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2:夕暮れのキソス

   2:夕暮れのキソス



 夕焼けに染まるキソスの町に、点灯夫達により夜の光が灯され始める。

 郊外の開けた草原や丘に上れば、まだ陽の光は十分にあるのだが、町中は並び建つ家々に光が遮られ、夜の闇は早く訪れる。

 薄暗くなる町中に在っても、顔をふと東に向けると、キソスで一番高いフォイナの丘に、夕陽を浴びて緋色に輝く、キトナ大神殿の優姿を見ることが出来る。


 かつては東都として栄え、現在は宿場町として賑わうキソスは、ハル河西岸にあるリソン港を中心に栄えた港町、という一面も持っていた。 

 地方都市の港としては規格外に大きいリソン港には、中央沙都ウルストを中心とした、内陸各都市の産物をはじめ、沙都を経由して西方諸国の品々も運ばれていた。

 内陸からの主な荷は、希少金属や良質の天然石であり、いずれも大変な高値がついた。 

 天然石は、レーゲスタ一の産出地である南都に引けを取らぬ質と量を誇り、殊に、沙都周辺でしか取れぬ、月の満ち欠けと共に、色を無色から黄、緑、青、紫、薄紅と移し変えるユーシュ〈映月石〉という貴石は、その珍しさと稀少性から近年、好事家の間で大変な人気を博している。

 これらの品を携えやって来た沙都の商人と、それらの品をいち早く買い付けるため訪れた東都・南都の商人の熱気で、港は常に大変な賑わいがあった。

 また、物品ばかりでなく、沙都の剣士の武勇は、つとに名高かった。 更なる飛躍を求める若き沙都の剣士達は、沙都から一番近く、活気溢れるキソスに最初の一歩を踏み出す。

 キソスには、内陸にあっては得られ難い様々な情報が集る。 己に必要な情報をキソスで収集、精査し、自分を売り込む先を絞り込んだ若者達は、新たな天地を求め、キソスを旅立つ。

 今日も今日とて、未来を夢見た若武者達が、自分の愛剣や棍棒、双斧などを携え、交易に用いられる高価な品々の合間を遠慮しながら船を降り、キソスの町へと足を踏み入れていく。


 今しがた、本日最終便の客が下船したらしく、港から続く旅籠通り、酒場通りの何処もが、湧いて出るかの如く増え続ける旅人の熱気で満ち満ちていた。

 キソスの幹線となる大通りを南に下がったこの付近は、旅人にはよく知られた歓楽街で、大小三十を超える酒場が軒を連ねていた。 

 そのうちの十数軒は、別名〈睦宿(むつみやど)〉と呼ばれ、店付きの女と客の男が酒を飲みながら睦言を交わし、意気が合えば、長い夜を共に過ごすための部屋が別棟に用意されていた。


 比較的通り幅の広い、酒場通りの左右には、使い古しのワイン樽を机に見立てた、即席の戸外席が設けられ、安めの酒で、気の置けない仲間と愉快な時間を過ごしたい若者が数人、既に気に入りの席を見つけ陣取っている。

 故郷を離れ、第一の目的地に着いた喜び、開放感。 己の夢描く未来を掴むため始まる、新たな試練と模索の日々。 期待と僅かに織り交ざる不安。 全ての感情を飲み干すかのように、若者達は大いに飲み、語り、歌った。

 早い席では、すでに出来上がった者達が、肩を組み、大音声でお国の歌を歌っている。



『いくら感覚が鈍いといっても、あの小童共、よくもこんな気色の悪い場で酒なぞ飲めるな。 この感触、この臭い。 まるで肥溜めの中にいるみたいだよ。 安物とはいえ、もう少しマシな環境で楽しむもんだよ、酒は』


 舌打ちと共に発せられた女の声は、あからさまな棘があった。


「酒を飲めば、良いも悪いも、境が曖昧になるからいいんだよ。 曖昧にするために飲む者だって、きっといるだろうからね。 もっとも、いくら飲んでも酔わない君には、わからないかもしれないな」


