第一章⑨『失感情症《アレキシサイミア》』
「風晴、さん……?」
風晴さんが、自分から教室に戻ってきた。それを聞いて慌てて教室に戻った僕は、彼女の……真っ黒に染まった精神騎と、真っ黒に濁った瞳を目の当たりにして、思わず言葉を失った。その笑顔は、一見するといつもの風晴さんの、屈託の無い笑顔のように見える。しかし、そこには間違いなく闇が潜んでいた。精神騎の放つオーラがそうさせているのだろうか……彼女の笑顔は、まるで感情を全て投げ捨てて笑っているだけのような、そんな絶望に似た何かが巣食っているようだった。
『ねぇ、これって一体……』
咄嗟に、ハナコに念話で尋ねる。『心此処に在らず』を完全に発症してしまったのではないか……という疑念が過ったからだ。しかし、二、三回ほど呼び掛けても、ハナコの返事がない。何とか言ってくれよ! と危うく声に出して叫びそうになったその時、微かに彼女の声が響いた。
『これは、まさか……いやしかし、こんな症状は初めて見た……』
『……ハナコ?』
ブツブツと、独り言のように呟きつづけるハナコ。僕の呼び掛けを完全に無視して、一人考え事に没頭している様子だ。彼女でも見たことがない症状、か……一体風晴さんの身に、そして彼女の精神騎に、何が起こっているというのだろうか。
「ん、どうしたの藤鳥くん? 私のことなら、もう気にしなくて大丈夫だよ?」
と、風晴さんがこちらの顔を覗き込みながら声をかけてきた。もの思いに気を取られていた僕は、へっ!? と間抜けな声をあげながら、一歩たじろいでしまう。
「で、でも……」
一体、彼女にどう声をかけたら良いのだろう。恐怖心と戸惑いで尻込みする僕の背中を、広崎くんがドンッと強めに押した。
「ほら、ちゃんと謝るって決めただろ? 俺たちはもう風晴に謝った。 ……まぁ、当の本人はケロッとしているようだがな」
ケロッとしている、か……確かにそう見えなくもない。というか、広崎くんたちにはそう見えているんだろう。彼女がもう何も気にしていないかのように。彼女がすっかり元気を取り戻しているかのように。教室にいる誰もが、彼女が笑顔で戻ってきた事実になんの違和感も抱いていないようだった。
「…………」
とにかく、彼女に謝罪をしなければいけないのは事実だ。霧谷さんや広崎くん、小竹くんらが見つめる中、僕は深呼吸を一つして、ゆっくりと風晴さんに歩み寄る。ピキピキと裂け目を浮かばせて、張り裂けそうになっている僕の精神騎。それどういうメカニズムだよ……と心の内でツッコミながらも、風晴さんの前に立ち、そして、深々と頭を下げた。
「ごめん、風晴さん。 風晴さんのことをダシにして辱しめてしまった事、それで小竹くんと喧嘩をしてしまった事……そして何より、君の気持ちを無視してしまっていた事。 本当に悪かったと思ってる。 だから、ごめんなさい」
誠心誠意の言葉で謝罪する。これは嘘偽りのない、僕の本心だ。
これで、風晴さんが文句の一つでも言ってくれれば、まだ気は楽だった。恨み言でも、怒りでも、悲痛な思いでもいい……とにかく、彼女の本心からの言葉が聞きたかった。
……けれど、
「んもぉー、硬くなりすぎだってばー! 私は大丈夫だから、もう気にしないでー!」
彼女の返答は、それだけだった。
「あぁ良かった、許してくれた」と、普通の人なら安堵する場面なのだろう。しかし、彼女に貼り付いた闇は消える気配もなく、終始崩れない笑顔がむしろ不気味に感じられた。彼女の"大丈夫"は、これっぽっちも大丈夫じゃなかった。
「これで一件落着だな。 さぁ、皆自習に戻れ。 授業時間はまだ終わっていないぞ」
はーい、と気の抜けた返事をしながら、クラスメイトがそれぞれ席へと戻っていく。すれ違いざまに見えたクラスメイトらの精神騎らは皆、ホッとした様子で胸をナデナデしていた。皆がすっかり安心しきった様子の中、僕は一人、茫然と風晴さんの背中を見つめていた。
