【32】最強捜査官、白百合に誓う夜
「失敗したぁ!? 一歩目で失敗してるじゃない! 愚か者はどっちよ!?」
ロクシーの怒鳴り声が、リオ、アーチボルト、ルシアン、そしてルチアーノの耳に響き渡った。
全員が装着しているのは、ルチアーノ曰く“その筋の達人”に用意させた、盗聴不可能なヘッドセット型携帯電話。
複数人が同時に会話できる仕様だ。
すかさずルチアーノも怒鳴り返す。
「仕方ないだろう! イーサン・クロフォードの家の窓という窓、玄関も裏口も、全部が鉄板で覆われてたんだ!
ロクシーこそ『窓ガラスが割れたら警備会社が急行する程度の防御レベル』って豪語してただろ!?
それが鉄板だったんだぞ!? 麻酔弾は跳ね返されるし、イーサンは警察無線で警官だけじゃなくSWATまで呼び寄せた! 撤退するしかなかったんだ!」
「なに? 今度は私のせいだって言うの!?
じゃあ通気口から流した麻酔ガスはどうなのよ!?」
ルチアーノがゴホンと咳払いし、声が小さくなる。
「……効かなかった……と思う。見張り役の部下は、救急車の到着を確認してない」
ロクシーが勝ち誇ったように吐き捨てる。
「ほら見なさい! ルチアーノ、あんた私たちに何て言った?
『俺様の作戦でしかノアを奪還できない』って散々威張ってたくせに、最初の一手が丸潰れじゃない! 呆れるわ!」
そのとき、アーチボルトの怒鳴り声が響き渡った。
「いい加減にしろ! どっちもどっちだ!
ロクシーは出来る限りの情報を集めたし、ルチアーノも……まあ、“尾行失敗に見せかけて実は成功させる”という作戦は果たした。
イーサン・クロフォードの自宅が鉄板で守られているなんて、誰にも予測できなかった。
二人ともよくやった! ただ、それ以上に相手が一枚も二枚も上手だったってことだ。罵り合ってどうする? 今こそ協力すべきだろう!」
ロクシーがしぶしぶ「……は~い」と答え、対してルチアーノは浮かれた声を張り上げた。
「そうだ! 俺様はあのイーサン・クロフォード相手に尾行を成功させたんだ!」
直後、アーチボルトの声が地を這うように冷たく響く。
「それでルチアーノ……ノアはどこに移された?」
ルチアーノの声が急に心許なくなる。
「そ、それがな……。イーサン・クロフォードは確かに家に入ったんだが、すぐに出てきて部下らしき男女と家の周りを調べてるだけで……ノアの姿は……見えなかった」
リオが深く息を吐き出し、皆に向けて冷静に言った。
「……頭を切り替えよう。
プランA――ノアを直接奪還する作戦は失敗だ。
それなら次の手に移るしかない。
予定通り、俺とアーチボルト、ロクシー、ルシアンはセレニス州を離れ、コロラド州の州境へ向かう。
――ルチアーノ、次に失敗したらイレイナに頭を下げてもらうからな!」
「わ、分かってる! 俺様はもう空港に向かってるところだ! 任せろ!」
ルチアーノが焦った早口で言うと同時に、通話はブツリと切れた。
リオも通話を切ると、また深いため息をついた。
ベックが、S.A.G.E.本部にあるイーサンのオフィスのドアをコンコンと叩いた。
ガラス張りの向こうからイーサンが手招きすると、ベックがファイルを片手に入ってくる。
「よう、イーサン。報告書を見たぞ。
催涙弾ならぬ麻酔弾を撃ち込もうとしていたらしいな。
それが鉄板に弾かれて逃げた。
しかも目撃情報によれば、『リオ・ゴードン』一味じゃない……とうとう、あの連中の失敗に業を煮やしたパトロンが、自分の部下を使って本格的に動き出したようだな」
イーサンはフッと笑い、静かに頷いた。
「目撃情報では、防毒マスクを着けた黒ずくめの男たち。身長190を超える三人組だ。
体格や足跡からして全員男性と見ていい。
麻酔弾は手製のもの。
今、過去に手製の銃や爆弾を使った犯罪者との接点がないか、ラボで解析させている。
計画では、窓を破って催眠弾でノアを眠らせ、拉致するつもりだったらしいが……失敗した上に、警官とSWATが向かっていると知って、証拠も回収せず慌てて黒のSUVで逃走した。無様だな」
ベックがニヤリと笑う。
「窓が鉄板になって、さぞ驚いただろうな。
他に証拠は残っていないのか?」
「通気口からガス状の麻酔薬を送り込もうとした形跡がある。ボンベが残されていた。
黒い手袋をしていたとの目撃もあるが、麻酔弾同様、痕跡が残っていないかラボで調べている」
「……それでノアは? ジニーも一緒だったんだろう? 無事か?」
イーサンのアイスブルーの瞳が鋭く光る。
「ベック。
ノアの居場所は、担当検事と検事局長、そして俺しか知らない。
カリスタたちにもまだ知らせていない。
……秘密を守れるか?」
ベックは目を見開き、即座に答える。
「当然だ!」
イーサンは声を落とし、一言だけ告げた。
