あなたと出会えた幸福
シルバーと結ばれたシンシアの話です。
今回はかなり身体が弱い設定になっています。そのほかは本編と変わりありません。
少女は、教団の浅ましい身勝手によって全てを奪われた。
それでも、彼女は必死に生きてきた。
ふと風を感じ、スミレ色の少女は目を開ける。
「大丈夫?シンシア」
「先輩?……あぁ、そうか……」
目の前に担任の顔があり、シンシアは記憶を思い出した。
「また倒れたから、ユーカリが部屋まで運んでくれたんだよ」
「兄様が……申し訳ないことしましたね」
「ううん。君の体調の方が大事だからね」
アイリスはシンシアの頭を撫でる。
シンシアは生まれつき身体が弱い。それは少女が女神の力と引き換えにしたからだ。もちろん、少女自身はそれを望んでいなかったが、大司教の身勝手によって女神ユスティシーの力を引き継いでしまった。
「お湯、持ってくるよ」
アイリスが部屋から出る。シンシアが天井を見ていると、ノックの音が聞こえてきた。
「どうぞ」
短く許可を出すと、入ってきたのはシルバーだった。どうやら薬を持ってきたらしい。
「シンシア、これ殿下から」
「ありがとうございます、わざわざ持ってきてもらって。兄様にもお礼を言っていてください」
シンシアの言葉にシルバーは「俺のことはいいって。あんたには世話になってるからな」と笑った。
シンシアは、シルバーが女性を嫌っているのを知っている。それを表に出せないことも。だから時々、愚痴を聞いてあげているのだ。
「あー、マジで……気色わりぃ」
「またそういった関係で何かあったんですね」
確認すると、彼は「まぁな」と頷いた。
シルバーがこういった悪態をつくのは彼女の前でだけだ。知られているのだから隠す必要はないのだ。
シルバーからすれば、彼女ほど過ごしやすい人はいなかった。同じ「刻印嫌い」で何でも聞いてくれて、素を出しても恐れず近付いてきてくれる人だから。
「……私はあなたに比べたら恵まれすぎていますから、あなたの苦しみとかは完全には理解出来なくて……本当にごめん。相談ぐらいなら乗るって言っておきながら……」
シンシアが謝ると、シルバーは「いいって、それぐらい」と笑った。
「そんなの、教育方針とか男女の違いとかのせいだろ?あんたは子供を産む立場だからな」
特にこの少女の場合、刻印を二つ持っているうえに女神の力も使える。彼女を利用しようとする奴なんてごまんといるだろう。シルバーはただ、本当の自分を見てくれる人がいるだけで嬉しかった。
だが、シンシアはどうしても不安なのだ。
こんな弱い身体だから、いつ戦えなくなるか分からない。前線で戦えなくなったら、自分はどうなるのか。
「あれ?シルバー、来ていたんだ」
アイリスがシルバーを見て目を丸くした。シルバーは「薬を持ってきたんですよ。殿下に言われてね」と笑った。
「そうだったんだね。ほら、シンシア。薬を飲もうか」
「私、そこまで子供じゃないよ……」
子供扱いする担任にして恩人の女性に苦笑いを浮かべながら、シンシアは起き上がって薬を飲んだ。
いつまでこの身体が持つのか、なんて考えながら。
二日後、久しぶりに教室に来たシンシアを皆が囲んだ。
「大丈夫だった⁉」
「えぇ、大丈夫ですよ。心配させてすみません、サライさん」
「あまり無理はするな。お前が倒れたら殿下も心配するからな」
「君もすごく心配していたじゃないか、ガザニア」
あぁ、本当に恵まれているなぁ、とシンシアは思う。こんな素晴らしい仲間達に囲まれて、幸せだった。
それを、遠くで見ていた男子生徒がいた。
夜、シンシアが自室で仕事をしているとノックの音が聞こえてきた。今日は集まる日じゃないのにと思いながら、小さく扉を開く。そこには男子生徒が立っていた。
「こんばんは、シンシア」
「……こんな夜分に何の用でしょうか?」
同じ学級の生徒だということは分かる。だが、来る時間が不自然だ。
〈今、何時だと思ってるの……?〉
既に深夜を回っている。普通の人間ならもう寝ている時間だ。まぁ、ユーカリあたりは分からないが。
「中に入れてくれない?」
「せめて用件を言ってくれません?こんな夜分に何も言わないのは失礼だと思いますけど」
