛本能……『心的防衛機制』について思い出していた。
心的防衛機制とは、人間が無意識下に、自分が得た情報を良いようにねじ曲げたり、回避したりすることを指す。これによって、人間は心の平穏を保つことができるのだが、その防衛機制には様々な種類がある。
例えば、不安を生み出した行動と逆の行動をとって心的安定を保とうとする『打ち消し』や、受け入れたくない欲求、現実を認めない『否認』。更には、『隔離』『投影』『同一化』『合理化』『反動形成』などなど。フロイトが示した十種類の機能によって人間の心は安定を保っていて───
『───何を一人でベラベラ喋っているんだい? さっさと彼女の精神騎に接触して欲しいんだけど』
『……あ』
しまった、またいつもの癖で心理学解説を始めてしまった……
ハナコのイラついた声に怯えつつ、言われた通りに精神騎同士の接触を試みる。が、
『……てか、そもそもどうやって接触させる訳?』
『簡単だよ。 目の前にいる彼女と会話をすれば良い。 他愛ない会話から、徐々に相手の心に迫っていくんだ。 それこそ、戦闘において相手との間合いを見計らうようにね』
『会話、か……。 なら、精神科のカウンセリングみたいな要領で大丈夫って事?』
『ああ、その方が分かりやすいというならそれで良い。 大切なのは、ゆっくりと相手の心に歩み寄っていく事だ』
実際に精神科のカウンセリングやった経験なんて、ない。けど、方法さえ分かっていれば、きっと何とかなるだろう。僕は文字通り気持ちを切り替え、ハナコとの念話から、目の前でじっと僕を見つめている風晴さんの方に意識を向ける。
「おっ、交信終わった?」
「あ、まぁ、うん……ごめんね、放ったらかしにしちゃって……」
「いーのいーの! ……って言いたい所だけど、流石に一分弱の沈黙タイムは堪えましたぞ少年……」
そりゃそうだ。というか、むしろよく愛想つかさずにずっと待っててくれたな、と改めて風晴さんの器の大きさに感心する。
さて、ハナコは漠然と「会話をしろ」と言っていたけど、どうしたものか。何か話題、話題は…………。
「えーっと……その、本日はお日柄も良く……」
「ほぇ?」
「あっ、ごめ、ごめん今のなし……」
あぁ……穴があったら入りたい。自己紹介の時にも感じたけど、僕って自分が思っていた以上に人見知りらしい。小学生の時は、もっと上手く人付き合いできてたはずなのに……。自分の口下手ぶりに思わず頭を抱える僕の横で、僕の精神騎がフラフラと目を回して倒れていた。これが自爆というヤツか……
『……君はアレか、俗に言うコミュ障か。 よくそんなので心理学者になろうとか言えたね』
『うっさい! 別に良いじゃんか、治療と研究は別なんだから……』
頭の中で響くハナコの嫌味を一切無視して、もう一度風晴さんとの会話を試みる。
「あ、ごめんね……僕ちょっと口下手で……」
「あっははは! ニャー悟クンって本当面白いね! 周りの子から「変わってるね!」とか言われたりしない?」
「うぐ……ま、まぁよく言われるかも……」
図星を突かれた。どうやら彼女は、コミュニケーション能力だけでなく、人間観察力にも長けているらしい。彼女の精神騎も、僕の精神騎の周りをグルグルと移動しながら、僕の精神騎を観察しているみたいだった。
僕の素性を言い当てた事で気を良くしたのか、彼女はニンマリと笑いながら、
「やっぱり? ……だとしたら、私と貴方は良き変わり者仲間って訳だ! ふっふっふ、俺たち仲良くやっていけそうじゃねーの!」
「あ、自分で変わり者って言っちゃうんだ……」
「まぁね~。 ……ハッ、これは私も宇宙人デビューを果たすチャンスなのでは……!?」
「いや、デビューしなくて良いから……」
チラ、と精神騎の方に目をやる。 二人の精神騎は、ちゃんと互いに向き合っており、何やら楽しそうに踊っているようだった。ハナコの言った通り、上手く接触が出来ている。これは、ファーストコンタクトとしては良好なんじゃないか?