「風晴さん……」
依然として闇に飲まれたままの彼女の精神騎。そんな未知の脅威を前に、僕の精神騎は、手も足も出すことが出来ないまま立ち尽くしていたのだった。
***
「はぁ…………」
そして、長い長い転校初日が終了した。
帰宅してすぐ、ベットに身を投げた僕は、そのままの体勢で深いため息をついていた。なるべく穏便に、穏やかにクラスに馴染んでいこうと思っていたのに、いつの間にか学校の皆の心を救うなんて役目を任されて、それなのにクラスメイトと早速ケンカして、挙げ句の果てにはクラスメイトの一人が心に闇を抱えてしまって……。そりゃ疲れるのも無理もないよな……と自嘲気味に呟く僕の背中を、窓から吹き込んだ夜風がスウッと撫でていく。
あの後、僕たちは普通に残りの授業を受け、普通に終わりの会をして、それぞれ教室を後にしていった。自習時間中にかなりドタバタしたにもかかわらず、先生は僕たちを咎めたりはしなかったし、クラスメイトも、あの事件を自分たちから蒸し返したりすることは無かった。まるで何事も無かったかのように、皆が平然とその時間を過ごしていたのだ。一人悶々としながら、風晴さんのことを心配していた僕は、しかし何のアクションも起こすことが出来ず、特に進展もないまま今に至っている。
「……それにしても」
ポケットから取り出したペンダントをジッと眺めながら、呟く。
唯一の頼みの綱であったハナコと、あの時以来会話が途絶えてしまった。というのも、別にケンカしたとかそういう訳ではなく、突然の事態にハナコも慌てていたらしいのだ。ブツブツと独り言を言い続けて、僕の呼び掛けに全く応答してくれなくなってしまった彼女は、終わりの会の途中で、急に僕に声をかけた。
『……すまない、一人で考え込んでしまっていたようだ』
『遅いよ……で、どうなの? 風晴さんと精神騎のあの様子、見るからに普通じゃなかったと思うんだけど』
『ああ、普通じゃない。 ただ、私自身もあんなケースは初めてで……どう対処したものかと悩んでいたんだ』
そう話すハナコは、どことなく悔しそうだった。
『……あの闇は間違いなく、『心此処に在らず』によって放出したストレスだ。 しかし、あの膨大な量とその纏い方……どうにも不可解だ。 外部からの働きかけでもない限り、あんな風になるまで闇を取り込むなんてことはあり得ない。 だが……』
『風晴さんの身には、実際にその不可解な事が起きている……』
『……ああ。 それに、精神騎使いでなければ、あのにこやかな応対に隠された闇に気づかないだろうね。 彼女の"感情を表に出さない"力は、ダンサーである彼女の精神騎が本来持つ性質なのか、あるいは……』
そう言って、またブツブツと一人考え事にふけり始めたハナコは、今度はすぐに我に返り、
『……少し時間が欲しい。 いや、解決を時の流れに委ねようという訳ではないが、今はまだ情報が不足しすぎている。 すぐに彼女に働きかけるのは、かえって危険だろうからね』
『分かった。 僕も、自分なりに調べてみるよ』
その言葉を最後に、ハナコの声は頭の中に響かなくなった。今はこうしてペンダントを外しているため、ハナコの声も、精神騎の姿も分からない。恐らく彼女は今頃、懸命に解決策を探してくれていることだろう。
「僕も、何か出来ることをやらないと……」
使命感か、自責の念か、はたまた別の感情か。そんな、目に見えない力に背中を押されるようにして、僕は自分から机に向かっていた。身も心もヘトヘトの筈なのに、何故か嫌な気はしない。やっぱり、誰かのために何かをするって良いな……。そんな事を考えて、自然と笑みを溢してしまう自分がいた。
でも、悠長なことは言っていられない。今こうしている間にも、ハナコは情報集めに奔走しているだろうし、何より、風晴さんは闇に囚われて苦しんでいるのだから。何か解決の糸口になるような情報はないだろうか……そう思い、パラパラと心理学の本をめくっていたその時だった。