男子生徒は無理やり開けようとしてきたが、シンシアの怪力の前では無意味だ。無駄に馬鹿力でよかった……なんて思いながら無言の格闘をしていると、
「……何してんだ?あんた」
不意に知り合いの声が聞こえてきた。男子生徒の後ろにはシルバーが立っていたのだ。
「女の子の部屋に無理やり入ろうとするなんて、男らしくないぜ?……それとも、シンシアに無体を働こうとしていたのか?」
その場の気温が数度下がった気がする。シルバーは男子生徒の肩にポンッと手を置き、
「少し「話」、しようじゃねぇか」
ニコリと、恐ろしいほど綺麗な笑顔で告げた。
「――その「話」とやらに俺も混ぜてくれないか?」
いつの間にいたのか、ユーカリとアイリス、ガザニアが怖い顔で仁王立ちしていた。兄が「先生、すまないがシンシアを見ていてくれないか?」と頼み、男子生徒をどこかへ連れて行った。アイリスがシンシアの部屋に入ると、先ほどの恐怖が急にやってきてブワッと涙があふれた。
「シンシア、怖かったね」
よしよしとアイリスはシンシアの頭を撫でた。
そのあとの話で、あの男子生徒はシンシアにかなりの好意を持っていたらしく、それがエスカレートしてあの行動になったらしいということが分かった。
「迷惑な話だね……」
それを聞いたシンシアはコーヒーを飲みながらたった一言、それだけ告げた。事実、シンシアにとってはかなり迷惑な話だった。
「まぁ、お前は出来た人間だからな……男に好かれやすいんだろう……」
顔よし頭よし性格よし……ここまでハイスペックな女性などなかなかいないだろう。わが妹ながらかなりすごいと思う。
「いっそのこと、恋人でも作っちまえば?」
グロリオケのその言葉に「恋人、ねぇ……」とシンシアは呟く。正直な話、そんなことは全く考えていなかった。
「……まぁ、そのうちかな」
どうせ興味ないし、なんて思っていると、
「じゃあ、俺と付き合うかー?」
そんな提案をしたのは、意外にもシルバーだった。シンシアは訝しげな目を向ける。
「……殺したいのでは?」
こいつが私にそんなこと言うハズがねぇ、という言葉が聞こえてきそうだ。
「それは悪かったって……。ほら、恋人が出来たらそんなことも少しぐらい減るだろ?」
「そんなものですか?」
興味がない。が、シンシアは今の状態が少しでも減るのならいいかとぐらいにしか思っていなかった。
「シルバー、シンシアと付き合うのなら他の女と別れろ。俺が許さん」
「分かってますって、殿下。皇女様と王子様の妹と付き合うのに他の女性に浮気とかしませんって」
ユーカリが怖い顔をしてシルバーに圧をかけるが、彼は笑って受け流した。
「?私は気にしませんけど」
「シンシア、お前は少しぐらい気にしろ……」
……心配だ。
ユーカリはこの調子の妹を見て小さくため息をついた。
こうして、奇妙な交際が始まった。
他の人達はシルバーとシンシアが付き合うということを不安に思っていたが、彼は本当に他の女性との関係を断ち、シンシア一筋になった。しかも、恋人に手を出してこない。健全な関係を保ち続ける恋人に、さすがに欲求不満が出てきてしまうのではないかと言ったが、
「あんたに無理させるつもりはねぇよ」
そう言って、頭に顔を乗せるだけだった。
舞踏会の日、シンシアは椅子に座っていた。
「シンシア、大丈夫か?」
シルバーがシンシアの隣に来て、飲み物を渡しながら尋ねた。シンシアは「大丈夫ですよ。シルバーさんは踊ってきたらどうですか?」と笑った。
「恋人がいんのに他の女と踊る男がどこにいんだよ……」
「……?でも、私はこの通り踊れませんし……」
今もシルバーと踊りたいと声をかけようとしている女子生徒達が見える。シンシアは気にしないのだから踊ってきていいと思う。
……本当に、気にしないのだろうか?自分は。
シルバーが他の女性と踊るところを想像すると、なぜか心がモヤモヤした。しかし気のせいだと思考の外に放り出した。
「なぁ、シンシア。外に出ないか?」
シルバーが手を出してきたので、シンシアは首を傾げながら「いいですけど……」とその手を取った。
外に出ると、彼は上着をシンシアにかける。
