5:逃走
今回も文末に、嫌がらせのように大きな挿絵があります。
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5:逃走
ようやく辿り着いた鉄扉の取っ手に手を掛けた途端、五尾の白狐がカラの左腕に喰らいついた。 足には何匹もの大鼠が、鋭い歯を立て齧り付いている。
「いっ、痛いっ――は、離せ――よっ」
カラの叫びに応じるかのように、手に握っていた羽根が紅い炎の如き光を放った。
その光に怯えたのか、喰らい付いていた獣達の口が緩んだ。
カラは目を固く瞑ると、右の拳で思い切り狐を殴り飛ばし、足の鼠達を紅く輝く羽で叩き落とすと、鉄扉を三分の一程引き開け、身体を滑り込ませ素早く閉めた。
地下道内に幾重にも反響する鉄扉の開閉音が、痛みに鳴き叫ぶ狐の声を、僅かだがカラの耳から遠ざけてくれた。
「こ、これで、少しは――休める、かな」
カラは手に握る紅金色の光を放つ羽根を見つめながら、大きく息を吐いた。
いったい、ここまで何頭の死獣を殴り飛ばしたか分からない。 カラの拳には殴りつけた獣の血がこびりつき、白い肌を赤黒く染めている。
いくら投げ飛ばしても、いくら打ち据え払っても、獣達は次々と湧き出し、カラを何処までも追いかけて来た。
力の加減をする余裕などはなかった。
動けないようにするには、二度と動けなくする――再び殺す、しかなかった。
力任せに殴りつけた結果、頭を砕かれ絶命した犬や狐、そしてあの狼の姿が、目に焼きついて離れない。
生きている獣と変わらない苦痛の叫びを死獣達は上げ、いずれの獣も最後はびくりと痙攣をし、動かなくなった。
「――う……――っ」
自分が殴り倒した獣達の姿が脳裏に浮かび、カラは吐き気を覚えた。 酷い胸焼けがして堪らない。 喉はカラカラに干乾び、熱い。
「うぅ――……」
俯くと、瞳に溜まった涙がこぼれ、ぱたぱたと床に染みを作った。
死獣達はとうに死んでいる。
動くのは、術に操られているからであって、痛みも何も感じはしない――。 そう自分に言い聞かせ、獣達を力で払い続けた。 しかし、死獣達は殴られる度に悲鳴を上げ、負った傷からは、どす黒く粘り気はあるものの、血に近い液体を流した。 そんな生きた獣に大差ない反応が、カラを苦しめた。
「――全部、あいつが悪いんだ。 あいつが、獣達をこんな……こんな――」
セナと言う操骸師の、血の気の無い髑髏のような顔が浮かんだ。
拳に力がこもる。
――憎い。 憎い。 あんな奴、――シテシマエバイイ。 イマノボクナラソレハ
キットデキル――。
これまでに感じた事のない程熱く、滾りうねる様な感情が、胃の辺りで蠢いている。
それは生き物のように、上へ上へと突き上がり、外へ出たがっている。 これを解き放ってやれば、きっと、ドロドロとした不快な思いも消えるに違いない。 この渦巻くような荒い感情に身を任せたら、きっと、何もかもが上手くいく。 何故だか分からないが、そう思えてならない。
「――そう、だよ」
ふいに、笑いが込み上げてきた。
「そうだよ――あいつを、探そう。 あの、外にいる死獣を使ったら、奴の所へ、どいつかがオレを、連れて行けるんじゃないのか――?」
ゆらりと振り返ると、カラは閉じた鉄扉に手を伸ばした。
手が冷たい、黒い扉に触れようとした瞬間、手にしたままの羽根が再び鮮紅の光を放ち、光はカラの身体を包み込んだ。
カラは紅い光の波に飲まれ、ほんの僅かの間、息をすることができなかった。
光の波がひき、息が出来るようになると、カラは胸が焼ける感覚に見舞われ、間もなく胃液を吐き出した。 何も吐き出せる物がなくなると、先程までの荒々しい感情の昂ぶりも、洗われたように薄らいでいた。
