第一章⑪『決戦、深層世界にて』
『……いい加減にしてよっ! 私、ずっと訳分かんないんだけど!』
「ここ、は……?」
コンクリート製の壁で囲まれた部屋の中で音が反響するように、四方八方から風晴さんの声が響いてくる。どこかで聞き覚えのある台詞。ハウリングを起こしているかのような歪んだ音の連鎖。そして、フワリと宙を舞っているみたいな奇妙な感覚。そのいずれもが、僕がいるこの場所の特異性を体現していた。
「───ボーッとしている暇はないよ。 早く起きろ」
ペチペチと、冷たい手の甲が僕の頬を叩く。そこで初めて、僕は今までずっと目を閉じていたのだと気づいた。ゆっくりと瞼をもたげると、まず最初に、僕の顔をじっと覗き込む精神騎の姿が目に飛び込んできた。僕の精神騎は、さっきと比べて少し痩せ細っているように見えた。"心細い"……って事なのかな。
それから、体勢を立て直すのと並行して、キョロキョロと辺りを見回す。そこは思い描いていた通りの異様な空間。一面が黒い霧で覆われた、いわば"暗黒の世界"だった。
この霧は、確か風晴さんの精神騎が纏っていた、ストレッサーの霧だ。しかし、その量が尋常じゃない。どこを見渡しても黒、黒、黒。冬の早朝に外に出た時の、あの真っ白い霧に包まれた光景の逆バージョンというか何というか……とにかく、見渡す限り全ての場所が、黒い霧によって覆われていた。
『あーもう訳分かんない!! あー……あぁっ! 何なの、皆して……あぁもう! 本当最低っ!』
また声が響く。それに呼応してか、黒い霧が流動するようにぐわりと揺れ動いた。不気味さを漂わせたその世界に、僕はただただ圧倒されていた。
「どうだい? 深層世界を見た感想は。 ……まぁ、その顔が物語っているようなものだけど」
声をかけられて振り返ると、そこには悠然と構えるハナコの姿があった。黒い霧の中で、彼女の透き通るような白い髪はよく映える。
「ハナコ……? どうしてここに?」
ハナコは確か倉庫に居るはずじゃ……? 不思議に思ってそう訪ねると、彼女は顎に手を置いて、
「んー……そうだな。 君と私は、"心が繋がっている"状態にある。 今までさんざん心の中で話をしてきたんだから、それは理解できるだろう?」
「いや、まぁそれは分かるけど……」
「……で、君は今、風晴 陽葵の深層世界に居る。 正確には、君の精神騎が、だけどね。 であれば、君と心が繋がっている私も、君と同じように深層世界に行く事ができる、という訳さ。 今は、そういう説明で勘弁してくれ」
なるほど……要するに、念話していた時の感覚共有みたいなものらしい。僕が見ている世界は、そのままハナコにも共有される。深層世界の中だと、そこで感じるものは感覚そのものとなり、ハナコと一緒にそれを体験しているかのようなレベルで感覚共有が行われる……って解釈で良いのかな……? 例えるなら、『チャットで会話してた人と、オンラインゲームのアバターを介してゲームの世界内にいる』って感じか。僕は今、ゲーム画面の映ったパソコンを見るプレイヤーの視点ではなく、ゲーム内にいるキャラクターの視点に立っている……そういう事になるのだろう。
いや、というかそもそも……
「……そもそも、"深層世界"って何なの? そこら辺の説明すっ飛ばされると困るんだけど」
風晴さんの『心の中』だってのは何となく分かるけど……でも、それがどういう理屈で生じている世界なのかとか、そういうのは全く分からない。ここで僕は一体何をすれば良いのか、その指針がない限り、僕はどう動けば良いのか分からないままだ。
ふぅ……と、いつものように気だるげなため息を吐くハナコ。僕のほうも、"慣れ"なのか何なのか知らないけど、もうこの態度でいちいちイライラする事は無くなってきた。
「ま、それもそうだね。 ……ただ、あまり時間が無いから手短にいくよ。 まず、深層世界というのは」
───ドゴォォォォォォォ!!!!!!
