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8:真実の姿

   8:真実の姿



 祭壇の裏に設えられた、凍えた空間。 隠し扉を開き、入室できる者は限られている。


「キサ殿」


 恰幅よい白髪白髯の老人は、部屋の中央に腰掛ける老女へ、ゆったりとした足取りで近付き、やや離れた位置で歩みを止めると軽く頭を下げた。

 老女の前には、銀で拵えられた檻があり、中には黄金の毛並みの有翼獣が、額と背から血を流し横たわっていた。 檻の表面には隙間なく、紋様のような古文字の呪句が刻まれている。


「それ、はまだ使わないのですかな?」


 白髯の老人、キトナ大神殿の長である大神官オリ=オナは、無感情な言葉をキサと呼びかけた老女の背にかけた。 キサは振り返ることも、言葉を口にすることもなく、ただじっと、檻の中で横たわる獣を見つめている。


「キサ殿――いや、〈狩り人〉の束ねであり、〈聖神聖教(シン・エルナイ)〉再興に尽力する〈総帥〉、とお呼びした方が宜しいか? ――それとも、かつてティルナ精霊王殿にて、長きに渡り巫子長を務められ、かの〈精霊王〉シーラに、直に接されたこともおありという、大巫子キルセ=サニア――そう、お呼びした方が宜しいかな?」


 オリ=オナの言葉に、キサはゆるりと顔を上げたが、振り返ることはしない。


「――名など、好きに呼ぶがよろしい。 それより、このグリフィスの主を捕らえたというのは、(まこと)か?」


 キサは再び有翼獣に視線を落とすと、膝の上で合わせていた手を解き、銀の檻に右手をかけ立ち上がる。


「西翼の独房棟に。 形ばかりは、大人しく従っておったようですが、どうやら、既に事態が生じているようでしてな。 先程異変の報せが届きましたゆえ、剣士共を差し向けております」


 オリ=オナは、立ったまま動かぬキサの背を見据え、僅かに笑む。


「――が、どうなりますやら。 貴女ですら、かの者の真の正体、把握されていないという。 たかが寄せ集めの無頼(ごろつき)共に、かの者を捕らえられるとは思えませぬが――その有翼獣の額の眼を潰すことで、エラノールの動きはまこと、抑えられますのでしょうな?」


「少なくとも、一時の時間は稼げよう。 聖獣の第三眼は、その主たる騎士のいまひとつの眼。 この眼を透して、離れた地の様子を知ることができると云われている。 このグリフィスの眼を通し、この地下の様子を、この部屋を、我等を、知ることは出来ぬ。 だが――」


 キサは言葉を切ると、オリ=オナの顔に視線をゆっくりと移す。 白髪を背中でひとつに束ねたその姿は老いてはいる。 この年七十七になるオリ=オナよりも、遥かに長い時間を生きている女。 しかし、そのような歳月を感じさせない、むしろ、ふとした瞬間には若さすらも感じさせる。 過ぎた歳月を超越した、不可思議な雰囲気を、キサという女は(まと)っている。


「何か、心に掛ることがおありか?」


「――いや。 それよりも、他にも何か、この地下に進入したものがあるであろう? 更に、聖獣。 相当な力を宿す存在が活動をしておる。 先刻、その力の(ほとばし)るを感じた。 あの岩牢には、もうさしたる獣は残っておらぬと、そなた、言っておらなかったか?」


「そのグリフィスを最後に、あとはクズのような出来損ないの聖獣くずれ、だったようですがな」


「オナ殿には出来損ないに見えた獣の中に、とんでもないものが残っておった、とわたくしには思える」


 静かな灰色の瞳で見つめるキサを、オリ=オナも無表情に見返す。


「もしや、そのような聖獣がいたとして、そのグリフィスを捧げれば、現在の〈御方〉には十分な力となりましょうに、何故、その有翼獣の血を摂ること、貴女はそこまで拒まれるのか」