「――ホテル・ハバズだ」
ベックが口の端を上げる。
「よく考えたな! あの犯行現場に、犯人は戻れない」
「その通りだ。
ノアとジニーをパニックルームから出し、裏庭から隣家のメアリー夫人の車を借りて移送した。
私服に着替えたベテランパトロール警官を護衛につけ、ホテル・ハバズまで送り届けたんだ。
元々は無作為に避難先を選ぶ予定だったが……『リオ・ゴードン』一味が馬鹿げた殺人事件を起こしたせいで、ホテル・ハバズに決まった。
クラブ・ジョーの二人組の心配も、もう無くなった」
ベックは腕を組み、真剣な眼差しでイーサンを見つめた。
「……何だ?」
イーサンが問いかける。
二人の視線が交錯し、沈黙が流れる。
先に口を開いたのはベックだった。
「イーサン。
『リオ・ゴードン』一味の行動は確かに馬鹿げてる。
だが、それ以上に残虐性と異常性を示している。
それを一番理解しているのはお前だろう。
今すぐノアのもとへ行ってやれ。
警官が何十人で守るよりも、お前が傍にいる方がノアは安心するし、警備の質も上がる。
……ノアは、パニックルームから出した時に、また酷い頭痛で意識が朦朧としていたんだろう?」
イーサンは目を伏せ、小さく「ああ」と答える。
そして短く、「仕事中だ」と呟いた。
ベックは豪快に笑う。
「やっぱりそう言うと思ったよ。
だが俺たちを見くびるな。
何か掴めばすぐに連絡する。
……30分でいい。会って来い」
「……ベック。気持ちはありがたいが、俺はチームの責任者だ」
「それがどうした? つべこべ言うな!
ノアのところへ行け。時速100キロで車を飛ばせ!」
イーサンは小さく笑みを浮かべ、立ち上がる。
ベックの横を通り過ぎながら、ドアノブに手を掛け――
「……ありがとう、ベック」
そう言い残し、オフィスを後にした。
――ホテル・ハバズ。
ツインルームのある階の一角は「改装中」とされ、閉鎖されていた。
通路を固めている警備員は全員、警官が変装した者たちだ。
イーサンが姿を見せても、誰一人動じない。
イーサンは軽く頷き、ある部屋の前で立ち止まってカードキーをかざした。
「イーサン!」
ジニーの明るい声が飛ぶ。
イーサンはすぐに扉を閉め、「ジニー、俺が部屋に入ってから話す約束だろう?」と笑みを向けた。
「そうだった! ごめん!」
ジニーは慌てて頭を下げる。
イーサンは優しく肩に手を置いた。
「気にするな。……ノアはまだ眠っているのか?」
ジニーはしゅんとした表情で「うん」と頷く。
そして段ボール箱を抱えているイーサンを見て首を傾げた。
「その箱、なに?」
イーサンが封を剥がすと、中は白い百合でいっぱいだった。
「時間が無かったから詰めてもらった。花粉は処理済みだ。
……ジニー、花を生けてくれないか?」
「分かった! でも……」
「でも?」
「きっとこの部屋、花瓶は一個しか無いと思うよ?」
イーサンはフッと笑みを零し、百合を一輪取り出す。
「花瓶じゃなくても構わない。何か代わりになるものを探してくれ。
高さを合わせて切ればいい。……頼む」
ジニーはニカッと笑い、「了解!」と箱を抱えて洗面所へ向かう。
イーサンは白い百合を手に、ノアの眠るベッドへと歩み寄った。
あどけない寝顔は相変わらず美しく、イーサンの心を安堵で満たす。
百合をベッドサイドに置くと、ノアの睫毛が震え、うっすらと瞳が開いた。
「……イーサン?」
イーサンが優しく囁く。
「そうだ、ノア。……頭痛は?」
「……頭痛……? なに……?」
イーサンが微笑む。
「無いのなら、それでいい」
「……そう? ……この匂い……花?」
「ああ。白い百合だ。
……君に初めて会った時、まるで白百合のように美しかった。
だから大量に買ってしまった。ホテルの部屋は殺風景だからな」
ノアは儚げに笑う。
「……でも、それって犯罪現場だろ……?
俺はきっと酷い姿だったのに……白百合なんて……イーサン……」
「何だ?」
「……ありがとう」
イーサンが頷くと、ノアは小さく呟く。
「イーサンも……百合の匂いがする……」
続ける声が次第に細くなっていく。
「……家に帰る時、百合も持って帰る……寝室に……リビングにも……」
「――ああ、そうしよう」
「イーサン……」
「何だ?」
「……家に……帰りたい……」
その言葉と共に、ノアの全身から力が抜け、ノアの瞼が閉じた。
イーサンはすぐに首筋に指を当てた。
規則正しい脈を確認し、安堵と切なさを同時に噛みしめる。
そしてノアの寝顔を見つめ、静かに誓った。
「……ノア。必ず家に連れて帰る。ビーチにも行こう。
だから……今は耐えてくれ。俺のために」
その声は、かすかに震えていた。
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