【21】尾行されたセーフティハウスと、ペントハウスハウスの死体。〜その肝臓温度は10℃〜
そして夜が明けた。
セレニス・ベイ署。
S.A.G.E.の捜査官たちと地元警察が、ローラー作戦の準備で慌ただしく動き回っている。
署内に足を踏み入れたイーサンに、カリスタが「おはよう」と声をかけた。
イーサンは足を止めずに「ああ。おはよう」と返す。
カリスタはすぐ隣に並び、歩調を合わせた。
イーサンが一言訊く。
「出動の準備は?」
「ええ、抜かりはないわ。
今日こそ『リオ・ゴードン』一味を捕まえる」
カリスタの声は力強い。
だが次の瞬間、少し柔らかい声音に変わる。
「でもチーフは、全ユニットに号令をかけるだけでいいの。
――分かってるでしょう?」
イーサンは短く息を吐いた。
「……カリスタ」
「ノアは、チーフの仕事を理解してる。
それでも――昨日も襲われたばかりで、不安でいっぱいなはずよ」
カリスタの眼差しはまっすぐだった。
「私たちはチーフの部下。
立てた計画に従って動くし、どんな小さな手がかりも逐一報告する。
だから今日は――ノアを病院からセーフティハウスまで送ってあげて。
ベックの代わりに」
イーサンはしばし沈黙したのち、静かに頷いた。
「ありがとう、カリスタ。
そうさせてもらう」
午前8時55分。
レイアウトルームの巨大スクリーンには、各ユニットが配置についた映像が次々と映し出されていた。
そして午前9時きっかり。
イーサンは無線を握り、低く、しかし揺るぎない声で命じた。
「――作戦開始だ」
イーサンが病室のドアを開けると、ノアが一気に安心した顔になる。
「イーサン!」
「やあ、ノア。
退院おめでとう」
イーサンが柔らかく微笑む。
「主治医から聞いた。
どこも異常はなかったそうだな」
「うん!
家に帰っていいって!」
ノアの声は明るく弾んでいた。
イーサンは微笑み、紙袋を差し出す。
「着替えてこい」
「サンキュ!」
ノアは嬉々として袋を受け取り、カーテンの向こうへ消える。
着替えながら、ノアが口を開く。
「イーサン、仕事は?」
「今の俺の最優先事項は、ノアをセーフティハウスに連れて帰ることだ。
ベックは現場から離れられないからな」
ノアが小さく呟く。
「……ありがとう……」
「礼はいらない。
最優先事項だと言ったろう」
そうして、着替え終わったノアがカーテンを開いた。
特別に許可された地下駐車場を抜け、SUVは静かに病院を後にする。
助手席のノアは、何度も同じことを繰り返していた。
「なあ、イーサン!
今日からもずっと、セーフティハウスで暮らせるんだよな?
俺ってまだ証人!?」
イーサンが「そうだ」と答えるたび、ノアは無邪気に笑う。
だが、10分も走らぬうちにイーサンの表情が鋭く変わった。
無線を取り、厳しい声で告げる。
「こちらイーサン・クロフォード主任分析官。
黒のSUVに尾行されている。
ナンバーは外されている。
私の位置情報を使って追跡、確保しろ。
――私はこのまま振り切る」
『了解!』
「ノア、運転が荒くなる。
しっかり掴まれ」
ノアは蒼白になりながらも「うん」と答える。
次の瞬間、イーサンが運転するSUVはタイヤを鳴らして急加速した。
そして、セーフティハウスまでスピードを落とさず走り抜け、ガレージのシャッターが閉まると、車は静止した。
イーサンは震えるノアのシートベルトを外し、告げた。
「もう大丈夫だ、ノア。
よく持ちこたえた」
「尾行してきた車は……?」
「乗り捨てられていた。
徒歩での追尾も不可能だ。
――心配するな」
「……家に入りたい」
「もちろんだ」
イーサンはノアを護衛しながら、共に玄関をくぐった。
生体認証をクリアし、家の中へと入る。
そして、ノアがセーフティハウスに戻って15分も経たないうちに――。
穏やかな時間は、一本の無線で唐突に破られた。
『兎に角すぐ来てくれ!
殺人だ!
ホテル・ハバズのペントハウスで大変なことが起こった!』
ベックの切迫した声。
イーサンの表情が一変する。
「ノア、俺が出たら、レベル3の防御体制が発動される。
これからの連絡はすべて無線電話を通す。
それ以外は無視だ。
――分かったか?」
「……うん!」
ノアがしっかりと頷く。
「何も心配はいらない」
イーサンはそう言い残し、ガレージに向かった。
イーサンが黄色い規制線をくぐると、ベックが駆け寄ってきた。
「イーサン!
早かったな。
病院から尾行されたって!?
ノアは!?」
「後で話す。
状況を報告しろ」
歩きながらベックが早口に説明する。
「バレスの班が、車椅子を使う若い大学教授がここに宿泊していると突き止めた。
連れは金髪の若い秘書と、髭を生やした父親。
宿泊はペントハウス。
しかも一か月分をキャッシュ前払い。
ただし支払ったのは本人たちじゃない――“ジョン・ラウラー”と名乗る背の高い白人男性だ。
教授親子と秘書は昨日の午後から戻っていない。
怪しいと思ったら……やはりだ!」
「イーサン!
こっちよ!」
奥からシンクレアの声が響く。
部屋に足を踏み入れると、証拠採取に当たるカリスタ、ヴィヴィアン、マドックスの顔に安堵の色が浮かんだ。
シンクレアの前には――
胴体だけの死体が無造作に転がっていた。
「シンクレア、頭は?」
「そこ」
指差す先、わずか二メートル先に首だけが転がっている。
バレスが淡々と写真を撮っていた。
さらに奥では救急隊員がストレッチャーを囲んでいる。
「あれは?」
イーサンの問いに、シンクレアが即答する。
「奥のラウンジで倒れていた男。
大量の麻酔薬を点滴されて、瀕死よ」
イーサンの眉根が寄る。
「麻酔薬?」
「全身麻酔に使う強力な薬。
点滴パックを移し替え、十リットルのキャンプ用容器で延々流し込まれてた。
空パックは二十以上。
首筋にも別の注射痕。
血圧は低下、脈も弱い――辛うじて生きてる状態」
イーサンは頷いた。
「では、この切断死体の死因は?」
「そこが奇妙なの。
肝臓の温度が10℃しかないのよ」
「10℃?
……だが硬直と腐敗具合から見れば、殺害されたのは18時間以内だろう」
「ええ。
でも冷却の痕跡もない。
こんな死体、初めてよ」
イーサンが死体を見下ろす。
「スパッと切られているな」
「そう。
刃物に慣れた手口……いえ、“やり慣れている”と言うべきね。
拘束痕も防御創も無い。
顔見知りか、不意を突かれて、一撃で仕留められたんでしょう」
さらにシンクレアが続ける。
「二人とも財布も身分証もない。
しかも――ここは犯行現場じゃないわ」
「やはりな」
「首を切られたのに、カーペットはほとんど汚れてない。
どこか別の場所で殺され、ここへ運ばれたのよ」
「分かった。
調査を続けてくれ、シンクレア」
イーサンは鋭い眼光を光らせ、さらに奥へと歩みを進めた。
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