「シルバーさんが寒いでしょう?」
「これぐらいの寒さ、領地と比べたら何ともないって」
まぁ、王国は北に位置するため確かにこの程度の寒さなら大丈夫だろう。
「シンシア、踊らないか?」
突然の提案に「どうしたんですか?それなら他の人と……」と戸惑った。
「ここなら、他の連中なんて気にせず踊れるだろ?きつくなったらすぐやめるからさ」
まぁ、それならとシンシアは了承した。
室内から聞こえてくる音楽に合わせて、ゆっくり踊りだす。
「シンシア、意外と踊れるんだな」
「義賊時代に踊ることがあったので、その時に……」
その言葉を聞いた途端、シルバーはピクッと眉を上げた。
「……他の男と踊ったのか?」
「え?いえ、男の人とは踊ったことはないですけど」
シンシアは高身長だからか、貴族令嬢に誘われることが多かった。一応、護衛として呼ばれているだけなので断るのだが聞かないのだ。
「……そうか」
その答えを聞くと、シルバーは満足げにほほ笑む。表情がよく変わるな、なんてシンシアは思いながら彼を見ていた。
「安心した。もし踊っていたらその男を殺しに行くところだった」
その壊れた思考に、シンシアは苦笑いを浮かべながら「やめてくださいよ」と告げた。シンシアはいつもの口説き文句だと思っていたが、シルバーは本気だった。
――トリストが攻め込んできて、必然的にシルバーと離れることになる。ガザニアとともにユーカリを助け、トリストと戦う。
「シンシア、あまり無理はするなよ」
「大丈夫です、兄様」
心配する兄にシンシアは微笑みかける。
なぜか、シルバーのことを考えると心がモヤモヤした。
そうして五年の月日が経ち、修道院に皆が集まる。シルバーはシンシアを見て、ギュウと抱き着いた。
「あー……会いたかった……」
彼の呟いた言葉に、シンシアは自分も寂しかったことを知った。同時に、なんでそう感じていたのかと疑問に思った。
「シンシア、お茶しようぜ」
シルバーに誘われ、シンシアは頷く。
シンシアが準備しようとすると、「俺が準備するから座っててくれ」とシルバーに止められた。
「カモミールティーでいいか?」
「あ、はい。……その、本当にいいんですか?」
「いいって」
本当に慣れてるなー、なんて思いながらシンシアは見ていた。
「……その、そんな見られたら恥ずかしいんだけど」
「?シルバーさんは慣れているでしょう?」
「あんたなぁ……」
首を傾げるシンシアを見ながらシルバーは頬を染める。
……こっちの気持ちも知らないで……。
シルバーはシンシアに近付き、顎をクイッと上げる。そしてそのまま、唇を重ねた。
「……………………」
離れると、シンシアがキョトンとしていた。今まで口づけなんてしてこなかったからだ。
「……あんたって、本当に鈍感だよな……」
シルバーがため息をつく。なぜここまでやって気付かないのだろうか。
――俺は本当に、あんたが好きなんだよ。
しかし、今まで軽い言葉しか吐いてこなかったシルバーにはそれを伝えるすべがなかった。
事態が急変したのは王都を奪還した直後だった。
突然、シンシアの体調が悪くなり、血を吐いたのだ。慌てて医務室に運ばれ、アンジェリカに診てもらう。
「これ以上は前線で戦えないわ。強力な力があなたを蝕んでいるの」
「……そう、ですか……」
覚悟はしていた。だが、いざそうなると……何とも言えない無力感がシンシアを襲った。
戦えない……。
その事実が、重くのしかかった。
シンシアは療養のために自室で過ごすことが多くなった。日が経つにつれ、なぜ自分がここにいるのか、自分は足手まといになっているのではないかと思うことが多くなってきた。
――いっそのこと……。
ある日、シンシアは近くにあった短剣を持ち、自分の胸に刺そうとした。そうすれば、自分は死ぬことが出来るのだと分かっていたから。
そうして短剣を振り下ろそうとしたその時、
「何やってんだ!」
後ろから抱きしめられた。短剣を奪われ、投げ飛ばされる。抱きしめたのがシルバーだと気付くのに、数十秒かかった。
食事を持ってきたのだろう、扉の前で残骸が散らばっている。
「何、死のうとしてんだよ……!」