「わたくしの質問に答えてから、その問い、するがよい。 この地下に入り込んだ者が、おるのだな?」


 声を大きくしたわけではないが、キサの言葉には、オリ=オナをも制する力があった。 オリ=オナは、僅かに息を吐き出すと、キサの顔を見据え言葉を続ける。


「――確かに二名、侵入者がおるようです。 一名は、〈御方〉の新たな〈器〉とする娘。 あともう一名は、半人の男の伝達が曖昧で確たることは言えませぬが、同じく子供。 しかも、恐らくは闇中の行動に苦を感じぬ――闇を見透かす眼を持ち、かのエラノールと、縁ある者」


 キサは眼を開き、オリ=オナへ歩みより、自分を見下ろす黒の瞳に焦点を定める。


「闇を見透かす眼を持つ、子供? あのエラノールと縁を持つ、とは、何を以ってそのように思い至ったのか?」


「これは私の推測ですがな、どうも、その子供はかなり大粒の、オスティルの付いた短剣を所持しておったようでしてな。 ご存知であろう? 魔物、それに準ずる存在は、かの貴石の放つ光を怖れる。 半人の小者は光に(おのの)き、逃げ帰ってきたのですよ。 そのような強い光を放つオスティルは、そう誰もが所持できる物ではありますまい?」


「――精霊王殿……いや、精霊王直属の者にのみ与えられる」


「そう。 貴女が私に下された、この指輪のオスティルもそのひとつ。 しかし、恐らくはそれ以上の石であると、私は思いましてな。 そうなると、その所持者は自ずと、知れる」


「あのアラスターが、他者へ与えた? ――その者とは――……」


 目を細め言葉を止めたキサへ、オリ=オナは更に数歩寄る。 大柄な男の身体の一部が視界に入るや、キサは眉根を寄せた。 オリ=オナの袖口と指先に、極僅かではあるが、赤い染みを見付ける。 明らかに、血痕。 有翼獣の流す血の香に紛れ、今の今まで気付かなかった。


「――そなた、何者を殺めた?」


 キサの険しい言葉に、オリ=オナは僅かに眼を大きくした。 キサの視線の先にある染みに気が付くと、己も僅かに眉を顰め、埃でも払うように数回叩く。


「これは失礼をした。 エラノールを獄へ案内させた者が、戻ってからこちら、私にいつまでもしがみ付き、訳の分からぬことを言い立てましたので。  返り血が付くとは不覚。 私の腕も鈍りましたな」


 僅かに笑みを漏らし、手巾で指の汚れを拭きとるオリ=オナを見据え、キサは表情をより険しくしていく。


「それは、あのトマと申す修道士か? 〈狩り人〉の小隊を預けておった、あの蝦蟇(がま)のような男であろう? あの者が、そなたに何を言い立てた?」


「おお、正にそのトマと申す者です。 〈総帥〉の貴女が、そんな下の者まで覚えておいででしたとは、あの者も光栄でありましょうな」


 キサの意外な反応に、オリ=オナは興味を引かれ、はぐらかす様に言葉を口にした。


「わたくしの問いに答えよ。 そのトマという修道士は、そなたに、何を、言った」


「――〝再会を祝して、杯を交わしたい〟――そう、エラノールより伝言を頼まれたと」


「伝言は、それだけか?」


 キサの強い語気に、オリ=オナはやや圧されたように答える。


「――〝酒〟は、あの者が用意するが、〝杯〟はこちらで用意するようにと――。 如何なる思惑の言葉か判りませぬが、言葉だけを聞けば、我等に協力するというようにも取れますな」


 オリ=オナを睨み据えていた視線を、キサは袖口から指に残る血痕、そして、檻の中の有翼獣へと廻らせる。


「そのトマという修道士の行動、何や異常でもあったのか? 殺めねばならぬ訳は、何処にあった?」


「そう、ですな。 やや呂律がまわらず、眼は焦点が定まらず曖昧でしたな。 言動も、常にない不安定さが所見され、軽微な興奮状態が続いておりましたが、エガは、精神を麻痺し狂わせる猛毒。 その香が焚かれた室に一定時間おれば、常人ならば自力で報告に参られただけ、使えたというもの。 他の随行者は、戻ったなりどれも息絶えたようですからな。 トマめも、袖にしがみ付き、いつまでも付き纏いさえせねば、もう少しは命長らえたでしょうがな」