「――胃液と一緒に、吐き出しちゃったのかな。 うぇ。口の中が酸っぱ苦いや――」
口元を袖口で拭いながら、カラは扉に背を持たせ掛け、ずるずると滑り落ちるように座り込んだ。 全身に負った傷の所為で、何処もかしこも痛くて堪らない。
「いてて。 これ、唾つけて息吹きかけたくらいじゃ、どう考えても、治らないよなぁ……」
諦め半分で、カラは狼に噛まれた左腕の傷に息を吹きかけた。 幾度か繰り返すうち、痛みは随分と和らいだが、かすり傷のようには消えてなくなりはしなかった。
「ま、ほとんど痛まなくなったから、いっか。 ――でも、全身に息吹きかけるのは――やっぱり無理だよなぁ……」
カラは治療を諦めると、何もない天井を仰ぐように見上げ、足を投げ出した。
熱く脈打つ傷の痛みに眩暈がする。 このまま横になって眠ってしまいたかった。
伸ばした膝を抱え、頭を埋めようとして、カラの手は左肩の傷に触れた。
蛇顔の男に負わされた傷。 アルが、悪態を吐きながら治療してくれた傷――。
首からは、アルがかけてくれた銀細工の鎖が下がっている。 その先には、淡い光を宿すユーシュが揺らめいていた。
カラは唇を噛んだ。
鼻がツンと痛くなり、涙が溢れそうになったが、慌てて目を擦り、鼻をすすった。
「――アル……」
*
アルが大鹿の背に乗せられ闇に消えた後、カラは赤い眼の死獣達に囲まれ、身動き取れずにいた。
セナが手を水平に動かすと、死獣達はカラを取り囲み、それぞれに威嚇の姿勢を取り唸り声を上げた。 二匹の大狼を先頭に、鼠、猫に狐、鴉、更には巨大な熊や大角鹿等、ありとあらゆる獣が、赤い虚ろな眼でカラを見据えていた。
「こらこら。 お客様を怖がらせてはいけないだろう? もっとにこやかに、お迎えをしなくちゃだめだよ」
セナは、雲の上でも歩いているかのような、ふわりふわりとした揺れる歩き方でカラに近づいてきた。 セナと入れ替わるように、カラを取り囲んでいた死獣達は引く波のように四方の闇に消え、二匹の大狼だけがいつでもカラの喉笛に喰らい付けるよう、頭をを低くした体勢のまま残った。
「改めて、こんにちは、かな? ここは一日中闇の中だから、時間の感覚がないんだよねぇ」
眼鏡を押し上げながら近づけられたセナの顔は、遠目に見ていた時の印象より若く、三十台半ばといったところだった。 間近で見ると、よりいっそう生気のない、血の気の失せた顔色で、肌は、どこもかさかさと細かな皺が寄り、髪も湿気た枯れ草のように、艶無くごわごわとしていた。
「――おや、君。 ひょっとして男の子? あんまり小さいし、色白だから、あの娘さんと同じ可愛い女の子かと思っていたよ」
セナがあまりに正直な驚きの声を上げたため、カラも素直に腹を立てた。
「な、なんだいっ、あんたの方がもっと青白いじゃないかっ。 肉の付いた骸骨みたいな顔してるじゃないか。 背だって、ひょろ長いばっかりで、男のくせに、てんで弱そうじゃないかっ」
ムキになって言い返すカラを、セナは面白そうに、観察するような目で見ていた。 その覗き込む瞳が、自分と同じ金色だという事が無性に癇に障った。
「アルを何処へ連れて行ったんだよっ。 返せ、アルを返せよっ」
カラはセナを睨み上げた。 眼力に殺傷力があるのならば、殺せるくらいの憎しみを込め睨みつけた。
セナは、カラのその視線がまた楽しいといわんばかりに、口を左右に引き笑った。 笑うと顔中に細かなシワが生じる。