「だって……私、戦えない……のに……」
「戦えなくっていいんだよ!むしろなんであんたみたいな幼い子が戦わないといけねぇんだよ!」
それは魂の慟哭に似ていた。
「俺、あんたが好きなんだよ……!頼むから、死なないでくれよ……!」
唯一、刻印などで自分を見ずに、「シルバー=ゴード=ヴァルキリー」として見てくれた彼女を、失いたくなかった。
シンシアは涙を流した。今まで耐えてきた痛みが、どんどん溢れ出てくる。
「……私も、好き……」
不意に出た言葉は、少女の本心だった。
トリストを倒し、一年後。シンシアはシルバーのもとへ嫁ぐことになった。
「叔父様、領地を任せてすみません」
「構わないさ。お前には幸せになってほしいからね。……たまには、戻ってくるんだよ」
テレンスは姪の頭を撫で、見送った。
ヴァルキリー家にユースティティア令嬢が嫁いできたことに、領地内の人々は喜ぶ。
「シンシア、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、シルバーさん」
戦争を乗り越え、無事に結ばれた二人は領民達が羨むほど仲睦まじかった。シンシアは女神の力のせいでその力が失った後も身体が弱いままだったが、その聡明さと元来のお人よしのおかげですぐに慕われる辺境伯夫人になった。
一年後、二人の間に男の子が生まれた。息子はスターチスと名付けられた。
「シンシア、ありがとう……」
シルバーは涙を流しながら、愛しい妻を抱きしめる。自分にこんな幸せが許されるのかと思うほどに、幸福だった。
シンシアは子供を自分で育てた。身体が弱いので一人では出来ないこともあるが、
「シンシア様、お手伝いしましょうか?」
「ありがとうございます。では、これをしてくれませんか?」
そうやって使用人の手も借りながら、シンシアは四人の子供を育てた。
しかし、末娘……アイビーが六歳になった時、シンシアは息を引き取った。まだ、五十にも満たなかった。
シンシアが亡くなる前日。死を悟ったシンシアは旦那を呼ぶように言った。シルバーが来ると、シンシアは「ごめんね」と謝った。
「私、最後まであなたを支えることが出来ないの」
その言葉で、シルバーはもうすぐで妻が亡くなるのだと気付いた。
「でも、あとを追ってこようとは思わないでね。あなたは私の分まで、あの子達を見守って。私、ずっと待ってるから」
「……っ、あぁ」
シルバーはあの時から変わらぬ妻を抱きしめた。それが、彼らの最後のふれあいとなった。
次の日、シルバーと子供達に見守られ、シンシアは息を引き取った。辺境伯夫人の訃報を聞いた大陸の人々は皆、涙を流した。
シンシアの葬儀が終わり、シルバーは妻の手記を見つける。中身は子供達の成長を喜ぶものやユーカリ達と過ごした日々だった。そして最後のページには、
『あなたと一緒に生きることが出来てよかった。ありがとう。愛してるよ、シルバー』
そう書かれていて、シルバーは泣いた。ここまで妻に愛されていたんだと、実感出来た。
「パパ……」
アイビーが父の足を掴む。シルバーは「大丈夫、父上が絶対に守ってやるからな」と妻によく似た忘れ形見を抱きしめた。
それから二十数年後、シルバーは床に臥せていた。
――あぁ、もうすぐそっちに行くからな。シンシア。
シルバーは愛する子供達と幼馴染に看取られ、眠るように事切れた。
光の中から、小さな手が伸びる。ずっと戦ってきたせいで少しボロボロなその手を、シルバーが見間違えるハズがない。それを掴むと、強く引き上げられた。
「お疲れ様、シルバーさん。私の代わりにあの子達を見守っていてくれて、ありがとう」
そこにいたのは、やはりあの時と変わらない姿の愛しい妻。自分の手を見ると、在りし日の姿であることが分かった。
シルバーはシンシアを抱きしめる。シンシアも抱きしめ返した。
「会いたかった……」
「……私も、あなたに会いたかったよ」
二人に、柔らかな風が吹いた。
子供達の話では、父はとても安らかな表情を浮かべていたという。
スターチス……「変わらぬ心」「途絶えぬ記憶」
アイビー……「永遠の愛」「友情」「不滅」「誠実」