ハナコが説明を始めたのと、ほぼ同タイミングだった。爆音とともに空間が大きく歪んだかと思うと、霧を押し退けるかのようにして、巨大な影がこちらへと近づいてきた。地響きを伴って歩くソレは、ヒーロー番組に出てくる怪獣のように大きく、禍々しい形をしていた。
「うわあああぁぁぁぁぁっ!?」
ビックリして、思わず腰を抜かしてしまう僕。しかし、ハナコは一ミリも動じることなく、説明を止めて横目でその怪物を一瞥しただけだった。
「……どうやら、悠長に説明する時間は無いらしい。 じゃあ、要点だけを言おう」
そう言って、ハナコはゆっくりと目の前の怪物を指差した。
「君の精神騎で、アレを倒せ」
「いや無理無理無理無理無理ッ!!!」
脊髄反射で首をブンブンと左右に振る。いや、どう考えても、僕の精神騎があんなデカブツに敵う訳がない。目の前で咆哮する人形の怪物は、おおよそ三~四メートルはある。対して、精神騎は手の平サイズ。こんなの、ネズミがクマに戦いを挑むようなものだ。僕の精神騎も、足を竦ませながらすっかり震え上がっていた。
「心配する必要はないさ。 確かに図体はデカいかもしれないけど……あれは、君がさっきまで相対していた輩なんだから」
「え……?」
さっきまで相対していた……? まさか、と思ってもう一度よく怪物の方に目を凝らす。怪物は人の形で、黒い霧をいっぱいに吸い込んだかのような禍々しい色をしている。しかし、もっと注意を向けてよく見てみると……その姿は、風晴さんの精神騎に酷似していた。
『……もういいよ! 皆大っ嫌い!』
その叫び声は、怪物の咆哮と混ざり合って響いた。それを聞いて確信する。あれは……風晴さんの"心の闇"そのものだ。
「君が気をしっかりと強く保っていれば、それに呼応して精神騎も強くなる。 君が諦めさえしなければ、君の精神騎は十分にヤツと渡り合えるという訳だ。 ……まさか、ここまで来て彼女の心を見捨てるなんて、そんな事しないよね?」
「……なるほどね。 そういう事なら……当然っ!」
あの怪物の咆哮が風晴さんの心の嘆きだと分かった瞬間、僕の中から恐怖心は消え、代わりに使命感と決意とがメラメラと沸き上がってきた。僕の精神騎が、ガッシリと剣を構える。その姿は、さながら勇猛果敢な剣士のようだった。
「いっけぇぇぇ!!!」
僕の指示と同時に、勢いよく飛び上がった精神騎は、そのまま怪物の方目掛けて真っ直ぐに斬りかかった。
「ガアアアァァァァァ!!!」
剣がヒットすると、怪物は呻き声を発した。が、すぐさま虫を払うかのように右手で精神騎を凪ぎ払う。精神騎は、そのまま数メートル先へ吹っ飛ばされて、思いきり背中を地面に打った。
「くっ……!」
じんわりと、胸の奥の方が痛む。誰かに何かを言われた訳でもないのに胸が痛むのは、この空間ならではの作用なのだろうか。……いや、そんな事はどうでも良い。僕には、やらなければならない事がある。程なくして精神騎は、剣を杖代わりにしてゆっくりと立ち上がった。
「風晴さんっ!」
叫んでみても、彼女の声が返ってくることは無かった。聞こえてくるのは、目の前の怪物が喉を鳴らす音ばかり。エコーがかかったように空間に響いていた風晴さんの声は、いつの間にか聞こえてこなくなった。
「声が……なるほど、あまり時間が残されていないのかもしれないな」
独り言のようにハナコが呟く。時間制限についてはまだ説明を受けていないけれど、急がねばならないという事だけは感覚的に分かった。
グッ、と握りこぶしに力を込めるのと同時に、再び精神騎が斬りかかる。今度は怪物に凪ぎ払われないよう、相手の動きも注意しつつ、攻撃と回避とを滑らかに繋いでいった。攻撃が当たる度に、怪物の闇が血飛沫の如く舞い上がるのを見ても、相手にダメージが入っているのは明らかだ。
