第1話『悪役令嬢の暴走』
プロローグ――
王歴2030年――。ギルティナ王国 貴賓室。
贅を尽くした貴賓室に向かい合って座る紳士淑女。このギルティナ王国の第一王子アレクサンドル・ギルティナと公爵家の娘 ティアーナ・レノックス。婚約間近の二人とは思えないピリピリとした雰囲気が、この部屋の温度を下げていた。
王家特有の蜂蜜のようなサラサラとした金髪に、深いブルーの瞳。父親譲りの麗しい顔が、弱ったように翳る。
「…ティア。今日来て貰ったのは他でも無い。私達に関する事だ。」
紅茶を飲んでいたティアーナは、王子の発言を受けてピクリとこめかみが引き攣るのを感じながら、優雅にソーサーにカップを置いた。そして、言いにくそうにしているアレクサンドルを見つめる。豊かな銀髪を後頭部の高い位置で括り ふわりと腰まで垂らし、太陽のような黄金の瞳は これから王子が何を言い出すのか分かっているかのように不機嫌に眇められていた。
「…私達は幼い頃からの友人だ。婚約者候補の中でも君は優秀だし、問題が無ければ、いずれ君が私の妻となっただろう。……しかし、君も知っているとは思うが…」
そう、大勢いる婚約者候補の中でも、公爵家の力は強く、やがて王となるアレクサンドルの妻の座を狙う者たちは、何とかしてティアーナを蹴落とすか、取り入るかで奮闘していたが、ティアーナがその座に座る事はほぼ確定していた。――問題が無ければ。
『問題』――それは、フルール男爵の婚外子が”癒しの力”に目覚め、『聖女』と呼ばれる存在になった事。王家の威信を確固たる物にしたい国王陛下は、公爵家の娘では無く、男爵家の『聖女』を妻の座に座らせたがった。勿論、それは強い権力を持つレノックス公爵家を敵に回す事になる。そのリスクを覚悟の上で、アレクサンドルは自分の地盤を固める為、父に言われたからだけで無く、自らの意思でティアーナの手を振り解こうとしていた。
「…エリシア・フルール男爵令嬢だったかしら。彼女と懇意だと言うのは本当なのですね。私を袖になさると云うのだから。」
「ティア、分かってくれ。私は第一王子だが、他にも優秀な息子は多い。必ず王太子になれると決まった訳じゃ無いんだ。それに王国は魔獣の侵略に怯えている。『聖女』が王家に入ってくれれば…」
「民衆は貴方を指示するでしょうね。――構いませんわ、それにまだ正式な婚約者と云うわけでも無いのですから。どうぞ、陛下にご進言下さい。私はこれで失礼します。」
正式な婚約者では無いといっても、外から見れば何も変わらない。貴族達は由緒ある家と契約を結ぼうと、幼い頃から婚約を決めてしまう家が殆どだ。今更、ティアーナに良い縁談があるとは言えない。それに『婚約破棄された令嬢』は傷モノ扱いされ、ずっと家に残るか、年の離れた旦那の妾になるしか選択肢は無い。それを分かっていながら、ティアーナの手を振り解いたアレクサンドルに、心から失望していた。頭では理解していても、乱れる心は止めようもない。
余計な事を言う前に、サッと席を立ったティアーナにアレクサンドルが追い縋る。
「ティア!…もし、もし君が良ければ、即姫になるというのはどうだ?」
正妻では無く愛人に、だと? ティアーナの瞳が怒りに燃えた。国王は世継ぎをもうける為、正妻の他にも宮殿の中に即姫を囲う事が許されている。また子を産めば立場は強くなり、その子が王となれば甚大な権力を持つ事も出来る。即姫にと、家から贈られる令嬢もひとりふたりでは無い。名誉な事なのだ。
「…アレク、私は即姫になる為に厳しい王妃教育を学んだのではありません!」
バッと掴まれた腕を振り払い、ティアーナは大股で廊下へと駆け出した。後ろでアレクサンドルの呼び止める声が響いたが、これ以上ここに居たら、あの お綺麗な顔をぶん殴ってしまうかも知れない。ティアーナは足早に馬車まで戻ると、直ぐに乗り込み急いでレノックス公爵家へと帰って行った。
◇◇◇◇◇
『レノックス公爵家』