ピリリリリリリリリ……
「ん……電話?」
不意に、机の上に置いていたスマホが音を鳴らしながら震えた。手にしていた本を伏せて画面を覗き込むと、そこには懐かしい名前が表示されていた。すぐさま応答ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
『あ、もしもし? 眞鍋だけど』
「瑞人くん! 久しぶりだね」
電話の相手は、僕が転校前に通っていた清森高校でできた友人、眞鍋瑞人くんだった。彼も、僕と同じく心理学の道を志す学生であり、その事もあって、入学してすぐに意気投合して親友になった間柄なのだ。……といっても、一ヶ月しか経ってないうちに僕は転校する羽目になっちゃったんだけど。
『どうだった? 葉後高校での新生活は。 ……まぁ、大変だったんだろうな、って事ぐらいは聞かなくても分かるけど』
「あはは……そうだね、今日はちょっと色々あって疲れたよ」
『だろうな。 ま、転校初日なんてそんなモンだろうよ。 これから徐々に馴染んでいけば良い』
そんなモン、って言われてもなぁ……。 生徒の命運を託されたり、精神騎使いになったり、クラスの揉め事を起こしちゃったりする事が、転校初日によくあるモンだと言われたらたまったもんじゃない。そんな愚痴を吐きたかったが、瑞人くんにそれを言っても仕方ないので、なんとか飲み込む。
『生活面で問題は無さそうだが……もし、心理学の勉強で行き詰まった時なんかは相談してくれよ。 独学では限界があるだろうし、ウチの学校で調べられるようなことだったら、俺がお前に教えたりも出来るからな』
「瑞人くん……ありがとう!」
『いいってことよ! 俺も、お前と一緒に夢を叶えたいって思ってるからさ』
アハハッ! と、二人で笑い合う。本当に、良い親友に巡り会えたものだ。電話越しでも、彼の精神騎を見るまでもなく、分かる。彼は、心から僕のためを思って行動してくれている。打算や策略なんかじゃなく、ただ純粋に僕のために……。そんな、神様みたいな思いやりを実行できる瑞人くんが羨ましく、同時に、彼と友達でいられた事がすごくうれしかった。
『それで、本当に困った事とかは無いか? 俺にできる範囲なら、相談に乗るけど』
「あ……いや、ありがとう。 でも、特に相談するほどの事はないから大丈夫だよ。 ほら、まだ転校初日だしさ。 相談しようにも、何から手をつけていけば良いか分からないような状態だし。 さっき言ってくれたように、これから徐々に馴染んでいかなきゃだしね……」
内容が内容なだけに、いくら瑞人くん相手でも、包み隠さず全てを打ち明ける事は出来ない。それを悟られまいと話を続けていると、瑞人くんは、んー? と僅かに唸り、
『……聞いてもいないのに詳細に話し出す。 話題を変えようと必死になる。 少しばかり挙動が不審、声も若干上擦っている。
……何か困ってるんじゃないのか? それとも、俺には言いにくい事か?』
「……あはは、流石だね」
一瞬にして見破られた。やはり心理学に精通している人間なら、こういう事には敏感なのだろう。
まぁ、無理に隠していても仕方がない。このまま一人で風晴さんの症状について調べるのは限界があっただろうし。より専門的な知識に近しい人から情報を得るのが、一番手っ取り早い解決策ではあるだろう。
僕は、風晴さんの一件について、瑞人くんに話すことにした。勿論、精神騎に関係する情報は伏せて、あくまで客観的な情報、彼女やその周囲の言動などを詳細に伝えた。たとえ『心此処に在らず』の症状だとしても、それが人の心に起こるものならば、現在明かされている精神疾患とリンクする部分がきっとある筈だ。それを糸口に、なんとかして風晴さんの心の闇を取り除くことが出来れば……!