「君、ひょっとして《影》を喰われたんじゃないの? その身体、そのせいで透けているんだろう? その割には、元気に陽の下で生きていたみたいだね。 君からは陽の匂いがするもの。 《影》を喰われると、光には耐えられずに、闇に溶け込んで、自我なんてなくなるって、聞いたのだけど。 ああ、君、何か護りを持っていたんだ。 君が未だに〈君〉であるのは、その護りのせいかな? 薄い光の膜が君を覆っている。 でも、今君を包んでいるのは残りカスだ。 君、その護り、ひょっとして失くした?」
セナはカラの身体を、じっくりと、値踏みするように上から下まで幾度も眺めた。
「あ、あんた、何言ってんだよ」
「ああ、なんだ。 まだ《影》が少し残っているね。 なるほど。 だから、自我が残っているんだね。 随分半端な喰われ方だ。 呪いをかけた相手は、今頃、大変かもしれないな。 知っているかい? 呪いってのはね、かけ損ねると、かけた術者の方が大きな痛手を受ける場合があるんだ。 君にかけられた呪いなんて、正にそうだよ。 可哀相に、弱っているかもしれないな、そいつ。 ああ、そういえば、君の名前をまだ聞いてなかった。 ね、《名》はまだあるのかな? それとも、喰われて思い出せないのかな?」
セナの問いに、カラは喉が詰まった。
何かが支えたように、自分の名前が頭に浮かばなかった。 慌ててカラは胸元のペンダントを服の上から握り、深呼吸をした。
「――あんたに、名乗る必要なんか、ないだろ」
カラはセナのやつれ顔をいよいよ激しく睨んだ。 カラの険悪な反応に、セナはため息を吐き、無造作に左手を横に払った。 その動きを合図に、先程カラに喰らい付いた大狼が、頭を低くし、鼻に皺を寄せ、激しい威嚇の唸りを上げた。
反射的に、カラは身体を引いて身構える。
怯えながらもカラは、大狼から視線を外さずにいた。 だが、大狼は威嚇以上の行動には移らない様子だった。
改めて大狼を見ている内に、その毛並みの美しさにカラは目を引かれた。
惚れ惚れとするような、大きくて精悍な体躯をしている。 その厚く豊かな銀毛の様子から、南方ではなく、北に暮らす古い一族の狼ではないかと思い至った時、町中で聞いたエイリナの言葉が頭に甦った。
「……まさか、沙白狼――?」
「おや? 君、沙白狼を知っていたんだ? 今じゃほとんど見られない、珍しい聖なる獣。
つい最近、手に入ってね。 どうだい、美しいだろう? この艶やかな白銀の毛皮。 今は赤い眼になっているけど、元々の眼は、この毛と同じ銀色の、それは美しい眼なんだ。 ちゃんと保管してあるから、君が見たいのなら、見せてあげるよ」
威嚇を続ける沙白狼に、カラは視線を戻した。 想像の中で描いていた以上に、逞しい野性を感じさせる美しい狼。
だが、その優れた姿に相応しからぬ、だらしなく開いた口からだらりと舌を垂らし、ぼたぼたと唾液のような液体を滴らせている様は、あまりにも奇異で、カラの目には哀れに映った。
眼窩の虚ろな赤い光が、涙に濡れた眼のように、不安定に揺らめいて見える。
引き締まった逞しい身体と、生気のない眼、緩みきった口元の印象は、何もかもがちぐはぐで、見ていることが辛かった。
カラは、この狼に噛まれた傷を押さえた。
どくんと、脈打ち痛む傷からは、血がまだ滴り落ちている。
「――それじゃぁ……ここにいた他の獣も、もしかして、みんな――聖獣なの?」
カラは俯き、震える声で尋ねた。
「いや、ほとんどはもう聖獣とはいえない、ただの獣だよ。 聖獣と称するには、血が薄すぎる。 けど、この先の岩牢には、何種かの聖獣がまだ、生きたまま保管されていたはずだよ。 聖獣に、興味があるのかい?」
――アルが言っていた通り、やっぱり聖獣がいるんだ!