バシッ!ティアーナは持っていた扇子を柔らかなソファに叩き付けた。白いレースをふんだんにあしらったピンク色の扇子は、ソファの上でバウンドし、ポトリとラグが敷いてある床へと落ちた。
「…私が王妃になるはずだったのに……ッ!」
心配げな侍女達の瞳を余所に、ティアーナはブルブルとか細い体を揺らした。これまでの努力は全て水の泡だ。静かに、慎重に、『淑女』となるように頑張って来たと云うのに…。
コンコン、ティアーナの部屋の扉を叩く音がしたかと思うと、返事も待たずに青年が入って来た。
「ティア、どうしたんだい?血相を変えて帰って来て…」
ティアーナと似た顔、サラサラの銀髪に太陽の瞳。二つ上のレノックス公爵家の嫡男ディアゼル・レノックス。
「…お兄様、アレクサンドル殿下から『婚約解消』を求められました。その内、父上から話が来るでしょう。」
「…何だと?! まさか、了承したのでは無いだろうな!」
「ゴネて何とかなるとでも?きっとこれは『国王陛下の意思』でもあると思われますわ。」
「…結局、目に見える栄誉に手を伸ばしたか…、本当に頭が足りない奴だな!レノックス公爵家を敵に回すとはッ!」
「お兄様、お口が過ぎますわよ。百年に一度と言われる『聖女』が相手では流石に勝ち目がありませんわ。」
兄が激昂してくれたので、少し溜飲が下がったティアーナはため息をついてそう言った。
「だが、ティア…可愛い妹よ。これからどうする?勿論、お前の面倒は全て俺が見てやるから心配は無いが、このまま泣き寝入り、と云う訳にもいかないだろう?」
整った顔を真っ赤に歪めて怒る兄に、ティアは頷いた。
「ええ、勿論です。相変わらず魔獣の進行は止められて居ないんですよね?」
「ああ…、王家の剣であるロヴィーノ伯爵家が前線に居るが、その兵力もだいぶ低下しているようだ。死傷者が増えていると報告が上がっている。…レノックス公爵家にも出陣の要請が来ている。だが、それが何か…」
嫌な予感を感じながらディアゼルは聞かれた事に答えた。
「私が出ます。」
「はあ?! 何だと?!」
キッパリと答えるティアーナに、ディアゼルは大声をあげた。
「私が魔獣を一掃し、王家の剣の威信を失墜させ、レノックス公爵家の名を広く知らしめます!」
「…馬鹿な事を言うな、可愛い妹よ。それはこの兄の務めだ、俺がきっと勝利をもたらすから…」
「いいえ、お兄様。貴方は大切なレノックス公爵家の跡取りです。領地経営だって始めたばかりでしょう?その点、私は今日より暇人となりましたので、お構いなく!」
「ティア…!」
慌てふためく兄の前で、ティアーナは パチンッ と指を鳴らした。するとティアーナの美しい令嬢姿から、スラリとした青年の姿に変わる。
「あぁ…ティアーナ、それはしてはいけないと…ッ」
ティアーナは魔法使いとして産まれた。
この国に魔法使いはひと握りしか居ない。それも姿を変えたり、空を飛べたりする事が出来るのは『大魔法使い』だけで、その存在は国王にも劣らぬ絶大な権力を持ち、この王国にはひとりも居ない。
ディアゼルとティアーナの母は美しく聡明な人だった。
既に大いなる権力を持つ公爵家である以上、これ以上の力を誇示するのは得策では無い。国を二つに割りかねず、面白がって魔法を使う幼いティアーナに、繰り返し諭した。
『その力を人に見せてはいけない。欲の為に使ってはいけない。お父様とお兄様を大事に思うのなら、節度を守り淑女として幸せにならなければいけない。力を隠し、本当に必要な時に使いなさい。鷹は、獲物を捉えるその瞬間まで爪を見せたりしないものよ。』
ティアーナはその言葉を心に刻み、深窓の令嬢として振る舞う傍ら、男の子の姿に変身し、剣の鍛錬や魔法の使い方を学んだ。イザと云う時に、その力を遺憾無く発揮出来るように。
鍛錬の時間が少なく、鍛え上げられた筋肉とは言えないが、そもそもティアーナは魔法使いである。魔力を持たない者が多く暮らすこの王国では、チートと言っても過言では無い。
サラサラの銀髪を揺らしてティアーナはもう一度、宣言した。