『……なるほど。 ずっと笑顔で「大丈夫」の一点張り、か……』
瑞人くんの専門は主に幼児心理学であるが、そんな彼の父親はなんと、大学病院に勤める臨床心理士なのだそうだ。そして、父親伝いでそうした精神疾患に関する知識を得ることも多いらしい。謂わば彼は、清森高校と臨床心理士の父親という、二大ビッグデータベースを後ろ盾に持っているという訳だ。
うーん……と低く唸る声と、パラパラと何かの本をめくる音が、スマホ越しに聞こえてくる。しばらく経ってから、彼は本をパタンと閉じて咳払いを一つすると、
『───可能性として挙げられるのは、失感情症だな』
「あれきし、さいみや……?」
うっすら本で見た記憶はあるが、よく思い出せない。困惑する僕に、瑞人くんは順を追って説明をし始める。
『失感情症ってのは、シフネオスという医者によって提唱された性格特性の事。 自身の感情の認知や、その言語化などといった機能に欠落が見られたり、感情表現に難があるような人にこの傾向が見られるんだ。 病気や障害とまではいかないが、それに繋がりかねない特性ではある。 平たく言えば、"自分の感情が自分で分からなくなる"って感じだな』
「感情が無くなるんじゃなくて、感情があってもそれに気づけなくなる、だったけ……?」
『あぁ。 つらい、悲しい、苦しい……そういった感情を押し殺して、過度にストレスがかかった状態が長く続くと、その状態を脳が"普通"と判断してしまう。 結果、ストレスが無い状態がどんなものだったのかが分からなくなり、自分がストレスを抱えているという事にさえ気づかなくなってしまう。 ケガを追っても、痛みを感じないからそれに気づかない。 ……それが、失感情症だ』
なるほど……確かに失感情症の特徴は、風晴さんの様子といくつかの点で合致する。
終始ずっと笑顔で、むしろ笑顔以外の表情を見せないぐらい感情を表に出さない。何を言っても『大丈夫』としか返さない。本音を話すというよりも、"はぐらかしている"ような感じ。……それらがもし、敢えて怒りや悲しみを押し殺していたのではなく、一周回って、自分の感情が分からなくなってしまっていたのだとしたらどうだろう。あれだけ精神騎が闇まみれだったのに、言動にその様子が見られなかったことを考えると、風晴さんが失感情症に近い状態に陥っているという可能性は十分にある。
しかし……
「それって、先天的なものというか……発達障害やアスペルガー症候群とかに関係するような特性だったよね? 風晴さんはそんな感じじゃなかったはずだし、コミュニケーション能力もちゃんとある。 第一、彼女はちゃんと"怒り"を露にしていたよ?」
風晴さんが教室を飛び出す直前に見せた、あの怒りの込もった顔や声は、今も脳裏に焼き付いている。そうして怒りを"怒り"として表現していた彼女が、自分の感情を認知できていないとは考えにくい。そもそも失感情症というのは、感情表現がうまくできない状態のことを指していたはずだ。それが顕著に現れるのが、言語化。自分の気持ちを言葉で表現できなかったり、表現すること自体を避けようとしたりする。俗に言う「コミュニケーション下手」というようなイメージが、僕の中にはあったのだ。
しかし、
『いや、怒りが突然現れるってのも失感情症の特徴だ。 ある一定まで溜め込まれた感情は、火山が噴火するように、何かのきっかけで爆発する。 突発的に躁状態になり、感情が不意に爆発するってのはよくある事だからな』
それに……と、瑞人くんは言葉を繋ぐ。
「コミュニケーション能力ってのは本来、自分の意思や考えをその場その場でちゃんと言える力があるのが前提なんだ。 聞く力とか伝える力とか以前に、自分のことを話すという意志がないとコミュニケーションはそもそも成り立たない。 ……お前から見て、風晴ってヤツはどうだった?」
「あっ……」
僕の頭に、今日一日の風晴さんの言動がフラッシュバックする。明るくて、ノリが良くて、友達も多くて……最初は、彼女の心に問題があるなんて思いもしなかった。でも……
(風晴さんの思い……彼女の本心を、僕はちゃんと見ていたのかな……)
