【16】捜査官、初めての涙
ノアはイーサンがシャワーを終えると、得意顔でスープ皿をテーブルに置いた。
「このミネストローネ、俺が作ったんだぜ」
ジニーと二人で、今夜は疲れているイーサンに野菜を沢山食べさせようと考えたらしい。
肉料理もサラダも、やさしくイーサンの身体に染み込んでいく。
片付けを始めるノアに手伝うと言うと、ノアは「足の具合はいいから、イーサンは座ってワイン飲んでて」と笑った。
そのあと薬の注入があるからと短時間でシャワーを浴び、戻ってくる。
――そして、夜。
その日はいつもと違っていた。
ノアが眠れないから、側にいてと言い出した。
イーサンはノアのベッドの側に椅子を置き、静かに座ると言った。
「夕食、美味しかった。ありがとう」
ノアは照れ臭そうに目を逸らし、ぽつりと零す。
「薬の注入が終わったら…海に行ってみたい」
「海?」と聞き返すと、ブランケットをぎゅっと掴んで「うん」と答える。
「昼間…イーサンのニュースを観て…すごく心配で、落ち込んで…。
ジニーが“楽しいこと考えようよ”って言ってくれて、二人で話してたんだ。
そしたら“セレニス・ベイの海に行ったことある?”って訊かれて…。
俺は記憶が無いから分からなかったけど、多分行ってないって。
そしたら、“あと二日でお薬が終わるんでしょ? お医者さんに訊けばいい”って…。
それで、明日セレニス・ベイの観光ハガキを買ってくるから、行き先を選ぼうよって…」
「ノアは海に行きたいのか?」
ノアはほんの少し笑って――けれど声は小さく震えていた。
「……行きたい。イーサンと、ジニーと三人で。
ちっちゃい傘のカクテル飲んで…バカ話して…熱い砂浜を歩いて…。
海に入ったら、きっと冷たくて気持ちいいよな……」
言葉はだんだん細くなる。
イーサンはその顔を見ながら、やわらかく笑った。
「ノアなら、さぞビーチ映えするだろう。
美女達の視線を独り占めだな。
そうなったら、俺とジニーはボディーガードか」
「……なあ、イーサン」
「何だ?」
「約束して――」
「約束する」
そう即答するイーサンに、ノアは呂律の回らない声で「……イーサン…うみ……」と、小さな夢みたいな言葉を残す。
イーサンは大きな手でその瞳を覆った。
「ノア、無理するな。海には絶対に連れて行く。
だから今は寝ろ」
「……ん……」
ノアが安心しきった顔で眠りに落ちる。
灯りに照らされる寝顔は、あどけなく、痛いほど美しい。
見つめていると――イーサンは、不意に胸の奥からこみ上げてくるものに気づいた。
泣きたい、と思ったのだ。
『S.A.G.E.主任捜査分析官イーサン・クロフォード』
その肩書きに怯むマフィアも、法をすり抜ける悪徳弁護士も見てきた。
何百という惨劇を、この目で知った。
怒りはあっても、涙はなかった。
泣くよりも闘志を燃やし、犯人を捕らえることが正義だと信じてきた。
だが今――正体も過去も知らない一人の青年の寝顔だけで、涙が出そうになる。
ノアの姿形だけではない。
二人を結ぶ、美しく儚い何かが、確かに胸を震わせていた。
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