【28】最強捜査官、嵐の前の静けさ
犯行声明と犯行予告は、二時間後にはテレビはもちろん、ネットニュースでも一斉に拡散された。
各局は緊急特集を組み、アナウンサーとレポーター、そして呼び寄せられた識者たちが、犯行声明文を我先にと分析していく。
SNSでは無責任な憶測が飛び交い、街もネットも混乱の渦に包まれていた。
――だが。
修理と清掃を終えたイーサンの家には、静けさと“幸福”が満ちていた。
ジニーはイーサンに頼まれた通り、ノアに「テレビもインターネットもまだ壊れたままなんだ」とやさしい嘘をつき、
二人でホテルから持ち帰った白百合の花をリビングや寝室に飾った。
そのあと一緒にドーナツを作り、粉砂糖をかけながら笑い合った。
本来ならイーサンは、翌日の記者会見が終わるまではノアをホテルに留めておきたかった。
だが、病院での検査を終えたノアが「結果は明日でいい」と言い張り、涙混じりに「家に帰りたい」と訴えたとき、
ホテルに送り返そうとしていたイーサンは、その願いを拒むことができなかった。
こうしてイーサンはホテルの警戒を解除し、百合の花をトランクに詰め、ノアとジニーを伴って帰宅した。
玄関を開けるなり、ノアが満面の笑みで叫ぶ。
「ただいま!」
ジニーも負けじと「ただいまー!」と続き、二人は顔を見合わせて笑った。
玄関を開け放したまま外へ出て、二人で百合の花を運び込む。
ノアは本当に幸せそうな顔をしていた。
その姿に、イーサンの口元にも自然と微笑みが浮かぶ。
だが、今のノアに無理はさせられない。
「疲れたらすぐ横になれ。俺はまだ仕事がある」
「ええー……」
不満げに唇を尖らせるノア。
その表情に、イーサンの胸は愛しさと安堵で痛んだ。
「分かったか?」
「はいはい! 早く仕事片付けて帰って来いよ!」
イーサンは苦笑し、「じゃあ後でな」とだけ告げる。
そしてジニーを呼び、玄関先で小声で言った。
「俺が戻るまで家にいてほしい。施設長への許可は俺が取る。帰りは送る」
「分かった!」とジニーは笑う。
イーサンはさらに付け加えた。
「テレビやネットは、まだ回線が復旧していないって言ってくれ。ノアには見せないように」
「なんで嘘をつくの?」
イーサンは真っ直ぐにジニーを見た。
「ノアを心配させたくない。傷つけるニュースを見せる意味は無い」
ジニーはしばらく黙っていた。
そして、そっとイーサンの手を取った。
まるで病気の子犬を励ますように。
「イーサンは昔からずーっとやさしいね。
やさしい嘘なら、僕もつけるよ!」
「ありがとう、ジニー」
イーサンがその手をしっかり握り返すと、ジニーはにかっと笑った。
イーサンはSUVに乗り込み、静かにS.A.G.E.本部へ車を走らせる。
ジニーはその背中を見送り、静かで幸せな家へと戻っていった。
――S.A.G.E.オフィス。
イーサンがエレベーターを降りると、受付のカウンターに寄りかかっていたカリスタがにっこり笑った。
「待ってたわ」
「何かあったのか?」
「そうじゃないの。チーフにお客様よ」
「客?」
カリスタが一瞬、唇を噛み、言いにくそうに告げた。
「――FBIよ」
イーサンのオフィスでは、セレニス支局のFBI特別捜査官五名がデスクの前に並んでいた。
中央の椅子に座っているのは、その中の一人――シュレー特別捜査官だ。
イーサンのアイスブルーの瞳が、彼を鋭く射抜く。
「どんなご用件ですか?」
シュレーは淡々と答えた。
「君にも分かっているだろう。明日の記者会見と、その後の捜査についてだ。これからはFBIが引き継ぐ」
「なぜ? これはうちの事件だ」
「いや、違う」
シュレーの声が鋭く響く。
「『リオ・ゴードン』一味と思われる未解決事件が他州でも起きている。
彼らはセレニス州に限らず“活動”しているんだ。