「トマだけが、その状態であれ生き残り、そなたに、付き纏った――」


「この室内へまで付いてこようとしましたのでな。 いくら制止してもしがみ付き離しませぬゆえ、仕方がありますまい」


「――では、殺めたは、祭壇か?」


「いま、片付けさせておりますゆえ、貴女が不快なものを目にすることはありませぬよ」


 オリ=オナはゆったりと笑んでみせたが、キサは、その笑みを拒むように眼を伏せた。


     ***


 青白い炎が闇を裂き、地下通路には凍えるような光が溢れる。 闇に潜み、侵入者を捕らえ喰らう魔物や、セナが放っている死獣は次々と青炎に焼かれ、一欠けらの骨も残さず灰に帰していく。 ラスターの歩みを妨げる存在は、何ひとつなかった。

 ラスターの指先まで綾どる暗赤の刺青は、現在赤金に輝き、それと同じ輝きがラスターの額からも発せられている。


「――ガーラン」


 呼びかけに、何の応えもない。

 ラスターの呼びかけに、ガーランが応じないことはまずない。 応じない理由は、意識を全く失っているか、生命を失っているか――そのいずれかしかない。

 わずかに瞳を細めると、右方に伸びる通路へ視線を移す。 視線の先には、数人の修道士が燈芯草の微光を手に、いずれも恐怖に顔が強張らせ、化物でも見るような、怯えた憐れな眼をし立っている。 可能ならば、すぐにでもその場から駆け出したいに違いない。

 そんな修道士達の背後から、ふいに、ふたつの笑い声が上がる。


「気の小せえ修道士共の勘違いと思ってたが、まさか本当だったとはな。 しかしよ、どうやってあの獄舎を抜け出したんだ? しかもあの光は何だ? 炎か? 嫌な青い色をしていやがる。 そもこの辺りの地下通路には、火の気はないんじゃなかったのか?」


 修道士達の前に、剣士と見られる男が二人進み出た。 剣士達は、せせら笑いを漏らしながら、舐めるようにラスターへ視線を置いている。 先に口を開いた褐色の肌の男の言葉を受け、いま一方の金髪の男は冷ややかに笑い、修道士達へちらと視線を向ける。


「さしずめ、扉の閉め方でも悪かったんじゃないのか? さもなけりゃ、老いた建物のことだ、錠が壊れてでもいたんだろうさ。 修道士共は、祈る以外の脳をもたん輩だ。 こんな女みたいなのが、あの扉を打ち壊す事なんぞ出来るものか。 錠が壊れていた。 なあ、そうだろう、別嬪(べっぴん)さんよ?」


 あからさまな嘲りの言葉を投げつけた後、金髪の男は視線をラスターへ戻す。


「――私に、用か」


 抑揚のない短い言葉を口にすると、ラスターは二人の剣士を一瞥した後、後方の修道士達へ視線を向けた。 修道士達は、その視線に小さな悲鳴を上げ、剣士達の背後の、更に奥へ奥へとじりじり下がって行く。


「これはつれない御言葉ですな。 御尊名は存ぜぬが、騎士殿。 貴殿をお迎えに上がったんですよ。 何処に属されているかは存ぜぬが、お若い。 その年齢で騎士に叙せられるとは、よほど、腕が立つと見える」


「しかもよ、滅多にない美人だぜ? まるで神像の女神、いや、あれは男か? どちらでもいいが男には見えん。 ちょいと昔の女騎士に、めっぽう好い女がいたって話を聞いたことがあるが、俺はあんたでも十分だぜ? こんな美人の騎士様にお手合わせ願えるなんざ、俺らみたいな田舎剣士にはそう有り得んことだ。 末代までの自慢話になる」


 褐色の肌の男より、頭半分背の高い金髪の男は、舌なめずりをしながらラスターを舐るように見ている。


「トト。 行く先々で種蒔いてるてめぇの末に伝えるなんざ、大事なだけだろうが。 やめとけ」


 トトと呼ばれた若い金髪の男は、淀んだ暗い目でラスターを見据え直し、途切れ途切れにせせら笑いをする。


「一晩に二・三を相手にするナプリ、あんたよりゃマシだろうが。 ま、なんにしたってよ、こんな機会はそうそうはない。 こいつら騎士――取り澄ました〈方円の騎士団〉の奴等は、俺らのような剣士を見下してやがるからな。 何度煮え湯を飲まされたか知れねぇ。 ここで、そいつをぶちのめすせたらよ、今夜の酒は、極上の美酒になるだろうぜ」


