【6】羽根と仮面の影、眠れぬ守護者
「んまーい!」
レストランから届いた料理を、ノアはモグモグと口いっぱいに頬張る。
注文したのは、もちろんノアの好きな物ばかりだ。
イーサンは赤ワインを口にしながら、その様子を静かに見ていた。
だが胸の奥には、奴らが奪おうとした命の重さがよぎる。
ノアはこの家に来て、まず「シャワーを浴びたい」と言い、長くバスルームに籠もっていた。
料理が届いたのでイーサンが客間をノックすると――扉の向こうに、
白い刺繍入りのシャツとジーンズを身に着けたノアが立っていた。
顔色はまだ青白いが、湯上がりのせいか、血色が少し戻っている。
病院では影のようだった頬に、わずかに生気が宿っていた。
「イーサン、何?」
「食事が来たぞ。冷めないうちに食べよう」
「やった!」
ノアは弾む声で部屋を出てきて、イーサンの背を押して急かした。
「分かった分かった」と笑いながら、イーサンはノアの歩調に合わせて階段へ向かう。
監禁中の姿勢の影響か、ノアの歩き方は時折ぎこちない。
イーサンはさりげなく肩を支えながら、ゆっくりと降りた。
食事を終えると、ノアが「俺、後片付けする」と立ち上がる。
止める間もなく皿をシンクに運んだので、イーサンはすぐに手を伸ばして止めた。
「動くな。治療はまだ始まったばかりだ。
君が無理をしたら、次に証言を取る時に支障が出る」
ノアは頬を膨らませていたが、すぐに渋々椅子へ戻った。
片付けを終えたイーサンが振り返ると、
ノアはソファにうつ伏せになり、クッションに顔を埋めていた。
「ノア?」
イーサンが声を掛けると、小さな声が返る。
「これから……薬、入れるんだろ?」
「そうだ。
主治医は、今夜君が注入できたら自分で治療しても良いと言っていた。
だが初回は俺がやる。心配はいらない。……何か不安か?」
「……だって、みっともねぇじゃん……」
震える声に、イーサンは穏やかに言葉を返す。
「ノア。病気を治すことに、みっともないことなんてひとつもない。分かるな?」
「……でも……」
「『でも』は禁止だ。
もし目の前に治療が必要な人間が倒れていて、その人が『恥ずかしいから嫌だ』と言ったら、どうする?」
「殴る」
思わぬ返答に、イーサンが小さく吹き出した。
「なるほど。強引だが正しい選択かもしれないな。
じゃあ、ノアが『恥ずかしい』って言ったら、俺も殴ることにしよう」
「な、なんだよそれ! イーサンの馬鹿!」
「ノアが言い出したんだろ。さあ、寝室に行くぞ」
差し出された手を、ノアは少し戸惑いながらも取った。
「ほら、終わった。大したことじゃなかっただろう?
今から1時間は仰向けのまま動くなよ」
「わ、分かってるって! イーサンの馬鹿!」
「どうして俺が馬鹿なんだ?」
イーサンは苦笑し、ノアの肩にブランケットを掛けてやる。
「寒くないか? テレビのリモコンもここだ」
「うるさいな、もう寝るから!」
頭までブランケットをかぶるノア。
「おやすみ」とだけ言い残し、イーサンは部屋を出た。
扉が閉まる直前、くぐもった声が聞こえた。
「……ありがと、イーサン……」
イーサンは笑みを浮かべ、静かに階段を降りて行った。
午前0時。
神経毒に関する専門書を読み終えたイーサンは、照明を落とし、ベッドに潜り込む。
――コンコン。
小さなノック音。
扉を開けると、枕を抱えたノアが立っていた。
不安げな瞳が、迷子の子供のように揺れている。
「……あのさ、俺、ソファでいいからこの部屋で寝ちゃ駄目?」
その指先は白くなるほど力がこもっている。
「構わない。ただし、無理はするな。俺はソファで休む」
「そんなの悪いよ! イーサンがベッド使って!」
イーサンは微笑んで首を振った。
「交代で休もう。安心しろ。俺はどこにも行かない」
ノアは小さく頷き、ベッドの端に横たわると、すぐに眠りに落ちた。
イーサンも「おやすみ」とだけ告げ、そっと明かりを落とす。
だが、眠るノアの横顔が瞼の裏に焼きつき、なかなか眠れなかった。
喉の渇きを覚えて身を起こすと、突然――
「イーサン!」
眠っていたはずのノアが、イーサンの腰にしがみついた。
「……ノア? 起きてたのか?」
首を横に振る。
「寝てた……。イーサン、どこ行くんだよ……!」
「水を飲もうとしただけだ。心配するな。どこにも行かない」
ノアは必死に涙をこらえながら顔を上げる。
その表情に、イーサンはようやく“恐怖以外の感情”が戻ってきたのを感じた。
ペットボトルを振って見せる。
「ほら、本当だろ?」
「……ん。俺も飲みたい」
「いいぞ。飲め」
ノアは小さな声で「ありがとう」と呟き、少しだけ水を口に含んだ。
イーサンは改めて思う。
彼を助けてから、まだ一日も経っていないのだと。
酷い目に遭い、記憶を失い、やっと安心できる場所に辿り着いたのだ。
信頼できる誰かに縋りたくなるのは、当然のことだ。
再び眠りについたノアの寝顔を見つめながら、イーサンは思う。
安らかに眠れる夜は、これが最後かもしれない。
羽と仮面が示すのは、奴らの異常な潔癖性だけ。
だが――ノアの証言と重なる時、その正体は必ず暴いてみせる。
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