「よし、このままいけば……!」
「───ちょっと待った!」
「うわっ!?」
勢いのままに追撃を加えようとした所で、突然、ハナコが鋭い声をあげる。急に声をかけられてビックリしたためか、精神騎はバランスを崩して怪物の横を通過しながら転倒していた。
「ちょ、いきなり何!? 今戦いの最中なんだから……」
「シッ! ……静かに」
口に人さし指を立てるジェスチャーをしながら、僕に口を閉じるよう指示するハナコ。一体何だというのだろう……? 訝しく思いながらも、とりあえずハナコの言う通りに黙り込み、耳に意識を集中させてみる。すると……
『───やっちゃった……最悪だ……』
「また、声が……」
闇の空間の四方から、風晴さんの声が突如として響いた。が、今の台詞はどうも聞き覚えがないような気がする。少なくとも、僕らが昼休みに教室で揉めた際には、彼女はこんな事は言っていなかったはずだ。
『はぁ…………』
呟くような声は、やがて重いため息へと変わった。その僅かな声の震えは、涙をこらえている時のようにも思える。声をかけたかったが、それよりも前に怪物が暴れて地面を揺らしたため、僕はバランスを崩して膝をついてしまった。精神騎を攻撃するでもなく、ただ闇雲に暴れ続ける怪物。その姿はまるで、全身を覆った闇からチクチクと針で刺されるのを痛がって苦しんでいるような、そんな風に見えた。
「ハナコ、これって……」
「……分からない。 恐らくは、昨日彼女が教室を飛び出した後に発した言葉だと思うが───」
その時だった。
『───どうかしたの? お嬢さん』
「え……?」
聞こえてきたのは、またしてもエコーがかかった声。しかし、その声は明らかに風晴さんの声ではなかった。言葉の端が掠れ、ゆっくりねっとりとしたこの低い声は、男性から発せられたもので間違いないだろう。でも、それじゃあ一体誰が……? 何故、風晴さんの心の中に、別の人間の声が響くんだ……?
『あ、あの……』
『何か困り事? なら、俺に聞かせてよ。 ……その心に秘めた闇を、包み隠さず見せてごらん』
導くように、男は語りかけてくる。怪物は、喉を鳴らしながら僕たちを見下ろしてじっとしていた。二者の会話の間を埋めるかの如く、グルルルル……という音は静かに響き続けていた。
『私……逃げ出しちゃったんです……』
しばらく間を空けてから、再び風晴さんの声が響いた。
『クラスで、その……ちょっと事件、というか、嫌なことがあって。 それで……』
『ふうん……具体的に、何があったの?』
『……えっと、それは……』
風晴さんは、昨日の昼休みにあった事を辿々しく話し始めた。一つ一つ、思い出しながらゆっくりと語る風晴さん。やはり、そこに風晴さんの心情を語る言葉はなく、ただ淡々と事実を列挙していくだけだった。途中、言葉を途切れさせてすすり泣くような声だけが響く時間もあった。それでも、彼女は最後まで事の顛末を話しきろうと努力している。彼女の言葉が響く間、謎の男の声は全く聞こえてこなかった。
一通り事情を説明し終えた風晴さんは、最後にボソリとこう付け足した。
『私……本当は笑ってなきゃダメだったのに……。 軽い冗談だろう、って受け流さなきゃいけなかったのに……それが出来なかった。 頭の中が、こう……ぐちゃぐちゃになっちゃって……訳分かんなくて……もう私、皆の前に顔出せない……』
「……」
精神騎が片膝をつく。それと同時に、僕の胸もじんわりと痛くなった。改めて、彼女の胸の内に秘められた煩悶を目の当たりにして、自分も苦しくなったのだ。もっと早く、風晴さんの苦しみに気づいてあげられたら……彼女の感情が爆発するよりも前に、僕が自分を抑えられていたら……そんな後悔の念が、胸の奥底から次々と沸き上がってくる。こんなの、彼女を前にして謝っただけじゃ、足りない……!
