【29】笑う悪魔と祈る天使――セレニス州の夜に仕掛けられた罠
イーサンが病室に向かうと、扉の前に立つ制服警官二人が椅子から立ち上がった。
「異常は?」
二人は声を揃えて答える。
「ありません」
ガラス張りの窓から中を覗くと、ノアとジニーが楽しげに笑い合っているのが見えた。
イーサンがコンコンと窓を叩くと、ノアがハッとして顔を上げ、目が合うなりにっこり笑う。
ジニーは椅子から立ち上がると、飛ぶようにドアへ駆け寄り、勢いよく開け放った。
「イーサン! お疲れ様!」
「やあ、ジニー。本当に来てくれたんだな。嬉しいよ、ありがとう」
「だって僕、今日は休日だよ? したいことをしていい日なんだから!」
イーサンが「そうだな」と微笑むと、ノアが少し拗ねたように声を上げる。
「早く二人ともこっち来いよ!」
イーサンはノアのベッド脇に腰を下ろし、静かに言った。
「無事でよかった。検査は全部済んだと医師に聞いた。
MRIでも異常なし。あとは血液検査の結果だけだが、何もなければ明日の午前中には家に帰れるぞ」
ノアの顔が花のように明るくなる。
「ホントに!? 嬉しい! イーサン、ありがとう!」
「頭はもう痛くないか?」
「うん! でも……朝の検査の後のことを思い出そうとすると、ズキズキ痛み出すんだ」
「それなら、もう思い出そうとするな」
「でも、思い出せば犯人を捕まえる役に立つかも……」
イーサンがフッと微笑む。
「もう犯人は特定された。あとは逮捕するだけだ」
ノアの瞳が輝く。
「本当に!?」
「ああ、本当だ」
「ジニー、聞いた!? イーサンってやっぱりすごいな!」
ジニーが胸を張る。
「当然だよ。僕のボスだもん!」
「だよな! イーサンにお礼しなきゃな」
すると、ジニーが不敵に笑った。
「明日も休日だからね。僕がまた豪華ディナーを作るよ! 三人でパーティーするのはどう!?」
「ジニー、やっぱ天才だ! イーサン、パーティーやろう! 三角帽子被ってさ!」
無邪気に笑い合うノアとジニー。
その姿を見ながら、イーサンは静かに誓った。
――スティーブンとティモシー、そして『リオ・ゴードン』一味。必ず逮捕する、と。
「嘘だ! 絶対に何かの間違いだ!」
夜のセレニス・ベイ郊外。
安宿モーテルの一室にリオの怒鳴り声が響く。
ルシアンが淡々と告げる。
「残念だが、それがノアの心の中だ」
「もう一度……! もう一度見せてくれ!」
ルシアンの襟を掴むリオ。
その頭を、ロクシーがバシッと叩いた。
「リオ! 冷静になりなよ!
ルシアンは今日、思いがけずノアの心を見た。
そしてあんたと私とアーチボルトとルチアーノに共有してくれた。
それだけでも、いつ消えるか分からない恩寵を使ってるの! 切り札は大事にしなきゃ!」
リオはドスンと椅子に腰を落とし、唸る。
「じゃあロクシーは、ノアの心の中に僕達は一人もいなくて、イーサン・クロフォードと中年の男でいっぱいだって認めるのか!?」
「しかも、それが楽しさと幸福感で満ちていた。そうだな、ルシアン?」
ルチアーノが口を挟んだ瞬間、ロクシーの悪魔撃退スプレーが火を吹いた。
「ぐわっ!?」
ルチアーノは鼻血を吹き出し、床にドロドロと倒れ込む。
「……ロクシー……俺様は……協力を……」
「協力!? あんたの入れ知恵のせいで、イーサン・クロフォードを本気にさせたのよ!
何でルシアンに“ノアのいる階に着いたら香水を振りまけ”なんて言ったの!?」
「く……くくく……お前……まだまだ……ギャーーーッ!」
ロクシーが追い討ちでスプレーを両手で同時に噴射すると、ルチアーノは白目を剥いて転げ回った。
「ロクシー、私から説明しよう」
ルシアンが口を開くが、ロクシーは鋭い目で睨む。
「あんたも! 何でこの馬鹿の提案を真に受けたの!?」
「彼の理論は理に適っていた。
嗅覚は五感の中で最も脳に影響を与える。
だから私からのメッセージと香りを同時に刺激すれば、ノアは瞬時に理解すると考えた。
ルチアーノはただ、自作の香水を用意しただけだ」
ロクシーは黙って、ルシアンに向かいスプレーを噴射した。
「ロクシー、私は天使だ。何をしている?」と冷静に問うルシアンに、ロクシーは肩を落として呟く。
「……人間ってね、絶望すると意味不明な行動するの。
天使の教科書に付け加えときなさいよ」
「了解した。ではノアの件に戻ろう」
ルシアンは淡々と告げる。
「ノアは私の恩寵の波動を受けて倒れた時、イーサン・クロフォードを必死に呼んでいた。
声は私が消した。
ノアは絶叫し、涙を流し、頭が痛いと助けを求めながら失神した。――私には目もくれずにな」
ロクシーは人差し指を振りながらまとめる。
「でも収穫はあるわ。ノアはルシアンが誰だか分からなかった。記憶喪失だとすれば辻褄が合う!」
ルチアーノが白目から復活し、キラキラした目で叫ぶ。
「だよな! それに俺様に感謝はないのか!?
警察無線を傍受したら、明日の朝から星付きホテルをローラー捜索するって話だったんだぞ?
変装しててもバレる!