『底蓋の無い酒樽の如き奴に、そんな科白を言われる筋合いはないね。 あぁ、ったく、胸糞悪いったらありゃしない』


 女の言葉に苦笑しながら、ナハはエアルースの首筋を優しく数回叩くと、頭を廻らせ周囲を見渡した。


「しかし、まあ、肥溜めまではいかないけど、そうだな。 固まりかけたヘドロの上、に立っているみたいだね。 臭うし、足下がなんとも気持ちが悪い。 もっとも、私達は敏感すぎるのだよ、職業柄ね」


 人通りの増えた酒場通りを、無闇に駆け抜ける訳にも行かず、ナハはエアルースをゆっくりと歩ませていた。

 道を行く素面の男達に限らず、酒の入った酔漢の目にも、エアルースの姿は優れて美しく映るらしく、通り過ぎるナハ達を返り見る者は少なくなかった。


『チラチラと――ええぃ、鬱陶しい。 こんな窒息しそうな場所、さっさと用件済ませて抜けちまいな』


 女の声は明らかに苛立ち、周囲の人間に反感を持っている様子だった。


「まあまあ。 エアルースは美形だから仕方ないよ。 私みたいな、くたびれたのがお供だから、別の意味でも目を引いているみたいだし。 これで君の姿も見えていたら、もっと大注目だろうな。 そもそも君が一番、男の注目を集めるには、適役だろうからね」


 のほほんと笑いながら言うナハに、女の声は凄みを増した。


『ナサリィ・ハイエル・ティータ=ラスクス。 どうしてお前はそうも間延びした性格なのだ? あたしで男を引っ掛けてどうするというのだ、阿呆め。 ここへ参った目的。 よもや、忘れたとは言うまいな?』


「カ・ナフィ・ルーイ。 持って生まれた性格は、私一人の所為ではないよ。 それにいくら私でも、ここへ来た目的は忘れていないよ。 この後の動きに関わるのだからね」


『ならば、さっさと動かんか。 視られ続けるなど気に喰わん』


 怒気の混じった女の声に、ナハは小さく首をすくめた。


「特に気に喰わないのは、あの大声で歌っている若者達の、後ろの三人組だろう? さり気なく熱い視線だね。 ちょっとぞくっとするくらいだ」


 エアルースの首筋を撫でながら、ナハは男達の様子を横目で伺った。 剣士であろう、恰幅の良い壮年の男が二人と、商人風の、背の低い初老の男が一人。 杯を酌み交わし、故郷の話などで盛り上がっているが、その目は、会話を愉しんでいるというよりは、獲物を狙う獣のようで、鋭く油断がない。


『あれは、そうだろう?』


 女の声に、艶やが増したのを聞き取り、ナハは軽く嘆息した。


「……多分ね。 さて、どうするかな――」


「おーい。 そこの兄さん。 えらくカッコいい黒馬に跨っている、あんた、そうあんただよ」


 酒瓶片手に、顔を赤らめた二人組の男が、手招きをしながらナハに近付き、エアルースの鞍に手を掛けた。 既に何本の酒を空けたのか、男達の吐く息は、アルコールそのものだった。


「この馬、いい馬だなぁ。 こんな馬はぁ、見たこたねぇ。 お前さん、キソスにゃあ、着いたばっかりか? どうだ、一緒に飲まねぇか? 奢るぜ? この馬をもっと拝ませて貰いてぇしよ」


 南方なまりのある鬚面の男が、エアルースの顔をしみじみと覗き込みながら、馴れ馴れしくナハの膝を叩き笑った。 エアルースは、男の行動に動じることなく、大人しくナハの指示を待っていた。


「なんだ、あんた、ネズミまで連れてるのか? こりゃ白いベッピンのネズミだな。 緋色の目玉が宝石みたいじゃないか」


 もう一人の、こちらは北方の出身と見える、背の高いひょろりとした男は、ナハの肩に座るカナルに、チッチッと口真似をしながら手を伸ばしてきた。 カナルは、ヂイッと高く鳴き、男の指先を齧ると、ナハの胸ポケットに潜り込んでしまった。


「っ痛ててっ。 ありゃま、怒っちまった」


 男は齧られた指を振りながら、空いた手でナハのポケットを突付いたが、カナルはポケットの中で身体を丸め、ピクとも動かない。


「あはは、すまないね。 私の連れは少々気性が激しい上に、かなり、人間見知りでね」


 ナハは頭を掻きながら、苦笑した。

 酒で陽気になった男達は、見ず知らずの通りすがりにでも、気軽に声をかけて酒の席に招こうとする。 エアルースに跨り、通りを進んでいたナハも、ここまでに五回、酒席に誘われ、丁重に断り続けてきたが、今回は逃げ難い状況だった。