カラは表情を見られないよう、俯いたまま無言で頷いた。 その様子をみて、セナはクスクスと笑った。
「なんだ。 それならそうと言ってくれれば、見せてあげるのに」
「――本当に?」
カラは上目遣いにセナの顔を見た。 セナもまた、薄笑いを浮べ、金の眼でカラを見ている。
「もちろんだよ。 君が僕の招待を受けてくれるなら、いくらだって見せてあげるよ。 それより、君の瞳をもう一度、僕によく見せておくれよ」
セナはうっとりとした目で、カラの金の瞳を覗き込んだ。 声の明るさとは真逆の、陰気で虚ろなセナの眼差しに、カラは耐え切れず目を逸らし、床に視線を落とした。
カラの手も足も、絶えず小刻みに震えている。 そんなカラの様子が余程楽しいのか、セナはくすくすと笑いを漏らしながら、明るい声で言葉を続けた。
「ああ、本当に、なんて綺麗な瞳なんだろう。 ――そうだ。 さっき君が言っっていたけど、僕の顔色、ずいぶん悪くなっているみたいだから、そろそろ、入れ物ごと替えてもいいかもしれないな。 君の身体は、まだまだ長く、使えそうだよねぇ。 ああ、でも、君の身体はその呪いが解けないと厄介だな。 僕はまだ七・八十年しか生きていないから、〈喰われ人〉に会うのは、君が始めてなんだ。 喰った相手がいないと、君の姿は元に戻しも出来ないんだよね。 ねぇ君。 自分の《影》を喰った相手、覚えているかい? 相当、禍術にのめり込んだ老魔術師か、魔物、そのものだろう? そいつのこと、君、探し出せるかな?」
セナがカラを見続けていることは、目を逸らしていても肌で感じられた。
カラが何も答えず沈黙を続けていると、セナは大きくため息を吐いた。 主人のその行動に触発さえたのか、二匹の沙白狼は低い唸りを上げ、カラの周りをぐるぐると回り始めた。
「わかんない、か。 ま、それならそれで、久しぶりに調べがいのある対象が手に入った、と思えばいいんだな。 そうだよ。 そう考えると、嬉しいな。 楽しみがいっぱいだからね。
さて、改めて聞くけど、僕の招待を受けてくれるかな? できるなら、生きたままで、色々と調べたいんだ。 君が協力してくれるなら、こいつらに君の喉笛を噛み切らせる必要はないんだけれど、嫌だというなら、君にはここで死んで貰わないといけなくなるな。 だけど、後で僕が君の身体を貰うためにも、出来るだけ綺麗な状態で、その身体を取っておきたいと思うんだよね」
セナはゆっくりと左手を上げた。 その手の動きに合わせ沙白狼は、姿勢を更に低くし、鼻面に深い皺を刻んだ。
カラの内で、〈闇森の主〉と向かい合った時と同じ凍える恐怖と、激しい嫌悪と怒りがせめぎあった。
この男は狂っている。 話す言葉の意味は理解できないけれど、まともな奴じゃない。
このまま、この男の傍にいては、危険――。
「この沙白狼を、どかせてよ――」
カラは更に深く俯き、胸の前で震える手を握り合わせた。
怯えた、哀れな子供の姿に、セナは満足を覚えたのか大きく笑うと、鷹揚に頷いて見せた。
「招待、受けてくれるのかい? なんていい子なんだ。 もちろん、君が素直に来てくれるのなら、こいつらには何もさせはしない。 約束するよ」
「……本当に? だって、オレを見て、牙を剥いたままだよ」
涙を拭うように、カラは右手で顔をこすり鼻を啜った。
セナはくくっと笑うと、左手をゆっくりと払った。 二匹はセナの手の動きにあわせるように、後方へ下がり、床にべたりと伏せた。