彼女はずっと、良くも悪くも"ふざけ続けて"いた。自分の本心を見せないように振る舞い続けていた。今日一日、たくさんの言葉を交わしてきたにもかかわらず、僕はまだ、彼女の本心を掴めていなかったのだ。
『……私が悩んでる感じとか出したら駄目だしさ』
廊下で出会ったあの時、風晴さんがポロッとこぼしたあの言葉。それは、明るくいなければならないというプレッシャーと、悩みを具体化できないことによるストレスとが折り重なった結果、風晴さんの口から漏れたSOSだったのだ。それに気づいた瞬間、僕の中に再び悔しさが湧き上がってきた。
『……あくまで推測だが、彼女は教室を出てから戻るまでの間に、感情表現を……「何で怒っていたかを皆に説明すること」を放棄しようという考えに至ったんじゃないかと思う。 失感情症傾向のある人間は、そうやって自身の感情と向き合うのを避けようとするんだ。 まぁ、そんな短時間で気持ちを切り替えたなんて正直考えられないが、話を聞く限りではそう解釈するのが一番理にかなってる』
教室を出てから戻るまでの間……確かに、その間は空白の時間だ。その僅かな時間に、風晴さんの心境にどのような変化が生じたのかは分からない。ただ、そこで何かがあったからこそ、彼女はあんな風になってしまった。それだけは間違いない。
「どうすれば……」
ボソリと、呟く。
「どうすれば……彼女は、苦しみから解放されるのかな?」
ここからが本題だ。彼女の闇を取り除く為に、自分に何が出来るのか。それが知りたかった。真剣な声音で尋ねる僕に対し、瑞人くんはまた小さく唸ると、
『そうだな……スタンダードにいくなら、やっぱり対人関係療法だけど……』
「基本は、うつ病の治療に近いって事?」
『そうなるな。 ……ただ、一日や二日でどうにかなるような話じゃないし、第一、それはちゃんとした精神科医がいて初めて出来る療法だ』
対人関係療法。これは、僕も知っている。その人の対人関係を軸にして、周りの環境を少しずつ変化させていくことで、感情を変化させていく精神療法だ。分かりやすく言えば、コミュニケーション力のリハビリって感じだ。
対人関係療法では『自己志向』と『協調性』を高めること。つまり、自己と自己、自己と他者といった関係を改善していく事が重要になる。その出発点として、患者は、自分自身の感情を見つめ直す必要があるのだが、その手助けをする役割を精神科医が担わなければならない。いわゆるカウンセリングである。
『ウチの高校の系列で、そういう治療を行っている病院がいくつかあったはずだ。 調べてみようか?』
瑞人くんがそんな提案を持ち掛けてくる。普通に考えれば、それが最善の判断だろう。素人がやるより、それを専門としている人に任せた方が良いのは当たり前だ。
でも、
「……いや、大丈夫。 僕がなんとかするから」
気づけば、そんな事を口にしていた。
『……何言ってるんだよ剣悟。 いくら何でも、カウンセリングの経験もないお前が治療なんて無理だ。 それに、下手に素人が絡めば症状を悪化させてしまう危険性も……』
「それでもっ! ……これは、僕がやらなきゃいけない事だから」
そう、これは僕がやらなきゃいけない事。風晴さんを傷つけて、見過ごして、手を差しのべることさえも出来なかった僕だけど、今度こそ彼女を救う。そのためにも、この重大なミッションは僕が請け負わなくてはならない。……いや、僕にやらせて欲しいんだ。
『そうは言っても……出来るのか? お前に』
心配そうな様子の瑞人くん。しかし、僕にはもう迷いは無かった。電話越しにコクリと小さく頷きながら、僕は決然とこう言った。
「出来るよ。 ……なんたって僕は、運命に導かれた存在だからね」
***
翌日。
澄みきった空の下、ゾロゾロと生徒たちが校門へ足を踏み入れていく。その人混みに紛れて歩くようにしながら、僕はそっとペンダントを首に回した。深呼吸する時と同じように、精神を集中させる。すると、僕の傍らにぼんやりと精神騎の輪郭が浮かび上がった。と同時に、頭の中に聞きなれた声が響く。
『……おはよう、剣悟くん。 昨日は眠れたかい?』