「まあ、気持ちは分るが、とことんぶちのめすのは、また別の機会だ。 いまは〝なるべく傷を付けず〟捕らえることが優先だ。 一・二発殴るくらいですませておけ。 なんせ、相手は俺らだけではないからな」


 ナプリというやや年嵩の男が、薄笑いを浮べ顎を軽くしゃくると、ラスターの後方に、八人の剣士が現れた。 その更に後方にはやはり、数人の修道士が続いている。

 新たに現れた剣士達は、自分達が立つ通路の方々で波打つように蠢く青炎に、多少の戸惑いを覚えているようだが、目の前に立つ、白い衣に身を包む青年騎士に視点を定め、気の早い者は既に鞘を払い去っている。


「どうだ? 俺達はあんたを捕らえ戻せと命じられているだけだ。 大人しく元いた牢に戻ってくれれば、手荒なことはせんさ。 あんたはいま、丸腰だろう? いくら腕に覚えがあろうが、この狭い場で、しかもこの人数相手だ」


 ナプリが、ラスターに横目で回答を促す。 ラスターはその問いに答えず、ゆっくり、ナプリらへ向かい歩み始める。


「素直に従うか? さすが、馬鹿ではないな」


 ナプリの前に歩み出たトトが、冷ややかな笑いを浮べたまま、数歩先で立ち止まったラスターを見据えた。


「あんたの、実際の腕前がどの程度か知らんが、俺達は騎士なぞになっていなくとも、腕はそれ以上のものを持っているさ。 戦場で、現実に、剣を振るい続けた実戦のな。 お前らみたいな、戦には参戦しない、形ばかりの剣士とは違う。 ここにいる奴等には、あのアドラやトルサキア殲滅の戦に参加した奴等もいる。 甘く見なかったのは、実に懸命なことだよ」


 トトの言葉など耳に入らぬように、ラスターはその背後のナプリ、修道士と見た後、ゆっくりと頭を巡らせ、背後に立つ剣士達を一瞥し、ようやく最後に、トトへ視線を定めた。

 冷たい天青の瞳が、貫くようにトトの眼を見据える。 立ち止まってから、一切言葉を発せず、動く様子も微塵にみせない。


「従ってもらうからには、縛らせてもらおう。 壁に向かい、手を上げな」


 背後の剣士の一人が、抜いていた剣をラスターの首筋に付けた。 だが、ラスターはなおも微動だにしない。 ただトトの眼を見据え、口を結んだままでいる。


「聞こえなかったのか? 手を上げろ、と言ったんだ」


 トトの苛立ちを含んだ声に応じるように、背後の剣士は刃を、ラスターの首へより強く押し当てる。 それでもラスターは動く事なく、その白い顔にふっと、微笑を浮べた。


「――言うべきことは、言い終えたか?」


 ラスターの声が、通路内に透る。

 トトを始めとする、その場にいる全ての者は、その言葉の意味を解する事が出来ず、呆然と声の主を見詰めた。 ほんの僅かの間の沈黙。 それから、ひきつった笑いが、トトの口から漏れる。


「さすが騎士様は違うねえ。 この状況で、剣を背後から突きつけられても、その余裕の態度。 しかも、こりゃぁ女以上だ。 その微笑はまるで、男を誑かし迷わせ、破滅へと誘う魔性の笑みだ。 いいな。 いいよ、その挑発的な眼も、なかなかゾクゾクさせてくれる。 これは、央都のどんな高娼より、いい思いをさせてくれる予感がするぜ」


 トトは舌なめずりをすると、柄に手をかけ、目を細める。 一連の様子を黙し見ていたナプリは、ラスターの余裕に違和感を覚えた。 トトの肩に手を置き、その動きを制止する。