 エアルースから降りると、ナハは男達の話に付き合うことにした。 男達は、嬉々としてナハを、自分たちが陣取っていた席へと案内した。 戸外席ではあったが、周囲の席の人々への配慮から、エアルースは結局、店の裏にある厩に預けることとなった。


 ナハが席に着くと、背高の男が女中に杯とつまみの追加をした。 間もなく運ばれてきた酒は、度数の高い老酒で、一口含んだだけで、喉が焼けるように熱くなる。 つまみは、木の実の盛り合わせと、香草塩を塗した鶏肉を、丸のまま炭火で炙ったものだったが、鳥のやや焦げ気味の皮が香ばしく、なかなか美味だった。


「こりゃ美味いな。 着いた早々、なかなか幸先がいい。 何分ここ二・三日、あまりまともに食べてなかったから、腹ペコだったんだ。 懐がカラッポでね、稼ぐまでは何も食べられないと、覚悟をしていたんだが、あんた達に会えたのは、思わぬ成果だな」


 いつの間にか、手酌で杯を重ねるナハに、男達は更に酒を注文し、つまみを勧めた。


「成果とは、大層な言われようだな。 まあ、ほら、遠慮せずに飲みな。 ところであんたは、どこから来たんだ? どうみても剣士には見えんが、商人にも見えん。 あの黒馬。 あれはかなりの名馬だ。 俺は北方カスリスの出でな、馬にはうるさいんだが、あれ程の馬は、カスリスでも見たことがない。 騎士ですら、そうそう手には入れられん馬だぞ。 あれならば、聖獣へクトールの末裔と言われても信じられるな」


 背高の男は、手にしていた酒瓶から酒を呷ると、興味深げな眼差しをナハに向けた。


「カスリスといえば、馬の産地で有名な国だ。 なるほどね。 私は術師を生業としているのさ。 あの馬は、私の親が残した、唯一の遺産、形見みたいなものなんだ。 こう見えて、私は結構な名家の跡継ぎだったんだが、家の跡を継ぐのが嫌でね。 餞別代りにあの馬を貰って、流れ者になったってわけさ」


 美味そうに酒を飲みながら話すナハの姿を、男達は上から下まで見回し、目を見合わせ大笑いをした。


「お前さんが名家の跡取りなら、俺達は、一国の王子だ。 こんな煤けてくたびれきった名家の跡継ぎなんざ、大陸広しといえどお前さん位なもんだぜ? しかも、お前さん、しばらくフロにも入ってないだろ? 臭うぜ」


「まったくだ。 俺もな、あんたとご同業の術師だが、もう少しは身奇麗にした方が、客を引っかけ易いってもんだろうがよ。 俺はな、獣を操るのを専らとしているんだが、お前さんは何を専門としているんだ? その疲れ果てた見てくれじゃ、専門が何であれ、客が捕まらんだろう?」


 男達が大声で笑いたてたため、周囲の視線がナハに向けられた。 照れくさそうに頭を掻くと、ナハは空になった杯に酒を注いだ。


「あはは、やはりそんなに頼りなさそうかね? 確かに、ここ最近、ほとんど仕事はしていないからなぁ。 ここではちょっと、本気で働かないといけないのだが、どうにも予定が狂いっぱなしでね。 そろそろ気を引き締めなくてはと、思っているのだがね」


 おっとりと笑いながら、ナハは三本目の老酒の瓶を空けた。 ナハの飲みっぷりを気に入ったと、背高の男は酒の追加を頼みに席を立った。


「相方は術師でも、あんたは剣士だろう? キソスに何かいい雇い口でもあるのかね? あんたのご同業が、ずいぶん集っているみたいだが」


 視線で、周囲の男達を指しながら、ナハは鬚面の男に杯を渡し酒を勧めた。 自分の杯にも忘れず酒を満たすと、ぐいと呷った。


「聞いてねえか? 辺境のイリ、アドラ、トルサキア辺りで、ここ最近、規模の大きい暴動が頻発しているんだと。 死人も結構出ているとかで、その状態が続くようなら、場合によっちゃ東西南北の都から、治安維持の為の派兵があるかもしれないんだと。 西都では既に予備兵の募集があってるって話だ。 剣士共にとっちゃ、滅多にない活躍の場だからな。 情報集めに必死なんだろうさ。 どの都に行くのが、一番良いかってな」


