8.支配者への昇華
今回の更新はここまでです。次もできるだけはやく用意します。
慢心中に意識外からの攻撃として大きく開かれ伸びてきた顎は俺の体を巻き込んで閉じられ、胴体で締め付けられていた時よりも鋭利に肉が抉られた。俺の体は見事に上下に別れ、腹から大量の鮮血が舞い、ぼとりと二つほど地面に何かが落ちる音が耳に届いた。あまりの出来事に一瞬思考が停止し、見開かれた眼球が分断された断面へと吸い込まれて離れなかった。
「あぁぁぁあッ!?」
理解が及ばない、否理解することを拒否した脳を焼き切ってしまいそうなほど熱い血が身体から吹き出す。血溜まりの直径は既に俺の身長を越えてなおも広がり続け、視界は比例するかの如く霞がかってくる。
視界の先にはきっとあの百足が待ち構えているのだろうと考え、俺は半ば諦めかけていた。この状況を覆して元の世界に帰ることなど、きっと俺には無理なのだろう。啖呵をきった手前、こんなふうに諦めるなどしたくなかったが、芳しくない現状ではどうしようもない。唯一気がかりなのは流子の期待に応えられなかったことだろうか。特に長い付き合いという訳でもないし何故そこまで肩入れしてくれるのかも分からなかったが、なんだかんだここに来てから結構期待してくれた人を裏切るのは心苦しい。望むなら俺にこの状況を乗り越えられるだけの力が欲しい。薄れ行く意識の中でそう確かに、力強く望んだ。すると、何故か妙な感覚が下半身を襲う。いや、それよりも下半身に異常を感じるという事実に困惑したまま下半身に目を向ける。
「うぉぉぉぉぉぉッ!!?」
突如として覚醒した視界の中に映っていたのは、上半身の切断面部分から肉のようなものが蠢きながら徐々に盛りあがっている様子だった。おぞましい光景に戦慄していると、蠢いていた肉の塊が鋭く二方向に伸び、一瞬にしてそれぞれが人間の脚を形成した。動揺するまま先程新調された両足で立ってみる。別段違和感のない何時もの自分の足だ、骨もしっかりあるようで関節もいつも通りだった。明らかに現実離れした尋常ではない再生能力を目の前に、危うく思考を放棄して立ち尽くしてしまいそうになったが、はっとして百足に向き直る。どうやら百足は既に俺の下半身を食したようで、口元に俺の衣服の切れ端らしきものが垂れ下がっていた。
「上半身もくっついてたら今頃あんなふうになって死んでたのか……」
身震いが止まらないのは想像によるものかあるいは半裸であるからか。ヒリついた空気を裂いたのは百足の方だった。次の瞬間の百足の突進に、俺の足は地を大きく蹴って空へと飛んだ。斜め上空に飛び上がり、大きく百足の胴体を蹴り飛ばす。額で攻撃した時と比べ、まだ若干骨に響くが百足を壁面にめり込ませるほどには威力が出ていることがわかった。この身体、どうやら再生する度に強度が上がっているのかもしれない。そんなことを考えていると、先程壁面にめり込ませた胴体が、今度はしなる鞭のように俺を壁面に叩きつけた。
「ぐぉぇ…」
恐らく内蔵が潰れている感触が腹や胸に重く響き、口からは血反吐が勢いよく飛び散る。漫画やアニメの戦闘シーンみたいで傍から見てる分にはノーリアクションだが、いざ実際に体験してみてよく痛さが理解出来た。それから数秒後には外傷だけでなく傷付いた内蔵も背骨も再生したようで、俺は何事もなく立ち上がった。
「しかし……同じく壁にめり込まれたって言うのにあいつは無傷か……」
傷一つつかない光沢のある胴体を前に、正直俺は限界だった。勿論、身体はすぐに再生するし、さっきみたいに内側も外側もあらゆる場所がほぼ同時に、一瞬にして再生を終わらせた。しかしそれほどの力を得ていても、それ以上に俺の精神がもたないようだ。度重なる異常事態の連続で、とっくに俺の精神は燃え尽きかけていた。