「何だ?」


「焦るな。 奴は――何かがおかしい」


「ナプリ。 毎度の〝勘〟ってやつか? イリの民は迷信を信じるという話は聞いていたが、その勘とやらは、あんたらの国の神が与える、天啓ってやつか?」


 ナプリは一瞬、険しい眼でトトを睨んだが、直ぐにラスターへ視線を戻すと、その手に暗器が隠されていないか見極めようとした。

 ナプリの危惧を察したラスターは、掌を露わにし、無造作に突き出して見せる。


「そなたらの思うような武器の類は、何も携帯してはおらぬ。 私はあの牢とやらに入れられるに際し、全身を調べられている。 何を隠し持つ事が出来よう?」


 ナプリは背後の修道士達に視線を送る。 修道士の束ねと見られる老齢の男が、ぎこちなく頷く。


「ナプリ。 そんな心配をしていたのか?は、用心深いにも程がある。 例えこいつが暗器を隠し持っていたとして、俺ら全員をどうにかできるとでも思うか?」


「そんなことではない。 気が付かないか? あの男の手の模様。 僅かだが赤い光を帯びている。 あれは――」


 全身に緊張を廻らせるナプリが、視線で示すと、トトを始めとする、周囲全ての者達の視線が、ラスターの手の綾に集まる。

 それらの視線を受け、ラスターは更に艶やかな笑みを見せる。


「これが、気になっていたか。 安心するがいい。 これは、私を縛めるものだ。 同時に――」


 突き出していた両手を、ラスターは軽く握り胸の高さまで持ち上げると、ゆっくりと開いてみせた。

 開かれた掌の上で、青白い炎が獲物となる存在を求め燃え盛る。 明らかに炎としか見えぬそれは、だが、氷のように凍えて映る。 青い冷たき(ほむら)は、餓えた肉食獣のように、揺らめき、解き放たれるのを急くかのように、ラスターの掌の上で激しく(うごめ)く。

 炎の出現と共に、ラスターの首筋に当てられていた剣が蒸気を上げ、瞬く間に形を失う。 剣を手にしていた男は、手に突然感じた鋭く刺さる痛みに、視線を剣手に落とす。 手は、大火傷を負ったかのように、爛れ、皮が剥け、垂れ下がり、処々骨らしき物が覗き見えている。 剣士は全てを見終えた後、間の抜けた悲鳴を上げ、手を抱えるように蹲った。

 場を包む緊張の糸は、極限にまで張り詰める。


「……無の炎――? あ、れは〈炎帝の青き焔〉――……」


 年嵩の修道士の口から、呻くような、怯えた言葉が絞り出される。 その言葉に、周囲の修道士達に恐怖のざわめきが広がる。 修道士達の様子に警戒を強くした剣士達は、一様に顔を強張らせ、鞘を払いそれぞれに構えを取った。


「おい、その無の――〈炎帝の青き焔〉ってのは何だ? 魔術の類か? 妖のまやかしか?」


 ラスターから目を外すことなく、トトは修道士達に鋭く質問を飛ばす。 その問いに、ナプリが硬い声で応える。


「精霊……火の精霊の王。 四王いるといわれる火の精霊の中で、最大の力を持つと云われる、炎の帝王のことだ」


 トトは僅かに眉根を寄せ、ラスターをより険しい眼で見る。 周囲の剣士達の間にもざわめきは広がり、次第に大きく、騒がしくなっていく。

 ラスターは、己に寄せられる怖れと嫌悪の入り混じる視線を受けても、何ら変わることなく淡々としている。 ただ、その表情から笑みは消え、トトを見据える青の瞳が、深い輝きを増した。


「精霊だ? それがなんだというんだ? 目に見えん、在るか無いかも不確かな存在を怖れ、惑わされるなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。 ナプリ。 あんたも年だな。 やる気が無いのなら、失せろ」


 トトは剣を構えると、低くい声で唸るように吐き出す。


「仲間の言葉には耳を傾けるものだ。 私は、このような場で刻を費やすつもりは無い。

命惜しむ者は退がれ。 最後通告だ。 さもなくば、何者であれ、阻む存在として、この炎に喰わせる」


 ラスターは、トトが制止する間を与えぬ速さで左手を横へ払う。 青白の炎は蛇の如くシュルとラスターの手から伸び、ラスターを囲むように幾重もの渦を巻き、他者を威嚇するかのように、時折、炎の触手を剣士達に向かい伸ばしては、獲物を捕らえる機会を計っている。