「ああ。 どれも国名だけ残して滅ぼされた国か。 国土回復を望む亡国の民はかなり多いみたいだからな。 つまり、あんた等も、その募集に応じるため、東都か南都に? ご苦労な事だな。 ま、私はしがない術師だし、戦は苦手だからその話は無縁だな」


 鬚面が杯を干すと、ナハは空になったふたつの杯に、なみなみと酒を注いだ。


「いや、オレは別のクチだ。 もっと確実な雇い主を、探し出したのさ。 トール――あの相方の術師だが、奴も一緒にな」


「へぇ? 術師も一緒にね。 そりゃ興味あるな。 どこぞの貴族か大商家のお抱えかね?」


 鬚面はにやりと笑うと、手招きをして、ナハに耳を貸せと合図した。 ふたつの杯を満たしつつ、ナハは言われるままに、耳を鬚面に向けた。


「――〈聖神聖教(シン・エルナイ)〉を、知っているか?」


 男があまりに声を潜めて言うので、ナハもつられて小声で答えた。


「聞いた事はある――確か、エランを唯一絶対の神として崇めている集団だろう? 宗教の事は、あまり詳しくないのだが、あんた達とは、あまり関係ない気がするのだがね?」


 鬚面は注がれた杯を空けると、更に顔を近付けてきた。


「詳しい理由(こと)は言えねぇがな、腕の立つ剣士や術師を集めていてな。 上では、まだまだ使える人材を探しているって話だ」


 ナハの顔に目を据えたまま、男はいつの間にか満たされている杯を呷った。 ナハは五本目の老酒を開けると、当たり前のように、自分と男の杯を満たした。


「へぇ? そりゃ確かに珍しい雇い先だな。 〈聖神聖教〉は、大神殿とは相容れない間柄だと聞いたが、この大神殿の町に、〈聖神聖教〉の教会堂でもあるのかね?」


 ナハが興味を示したことに気を良くしたのか、鬚面の男は杯を飲み干し、鼻の頭が触れるほどに顔を近付けてきた。


「それはな――」


     *


 鬚面の男がトールと呼んだ男は、エアルースの姿に改めて見惚れていた。 先程ナハに言った言葉は偽りでなく、これほどの馬を、トールは見たことがなかった。


「これは、そのような目的に使うのは、あまりに惜しいな。 いっそ、どこぞの金持ちに売り付けた方が、実入りがよさそうだ」


 エアルースに見惚れ続けるトールの背後で、背に大剣を背負った男が、腕組みをしてトールの作業を見ていた。


「あまり欲をかくと、取るものも取られんぞ。さっさとこの馬を連れ出せ。 人目につくと厄介だ」


「陽も落ちた。 この黒馬の姿は目立たなくなる。 暴れさえせねば、難なく連れ出せる」


 トールは、エアルースの引き綱を柵から解いた。 トールが軽く綱を牽くと、エアルースは素直に従い歩き出した。

 厩を出ると、裏通りを抜けた先にある森まで牽いて歩ませた。 大剣の男も、離れてその後ろを付いて歩いた。


 森に辿り着くころには、陽の名残は一切失せ、街灯の明かりの届かぬ森の中は、深い闇に沈んでいた。

 下草の茂った、木々の間をしばらく分け進むと、ぽっかりと草木がまばらになる開き地に出た。 中央には、二人の男が立っていた。 一人は、頬に大きな傷を負った壮年の男で、腰に長刀を佩いており、いま一人は、小柄な商人風の装いをした老年の男だった。 背丈に不釣合いな長い杖を手にしており、その杖先には、火のない光が灯っていた。


「ほお。 これはまた立派な馬だな」


 傷の男が、エアルースを見て感嘆の声を上げた。 杖の小男も、目を瞠り、エアルースの周囲をぐるぐると回った。


「これは、ひょっとすれば、真に聖獣の流れを汲む馬やもしれぬぞ。 ただ姿の良い馬と言うには、力に溢れて過ぎておる。 よくぞこんな馬を、あのようなみすぼらしい男が連れていたものだな」