「僕が、レノックス公爵家の名を王家にみせつけてやります!」
◇◇◇◇◇
『レノックス公爵家 執務室』
レノックス公爵は執務室で、深いため息をついた。
目の前には嫡男のディアゼルと男の子の姿に変身したティアーナが居る。二人を順番に見て、また盛大なため息をついた。
国王陛下に呼ばれて王城に上がれば、予想していた通りの話をされた。王子と『聖女』が恋仲となった為、婚約の話は白紙に戻して欲しい。希望するなら即姫として後宮に入るのはどうかとまで打診された。
レノックス公爵家の権力は王家に次ぐ力を持っている。過去の公爵達が頑張った証だろうが、これ以上権力を持てば危険だ。だから本当は、ティアーナが王妃になるのには反対だった。しかし幼いティアーナは麗しい王子が気に入り、お嫁さんになりたいと騒いだ為、候補者として王妃教育を受けさせた。それがこの結果だ。
話が流れるのは願ったりだったが、そうなるとティアーナの嫁ぎ先に困る。ティアーナが望むのであれば後宮入りも視野に入れて話を持ち帰って来たのだが、怒り狂う兄妹は王家に反旗を翻さんばかりである。
しかも、支援で戦場へ向かうのは男装したティアーナだと云う。公爵はまた、ため息を吐いた。
「もう、ちょっと、お父様には何が何だか…」
額に手をあてて項垂れるレノックス公爵に、ティアーナがキッパリと云う。
「お父様!これはレノックス公爵家に対する侮辱です!僕よりも、たかだか癒しの力を使えるだけの女が良いなんて!」
「…ティアーナ、いや、今は『ディオン』か。『聖女』というのは尊い者だ。口を慎みなさい。」
ティアーナは少年に変身した姿を『ディオン』と名乗り、ティアーナの一つ下の弟として振舞った。これは公爵家の中でも知っているのは、ひと握りの人間だけだ。
「でも父上、レノックス公爵家に対する侮辱なのは、間違いようがありませんよね?」
妹を常日頃から可愛がっているディアゼルが鼻息荒く騒ぐのを見て、また公爵はため息をついた。
「…補填は成さると約束してくれたが…、ティアーナが望むのなら後宮を管理する権限も下さるそうだが…」
「王妃教育を受けた令嬢を即姫にすると言うんですかッ!馬鹿にしています!」
ダァンッ!とディアゼルが机を叩く。
「…だが、ティアーナは王子を好いていただろう?それならば…」
「父上!もう好意などありません!こんな裏切りを受けてまだ好きだなんて云う令嬢が居たら見てみたいものです!百年の恋も冷めます!」
ババンッ!今度は、ディオンが机を叩く。
「そもそも、『聖女』の方を即姫にするべきでしょう?!相手は男爵家の令嬢、それも婚外子だと云うでは無いですかっ!」
ドドンッ!とまたディアゼルが机を叩く。
「はぁ、それで、どうしてディオンが前線に行く事になったんだ?」
詰め寄る圧が強い兄妹に押されて、話を逸らそうと公爵が支援の話を振る。ディオンはニヤリと笑った。
「…婚約を破棄され、傷付いたティアーナは部屋に閉じこもり切りになります。その噂だけでも社交界では、中々の打撃を王家に与えられるでしょう。更に王家の剣であるロヴィーノ伯爵家が前線で苦しむ中、このレノックス公爵家が圧倒的な支援をしたら、世論はどうなりますか?レノックス公爵家を捨てた王家をどう思うでしょう?」
「……ディオン…お前は王家を潰したいのか…?」
呆れた顔で公爵が問う。
「売られた喧嘩は買う主義なだけです。この僕の手を取らないと云う事がどういう事か、良くよく解らせたいのです。その為には魔獣を一掃しなくてはなりません。勿論、兄上も優秀な方ですから、そつ無くこなされると思います。でも、『圧倒的』な姿勢を見せるには、このディオンが行かねばなりません!その為に鍛錬を積んで来たのですから!」
確かにディオンは強い。元々、魔力が高い上に男の姿に変身して、可能な限り鍛錬を詰んだ。そもそも魔法が使えるだけでチートである。