「はぁっ………ちょっとぐらい……休ませて…………くれないか?」
そう口に出そうとも、いつの間にか既にこちらに向かってきていた百足のスピードは留まることを知らなかった。
「ッ!!」
今度こそ死を覚悟し、俺は目を瞑った。
「その行為、正しくない」
瞬間閉じた目を見開くと目の前まで迫ってきていた百足が細切れの肉塊になって地面に散らばっていた。その中央、両手に刀を握った少女が静かに佇んでいた。くノ一のような見た目の彼女はいつも食事を運んできてくれていたあの少女だった。肩の力が抜けたのか、俺はへなへなとみっともなく経たり混んでしまった。そんな俺を見て、少女が手を差し伸べてくれる。その手を掴んで立ち上がるが、膝が笑ってしまい上手く立てない俺に少女が肩を貸してくれる。
「助かったよ………ありがとう」
「ううん………無事でよかった……」
少女は俺に肩を貸しながら布を差し出す。
「これで下半身、隠して」
その言葉で、俺は自分が下に何も着用してなかったことに気付く。
「あっ!?いやっ!?こ、これはその!!」
「わかってる……見てないから早く隠して」
俺は急いで布を腰に巻いた。多分今ならどこから見ても俺の下半身が露出することはないだろう。もう一度彼女に肩を貸してもらいながらしばらく歩くと、彼女は急に立ち止まった。
「ちょっと屈むよ」
そう言って屈んだ目線の先には二つに割れたトレイがあった。少女はそれを食器と共に拾い集める、中には先程の俺と百足の戦闘で粉々になってしまった食器もあったが、彼女はそれら一つ一つも丁寧に細かな破片まで拾っていた。
「手伝うよ」
そう言って俺も近くにあった破片を拾い始めた。数分で食器を拾い終わる頃には、俺も自分の足で歩けるようになっていた。
「大事にしてるんだな……」
「うん……ここへ来てからずっと使ってた大事なものだったから………」
そう話す彼女の顔はとても悲しそうに見えた。
「ごめん……」
そう思わず口に出た。
「………君のせいじゃない」
口下手な俺ではどうしようもない雰囲気の中、俺達は牢の扉へと歩く、入口である扉に付いていた南京錠は粉々に砕かれており、扉は開け放たれていた。
「行こう、ボスが待ってる」
しかし俺の足は扉の前で止まる。
「だめだ……俺はまだ行けない」
「どうして?」
「その南京錠を壊してから出ろって流子に言われてるから」
俺がそう言うと、彼女は不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。なにかおかしなことを言っただろうか。
「その南京錠………壊したの君だよ?」
「えっ?」
彼女のその言葉に俺の脳は高速で記憶を処理し始める……が、どうしよう全然記憶にない。
「ちなみにいつ頃壊したかわかる?」
「三日目の朝食を届けようとしたときに痛みで苦しそうにしてた君が苦しんでもがきながら握り潰してた」
「割と最初の方だったのか…………」
というか半年かかるとはどういうことだったのだろうか。あまりにも成長速度をキツく見積もられすぎている気がする。
「確認しにボスも行ったんだよ?」
「あれ励ましに来たんじゃなかったんだ……」
ってことは経過観察でもないし………それはちょっとショックだった。俺は逆に流子の俺に対する期待を甘く見積もりすぎていたのかもしれない。
「まぁ、俺が壊したなら出てもいいか」
なんだか腑に落ちないが、これで元の世界への帰還に一歩前進しただろう。前向きに考えることにした俺は、陰気臭い懲罰房を後にした。
ご意見、誤字脱字等ありましたら是非ともご指摘ください。あとできれば評価も下さい。