「恐らくあの男も盗み得たものだろうよ。 術師と言っておったから、あんたみたいに、何やらまやかしの術でもかけて、持ち主から盗み得たのであろうさ」


 トールの皮肉めいた言葉に、杖の男は顔を赤らめ、トールに杖を突きつけた。


「まやかしの術じゃと? 貴様も同じ術師のくせして、私の術をまやかしというか?」


「気に触ったなら、失礼。 俺はしがない獣使い。 獣の扱い意外は何も出来んことを重々承知している。 だがあんたは、〈精霊使い〉になり損ねた田舎術師、と聞いていたものでね。 田舎の精霊使い崩れには、詐欺師が多いと、私の故郷では知れたことだったもので、つい」


 怒りに震える術師の肩に、大剣の男は手を置き、術師を後ろへ下がらせた。 トールは、皮肉な笑みで杖の術師を眺めやると、大剣の男に視線を移し、笑いを引いた。


「聖獣を捕らえれば、総帥に合わせると言ったな? あんな、牢番のような下働きじゃない、もっとマシな仕事を、させて貰えるんだろうな?」


「その心配はない。 これが真に聖獣の血を継いでおれば、〈狩り人〉としての仕事が、総帥より与えられる。 そこで更にその力を認められれば、更なる活動の場が用意される」


 大剣の男の回答に、トールは頷いた。


「それより、お前の相方はどうなっている? ここで待つ事は伝えてあるのだろう?」


「ああ。 カイトスは、この馬の主に話を持ちかけている」


 大人しい黒馬に、トールはうっとりと見入りながら首を撫でた。 黒馬は、軽く首を振ると、蹄で地をかいた。


「話とは――我等のことか?」


「使える者が欲しいと言っていただろう? 安心しろ、詳しい事は話してはおらん。 ただ、奴は術師と言った。 腕前の程は分からぬが、意外に使えるかも知れぬと思ってな」


「何故そう思った?」


「動きに無駄がなかった。 この馬の扱いにしろ、肉を切り取る手捌きにしろ、何かしらの訓練を受けている。 話に乗れば、その男も共に来るが、乗らぬなら、奴は死ぬ」


「死ぬ?」


 訝しげに問う術師に、トールは冷笑を向けた。


「俺は薬物にも多少の知識があってね。 奴の最初の杯に薬を、仕込んでおいた。 ここに来て、解毒の薬を飲まねば、明日の朝、奴はどこぞで冷たくなっている」


 トールが、陰湿な笑みを浮べると、背後の藪から暢気な笑い声が上がった。


「やはり、無料(ただ)より怖いものはないなあ」


 闇から聞こえてきた声に、男達はそれぞれにサッと身構えた。 藪に一番近い場所に立っていた術師は、背後の藪に杖を向け、目を細め、闇を伺った。


「何者――な、何だっ」


「どうしたっ」


 奇声を上げた術師を見ると、その杖上に白い小ネズミが座り、緋色の瞳を輝かせながら、男達をじっと見つめていた。


「何だ? ネズミじゃないか。 たかがネズミで騒ぐなん――」


「来るぞ」


 大剣の男が、トールの言葉を鋭く制した。

 間もなく、ガサガサと藪を掻き分ける音と共に、藪の中からぬっと、薄汚れた暗緑色の外套を着たナハが、頭を掻きながら現れた。

 白ネズミは、術師の杖から飛び下りると、ナハの肩に駆け上った。


「カナル。 この道は、私にはちょっと通りにくかったよ――おっと。 やぁ、皆さんお揃いで。 ああ、エアルースもいるね。 厩にいないから、カナルに跡を辿ってもらったんだが、何も、問題はないようだね」


 ナハの呼びかけに、エアルースは鼻を鳴らし、頭を上下させて応えた。 エアルースの綱を握っていたトールは、エアルースの動きに引きずられつつ、ナハの顔を凝視した。


「お、お前は――」


 ナハもまた、トールの顔を見て微笑み手を振った


「先程はご馳走さま。 だが、断りなく私の馬を連れ出すのは、どうかと思うのだがね」


「お前、何とも――……」


 言いかけて、トールは言葉を飲み込んだ。

 トールがナハに盛った薬は、遅効性のものではあったが、酒と共に飲めば、効果が出易くなるものであった。 そろそろ歩行が困難になり、意識の混濁が始まっていても、おかしくはないはずだった。