ああ、と短い返事だけしか返せなかったのは、多分緊張していたからだろう。その緊張を感じ取ったのか、ハナコは何か話そうとしたのを止めて、少しばかり口ごもっていた。が、やがて意を決したように口を開き、
『昨日の件、私も幾らか調べてみた。 あの闇の量、あの急変っぷり……普通じゃなかったからね。 それで思い当たったのが…………"毒"だ』
『毒……?』
ハナコの口から飛び出したのは、昨日の瑞人くんからの助言とは違う、精神騎側の用語だった。にしても、毒って何だ? そういえば、精神騎にはそれぞれタイプとか属性とかがある、みたいな事は言ってた気がするけど……。
『君の精神騎は火属性だと言う事は言ったよね? というか、実際に君はそれを駆使して、小竹くんとの精神騎決闘で彼に"やけど"を負わせていた訳だけど』
『あぁ、そういえば……』
『それと同様だ。 彼女の精神騎は、毒の属性を持つ別の精神騎に攻撃された可能性が高い。 その影響で彼女は"毒状態"となり、本来なら闇をヒラリヒラリとかわす筈の"ダンサー特性"が鈍ってしまった。 そう考えると、あの状況にも納得がいく』
毒か……確かに、精神騎の様子を見た限りでは、風晴さんの精神騎は、ダンサーであるにもかかわらず少しも踊るような動作をしていなかった。足取りが重そうだったのは、まとわりつく闇のせいだと思っていたけれど、それが毒の影響だったという線も十分にある。
『でもさ、それってつまり……』
『ああ』
僕の心中に浮かんだ不安を読みとったのだろう。ハナコがゆっくりと告げる。
『風晴さんが教室を飛び出して戻ってくるまでの間、彼女に接触した人間がいるかもしれないということだ。 それが偶然か、あるいは意図的なものか……そこまでは分からないけどね』
風晴さんの精神騎に、攻撃をした人がいる。僕やクラスメイトとは別に、風晴さんを精神的に追い詰めた人物がいるかもしれない、ということだ。
確証はないけどね……と、後から付け足すハナコ。でも、もしそれが本当だとしたら……故意であろうと無かろうと、僕はその人を許さない。
『……話が逸れたな。 今重要なのは犯人捜しではなく、彼女の治療だ』
『うん、そうだね……』
『君ももう分かっているとは思うが……治療にしろ決闘にしろ、彼女と会話をしなければいけないのは変わらない。 彼女を救うには、彼女の精神騎と一戦交える必要があるということだ』
覚悟は出来ているつもりだった。しかし、いざそれを意識すると、どうしても緊張を抑え込めない。僕の精神騎も、しきりにガンガンガンッ! と鐘をついている。……それでも、不思議と"逃げたい"というような気持ちにはならなかった。
『任せて。 ……僕が必ず彼女を救ってみせるから』
『……良い心意気だ。 君にばかり負担を押し付けてしまって、本当に申し訳ないと思っている。 ……が、これはやはり君にしか出来ない事だ。 だから……頼んだぞ』
『分かってる……これは、僕がやらなきゃいけない事だ』
そんな話をしている内に、教室へと辿り着いた。今日は道に迷わずに済んだようだ。教室の中では、クラスメイト達がお喋りをしていたり、今日提出の宿題をしていたり、スマホを弄っていたりと、皆が思い思いに時を過ごしていた。そして……
(……居た)
そんなクラスメイト達の中で、唯一、特に何かをする訳でもなくボーッと天井を見上げて動かない少女がいた。風晴さんだ。
ズンズンと、一直線に風晴さんの席へと近づいていく。途中、広崎くんや他のクラスメイトが挨拶をしてくれた気がしたが、それらは今の僕の耳には届かなかった。
「風晴さん」
彼女の視界を覆うように立ち塞がり、声をかける。彼女は、一瞬呆気に取られたような顔をしながらも、昨日のように薄く笑って挨拶を返した。
「あぁ、おはよう藤鳥くん。 どうしたの?」
『……おい、一体何をするつもりだ!?』
ハナコが呼び止める声も、クラスメイト全員から注がれる視線も、もう僕は気にしていなかった。
深く息をつき、精神騎がガッシリと身構えたタイミングを見計らって、僕は、風晴さんに向かってこう言った。
「風晴さん。 ……今から、一緒に体育館裏まで来てくれないかな?」
つづく