沙白狼の従順を確認すると、セナはカラの耳元に顔を寄せ、囁くように言った。
「怖い思いをさせたね? ほら、もう大丈夫だよ。 言ったろう? こいつらは僕の命令なしには動けない、元々はただの屍骸。 だからもう、何も心配は要らないよ」
カラもちらと、沙白狼の様子を伺った。
二匹は床にべったりと伏せていた。 本当に死んでいるように、ぴくとも動かない。
「本当だね――」
カラは小さな子供が親に甘えるように、セナの胸元にすがり付き、震えた。
セナは、怯えた子供の行動に一瞬戸惑いつつも、くすくすと笑い、慰めでもするかのように、ポンポンとカラの肩を幾度か叩いた。
「そんなに怖かったのかい? 大丈夫だって――」
言葉の途中で、セナは身体がぐらりと揺れるのを感じた。 気付いた時には、両足は既に地から離れ、身体は宙にあった。
視線を下ろすと、セナの胸座と腰帯をしっかり掴み握った子供が、背負い上げるようにセナの身体を高く宙に放り上げた瞬間だった。
一方、セナを担ぎ上げた瞬間、カラは不安な違和感を覚えた。
――軽いっ……!
三ヵ月前、誤って男を死なせてしまった時の、男を持ち上げた感触と、あまりに違う。
手は確かにセナの衣を掴み、投げ上げた。 しかし、手に、肩に伝わる重みが、全くと言ってよい程感じられない。
困惑したカラは、投げ飛ばしたセナの身体を目で追った。 見上げた瞬間、見開かれたセナの目と目が合った。
セナは笑った。
そして、左手を払った。
宙に浮いたセナの身体は、闇に吸い込まれるように消え、それと入れ替わりに、死した獣達が、再び闇の中から湧いて現れ、沙白狼の後ろに集い始めた。
沙白狼を先頭に、死獣達はセナの意志を継ぐように、カラに牙を剥き、威嚇し、一斉に襲いかかってきた。
「う、わっ――」
オスティルの短剣を失くしたカラに、身を護るための武器は、自分の腕しかない。
カラは力任せに、喰い付いてくる死獣を殴り、蹴飛ばし、逃げ道を切り拓こうとした。
カラが動く度に、耳を聾するばかりの獣の悲鳴が上がる。 獣の悲鳴は岩壁に幾重にも反響し、カラの耳を苦しめた。
次々と襲い掛かってくる獣達を払いのけるために、手で耳を塞ぐ事は出来ない。
殴る度に、手に残る獣達の肉体の感触に、カラは眩暈がしそうだった。
「や、止めてよっ。 お前達、もう、死んでるんだろっ、なのに、なんでっ――」
カラは、誰にともなく叫んだ。
助けて、助けて――。
口に出さず、幾度も心で叫んだ。 繰り返し心の中で叫ぶ内、終には口をついて「助けて」と叫んでいた。
すると突然、紅い炎のような光がカラの腰辺りから迸り、地下道を満たす闇を切り裂いた。
突如溢れ出た紅金の光に、ほとんどの死獣達は恐怖の叫びを上げ、闇の中へ慌てふためき逃げ去り、消えていった。
だが、光に驚いたのは死獣ばかりではなく、カラも同じだった。
眩しさに目を細めながら光の源を探すと、紅い光は、カラのポケットから溢れ出していた。
カラは、慌ててポケットを探った。
ポケットの中からは、上階で拾った鳥の羽が出てきた。
羽根は燃え盛る炎のような、鮮やかな紅を帯びた金光を放ち、闇を射し照らした。
オスティルの柔らかな金色の光とは違う、激しい紅の光。
だが不思議と、オスティルに抱くと同じ安心感を、カラはその光に覚えた。
オスティルの光が月光の輝きならば、この羽根の放つ光は、陽光の輝きに似ている。
死獣は、明らかにこの羽根の発する光を怖れていた。 それがカラの援けとなった。
