2章 父と息子
「いや〜〜〜〜〜〜やってもうた……やってもうたなーーー!!!!」
小さな声でボソボソ喋りながら部屋の掃き掃除にいそしむ私・マチルダーーそう、私はマチルダ・ジークスというらしいーーは、隣のメイド仲間アンに怪訝な目で見られてるのにうっすら気づきながら、それでもひとりごとが止まらないくらいには焦っていた。
大好きだったゲームの世界に転生?して、しかもそれが大好きだった生涯イチの推しキャラ・アルバートの屋敷で働くメイドだったことはラッキーだった。
けれど…
「怒ってたな〜〜〜〜〜テディ坊や!!」
そう、アンラッキーなことに、生意気な男だなあと思って足を引っ掛け転ばせてしまった青年が、まさかのアルバートの愛息子・テディ坊やだったのだ。
「まあ私は正味悪くないというか…あんな爽やかな庭園で爽やかじゃないことしてるほうが悪いし…そもそも感じ悪すぎるし。どこがテディだよ? っていう」
「マチルダ? ひとりごとのつもりかもだけど声すごい出てる」
アンが申し訳なさそうに声をかけてくれてやっとハッとする。
マチルダとしての記憶がないため仕事もろくにできないというのに、さらに気もそぞろ。困った同僚すぎるというのに、こんな時にまで優しい声色なのが、アンの人柄をよく表している。
「よくわからないけど、エドワード様を怒らせてしまったの?」
「テディって、エドワード様のお小さい頃の愛称よね」と続け、手を動かしながらも心配そうに見つめてくるアンに、私は縮こまりながら頷いた。
そう、先ほど、長い洋行から帰ってきたばかりの(それなのに使用人とちちくりあっていた)この公爵家唯一にして絶対の跡取り息子、エドワード。
見目麗しくも気だるげで生意気げな彼にちょっと腹の立つ口のきき方をされ、脊髄反射で転ばせてしまった私は、あのあと怒りの眼差しを向けられたので、何か言われる前に「失礼しました!」とだけ言い残し、そそくさと逃げ出してきてしまったのだ。
そのあと執事長にどこかしらへ連れ出されたのか、数時間は経ったと思うけれど、今に至るまでお見かけせずに済んでいるが…。
(どうにか、自分を転ばせた不届きな使用人が自分付きのメイドであったことに気づかないくらいさっきの記憶が薄れるまでお目にかかりたくないものだけど)
しかし、間もなく夕食の時間である。
さすがにお目にかかってしまうであろうことを予感し、大きすぎるひとりごとを言わずには落ち着けないでいる現在なのだった。
「エドワード様って記憶力いいかな?」
「さあ……ああ、でもお小さい頃は、お勉強もすごくよく出来るいい子だったって家庭教師が言ってた気がする」
真面目に答えてくれるアンに申し訳なくなっていると、アンが残念そうに続けた。
「実際頭のいいかただけれど……最近は記憶力というか、何事にも反発心がおありだから、ね…」
良識あるメイド・アンが濁した言葉の端から、エドワードの放蕩ぶりが察せられた。
(反発心、ねえ…)
先ほど会ったばかりのエドワードの様子を思い返す。反発心といえばまださわりがいいが、ありていにいうと「ぐれた」ということじゃないだろうか。
「”テディ坊や”の頃は、あんなに可愛かったのに、どうして……」
ゲームの中での彼のことを思い返す。
確かテディ坊やは、いつでもパパーーアルバートの脚にしがみつき、きらきらとした眼差しで周りを虜にするような男の子だったーー。