調子に乗って、僕は畳み掛けるように風晴さんに色々と話を振ってみる。
「でも、風晴さんは、そのキャラもあってクラスの皆から好かれてて羨ましいな。 今日も、皆の注目を集めながら僕のこと助けてくれた訳だし」
「えへへぇ~、皆から好かれてるなんて言われると照れますなぁ~。 まぁ? やっぱり私の中に秘められた愛されキャラの血が? 無意識に放出されちゃってる感じ?」
「いや、血が放出されてたらマズいんじゃ……」
「そーそー、もう全身傷だらけで血がブシャー! みたいな感じに……って、そんな訳あるかーい!!」
あはははっ! と楽しそうに笑う彼女に合わせて僕も笑うが、正直ちょっと疲れてきた。どんな話題でもテンション高く受け取って、終始笑顔を絶やすことなく喋りつづける風晴さん。そんな、べら棒に明るい様子を見ていると、余計に彼女が『心此処に在らず』の予備軍だということが信じられなくなる。
(なんだ、やっぱり彼女は正常じゃないか……)
遂には、そう信じ込んでしまった。ハナコの言っていた事はただの嘘で、風晴さんには何の問題もない。そう信じて疑おうとしなかった。
……それこそが、自分自身の心の逃避行動だったという事に、僕は気づいていなかったのだ。
「……風晴さんが羨ましいや。 僕と違って、明るくて元気で……。 悩みとかも、全然なさそうだし」
その時の僕は気づかなかった。
横で楽しそうに踊っていた僕の精神騎が持つ剣が、風晴さんの精神騎の頬をほんの少し、掠めていた事に。
『……あーあ』
『え……?』
そう呟くハナコの声が聞こえた。間抜けな僕は、その言葉の意図にすら、まだ気づけていなかった。もしや……と思い、僕は目線を精神騎らの方に移す。そうして、ようやく風晴さんの精神騎に起きていた異変に気づいた。彼女の精神騎が、頬から一筋の血のようなものを流して、フラフラとよろめいていたのだ。
「……あはは、そう見える?」
ほんのちょっと間を置いてから、風晴さんが答える。精神騎の方に気を取られていた僕は、慌てて顔を上げ彼女を見る。その表情は、さっきまでと変わらない朗らかな笑顔のように見えた。
「まーね! 私ってば超超ポジティブスィンキングウーメンだから、悩みなんてこれっぽっちも持ってない訳でごぜーますですよ!」
「あ、あの……」
「ほら、私に悩みなんて似合わないし? ……そう、きっと悩める子羊であった私はもう、神の恵みを得て大天使級に成長しちゃった、的な……!?」
違う。そんな事思ってない。
気づくのがあまりにも遅すぎた。彼女の隣で、頬に受けた傷を押さえながら、なおもダンスを続ける精神騎を見て確信した。
「……それに、私が悩んでる感じとか出したら駄目だしさ」
……彼女は、自分にウソをついている。
───キーン、コーン、カーン、コーン。
彼女の消え入るような呟き声に重なるように、チャイムが鳴り響いた。ハッとした顔で我に返った風晴さんは、すぐにいつもの様子に戻り、せわしなく足踏みを始めた。
「ヤバッ、もう二時間目始まっちゃってんじゃん!? ニャー悟クンのバインド能力にやられたぁ~!」
「あ……ご、ごめん! 変に引き止めちゃって」
「気にしない気にしない! 色々とお話できたし、転校生との友情ポイントが上がった! って考えればお得だしね~。
……って、そんな事言ってる場合じゃないよ! 急がないと!」
そうだった。僕も早く教室へ……というか、まず職員室の方へ急がなければならない。別の用事がある、という旨を伝えつつ、風晴さんとはここで別れることになった。……しれっと、職員室の場所を教えてもらってから、だけど。
「じゃ、また後でね~!」
そう言って、猛ダッシュしながら教室へ帰っていく風晴さん。そんな彼女の背中をぼんやりと見つめながら、さっきの彼女の言葉が頭の中で響いた。
『私が悩んでる感じとか出したら駄目だしさ』
もしも。彼女の中に、『心此処に在らず』などという病気の兆候が本当にあるのだとしたら。
彼女のあの言葉は、それを示す重要なSOSだったのではないだろうか。
「風晴さん……」
再び静寂に包まれる廊下の真ん中で、僕はただ、ギュッと拳を握りしめて佇んでいた。
***
屋上には、落下防止の為にフェンスが張り巡らされている。そこをよじ登ると、心地よい風がより一層肌で感じられると共に、学校全体を見下ろすこともできる。無論、それは各教室の中の様子や、中庭の様子……そして、授業時間であるにもかかわらず、廊下でポツリと佇んでいる男子生徒の様子だって例外ではない。
彼は、フェンス上部の有刺鉄線に手をかけると、そのままヒョイッとフェンスを乗り越えて、フェンスと校舎の縁との僅かな間に着地した。そして、何食わぬ顔でそこに腰を下ろす。
「なるほどね。 ……今後のゲームは少し難易度が上がりそうだ」
右の掌から溢れる血をペロッと舌で舐めとりながら、彼は不敵に笑う。ビュウビュウと音を立てて吹く風が、彼の首にかけられたペンダントを、小さく揺らしていた。
つづく