だから俺様が最低ランクのモーテルを押さえてやったんだ!」
ロクシーがスプレーを再び構えると、ルチアーノは慌てて両手を振った。
「いやっ! ほら! 事実! 事実を言っただけ!」
そして咳払いをして、妙に偉そうに言い放つ。
「それで俺様の作戦は明日決行で良いんだな?」
「はあ!? 明日!?」
リオとロクシーとアーチボルトが目を丸くし、溶けかけのルチアーノを一斉に見つめた。
「明日!? どう考えても急すぎでしょ!? なんでよ!?」
ロクシーが目を丸くする。
ルチアーノは深いため息をつき、わざとらしく肩を竦めた。
「なんでよ、だと? ロクシー……お前だけは頭がいいと思っていたが、とんだ勘違いだったらしいな」
無言で両手でスプレーを構えるロクシー。
ルチアーノは慌てて手を振った。
「いやっ! 一周回って賢いな〜って意味だ!
ほら、明日早朝からイーサン・クロフォードがホテルにローラー作戦をかけるだろ!?
あの男は、お前たちを見つけるまで絶対にやめない。
だが――お前たちは、もう“い・な・い♪”
賢い俺様が先読みして逃がしてやったからな」
「……」
「でもな、あの犬っころみたいなクロフォードが、残された“痕跡”を見逃すわけがない。
チェックアウトもせずに消えたと知れば、今度はお前たちを徹底的に追ってくる。
いつまで追いかけっこを続けるつもりだ?
それに――ヴァンパイアとノアに執着していたパトロンは、もうセレニス州から出たぞ」
「なんだって!?」
リオがガバッと立ち上がる。
ルチアーノは鼻で笑った。
「全く……お前たちが右往左往して珍道中してる間に……いや、頑張ってる間にっ!
ヤツらが州を出た瞬間、俺様のまじないが発動するよう仕込んでおいた。
とっくに俺様の部下が捕らえてる。
“スティーブン”とか名乗ってた人間は生け捕りにしたが、ヴァンパイアは首を跳ねておいたからな!
腐る前にクロフォードに見つけさせなきゃならん」
「首を跳ねただと!? なぜ生け捕りにしなかった!」
アーチボルトが怒鳴り、ルチアーノに詰め寄る。
しかし溶けかけのルチアーノは鬱陶しそうに手を払った。
「アーチボルト、お前の頭も車みたいに錆び付いてるのか?
ヴァンパイアを生かしておいて何の価値がある?
お前だって、退治して本のネタにする気だったんだろ?」
図星を突かれ、アーチボルトはぐっと詰まる。
ルチアーノはにやりと笑い、畳みかけた。
「セレニス・ベイに“血液バー”があると知って、儲け話に飛びついた。
ヴァンパイアをネタにして退治して、ついでにノアとリオ兄弟とバカンスまで――欲深だよなぁ。
だが知らなかっただろう?
セレニス州じゃ怪物は能力を発揮できない。
その制約を逆手にとって、危険を承知で血を飲ませ、レア体験を売る――あのヴァンパイアは頭が切れるし商才もある。
三年もノアを狙って準備したティモシーも同じだ。愛ゆえにな」
そうしてルチアーノはわざとらしく肩を竦めた。
「で、のこのこ罠に掛かりに行ったお前たちは、アッサリ捕まった。
――まあ、ルシアンとロクシーに“保険”を掛けていた一点だけは褒めてやるがな」
そして指を突きつける。
「よく考えろ、この愚か者ども!
ヴァンパイアを生かしておく理由は“無い”一択だ。
しかも経費削減♪」
数秒の沈黙の後、ロクシーがスプレーを両手に構えた。
瞳をギラリと光らせる。
「ルチアーノ……!
あんた、私たちを犯人に仕立てるつもりね!?」
ルチアーノは溶けかけの手でパチパチ拍手。
「ご名答! やっぱりチャーリーは頭がいいな!
俺様の部下がホテルのペントハウスに、麻酔で眠るスティーブンと、首を跳ねたヴァンパイアの死体を置いてきた。
ティモシーが麻酔に耐えられなきゃ、死体は一つ増えるけどな。
明日にはクロフォードが発見して、お前たちが復讐か仲間割れを起こしたと“勝手に”考えるだろう。
これで一件目の事件は解決。
イーサン・クロフォードはお前たちの逮捕に全力を尽くす。
そこで――昨日話した俺様の作戦を実行する♪」
リオがドスンと椅子に座り込む。
「俺たち、完全に犯罪者になるじゃないか……」
「リーオ。クロフォードは骨に齧り付いた犬だ。
美味い骨ほど食らいつく。
お前たちが容疑者と確信させなきゃ、俺様の作戦は動かない。
必要悪だ。セレニス州を出ればルシアンの恩寵でノアの記憶喪失は治るし、クロフォードも振り切れる。
――めでたし、めでたし!」
「そんなに上手くいくのか?」
静かに問うルシアン。
ルチアーノは高笑いで返す。
「俺様の計画に抜かりは無い!
ノアを取り戻すために、俺様の作戦に集中するんだ!」
そう言い放つと、床の中にずぶずぶと沈むように姿を消した。
「……全く! いつからルチアーノがリーダーになったんだ!?」とアーチボルトが文句を言えば、リオが溜息をつきながら宥めた。
「でもルチアーノの作戦以上に良い案は無い。
ノアを奪還するためには、協力するしか……」
ロクシーは何も言わず、ルチアーノが消えた場所にスプレーを二本同時に噴射し続け、空になると「もう限界。風呂入って魂リセットする。おやすみ〜」と言って部屋を出て行く。
ルシアンはそんな仲間たちを見つめ、低く呟いた。
「……嫌な予感がする」
だが、その声は誰の耳にも届かなかった。
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明日も17時更新です☆
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