「お前。 い、いや、話に乗る気になったのか――カイトス。 おい、カイトスはどうした? 一緒に来たんじゃないのか?」


 ナハは、ああ、という顔をした。


「あの鬚面はカイトスって言うのか。 奴なら酒場の小部屋で寝ているよ。 "明日の朝まで目覚めないだろうけど、この男がここの飲み代払うから、朝まで寝かしておいてくれ"と、奴の財布と一緒に、店の親父に渡してきたからね」


 大剣の男が進み出て、ナハを見据えた。


「お前、我等の話をカイトスから聞いて、ここに参ったのではないのか?」


「聞くはずだったんだが、思ったより早く薬が効いてしまったみたいでね。 聞き出すより前に、眠られてしまった」


「眠ってしまった? ――貴様、奴に何をした?」


 のんびりと話すナハに、トールは声を荒げた。


「何って、あんたと同じ。 薬を盛っただけだよ。 あんたのとは違って、ただの眠り薬だがね。 言わなかったかな? 私、薬方士並みに薬物には詳しいのだよ。 殊に、毒物関係は大得意だ。 おかげで、あんたが最初の杯に入れた毒の解毒も、自分で行えた」


  傷の男は、トールとエアルースを背後に下げると、剣を抜いてナハに向けた。 大剣の男も、柄に手をかけナハを見据えた。

 ナハは頭を掻きながら、手近な木に手を添わせ、幹を数回、軽く叩いた。


「物騒だなぁ。 まるで私は仇のようだな。 私は、あんた達に幾つか訊きたい事があるだけなのだがね。 半日も町中を探したのだよ? エアルースを餌に、無意味に町中を駆けて、あんた達が私に接触してくるのを、ひたすら待ったのだよ? その努力に報いて、平和裏に、話し合いで解決してやろうとは思わんかね?」


「――ふざけた事を。 貴様、何者だ?」


 (まなじり)をあげ見据える傷の男を、ナハは苦笑しながら見つめた。


「私は流れの術師だよ。 そのひょろ長い男――トールというのだっけ? 彼から聞いていないのかい? あんた達は――〈狩り人〉だろう?」


 ナハの言葉が終わらぬうちに、突然、木の枝が鞭のようにしなり動き、傷の男が構える剣を叩き落すと、男の手首に巻き付き、悲鳴と共に男を樹上へと吊るし上げた。 枝は同時に大剣の男にも巻き付き、身体の自由を奪っていた。