州を跨いだ犯罪にはFBIの捜査権がある」
イーサンが薄く笑う。
背筋が凍るほど冷たい笑いだった。
「我々にも州を跨いだ捜査権があることをお忘れですか?」
一瞬、シュレーが言葉を詰まらせ、咳払いをする。
「それは承知している。だが――テロに関してはFBIが優先される」
「そういう理屈ですか……。それで?」
「まず、明日の記者会見の打ち合わせをしたい。
君の一言で奴らが暴走しないとも限らないからな。
それと、『ノア』という被害者に協力を求めたい」
イーサンの瞳がわずかに細まる。
「記者会見については異存はありません。……だが、ノアは無理だ」
「理由は?」
「病気の上に、唯一の目撃証人だ。――ご存知でしょう、特別捜査官」
シュレーが息を呑む。
「彼が病気と言っても、記憶障害ギリギリだろう。
それに記憶喪失が治らなければ、証人としての価値は無い。
協力といっても、ただ犯人をおびき寄せるだけだ。
突っ立っていてくれればいい。安全はFBIが保証する」
「断る」
イーサンの低い声が、オフィスを凍らせた。
シュレーが立ち上がる。怒りで頬が紅潮している。
「なぜだ!? 君にそんな権限は無い!
この事件はもうFBIの管轄だ! 本来ならトップに一報入れて終わりだ!
君に敬意を払って、直接来たことを理解してほしいね!」
イーサンは黙ってその怒りを見つめていた。
そして一分の沈黙のあと、静かに言った。
「記者会見について話し合いましょう。
――だが、ノアは使わせない」
そう言って応接セットを指さした。
レイアウトルーム。
イーサン、カリスタ、ヴィヴィアン、バレス、マドックスが勢ぞろいしていた。
ガラス張りのデスクの上には、それぞれ一枚ずつ紙が置かれている。
張り詰めた空気を和ませるように、バレスがハハッと笑う。
「チーフ、FBIの奴らをどうやって追い返したんです?
一時間もしないで帰らせるなんて驚きですよ」
イーサンは紙を手に取り、つまらなそうに言った。
「奴らは明日の記者会見のシナリオを練って、捜査権を奪って帰っただけだ。時間はかからない」
ヴィヴィアンが目を見開く。
「捜査権を奪った!?
まさか他州でも同じような犯罪が起きてるの?
でもうちにも捜査権はあるはず!」
イーサンが頷く。
「『リオ・ゴードン』一味の声明文にはテロの匂いがあった。
それを理由に、FBIの捜査権が優先された。
スティーブンやティモシーの殺害方法に、連続事件との共通点があるのだろう。
さらにノアの協力を求めてきた――囮としてな」
「無理よ!」
カリスタが即座に声を上げる。
「ノアは記憶喪失という繊細な病気なのよ!
悪化したら取り返しがつかない!
それに『リオ・ゴードン』達は間抜けでも、技術力も結束力もある。
パトロンまで動いてるのよ?
もし執着が暴力に変わったら、ノアを道連れにして満足しかねない!」
「俺も同感です」
マドックスも真剣に頷く。
イーサンは静かに皆を見渡した。
「大丈夫だ。ノアの件はきっぱり断っておいた。
上層部にも確認済みだ。――FBIはノア抜きで作戦を進める」
その言葉に、全員がほっと息を吐いた。
カリスタが微笑みながら手元の紙を持ち上げる。
「それにこのチーフの声明文なら、奴らも納得すると思うわ」
ヴィヴィアンも笑みを浮かべて言う。
「これくらいなら、想定の範囲内ね!」
バレスとマドックスも頷き、イーサンは小さく笑った。
静かに、確実に――嵐の中心へと物語は動き出していた。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます(^^)
明日も17時更新です☆
Xはこちら→ https://x.com/himari61290
自作のキービジュアルやキャラクターカード貼ってます♪