「…確かに、ディオンが戦地に向かえば、そこで戦う人間の救いとなるだろう。だが、その後はどうする?『魔法使いの英雄』となって、王家を討ち滅ぼすのか?お前が本当にやろうと思えばそれは可能だろう。だが、シェーン…母親の言葉を忘れないでくれ。」
ずっと魔法が使える事を隠して生きて来た。それは病に倒れた母親の願いでもあったからだ。父や兄を支え、幸せな淑女になって欲しい、と。我欲に溺れないで欲しい、と。
真摯な瞳の父親の言葉に、ディオンは瞠目した。
「…分かりました。極力、魔法は使いません。しかし前線には僕が行きます。支援が必要なのは変わりませんし、もうティアーナは暇人ですから。」
そう言って、パッと身を翻すと退室してしまった。
「ティア…!父上ッ、誰より傷ついているのはあの子ですよ?!どうしてそんな事を仰るんですかっ!」
ダァンッ!とディアゼルはまた机を叩く。
「分かっているよ、ディアゼル。勿論 分かっている。キチンと報復はするつもりだ。だかな、感情に任せて行動して良い事なんて、ひとつも無いんだ。特に我々の様な権力者は常に行動を見られている。付け入られる弱点を晒す訳にはいかないんだ。」
「…失礼します」
公爵の言葉に、納得していないのだろうディアゼルは、フイッと顔を背けて退室した。嵐のような兄妹が去った後、どうしたものかと 公爵はまた、盛大なため息をついた。
◇◆◇◆◇◆
『作者の思惑とは裏腹に、キャラクターが勝手に動き出す事があるんです』
数ある作品の中で、時々聞かれる作者の言葉だ。物語を書いていると、たまに意図しない方に話が流れ、キャラクターが生き生きと輝き出すと云う。
ある作品もそうだった。
男爵家の父と平民の女性の間に産まれたピンク色の髪を持つ、可愛らしい女の子。彼女はやがて聖なる力『癒し』を与えられる聖女として目覚める。そして麗しい王子様と出逢い、王子の婚約者である悪役令嬢の嫌がらせに立ち向かいながら、やがて二人は愛を育んでいく。ロマンスファンタジー。
そう、ティアーナ・レノックス公爵令嬢は、当て馬であり二人の愛の障害となる悪役令嬢として生まれた。それなのに、作者の意図とは外れ、ヒロインに嫌がらせをするのでは無く、戦地へと向かってしまった。
作者は、頭を傾げながらも その筆が止まる事が無かった――。
◇◇◇◇◇
「必ず、無事で戻るように。」
父親とそう約束し、ディオンとなったティアーナは馬に乗って辺境伯の土地へと向かっていた。数十人の兵士を引き連れながら。心配だから自分も行くという兄を宥めるのには骨が折れた。そもそもこの話は兄に持ってこられたものであったし、ティアーナは部屋で休めと言われて引き下がるべきだった。
しかし、ひとりで部屋で過ごす気にはなれず、ボンヤリすれば あの王子の顔が浮かんで腹がたって仕方がない。レノックス公爵家の力を見せつけに行くだけなら、ディアゼルでもディオンでも構わないはずだ。一体でも多く魔獣を蹴散らせば、憂さ晴らしも出来る上に、民衆からは有り難がれる。一石二鳥だ。
ギルティナ王国の隣には死海と呼ばれる広大な森があり、そこには凶悪な魔獣が多く生息している。魔王が住んでいるとされ、その為無限に魔獣が湧くのだとか。境界線を設けているが、近年、その勢いが増し、魔獣の被害が広がっている。壁を作り対策をとっているが、超えてくる魔獣が多く、兵士達が死闘を繰り返している。その最たるものが『王家の剣』と呼ばれる武力に長けたロヴィーノ伯爵家だ。次期当主と呼ばれる黒髪の青年が非常に強く、長らく優勢を保っていたが、肩を怪我してからその勢いが落ち、劣勢を強いられている。そこで王家からレノックス公爵家に支援の話が来たのだ。レノックス公爵家の持つ騎士団は精鋭揃いで有名だ。
「ディオン様、そろそろ野営の準備を致しましょう」
ディオンの側で馬を繰っている側近ラファが日暮れを気にしている。
「そうだな、兵士に野営の準備を。馬には水と餌を。」
戦地にはまだ遠い。馬を速く走らせたとしても一週間はかかるだろう。待ち遠しい気持ちでディオンは暗く嗤った。