「き、貴様――何をしたっ」


 ふいを突かれた大剣の男が、手足の縛めに抗いながら、ナハを凄まじい剣幕で睨みつけた。


「立ち回りは苦手なものでね、先手必勝だと思って。 ああ、でも"鉄の武器を持った奴等を封じろ"って頼んだら、二人も残ってしまったな」 


 ナハは、木に絡め取られなかった杖の術師と、エアルースの綱を握った、トールの二人を見遣った。


「――確かに、木の棒と、何も持っていない、か。 ひょっとして、どちらもご同業か? ――めんどくさいなあ」


 杖を構えていた術師は、慌てて口の中で呪文らしき言葉を唱え始めた。 同じ言葉が繰り返し唱えられるうち、ナハの周りに、小さな竜巻が起こり始めた。


「へぇ。 あんた、〈風〉を使うのか? しかし、〈風の者〉は添っていないようだ。 と、言う事は、もぐりの術師か」


『もぐりももぐり。 こんな近くにあたしがいるってのに、露ほども気付かぬ』


「なっ――この女の声は……何処にいるっ」


 術師は顔を赤らめ眉を上げた。

 突き出していた杖を上げようとすると、その先端に再び白ネズミが飛び乗った。


「な、何だ、このネズミは」


 緋色の瞳で術師を見上げる白ネズミから、女の笑い声が上がった。


『多少でも、精霊の力を行使しようとする者のくせに、私が見えぬとはな。 ま、その程度の低級な術しか使えん四流術師では、そんなものであろうな』


 女の言葉に、術師は怒りを増幅させ、新たな呪文を唱え始めた。


「あんまり挑発しないで欲しいな。 君が片付けてくれるなら構わないけど」


 苦笑しながらナハは頭を掻いていたが、ナハを取り巻く風は次第に勢いを増し、髪や外套は巻き上げられ、激しくはためき、手や頬には小さな掻き傷が無数に出来ていた。


「暑い季節なら、この風は、案外気持ちいいかもしれないけれど――」


 勢いを増し、ナハの身体の自由を奪おうとする風の圧力に、ナハは抗い、膝を折り地に手を着けた。


「今は、ちょっと――煩い」


 一掴みの土を握ると、ナハは土に息を吹きかけ、身体を包むように吹き荒れる風に乗るように、手から土を零した。

 土を、自らの流れに巻き込んだ風は、見えぬ壁に打ち当たったかのように、ナハの周囲で一度大きく渦巻き、ぴたりと吹き荒れるのを止めた。

 激しくはためいていたナハの外套は動きを止め、辺りはしんと静まりかえった。


「よし。 とりあえず静かになったな。 さて、まだ反抗したい気持ちがあるなら、先に言ってもらいたいのだが。 小出しで反抗されるのは、対応するのが面倒だ」


 ナハは、ぼさぼさになった頭を掻きながら、二人の男に視線を向けた。

 術師の男は、杖先に座っていた白ネズミを払い落とすと、杖を構え、今度は自分の周りに風を吹かせ始めた。 風の勢いが増すと共に、小さな術師の身体がゆらりと、宙に浮かび上がった。

 一人、騒ぎの背後に隠れていたトールは、エアルースの背に手を掛け素早く跨ると、腹を蹴り、巧みに手綱を捌き、逃走を図った。


「おお、流石は獣使い。 よくぞエアルースを動かしたなあ。 だが――」


 ナハは嘆息すると、再び地に手を着け、瞼を閉じ、深く息を吐いた。


《我が声に応え、深き眠りより目覚めよ。 我〈地〉に属す者。 〈地〉と契りし同胞(はらから)なる者。 旧きキソスの地に坐ます〈地〉の賢者よ。 我が声に応え、汝が力を示すがよし。 我は汝の(かいな)なり。 汝が腕は我が腕なり。 汝が力は我が力なり――》


 低く、重く響く声で、ナハは(ことば)を唱えた。

 詞の残響が消えると、地の底から地鳴りが聞こえ、男達の立つ地面が、波立つように揺れ始めた。 激しい揺れがぴたと静まると、突如、大地が天を突かんばかりの勢いで隆起し、瞬く間に、見上げんばかりの巨大な壁が、男達をぐるりと取り囲んだ。


 突然現れた土の壁に行く手を阻まれたトールは、馬首を廻らせ、方向を転換しようとした。 しかし、手綱を引いた途端、エアルースは激しく嘶き、後立ちになりトールを振り落とした。

 地面に強かに叩きつけられたトールは、痛みに呻きながらも、身体を起こそうと、うつ伏せになりもがいていた。 トールを振り落としたエアルースは、嘶き、激しく首を振ると、蹲るトールの傍らに立ち、前脚を宙に躍らせた。


「エアルース。 そのくらいでお止め」


 穏やかなナハの声に、エアルースは前脚を土の上に下ろした。 下ろしはしたが、エアルースは怒りが収まらないのか、荒い息を吐きながら、トールの周囲を、荒々しい足音を立てながら回った。

 つい先程まで、穏やかで従順であった黒馬の眼は、赤く激しい光を放ち、猛る獣の如く、(たてがみ)を逆立て、鼻息荒くトールを見下ろしていた。 幾度が蹄で地をかくと、再び後ろ立ちになり、蹲ったトールのすぐ脇の大地を、蹄で激しく打った。 大地には、子供が落ちてしまいそうなほどの、巨大な穴が開いた。