「……ねぇ、風晴さん。 聞こえ───」
『───そうだねぇ。 要するに君は、クラスメイトの前に顔を出せないような《《イタいヤツ》》になっちゃった訳だ』
「…………え?」
僕の声を遮ったのは、さっきの不気味な男の声だった。でも、僕が言葉を失って唖然としたのは、その声に驚いたからじゃない。信じられない程残酷な、その言葉にだった。
『え……』
『あ、自覚してない? なら、教えてあげる。 君はね、自分のエゴで周りに迷惑をかけたんだ。 君が感情的になったせいで、仲良く楽しくやっていたクラスの雰囲気はぶち壊しさ。 君のせいでね』
「何、を言ってるんだよ……止めろよっ!」
僕がそう呼び掛けても、その声は闇に溶けて淡く消えるだけだった。必死で叫ぶ僕の声は風晴さんまで届かず、代わりに男の声だけが響く。
『多分、クラスメイトは皆君のこと嫌いになっだだろうね。 俺も、君みたいなヒス起こすようなヤツ嫌いだな。 君は常に笑顔でいる存在でなきゃ駄目なんだよ。 他の姿なんて、誰も受け入れやしない』
『私、は……』
『何? "それでも自分は悪くない"とか思ってる? だったら、最初からその八方美人キャラ止めてりゃ良いじゃん。 気持ち悪いしね』
「何で……何でそんなこと……!」
冷や汗が流れた。怪物が暴れる度に、風晴さんの心が黒く染められていく様が目に浮かんだ。僕は、謎の男の言葉がまるで自分にかけられているかのような錯覚を……いや、自分にかけられているよりも遥かに胸が痛んだ。男の声は、その一言一言が重く、鈍く、ぐぶりと内蔵を抉るみたいに響く。
「ハナコ……これ、この声って一体……」
ハナコに問いかけるが、返事はない。気持ちを落ち着かせようとしながらハナコの顔を見やると、彼女は難しそうな顔をして怪物を睨んでいた。
「この声、どこかで……」
「ハナコ……?」
「……あ、いや、すまない。 私にも、この声の主が誰なのかは分からない。 ただ、少なくとも彼の言葉が彼女の失感情症を加速させた直接の原因だろう。 彼の言葉が、彼女の"トラウマ"となって蠢いているんだ」
怪物は、相変わらずけたたましいうめき声をあげながら、体を大きく右へ、左へと動かしている。
『君はもうクラスメイトの前に顔を出せないようなイタいヤツになっちゃった訳だ』
『君が感情的になったせいで、仲良く楽しくやっていたクラスの雰囲気はぶち壊しさ。 君のせいでね』
『君は常に笑顔でいる存在でなきゃ駄目なんだよ。 他の姿なんて、誰も受け入れやしない』
『最初からその八方美人キャラ止めてりゃ良いじゃん。 気持ち悪いしね』
『───どうせ君の笑顔なんて、気色悪いニセモノなんだからさぁ』
遂には、闇の空間は風晴さんの声ではなく、男の声によって満たされてしまった。同じフレーズが何度も何度もエコーをかけながら耳に入ってくる。いつの間にか、風晴さんの声はプツリと糸を切ったように聞こえなくなっていた。
グォォォォォ! という怪物の咆哮が空気を揺らした。凶暴性を増した怪物の動きは、まるで何かを掻き消そうともがくような、そんな動きだった。
「このままではマズい……。 剣悟くん、早くあの怪物を倒すんだ!」
「…………」
「おい、どうした? 何をぐずぐずしている!」
ハナコの言葉にも焦りの色が見え始める。でも、僕はその場から動かずにじっと怪物の目を見続けていた。怪物は、相も変わらず暴れ続けている。しかし、それは最早、こちらに対しての攻撃ではない。僕は、空を切る怪物の腕から放たれる突風に耐えつつ、ゆっくりと怪物に近づいていった。
「おい!? 一体何を……」
僕を引き止めようとするハナコに、一言、
「…………やめた」
「……え?」
そう言って、僕は肩の力を抜いて怪物の方へと歩み寄っていった。ハナコが仕切りに何かを叫んでいるが、そんなことはもう気にしない。体育館裏で風晴さんと話している間ずっと考えていた"彼女を助けたい"という思いが、今再び鮮明に沸き上がってきた。
「……ねぇ、聞こえる? 風晴さん」
グオオオオオオオオオッ! とおぞましい声が耳をつんざく。乱雑に振り回される腕や足が、僕の数センチ先を幾度も掠める。それでも、僕はそこを動かなかった。
「もう一度言うね。 人間には、心があるんだ。 風晴さんの喜びも、怒りも、悲しみも……全部、風晴さんのものだ。 我慢しなきゃいけない感情なんて存在しない。 ましてや、それがニセモノな訳がない」
怪物は、なおも暴れ続けている。僕の声が、ちゃんと怪物に届いているかは分からない。……でも、ここで止める訳にはいかない。僕は、彼女の心を解放してあげなきゃいけないんだから……!