 青炎の流れる動きを目にしたことで、修道士達は個々に悲鳴や奇声を上げ、我先にと通路の奥へと駆け出したが、長衣の裾を踏み(つまづ)く者に、後に続いた者が重なるように倒れていく。 修道士達の動揺は、一部の剣士たちにも伝染してゆく。 歳若い剣士の中には、僅かに後退り始める者もいる。


「ちっ。 どうしようもねぇクズ野郎共めが。 この程度の炎なんざ、戦場の比でもあるめえに」


 ジリジリとラスターとの間を計り、トトは獲物を前にした興奮に目をぎらつかせ、歯を剥きだし笑っている。

 対象的に、ラスターは冷めた眼差しをトトへと向けている。 その不敵とも思える眼差しに、トトは挑発され、ラスターへの一撃へと走った。


「やめろトトっ。 こいつは俺達の相手できる――」


 ナプリの叫びに近い制止の声。

 その声と重なる、いまひとつの声。 それは、声というより絶叫。 激痛に悶える者の、狂気に近い叫び。

 その場にある者達は皆、息をすることすら忘れ、その光景に目を奪われた。

 直前まで、目の前で動いていた青年が、青い輝く光――炎に包まれ、瞬間、その姿は眩み見えなくなる。 消えた姿を、人々は青炎の中に見出す。 正確に言えば、人間であろう物の影絵。

 先の叫びは、今は既に聞こえはしない。

 青炎の中で人の形をしていた影は、棒状の不確かなものへと形を変え、蒸発するように、蠢く青い炎の中で消滅した。

 全ては、瞬く間の出来事である。


「――次は、如何いたす?」


 ラスターは表情を変える事なく、背後に続く剣士を見据えた。

 その視線を最先に受けるナプリが、ごくりと唾を飲み下した後、ラスターの瞳を見返す。

 青い炎蛇に護られ立つ、何よりも青く澄んだ瞳を持つ青年騎士。


 噂に聞いたことがある。

 聖都ティルナにある、一人の存在。

 五人いる神エランの長兄、シーラの血を受け継ぐという至上の存在。 ある時を境に、その者は騎士を志したと。 〈方円の騎士団〉創始の一人である、騎士セラムの薫陶を受け、その腕は、見る間に騎士団一のものとなり、当然の如く、聖騎士に叙せられた。

 その姿は、精霊王シーラを映したかの如くとも、陽の神ソルギムの如く、黄金に輝くとも云われ、永遠の時を、生きている――。


「――まさか、精霊王殿の……聖騎士。 伝えのあの、アラスター=リージェスか――」


 ナプリの、硬く僅かに怯えを含んだ問いに、ラスターは微笑を浮かべ、視線を向ける。


「――ただ、神殿に出入りする程度では、それ、を知らぬ。 同名の騎士とて、他にも存在する。 そなたも元は騎士。 しかも、長きに渡り生真面目に勤め、僅かばかりの伝えを知らされる程、神殿が信を置いた者――仕え先は、さしずめ、西都」


 ナプリは何も答えず、ラスターの動きを注視している。  他の騎士達は、二人の会話の行方が見えず、大半の者がじっと動けずにいた。 その場を動かない理由は怖れだけではない。 仲間の死を目前にし、ある者は怒りをふつふつと増大させ、そして突如、爆発させる。

 比較的年若い三人が、前方から一人、後方から二人、一斉にラスターへ突進をする。

 ナプリは声を上げようと口を開ける。 しかし、その声の発せられる前に、三人は青炎に包まれ、消滅する。


「いま一度言おう。 退け。 さもなくば、消滅させる」


 ラスターの青の瞳が、炎の輝きを映し妖しい光を帯びる。


「お止め」


 背後から、ふいに女の声が響く。 年齢の計れない、凛と張りのある、力を持つ声。


「貴方の目的は、わたくし。 ――そうでありましょう? アラスター=リージェス」


「――都合もあろうゆえ、こちらから出向くつもりでいたが、その方から参るとは。 足労をかけたな――キサ」


 ラスターはゆるりと、顔を声の主へと向ける。

 黒の長衣に身を包んだ白髪の老女が、未だ消えぬ青い炎を足下に、静かな笑みを湛え立っている。


挿絵(By みてみん)

次回、〈9:困惑〉に続きます。

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