「ひっ――」


 ようやく半身を起こしたかけたトールは、脚を踏み鳴らし続ける黒馬の怒りに、蒼ざめ、腰砕けに座り込んだ。

 ナハは興奮したエアルースの傍に寄ると、その鼻面を優しく撫でた。 撫でられているうちに、エアルースも次第に落ち着きを取り戻し、踏み鳴らしていた脚を止めた。


「この馬を、聖獣と察して連れ出したのであれば、愚かとしか言えない行動だな。 聖獣は、普通の獣以上に誇り高い。 許しを与えていない者を乗せるなんて、通常ならば万に一つもあり得ないことだ。 ここまであんたに逆らわなかったエアルースに、感謝をすることだな。 エアルース。 君の怒りを少しでも晴らすために、この男には――そうだな。 しばらく、埋まってもらおうか」


 ナハが軽く地に触れると、トールの周囲の土が、沸騰する湯のように沸き立ち始めた。

 揺れ動く土に動揺するトールの身体は、エアルースが開けた穴に吸い込まれるように落ち、周囲で沸き立つ土が、穴の隙間を埋めるように雪崩れ込んだ。


「な、何を――出せっ、こんな――」


 頭だけを残し、地中に埋められたトールの、顔にかかった土をナハは払い除けてやった。


「あまり圧迫しないように、〈地の者〉には頼んであるから、しばらくその姿で反省してみることだね」


「お、お前――まさか〈地の長〉か?」


 宙に浮いたまま、術師は呆然とした顔で、ナハを見ていた。

 手を叩きながら立ち上がったナハは、頭上の術師を見上げ、曖昧な笑いを浮べた。


「"まさか"ではなく、まさに、そうなのだけれど――話は、出来れば平行線上でしたいものだな。 カナル。 静かに下りて貰えるよう、手伝ってくれるかい?」


 ナハの言葉の応じるように、術師の杖先に再び白ネズミが現れた。 白ネズミは、術師を見据えるように、後ろ足で立ち上がると、淡い光を放ち始めた。 光は次第に強く大きくなり、ネズミの姿はかき消され、人の姿に変化をしていった。


「な、なん――……ひっ」


 術師の身体を宙に吹き上げていた風が、突如として吹き止み、術師の身体は杖だけを残し、どさりと地に落下した。


『"静かに"下ろしてやったぞ』


 打ち付けた身体の痛みも感じぬかのように、術師は、宙に浮いたままの杖を見上げた。

 浮いた杖の上には、すらりと背の高い女が立っていた。

 褐色の肌に白い衣を纏い、漆黒の長い髪を腰まで伸ばした、目を瞠るばかりの美しい女だった。

 緋色に輝く切れ長の瞳で、蟇蛙のように地に這い蹲る男を、傲然と見下ろしている。


「――精霊。 まさか、〈地〉の、精霊か」


 カナルは妖艶に微笑むと、額に掛る黒髪を掻き揚げ、鼻で笑った。


『"まさか"ではなく、"まさに"そうだ。 特別に、この麗しい姿を見せてやっているのだ。 賛辞の一つ、その口は言えぬのか?』


 カナルは自分の足下の杖を手に取ると、紅く形の良い唇をつけた。 すると、杖はぐにゃりと柔らかくなり、(しご)くと、それはしなやかな縄に変わった。

 縄に軽く唇をつけると、カナルは術師の上にぱらりと落とした。 すると、縄は蛇のように術師に絡み付き、身体を固く縛めた。


『いつでも賛辞の言葉を言えるよう、縛るは身体だけにしてやろう』


 カナルはふわりと地に降り立つと、ナハの肩に手を掛け、男達を見据え笑った。


『こやつ等。 訊いて素直に答えるかねえ?』


「答えてもらわなくては、努力が無駄になるからね。 だから――答えてもらうさ」


 ナハは、様々に縛められた男達を見回した。

 枝に自由を奪われた大剣の男の傍に歩み寄ると、ナハは男の顔を見上げ、にこやかな笑みを浮べた。


「あんたが一番詳しそうだから、あんたにまず、訊くことにしよう」


 男はナハを無言で睨んだ。 その激しい眼差しを受け、ナハは不敵な笑みを浮べた。


「〈狩り人〉の――〈聖神聖教(シン・エルナイ)〉の地下教会について、全て、話して貰おう。 素面(しらふ)で話し難いならば、私の薬を、振舞ってやってもいい。 酔いを愉しむ時間は、無いがな――」


 ナハの顔から、笑みは消えていた。



 次回、〈3:操骸師〉に続きます。

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