カラは、オスティルの短剣の代わりにこの羽根を護り刀として死獣達を払い、遠ざけ、どうにかこうにかアルが言っていた"もう一枚の扉"の中まで辿り着けたのだった。
*
「不思議な、羽根だなぁ」
カラは、自分を助けてくれた羽根に目を向けた。
今の光は激しさではなく、暖かな丸みを帯びた優しさがある。 たかが羽根ではあるが、闇を照らし輝く様は、気高さすら感じさせる。
引き込まれるように、カラは淡い紅金の光を帯びる羽根に見入った。 見入る内に、心がすうっと、楽になってゆく気がした。
滲んでいた涙は、いつの間にか乾いていた。
「――行かなきゃ」
鉄扉に背を持たせ掛け座っていたカラは、のろりと立ち上がった。
アルの安否が気掛かりだったが、殺されることはないと、根拠のない確信をカラは抱いていた。
まずはガーランを探し出そう。 そう、心を定めていた。
ガーランを探し連れ戻すことが、この地下へ侵入した目的であり、セナの話から、ここには間違いなく聖獣がいるということが分かった。 それならば、まず、最大の目的を果たすべきだとカラは考えた。 アルがここにいれば、それを望むだろうとも、自分なりに考えた結果だった。
カラは首に下がるユーシュのペンダントを握りしめた。
「――お願いします。 ガーランとアルを探し出して、一緒に、あの家に戻れますように。 みんな一緒に、一緒にいたあの家に戻れるように、力を、貸して――お願い」
瞳を閉じ、深く息を吸い吐き出すと、次に、自分の木のペンダントを握りしめ、側面に刻まれた自分の名と、護りの言葉の文字を幾度もなぞった。
「――見守って」
金の瞳を開くと、カラは正面を見据えた。
今進むべき通路は、先程まで死獣に追いかけられていた通路とまったく同じ造りをしており、うっかりすると、先程までと同じ道を歩いているのではないかという錯覚を覚えそうであったが、前方から、獣の唸り声と共に、家畜小屋より酷い、吸えた糞尿の臭いが漂って来ることで、先程までと違う場所にいることの確信が持てた。 空気も湿気を多く含み、じっとりと重い。
「いる――。 獣が、生きている獣が、いる」
カラは歩みを速めた。
手に握ったままの羽根は、幾分輝きの落ちた紅い光を放ち続けている。
しばらく進むと、歩廊に挟まれた三列の岩壁が突然カラの目に入った。
獣の声は、これら岩壁の内から漏れ聞こえていた。 どうやら、この岩自体を刳り貫き、牢屋として使っているようだった。
恐る恐る、カラは右の歩廊に足を踏み入れた。 思った通り、岩には大小様々な扉がずらりと並び、覗き窓からは、獣の身体の一部が除き見える。
カラの臭いを嗅ぎ取ったのか、激しい威嚇の声を上げる獣が現れ始めた。 獣の叫びが岩牢内に反響して、カラは思わず耳を覆った。
いったい、何種類の獣が吠え哮っているか分からない、耳を聾するばかりの音声の大波が押し寄せる。
「――まさか、この中からまた、死んだ獣……が出て来たり、なんてしないよね」
はっきりと姿が確かめられない獣の声に、カラは不安を抱かずにはいられなかった。 だが、怖れていては、先には進めない。
「ガーラン。 ガーラン。 ここにいる? オレだよ、ガーラン、いたら返事をして」
カラは小さな声で、びくびくしながらガーランの名を呼んだ。 羽根の光で覗き窓をかざし、手近な岩牢から、その中の住人の姿を確認しようとした。
『おうや、小僧。 そりゃあ、グリフィスの羽の炎光ではないか?』
ししし、としゃがれ声は笑った。
次回、〈6:片目の蜥蜴〉に続きます。