「常に笑顔でいなきゃいけないなんて、誰が決めたの? 怒っちゃ駄目とか、泣いちゃ駄目とか、そういうのって何のためのルールなの? ……自分の感情を押し殺すことは、自分を自分で傷つけてるのと同じだよ」
一歩、また前に進む。僕のすぐ隣に控えていた精神騎もまた、僕と同じように前に出た。その手には、もう剣は握られていなかった。
「剣悟くん、まさか……」
「……風晴さんは、もう十分傷付いた。 これ以上ない程に自分と向き合った。 だから、後は救ってあげるだけだ」
怪物の正体は、闇に飲まれた風晴さんの精神騎である……確かにハナコはそう言った。なら、どうしてそれを倒す必要があるというのだろう。苦しんで、痛がっている風晴さんの心に、どうしてトドメをささなければならないのだろう。まぁ、どうせ怪物を倒せば上手いこと闇だけが取り払われて、風晴さんの精神騎を救出できる、みたいな便利なシステムでもあるんだろうけど、僕はそんな手法に頼りたくはなかった。今回は荒療治じゃなくて、ちゃんとした優しい治療を施すべきだと、そう思ったのだ。怪物と最初に対峙した時に抱いていた恐怖心は、もう微塵も残っていなかった。
ガンッ!!!
無作為に暴れる怪物の腕が、僕の精神騎へと襲いかかる。が、精神騎はもう吹き飛ばされたりしない。その小さな手で、ガッシリと怪物の手を受け止めたのだ。
「……驚いたな。 この短時間で、ここまで精神騎を使いこなせるようになるとは」
ハナコが見つめる先。怪物がいくら力を込めても、僕の精神騎はビクともしない。それどころか、グイグイと怪物の手を押し返していく。
「風晴さん……君は、君なんだ! 君の思いも、心も、感情も、全部君だけのものだ! だから───」
刹那、精神騎が怪物の額目掛けて突っ込んでいく。
「───僕が、君の本当の笑顔を取り戻してみせる!!」
はあああああっ!! という僕の叫び声に合わせて、精神騎が勢いをつけて怪物の頭にパンチをかました。……いや、正確には、精神騎が怪物の額にポン、と手を当てたのだ。全身に炎を纏ったその身体は、怪物の闇だけを溶かすように燃え広がり、オレンジ色に光り輝いた。
その瞬間、怪物を纏っていた闇に亀裂が走った。ピキピキッ! と、殻が砕けていくかのように、闇が怪物から剥がれ落ちていく。空間がグラッと大きく揺れた。バランスを崩して倒れそうになる僕の腕を、ハナコがガシッと掴んでくれた。彼女の瞳はどこか不思議そうで、不安そうで……そんな、一見するだけでは分からないような、複雑な感情を孕んだ目をしていた。
「ハナコ……?」
「さぁ、最後の仕上げだ。 ……ギリギリまで気を抜くなよ」
そう言って、僕から視線を外すハナコ。彼女に促されるままに前を見ると、そこには地平線すら見当たらない白い世界が広がっていた。さっきまで空間を包み込んでいた黒い霧のようなものは忽然と消え去り、全て白へと塗り変わっている。そして、あの馬鹿デカい怪物の姿もなくなっていた。その代わりに、僕の精神騎と向き合って佇む、風晴さんの精神騎の姿があった。
「私……」
どこからともなく、風晴さんの声が響く。その声は、もうくぐもっていなかった。
「私……心からの笑顔で、笑えるかな……?」
「……笑えるよ。 勿論、怒ることも、泣くことも出来る。 全部、風晴さん次第だ」
「そっか……私次第、か……」
フラリ……と、平衡感覚を失った風晴さんの精神騎が倒れそうになる。 慌てて駆け寄ろうとする僕だったが、それよりも前に、僕の精神騎が彼女の身体を受け止めた。その光景は、さながらさっきの僕とハナコのようだった。
「ありがとう、藤鳥くん……本当の私を導いてくれて……!」
その言葉と共に、空間一帯が眩い光に包まれた。
世界が真っ白になる。そうして、僕の視界全てが光に支配されて、僕の意識も徐々に遠のいていく。その間も、僕の精神騎はずっと彼女の精神騎を支え続けていた。そしてハナコも……僕の腕をずっと掴んで離さなかった。
つづく




